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セーボレー家にお呼ばれ




 25時間の小笠原への旅もノンビリと優雅なもので、いつも動き回っているだけに船に乗ってしまえば、何事からも開放され 天の川を眺めながら男4人(スタッフ)で甲板に寝っころがりながらビールを飲むのも良かった。今回のスタッフは石原都知事のホームページを担当している小林元樹さん、エベレストでもビデオカメラで撮影してくれた平賀淳さん、そして今回が始めてのお付き合いとなる中山カメラマン(スチール)の男4人。小林さんは石原都知事が東京都認定によるエコツアーにこだわった頃に小笠原入りし、石原都政に反発する小笠原の島内事情を僕に説明してくれた。

 空港建設地問題を凍結し、エコツーリズムを具体的に推進し始めた。それが今年、4月から始まった都による公認ガイド制度である。僕自身も、このエコツアーの推進役として小笠原自然保護委員会に委員として参加していた。それだけに、ガラパゴスを視察された石原知事のエコツアーに対する強いこだわりを感じてきた。石原知事をあそこまで虜にするガラパゴスとは一体全体いかなる地なのか、実際に自分もガラパゴスに実際に訪れてみて強い衝撃を受け石原知事と同じ気持ちになるのだから、現地に訪れなきゃ五感で理解できないことが多々ある。それだけに石原知事がよく口にだす「東洋のガラパゴス」の存在が気になって仕方がない。だから日程的に無理しながらも富士山の自然学校の直前に小笠原行きを決行した。自然学校の準備に追われてほとんど寝ていないスタッフには大変申し訳ないと思いながら小笠原での体験は必ず子供達の心にも届くはずだと確信をもてた。幸いにスタッフからも「ぜひ、行ってきてください」との声に迷わず小笠原へと向かった。

 父島に上陸した我々を出迎えてくれたのがセーボレーさん。小笠原諸島は1830年ごろにアメリカの捕鯨船の基地としてハワイなどから多くのアメリカ人が移住。したがって小笠原にはセーボレー、ロビンソン、ウィリアム、ゴンザレスといった横文字の名前が目立つ。1853年には米国ペリー艦隊が日本に通商を求める前に、小笠原諸島に来航している。1861年に江戸幕府が小笠原諸島に38人の開拓者を上陸させ、先住の欧米人と交渉を行なうのだが、そこで活躍したのがジョン万次郎こと中浜万次郎だった。日本領土になったのは明治新政府となった1876年からだ。

 さて、出迎えてくださったセーボレーさんの民宿にお世話になるのだが、実は長男のしゅん君が高校生時代に某ラジオ局で対談したことがあり、その後も彼は僕の企画した富士山清掃登山活動にも参加してくれた。今年、返還35周年記念を迎えた小笠原で講演のお誘いを頂きながらガラパゴスかどこかに出かけていて実現しなかったのが残念。でも無事に再会を果たせて嬉しかった。

2003年7月20日
野口健