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野口健、白神山地で石原都知事に提言 
−都レンジャーの養成へ−





「白神山地は『反面教師』」

 2003年9月3日から4日にかけて東京都が主催する「第四回エコツーリズム・サポート会議」が青森県弘前市で開催された。野口ら委員の他に東京都、林野庁、環境省の幹部が集まり、石原都知事も参加した。今回の目的は、既に世界遺産に登録されている白神山地を参考に、世界自然遺産の国内候補地にあげられている小笠原諸島を実際に登録させるためには、何が必要なのか、ということを検討することにあった。

 だが野口は「白神山地は反面教師としてしか参考にならない」という。白神山地とは青森県南西部から秋田県北西部にまたがる広大な山地のことであり、この中のブナの原生林で占められている区域が1993年12月に世界遺産として登録されている。2001年7月に地元青森テレビのロケで白神山地を訪れて以来、度々この地を訪れている野口は白神山地と世界遺産の関係についてどのように思っているのだろうか。

 「今回の会議は世界遺産の『先輩』である白神山地を参考にして、小笠原を実際に世界遺産に登録するためには、何が必要か、ということを検討することがメインだったんだけど、僕は白神山地は『先輩』ではなく『反面教師』にしかならないと思う。

 そもそも白神山地は、たまたま自然が厳しくて人が入れずに、その美しさが残っているということで世界遺産になってしまった。決してちゃんと守ってきたわけではない。

 具体的に言えば、道がないことや、笹がたくさんあったり、熊が出るといったいわば『自然の要塞』が存在し、素人が簡単に足を踏み入れることができず、結果として自然が手付かずのまま残っていた。そしてたまたま世界遺産に登録されてしまったということ。

 ちゃんとした管理体制ができていないままに世界遺産に登録されて、それによって人が増えて荒らされているという状況。一日目は白神山地を視察したんだけど、みなその自然の素晴らしさ、森の美しさには感動するんだけど、誰一人としてその管理システムには感心していなかった。

 レンジャーもたったの2人しかいないし、その仕事もデスクワークばかり。結局、民間の団体がガイドをしたり、保護活動をやっている。白神山地は綺麗な川が多くて、そこに違法な釣り人が来ていて問題になっている。でも民間の団体には何ら法的な権限がないから、注意してもほとんど効果はない。

 そもそも世界遺産というのはあくまで冠でしかなくて、世界遺産に登録されたから何かする、というのでは順序が逆だと思う。エコツアーを始め、人数の制限など受け入れ態勢や管理体制をパーフェクトにし、それから世界遺産に登録されるという順番であってしかるべきだと思う。世界遺産に登録されると間違いなく以前より訪れる人が多くなるわけだから」





「バランス感覚の重要性」

 白神山地の案内はまたぎの工藤光治氏が担当した。またぎとは東北地方の山間に居住する狩人のこと。氏は野口が、初めて白神山地を訪れた際にも案内役を担当し、それ以来の付き合いである。白神山地が世界遺産に登録されてから、またぎは実質的な『締め出し』に遭っている。そのことに対して野口は常々警鐘を鳴らしている。

 「先月、マウントレーニア国立公園を訪れて痛感したけど、もともとはそこに住んでいたインディアンを追い払って作ったという歴史がある。僕はそんなことに意味はないと思う。白神山地でもこれをまったく同じことが行われている。またぎというと環境保護団体や動物保護団体が眼の敵にするけど、あまりにも短絡的だと思う。

 彼らは自然が破壊されたら生きていけないわけで、実は誰よりも、自然に対して謙虚で深い感謝をもって、共存している。白神山地は『マタギ道』と呼ばれるケモノ道を移動するんだけど、またぎは地図も持たずに自由に森を渡り歩いている。一度見た風景は木の一本一本まで覚えていて、植物や動物について何を聞いても即答できる。僕らよりもよっぽど自然に対する接し方をわかっている。いわば現場のプロとも言える。

 僕は、またぎを追放するのではなく、たとえばカルチャールアーという形で、その生活を紹介することによって、自然の偉大さ、大切さを感じ、学ぶことができると思う。それこそが白神山地で行われるべきことだと思う。

 これまで自然と共存して生きてきたまたぎは一つの文化であって、世界遺産になったからといって、締め出すというのは文化の破壊でしかない。本末転倒でまるでバランス感覚がない。環境問題というのはバランス感覚が最も重要で、白か黒か、というオールオアナッシング的な考え方は逆に環境の破壊に繋がったりする。

 でも結局、バランス感覚というものが活かされるためには、その地域を監督する行政、つまり白神で言ったら環境省のレンジャーがその地域を知り尽くした上での判断が要求される。でも国は何もしない」





「石原都知事に提言 −都レンジャーの養成へ−」

 一日目は石原知事と共に白神山地を視察し、翌日には会議が行われ、様々な意見が交換された。テーマは上述したように、今後、小笠原を世界遺産に登録するために、何をすべきか、ということ。二年前から委員であった野口はこれまで小笠原を訪れたことがなかった。そのため会議で発言するものの、そのアイデアを裏打ちする自信そして責任を持つことができなかった。野口は『それでは駄目だ』と2003年7月に小笠原を訪れている。その前にはエコツアーの先進地であるガラパコス諸島にも足を運んでいる。

 野口はガラパコスと小笠原を実際に肌で感じ、様々なアイデアを思いつく。今度はそれを裏打ちする自信も責任も持てると感じた。白神山地に赴く前、野口は電話口でしきりに『俺は明日、小笠原で学んだこと、思いついたことを全て石原都知事に言うよ』と繰り返していた。そして野口はそれを実行した。野口は石原都知事と0時過ぎまで酒を酌み交わしながら、ガラパコスや小笠原で感じたことややるべきことについて訴えた。

 それらは具体的に言うと、東京都独自のレンジャー『都レンジャー』の創設、小笠原とガラパコス諸島の姉妹島提携、教育機関の設置、従来の公共事業から環境型公共事業への移行などである。

 「マウントレーニア国立公園で強く痛感したのが、行政と民間の連携のシステムが見事に機能していることだった。小笠原で言えば本来ならば環境省がレンジャーを常駐させ、誰にも負けないスペシャリストを育て上げ、民間を引っ張っていかなければならない。でも国は何もしない。そもそも環境省は自ら世界遺産の候補地にあげておきながら、小笠原にレンジャーを一人も常駐させない。

 だから僕は東京都が独自にレンジャーを作れないかと石原知事に提言した。東京都が先にやったら国はそれに追随してやらざるを得ない。まさしく石原知事が言う『東京から日本を変える』ということだと思う。

 他にも教育機関の設置の必要性についても提言した。驚いたのが、昨夜、話した都レンジャーの創設について、翌日の朝に、石原知事が記者団の前で発表してくれたこと。あのスピードにはほんとにびっくりした。更にその時に、『第一回の都レンジャーの隊長に野口君を任命する』と言ってくれた。俺は喜んで引き受けるよ。

 あとこの会議の委員は2年前からやっているんだけど、東京都の職員の変わりようがとにかく凄かった。僕は以前、『100万回のコンチクショー』(集英社)という自著で都の職員のことをメタメタに書いたんだけど、どこかで『今は違います』と書かないとならないと思った。2年前は、ほんとにやる気がなく、その姿は『知事が言うから、仕方なくやっています』という感じだった。実際に都のサイドの意見が一つもなかった。

 ところが今回は、違った。どんどん意見を言う。環境省と林野庁の職員がきて説明するんだけど、それに対して都の幹部が反論する。『それじゃあ対応が甘い』と。僕はこれを見たときに『東京都は変わったな』と思った。国の役人がいたからこそその変化が鮮明に映った。更に会議後も二時くらいまで酒を飲んでそこでも議論している。

 この変化というには石原知事の影響だと思う。石原知事は会議中『良いことをやろうとしているんだから、国がぎゃあぎゃあ言ったら無視すればいい。それでも言ってきたら俺が喧嘩するから。それが俺の役目だ』と言った。失敗を部下に押し付けるような風潮が強い日本の中で、こんな度量の広い親分は非常に稀有だと思う。

 政治家の役目というのは、いかに役人をその気にさせるか、つまりいかに使命感を持たせるということだと思っていたけど、まさしく石原知事はそうだった」





「都レンジャー養成へ −物事が実現していく充実感−」

エコツーリズム・サポート会議終了後、翌日の新聞には、都レンジャー養成の記事が紙面に踊った。野口はそれを前に『物事が実現していく充実感』をかみ締めていた。筆者はまだ野口を行動に駆り立てる原動力の一つにこの種の充実感への渇望があるのではないかと思う。現在、インターネット上に公開されている関連記事としては産経新聞社の「都レンジャーを養成へ 小笠原の自然保護で石原知事」が公開されているので是非、ご一読願いたい。

「都レンジャーを養成へ 小笠原の自然保護で石原知事」 産経新聞社
平成15(2003)年9月4日木曜日
記事URL http://www.sankei.co.jp/news/030904/0904sha105.htm

年明けには再び野口は小笠原を訪れる。最後に今後の小笠原との関わりについて尋ねてみた。

 「会議でガラパコスと小笠原の姉妹島提携のアイデアを出したんだけど、これは一部の委員は反対した。その理由は『ガラパコスと小笠原は次元が違いすぎて話しにならない』ということ。でも僕はそんなことは関係ないと思う。

 ガラパコスのエコツアーは世界的にも非常に素晴らしいわけで、提携を結ぶことによって、そういったノウハウが入ってきやすいと思う。それに泊もつくし。だからそのために僕は来年中に小笠原の村長をガラパコスに連れて行きたい。やはり『百聞は意見にしかず』で、どんなに説明しても実際に見た方が説得力が違う。あと自然学校も3月に行い、今後の小笠原を担っていく子供たちと自然について考えていきたい」

 
 会議終了後、野口はすぐに筆者の携帯電話に連絡してきた。開口一番、「石原都知事に全部言ったぞ。都レンジャー、実現するぞ。さっき発表されたから」と話す野口は非常に嬉しそうだった。石原氏は自己主張のある人間を好む。しつこいほど自己主張する野口と石原氏が意気投合したのは想像に難くない。

 一つのアイデアが、ある時を境に現実へとその姿を変え始める。今後、野口が何をどのように現実のものとしていくのか、最前線でしかと見届けていきたい。



2003年9月13日
文責:小林元喜