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チョンリンジの死

 キャンプ2でサーダのダワタシが
「ケンさん、チョンリンジがチョオユー(8201m)で2週間前に死んだ」
と突然の悲報に驚かされた。チョンリンジはダワタシの親戚にあたり、我が隊でも昨年のチョモランマ清掃登山ではシェルパとして参加してくれていた。実績もあり、体力的にも他のシェルパを圧倒していた彼だったが、昨年のチョモランマでは顔色が土色になり、目が充血し、いかにも体調不良でグルジア人医師のズーラに診察してもらったら肺水腫の可能性があると診断され、遠征期間の大半をベースキャンプで過ごしていた。僕に何度も、
「ケン、上に上がらせてほしい」
とお願いしてきたが、
「ダメだ、ドクター・ストップがかかっている。今回は気にしなくていい。」
となだめたが、本人は自分が活躍できないのが悔しかったのだろう。悲しそうな表情をしていた。彼には
「カトマンズに戻ったら病院にいってね」
と伝え、その後カトマンズで一週間ほど入院したと聞いていた。

 この春は他の登山隊のシェルパとしてチョオユーに行き、上部キャンプへの荷揚げの最中に、ルート上で座ったまま死亡している姿で発見。死因は不明とのこと。遺体はカトマンズに運ばれ、葬儀はすでに行われたようだ。

 チョンリンジにはデンドゥという弟がいた。96年、チョオユに共に登頂し、2000年のチョモランマ清掃登山では最もゴミを回収したシェルパだ。しかし、2000年8月、彼も突然病に倒れ還らぬ人となってしまった。その二ヵ月後、やはり僕を支えつづけたラクパというシェルパも突然死している。相次ぐ、シェルパの死。ネパールに来るたびにシェルパ達の死を耳にする。命を削りながらヒマラヤで働くシェルパ達。チョンリンジやデンドゥ、ラクパの死は、我々登山隊の犠牲だ。長年ヒマラヤに登りつづけている彼らの体はボロボロだ。登山隊側のシェルパへのアフターケアーが求められている。この2001年エベレスト清掃登山が終了すれば、カトマンズでシェルパ達のドクターチェックを実現させたい。シェルパ達を使い捨てにしないためにも、シェルパらの健康管理は各登山隊の義務にするべきじゃないだろうか。

 僕自身の反省から、5月下旬のカトマンズでの記者会見で「登山隊のシェルパへの健康管理の義務」を訴えていきたい。

2002年5月20日
ベースキャンプより 野口健