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李隊員の暴走

無線連絡を待つ面々
シェルパらに救援物資を持たせ、救助に向かうよう連絡をした
無事、ベースキャンプに降りてきて、久しぶりに、隊員の皆との夕食
夕食の間中 李さんの表情は暗かった
いつもなら一番大きな声で笑っているはずなのだが・・・

 5月25日、我々がベースキャンプで清掃活動を行っている時に、李、ギーアの両隊員はキャンプ3へと目指していた。前夜に
「キャンプ3で宿泊していいか?」
と李隊員から僕の元へ無線連絡が入り、了解していた。まだ高度順化の段階だ。各自の調整方法がある。僕のようにキャンプ地のアップダウンを繰り返し、少しずつ高所に慣らす方法をとる登山家もいれば、上部キャンプに宿泊することで、高度順化をする登山家もいる。李さんとギーアは後者のほうで、リスクの高いアイスフォールを通過する回数を出来るだけ減らし、上部にいる時間を増やし、一気に順化する戦法をとった。李さんもギーアもヒマラヤ登山のベテランだ。僕がとやかく言うことじゃない。

 ギーアと同じくグルジアからの参加した医師のズーラは一時間おきに無線連絡をとっていた。17時ごろにも通信している。2人のグルジア語の会話をすぐそばで聞いていたが、その様子から緊張感も感じられず、キャンプ2からキャンプ3まで通常、4時間前後であるから、午前8時にキャンプ2を出発した2人はもうとっくに到着しているものと思っていた。しかし、その直後、2人は未だにキャンプ3に到着していないことが判明。キャンプ2を出発して9時間がたっているのに・・・。 ギーアとの無線連絡も途絶え途絶えで、よく彼らの状況がつかめない。

 午後7時過ぎ、再びギーアから無線連絡が入る。
「キャンプ3の200メートルぐらい手前。あと30分で着くと思う」
「李は動きが悪い」
僕は、
「李にキャンプ2へ下りることを考えてほしい」
と伝えたが、
「大丈夫だ」
との返事のあと、再び連絡が途絶えた。彼らと連絡が取れなくなり、慌ててキャンプ2にいるシェルパに連絡し「キャンプ2から見て、2人はどう辺りにいるのか、見えたら報告してほしい」
とお願いしたら、その返事に皆驚きを隠せなかった。
「李とギーアがキャンプ3に到着するまで、あのスピードじゃ、まだ4時間はかかる」
時計は7時半を回っていた。なんとかギーアに引き返すようにと、連絡を繰り返すが、無線のスイッチを切っているのか返事がない。辺りは暗くなり、いたずらに時間が経過していく。キャンプ2のシェルパの話では次第に風が強くなり、寒さが厳しいとのこと。そして、今日、キャンプ2からキャンプ3を経て、ベースキャンプに降りてきた韓国隊員の金さんの一言に皆が凍りついた。
「李はダウンジャケットを持っていってない!」
「手袋も薄いものでいった」
「・・・。」
しばらく沈黙が続いた。ダウンジャケットがない!

 8時過ぎ、突然、ギーアの声がベースキャンプの我々のテントに響いた。
「シェルパのレスキュー頼む。李は動かない。非常に寒い。李のダウンジャケットとお湯とロープを持ってきてくれ!早く 早く!」
シェルパが
「なぜ、ロープが必要なんだ」
との問いには、答えずに
「とにかく急いでくれ!」
とギーアの声が怒鳴り声に変わる。
「早く来てくれ!」
そして再び、連絡が途絶えた。何度、ギーアを呼んでも反応がない。キャンプ2のシェルパ5人を救助のため、暗闇の現場に向かわせた。再び、永い沈黙が続く。

  なにが起きたのか!そしてなぜ、ギーアとの無線連絡が途絶えてしまうのか!胃が痛くなる沈黙。救助隊の報告が入るまで、皆、もんもんとした気持ちで待ちつづける。9時過ぎ、救助活動にあたっていたシェルパから連絡が入り、李とギーアを発見したとのこと。しかし、李は意識がもうろうとしたまま、
「助けてくれ!」
とつぶやいているという。歩くこともできず、シェルパに抱えられながら、酸素を吸入し、夜10時半、無事にキャンプ2に収容された。ギーアは歩けなくなった李に付き添っていたようで、キャンプ3にたどり着けばなんとかなると考えていたようだが、そのキャンプ3は弱り果てた李には不可能な距離だった。シェルパに救助されなければ、その命すら守れない過ちを李隊員は冒してしまった。

 ヒマラヤに限らず、登山を行う場合、絶えず引き返せるだけの余力を残しながら、先に進まなければならない。引き返せない状態で先に進むのは自滅行為だ。素人ならまだしも、ベテランの李隊員が犯す過ちではないはず! ギーアは何度も李に
「下りろ」
とアドバイスを繰り返したが、その意見に耳を貸さず彼は瀕死の状態で登り続けた。
 僕はこの李さんの自分勝手な行動が残念でならない。李さんは翌26日にベースキャンプにシェルパに付き添われながら下りてきた。開口一番、
「申し訳ない。ごめんなさい」
と謝ってくれたが、自身の冒した過ちをじっくりと考えていただきたい。いかなる状況においても、絶えず生きて帰る努力を惜しまないのが冒険だ。むやみに突っ込むのは邪道だ。ご自分の命の重さを充分にかみ締めてほしい。

2002年4月26日
野口健