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8000m無酸素のスタート



 エベレストから戻ってきてからホッと一息つく間もなく目まぐるしく動き回った。

 8月の最後の仕事を終え、ヒマラヤ行きの準備に取り掛かるだけとなったその頃から、なにか緊張の糸が切れたかのように力が抜け、脱力感なのか、なにも手につかず、そのうちに食欲がなくなり、あれっと気がついたら酷い下痢に襲われた。それ以外にも不運が続き、ヒマラヤ行きがずれ込んでしまっていた。

 関西国際空港からロイヤルネパール機に乗り込み、シートに座ったとたんに意識不明。ネパールまでの8時間はほとんど記憶にない。久しぶりに深い深い眠りにつけた。何故かシチリアが夢に出てきたのはまるで現実の出来事のようにはっきり覚えている。僕が、シチリア行きの飛行機に乗り込もうとするのだけれど、どうしたのか僕だけが乗れないままその飛行機は目の前で飛んでいってしまった。他の手段でシチリアに向かおうとするのだが、やはり妨害されてしまう。シチリア、シチリア、と頭を抱えていたら、ロイヤルネパールのアテンダントに
「シートベルトを締めなさい」
と起こされた。着陸態勢に入ったのだ。窓からモンスーン季で緑が青々としているカトマンズの田園を眺めながらシチリアに思いをよせていた。
「シチリアか〜不思議な夢だったな〜」
 カトマンズでは先にネパール入りしていた高畑隊員と合流。高畑隊員はベースキャンプ・マネージャとして僕の無酸素チャレンジをサポートしてくれる。主にベースキャンプでの通信や、無線係を務める。僕が遅れたぶん、高畑隊員は先にヒマラヤ出発へ向けてカトマンズで準備していてくれたのだ。おかげで9月3日にはチベットへ向けて出発できる。エベレストから暖めてきたシシャパンマ登山がいままさに始まろうとしている。ワクワク、半分。不安、半分。

 今回はエベレスト清掃登山とは違い総員5名の小さな小さな登山隊。シェルパはニマ・オンチュウとクリシチナ・タマンの二人。コックはペンバ。キッチンボーイはデェンデイ。皆、永年にわたって僕を支えてくれた仲間達だ。そしてベースキャンプ・マネージャは高畑隊員。この理想的な環境で8000峰無酸素チャレンジができることに感謝。

 そして今回のもう1つの目的は始まったシェルパ基金の現地スタッフとの打ち合わせ。シェルパ基金の顧問である黒水恒男さんと基金の副理事長であり、また僕の叔母でもある野口公子さんの2人もカトマンズまで一緒にきてくれた。持続させなければならないこのシェルパ基金。ネパールのスタッフとの密なコミュニケーションは大切だ。日本にいては見えてこないことが沢山ある。実際に現場の空気を吸ってもらいながら、なにがこの基金に求められているのかを感じとることが一番大切。どんなに物事頭で考えてみても実際に五感で確かめない限り僕は先に進めない。物議をかわしているこのシェルパ基金。しかし、自分の存在を賭けて必ず持続させる。

 これから2日間、カトマンズでヒマラヤ登山の準備やシェルパ基金の打ち合わせを行い、いよいよチベットへ向かう。99年のエベレスト登頂以来のヒマラヤ8000m峰の登頂を目的としたチャレンジ。ギリギリの世界でどこまで自分の、生命力や勘が残っているのかを確かめてみたい。

2002年9月3日
カトマンズにて 野口健