2006年11月アーカイブ

母とのお別れ

| コメント(0) | トラックバック(0)
 昨日、母の葬儀が行なわれました。多くの方々から頂きました供花が母を囲みお花が好きでした母はさぞかし喜んだことでしょう。京都での葬儀であるにも関わらず遠くから参列してくださった方々本当にありがとうございました。富士山クラブの現場の仲間まで富士山から駆けつけてくださいました。 
 55歳での死はあまりにも早すぎ愕然と一瞬無気力感に襲われましたが、そんな僕をまず母は許さないでしょう。いつまでもしょんぼりしていたら「男なんだからしっかりしろ!」と怒られちゃう。唯一の救いはこのスケジュールの中で母が亡くなる前日から京都にいられた事が奇跡的でした。母の死を見とれた事、本当に良かった。


 16年前に父が母、容子と再婚しました。それまでは父と二人、だらしない生活を送っていましたが、父が再婚し容子母がファミリーに加わってから生活がガラリと変わりました。まず規則ただしい生活、早寝に早起き、言葉遣い、あらゆるマナー等々、産みの母以上に母親として、落ちこぼれて荒れていた僕を1から教育してくれました。時に恋愛の相談もしたし、母であり仲の良い友達でもありました。
 そして外交官婦人としても見事でした。イエメン駐在時代に湾岸戦争が勃発し、イエメンは事実上イラクを支持し、イエメン内において国連に多額の寄付を行なった日本に対する対日感情が悪化し、父が大使館に行っている間に自宅の一階に手榴弾を投げ込まれ爆破しました。母は二階にいて助かりましたが日本人を狙ったテロでした。その直後から邦人のご婦人達は旦那をイエメンに残し帰国していきましたが、母は「お父さんを残して私一人日本に帰るわけにはいかない」と父とイエメンに残り父を支えていました。イエメンやシドニー、そしてチュニジアでは赤十字などのボランティア活動を積極的に行い、チュニジアではあちらの外務大臣婦人からも「ヨウコ」と呼ばれるほど可愛がられていました。短期間でフランス語も覚えチュニジアでは学校や病院など多くの施設を回りフランス語でスピーチを行なっていました。母の行動力、そして正義感、強さと優しさ、すべて忘れる事ができません。本当に偉大な母でした。父と結婚してくれ、また僕の母になってくれたこと、本当にありがとう。
 

 そして母が亡くなった翌日と葬儀の行なわれた昨日の2日間、予定していました講演会など個人的な出来事でありにも関わらず予定を変更してしまった事、大変申し訳ございませんでした。改めてお伺いしたいと思います。 そしてブログやHPの掲示板では皆さんからの温かいメッセージ、辛い時期だっただけに救われました。本当にありがとうございました。




母が永眠されました。

| コメント(0) | トラックバック(0)
 11月24日、23時10分、母、野口容子(55)が永眠されました。心停止してからも何度も何度もまた心臓が動きはじめ、やはり母は最後まで強かった。癌を宣告されてから約3年。宣告された時には余命半年だとか言われていましたが、それから驚異的な回復力で3年間、精一杯生きてくれました。滋賀での講演を終え、急いで京都に戻り母の最後を一緒に過ごし見届けることが出来たこと、それだけがせめてもの救いでした。なかなかお見舞いにも伺えず親不孝の数々でしたが、最後の最後に一緒に過ごせたこと、本当によかった。あまりにも短い人生でしたが、人にはみなそれぞれ運命があります。自分で変えられる運命もあれば、変えられない運命もあります。大切な事はせっかく頂いた命、大切に生き抜くことだと思います。母は意識を失う直前に「もう一度リハビリして元気になる」と話していました。極めて厳しい状況でも最後まで諦めていなかった。本当に凄いことです。母から勇気を頂きました。
 
 病気と闘った3年間。本当にお疲れ様でした。もうゆっくりと休んでくださいね。親父のことは任せてください。息子としてまた一人の人間として母のことを尊敬しています。ありがとう。 そしてブログでみなさんからのメッセージを頂きました。アドバイス通り母に一生懸命声をかけました。聞こえていたかな。手も握りました。本当にメッセージありがとうございました。
 今年はもう一人の父、橋本龍太郎さん、シェルパ2人、そして母と大切な方々を喪いました。生きていれば得ることもあれば失うこともあります。亡くなった方々の遺志をしっかりと受継いで精一杯、生きていきたい。



母のお見舞い

| コメント(0) | トラックバック(0)
 今日は京都入り。退院していた母が再び入院。今日は入院中の母のお見舞いに伺いましたが、もうろうとする意識の中で必死に話しかけてくる母の姿に声が出なかった。言葉はほとんど聞き取れなかったけれど、しかし、一生懸命、厳しい状況の中で精一杯生きようとしている母の生き方をしかと目に焼き付けました。母はやっぱり強い。数年に及ぶ過酷な闘病生活が続いていますが、辛いリハビリを必死にこなし、もう歩くのも難しいだろうと言われていたのに階段を登れるようになった時期もありました。その驚異的な回復力は千人に一人だろうと医師が話していたほどです。それだけ強い母です。そして日々、看病している親父も凄いです。今日も病院に泊り込み、必死の看病。けっして楽観できる状況ではないですが、それだけに両親は一緒に過ごせる時間をとても大切にしています。
 ろくにお見舞いにも通えず本当に親不孝者です。明日は一日、母と過ごしたい。

ここがパパのお家?

| コメント(0) | トラックバック(0)
 伊豆の伊藤のホテルに一週間ほどこもり執筆活動を行い、またプールなどで泳いだり筋トレなどのトレーニングを行なってきました。最後のほうに、前回の断食中と同じように、またまた突然、かみさんが娘を連れてやってきた。どうやら、また疑われたようです。あまり人を必要以上に疑うのはよくない。何故なら、どうせ疑われるのならばいっそうの事、「えいや!」とばかり大胆に弾けたくなるものらしいですよ。あくまでも一般論ですが・・・。
 ただ、娘の絵子さんが缶詰となっていたホテルにやってきて、玄関に入った瞬間に「ここが、パパのお家?」と聞いてきた。以前、久々に自宅にいたら夕方頃、「パパ、お家に帰らないの?」と聞かれ「ここがパパのお家だよ」と答えていたが、あまりにも家に帰らないので私の家がよそにあってたまに遊びにくると思っていたようです。ホテルの部屋に入ってくるなり、ここがパパの家だったんだぁ~と頭の中で繋がったようです。
絵子3


 
 翌日は近くのちょっとした遊園地?のような施設に遊びに行きましたが、よくよく考えてみれば我が子と遊園地に行くのは初めて。お世辞にも立派な遊園地とは呼べないようなさびれた施設でありました、絵子さんにはそんなことは関係ないようで、はしゃぎ喜んでいました。その後、かみさんと絵子さんは東京に戻りましたが、家に着くなり絵子さんが「パパのお家がいい。ここ嫌だ」と大泣きしたそうです。申し訳ないなぁ~ 来年から少しスケジュールについて考え直さなきゃいけないかなぁ~。現場が職場だけに難しい。一緒に清掃活動すればいいのかなぁ~。
絵子1
 絵子2


 

 昨日、東京に戻り、明日から再び5日間の地方巡業。京都、滋賀、豊橋、米子と旅が続きます。絵子さんも大きくなれば出張先に連れて行けるのに・・・。いつの日かヒマラヤに連れて行きますから、それまで堪忍してくださいな。 それでは、みなさん、お休みなさい。


 昨夜、というより今朝、零時からNHKで地上300キロ上空の宇宙ステーションと生中継を繋ぎました。何故か私まで呼ばれ宇宙ステーションで作業を行っているマイク宇宙飛行士(米国人)に「宇宙から見たら地球でには温暖化の影響とか分かりますか?」と質問する予定でしたが、なかなか中継が繋がらず20分しかない生中継の時間が半分になってしまい、結局僕の質問が飛んじゃいましたぁ。トホホ・・・。
 それでも、世界初のハイビジョンによる生中継をNHKがやってのけるんですから、受信料払っている甲斐がありました。おそらく相当お金がかかっているでしょうが、NHkには視聴率にさほど振り回されず質のいいものを作ってほしい。確かにハイビジョンのスクリーンに映ったアフリカ大陸サハラ砂漠の映像は美しかった。宇宙から見える地球は1つ(当たり前ですが)。しかし、その地球の中で人間同士がゴチャゴチャ争って、戦争、紛争が絶えないでいる様子を宇宙から見たらどう感じるのかなぁ~。
僕らが蟻の巣を覗き、その蟻同士が争っているかのように見えるのか。
 また環境問題も例えば京都議定書に批准する国、またしない国と分かれていますが、地球は1つなんですよね。例えば中国の環境破壊が中国を越境し日本に酸性雨を降らせているように、大規模な環境破壊はそのエリアのみならず世界中を巻き込んでいく。私達はついつい国家間で物事考えてしまいますが、しかし、宇宙から見たら私達は「地球人」であり、宇宙から見たら「地球人の中で争っている場合じゃないだろう」と、しみじみ感じるのかなぁ~と、マイクさんには色々と聞きたいことがありました。

 今週は本の執筆の為に伊豆のホテルで缶詰になっています。学生(高校生あたり)を対象にした教育関係の本を作っている最中です。おかげで昨夜は伊豆からNHKを往復し、今日も伊豆で原稿書き書き。

 それにしても和歌山県知事の木村さん。談合の見返りだったのか、公舎から高級時計が25個(計1500万円相当)が、押収されたとの事ですが、「時計かよ、情けないなぁ~」と、だいたいせこすぎる。そんなに時計が好きなら、自分の稼ぎで買えばいいじゃないか。本気出せばそれくらい買えるだろうに。そもそもそんなにセコイ男が数百万の時計つけても、逆に滑稽で醜いだろうねぇ。あまり人の悪口は良くないのは分かっていますが、賄賂が贅沢品だったいう報道に本当に恥ずかしい。水戸黄門に出てくる悪代官様そのもの。いやはや。ハイ、悪口はここまでにします。 伊豆での缶詰は残り2日。頑張ります。
 





サポート・レンジャー養成講座

| コメント(0) | トラックバック(0)
 この2日間、静岡の高校で講演を行なってきました。周智高等学校での講演を終え東京に戻る新幹線の中で偶然にも「行列ができる法律相談所」でご一緒させて頂いた丸山弁護士と一緒になりました。丸山弁護士は僕が講演したすぐ近くの別の高校で講演されたとのこと。それにしても、真っ黒に焼け、靴下を脱ぎながら、美味しそうにみかんを食べている姿がなんとも良かった。正直、弁護士先生には見えなかった?かなぁ~。いい表情していたなぁ~ 僕も個人的に色々な事があれば丸山先生に相談しよう。
丸山弁護士

丸山弁護士と


 昨日は日本・ネパール国交樹立50周年記念イベントに出席。式典が始まったときに橋本龍太郎夫人のメッセージが紹介されました。この日は本当は僕と龍さんのトークショをやる予定でした。しかし、残念な事に先に天国に行っちゃいました。橋本婦人のメッセージをお聞きし、その後に一人で基調講演をしましたが、舞台の中、一人ポツンと取り残されたようで孤独でした。本当は二人だったはず。生きていれば得るものもあれば、また失っていくこともある。それが人生なのかもしれないが、それでもどんな時でも前を向いて歩き続けなければならない。龍さんは「例え火だるまになろうともやり遂げる」とおっしゃっていた通りにボロボロになりながらも最後の最後まで必死に闘いそして最後は燃え尽きた。
 基調講演後、シンポジウムが始まりコーディネータは今野由梨さん。今野さんとも龍太郎さんからの紹介で5年ほど前からお付き合いをしてきました。シンポジウム後、控え室で今野さんが持ってきた龍太郎さんの写真を手に互いに龍さんの思い出を語りあった。
今野由梨さん

今野 由梨さんと

 夕方からは橋本龍太郎さんの秘書の藤村健さんの結婚報告会に出席。龍さんの関係者が多く、お会いすると龍さんを思い出し辛くなる。藤村さんは晩年の龍さんを支えてきました。特に最後の3年間ほどは事件などもありさぞかしつらい時期だったはず。あの事件が世間を騒がせた時期、私は何度も橋本事務所に行き、藤村さんと「龍さんを支えて行こう!頑張ろうね」と話し合っていた。どんな逆風の最中においても藤村さんは弱音を一回も口にせず龍さんを支えていました。その藤村さんの結婚に龍さんはさぞかし喜んだことでしょう。健さん、智子さん、ご結婚おめでとうございます。


 夜からは首都大学東京の「サポート・レンジャー特別講義」で生徒やまたレンジャーに興味のある方々にレンジャーの必要性をお話してきました。僕の前にニコルさんが講義をしました。ニコルさんは僕の大切な環境仲間。都レンジャーを作る段階でアドバイザーとして助けてくれました。ニコルさんもアフリカでレンジャーとして現場で密猟者と戦ってきました。「自然を守るのは現場から」これは僕とニコルさんの最も伝えたい事です。石原都知事に直訴しスタートした都レンジャーも3年がたち隊員も増えました。そしてその都レンジャーを支えるサポートレンジャーを作ろうと首都大学東京がレンジャーになるための講義を行なってきました。都と都の教育機関である大学がレンジャー育成の為に教育を始める事は大変、素晴らしいことです。これからも名誉隊長として都レンジャーを盛り上げ、さらに強力な組織にしていきたいと思います。自然を守ろうとキャンペーンするだけでは綺麗にならない。汚されないための制度を作っていくことが大事。レンジャーは自然保護の顔として現場に今日も汗を流しています。
首都大学講演
ニコル氏
C.Wニコル氏と

 








静岡は清水。清水といえば清水の次郎長、ビーバップハイスクールのロケ地、そして港町で有名だ。
富士宮の富岳館高校での講演後に、次の掛川での周智高校の講演に備え清水に泊まった。
清水は大学の後輩、大石君の出身地であり、今は大石燃料の3代目社長の修行を実家においてしている。久しぶりに大石君に会いたくなりホテルまで迎えに来てもらい、清水の町を案内してもらった。

 マネージャーの田附君、大石君と3人。鍋でも食べようとフラフラ清水の町を散策しながら5軒ほどの店に「鍋やってます?と」聞いて回った。
いつもならば「寿司食べよう!」というところだが、昨夜は何故か「鍋」が食べたかったのだ。しかし、この時期にまだ鍋は早いようで、どこの店も出していないという。聞いて回って4件目のお店を訪ねた時、「ピン!」と僕のグルメな触角が反応した。このお店でもお目当ての鍋がなかったため、他でなかったらここに戻ろうと心に決め、一度ガラガラとなる引き戸を後ろ髪引かれながら閉めたのだ。
案の定、鍋は見つからず、先ほど触角が「ピン!」と反応したお店に急行したのだ。地魚料理「平乃家」さんだ。ちなみに僕の触角は美味しいものを造ってくれそうな店のレイアウト、お店の空気、ご主人や女将さんの風格などだ。この3点セットがそろう時、触角が「ピン!」と反応する。まさしく「平乃家」さんはこの3つにしっかりはまったのだ。

 お店のカウンターに座ると、目の前のネタボックスにはお寿司屋さんも顔負けなくらいずらっと魚が並んでいた。入りたてのビンチョウマグロ、カツオ、地エビ、赤ムツ、カワハギ、カキ、ハマグリ、イカ、キンキの干物にメザシなどなどなど。どれも美味しそうで、ご主人と女将さんの勧められるままに注文させていただいた。まずお通しが日本一の桜海老由比産地の桜海老の甘露煮、そして一緒に出てきたのが穴子の肝煮。穴子の肝煮は始めてだ。それほど大きくないのだが、ちょっとした苦味と肝から出る深みが何とも印象的だった。

 また、塩茹でにされた桜海老。そのまま食べてもよし、醤油を少々垂らしてもよし。ふっくらとした身と大きさ、桜海老の小ささからは想像できないしっかりとした味を主張するはまさに産地ならではの味。

 そして今回の目玉は!カツオ。皆さんはカツオの食べ方というとどんなのを想像しますか?カツオのたたきや刺身、ソテーや照り焼きでしょうか。刺身で食べる場合、皮は剥いてあるものしか食べたことが無い。しかし、今回出てきたのは皮付きのカツオ。を生で食べたのは初めてである。
平乃家さんのこだわり。新鮮なものを一番美味しい調理方法でお客様にお出しするということだ。カツオは新鮮でないと皮の部分から臭みが出て、一緒に食べることが出来ないというのだ。この臭みを帯びたカツオを食すと二度とカツオを食べたくないということになるという。

 肉厚に切った刺身、それに添えられたハラミの部位。皮付きのカツオを口の中に入れると・・・。しつこくない魚の油たっぷりとのって、しょうが醤油とベストマッチ。噛めば皮との間濃厚な油があふれ出す。歯ごたえもよく、噛めば噛むほど甘さがでる皮の部分。ハラミは特に甘さが凝縮された絶品だった。
この甘さを味あわすために新鮮なカツオを皮付きで出すというのには納得である。皮をはいでしまえばその部分の油も取れてしまうのだ。いや~、参った。
(写真はクリックしたら大きくなります)

カツオ


 参ったついでにもう一品。赤ムツの煮付け。ふわっとした肉。トロッとした濃厚な煮汁。地元の漁師と契約して入るときと入らないときがあるという代物。味もちょっと濃い目の煮汁は僕の好みの味。一緒にいた田附君は骨までしゃぶって綺麗に最後まで食べつくしていた。魚もそこまで食べてくれればしっかりと成仏できただろう。
しかし残ったタレがなんとももったいない。魚の出汁がしっかりと出ている。そう、ここで僕の頭に出てきたのがホクホクの白ご飯。湯気の立った白いご飯の山にこのタレをサッとかけたら・・・。(あの時を思い出して書いていると今でもよだれが出てきてしまう。)ご飯が食べたくなったのだ。もちろん僕の想像通り。まさに絶品だった。
 ここで驚いたのはタレと白米の相性だけではなかった。この白米があやしい。美味しいのはタレだけのせいではないことに気づいた。聞いてみるとやっぱりわけがあったのだ。この白米は自家製精米。知り合いの農家から譲ってもらい、それを自分で精米しているというのだ。また、驚いたことに、お店で出している野菜はほとんど自分達で作っているというのだ。自宅の屋上のプランタンで育てたり、近所で150坪の土地を借り、そこで育てたり、市場では殆ど野菜は買わないということなのだ。理由は、できるだけ農薬を使わない安心した食べ物を提供したい。魚の味を最大に引き出せるように野菜から自分で作りたいということだ。「スーパーなどで売っている低農薬って知ってる?低農薬って農薬を17回以下に抑えたもののことだよ。17回も農薬使って低農薬って言うんだから驚きだよね~。うちなんか2回だけだよ。芽が出た頃に1回、しばらくして1回。葉っぱがきれいな野菜は信用できないね」と。

カツオ


 野菜の作り方など知らなかったご主人と女将さんは本を読み漁り見よう見まねで育てたが、やはり最初は素人。うまくいかなかったらしい。うまくいかないと近所の農家に造り方を教えてもらいに行ったり、桃に限っては「桃畑のまねをして実がなってきたら新聞紙をかけてみたけどボトボト落ちちゃった。木から虫とかが入ってだめになっちゃったらしいんだよね。でもどうしていいか分からずに、山梨まで行って、桃の農家に聞きに行ったんだよ。」すごいこだわりようだ。とても感心した。美味への探究心が美味しい食べ物をお客さんに出させられる秘訣なのだろう。
フラッと入った「平乃家」さん。いや~。いいところを見つけてしまいました。また清水行きたいなぁ。

ご夫婦


地魚料理 平乃家
ご主人 平野 修 さん
静岡市清水区巴町7番14号
電話 0543-52-7242

 上空から日本列島を見ると森ばかり映るが、そこに分け入ってみると大半が針葉樹ばかりの人工林で、うっそうとしていて薄暗い。

 日本の森は1950年代ごろから広葉樹の伐採が始まった。経済性の高いスギ、ヒノキなどの針葉樹が広葉樹に取って代わった。白神山地のブナは今となってはブームとなり観光客が殺到しているが、一昔までブナを「?」と書いたように、木材としての価値に低さから大量に伐採されたそうだ。近年、熊が里に出没するのも広葉樹林の減少が影響しているといえる。

 森本来の姿を取り戻そうと今年から長野県小諸市で森林の再生活動を始めたが、とても難しい。林業としての森作りならば針葉樹を縦、横に決められた間隔で植えていけばいいが不規則な間隔で様々な植生を混ぜる自然の森となると話は別だ。北海道で脚本家の倉本聰さんがゴルフ場を自然の森に変える提案をされ、植樹がスタートしたが、どの間隔で木を植えていいのか意見がまとまらない。そこで倉本さんの発案でゴルフボールを無造作に打ち込み、落下地点に木を植えたら意外と良かったそうだ。


  私はよく明治神宮に訪れる。そのたびに敷地内の森が極めて原生林的である事に感動する。もちろん、明治時代の人々が作った人工林なのだが、戦争直後まではここに多くのキジが生息していたとのこと。一般の人工林と違って生き物の多い森であり、明治時代の人々の緻密な計算の上つくられた“自然”の森だった。

 こんな話もある。東京23区には神社が800あるが、平均すると1つの神社で年間170台分の車から排出される二酸化炭素(CO2)を吸収するとのこと。さらに国学院大学の調査で、神社を取り囲むように存在する「鎮守の森」は一般の森の3.3倍CO2を吸収することも判明した。商用目的で植えられたスギやヒノキと違い、鎮守の森ではCO2をより吸収するとされるクスノキやシイなどの広葉樹が古くからはぐくまれ大きく成長しているからだという。

 人は自然を壊す事も出来るが、同時に自然を作れる事もできる。先人の行いへの感謝とともに、鎮守の森から知恵と勇気を頂いた。

白山お礼登山

| コメント(0) | トラックバック(0)

ヒマラヤでの活動中、僕の登山服の襟には、いつもお守りがついている。
1997・98年とエベレスト登頂を果たせなかった。帰国したら「また失敗した」と世間の風当たりは冷たい。そんな時、母校の先輩との出会いがあった。白山比咩(しらやまひめ)神社の神職を務める寺本義弘さんだ。背水の陣で挑んだ3度目のエベレスト。日本をたつ直前に寺本さんから同神社のお守りを頂き、精神的な支えとして身につけていた。すると3度目の正直で、なんとかエベレストに登れた。

 帰国後、お礼参りとして石川県白山市にある同神社を訪れ。神社と白山とのかかわりを知った。白山は富士山などと三大霊峰の一つであり、日本で最初に清掃登山を始めたのがこの神社。山崎宗弘宮司とも会い、宮司が話された「自然を敬う心」とは何かを知りたく今年の9月、白山を登った。

  寺本さんに案内してもらいながら山頂を目指したが、驚いたことにすれ違う登山者の大半が地元の方々だった。そして「ようこそ白山へ」「よく来てくださいました」と声をかけてくる。「ようこそ白山へ」。とてもすてきな表現じゃないですか。あいさつが多い山はゴミが少ない。こんなに故郷に愛されている山は初めてだ。

 そして徹底されたゴミ持ち帰り運動。通常は自分達が持ち込んだゴミに対しての持ち帰り運動だが、白山は山小屋で買ったものも含めた持ち帰り運動。山小屋の主は「県外から来る登山客がゴミを捨てる。でも、それを地元の登山者がすぐに拾うから捨てる人も捨てられなくなる」とのこと。

 9月4日、白山最高峰の御前峰(2702㍍)に登り、雲海のかなたのご来光を拝んだ。日の出とともに他の登山者と一斉に「バンザイ!」三唱。雲が黄金に染まり神秘的だった。

 欧米人登山家はよく「征服」「制覇」するといった開拓的な言葉がよく使うが、自然には崇拝や感謝の気持ちが大切だ。日本人は山の神、海の神を敬い、自然と共に共生してきた。その心をゼロから作るのは困難だが、そもそもあったものを取り戻すのは可能だ。白山では霊峰のあるべき本来の姿に触れ、日本人の源郷をそこに見た。

伊勢神宮参拝

| コメント(0) | トラックバック(0)

霊峰である白山で、40年ほど前から白山比咩(しらやまひめ)神社が地元の行政に呼びかけ、清掃登山を日本で最も早くスタートさせたことは前回触れた。その事実に触発され、自然崇拝に興味を持った私は日本人の心のルーツであり、2000年来、自然を崇拝してきた伊勢神宮に訪れてみた。

 驚いた事に伊勢神宮には20年に一度、御社殿などをまったく同様に新しく作り替える式年遷宮というシステムが1300年も続けられていることだ。


 日本には世界最古の木造建築とされる法隆寺がある。当時から建築物を後世まで残す技術はあったのになぜ、伊勢神宮では20年に一度、造り直すのか。伊勢神宮の神職の方に尋ねると「20年というのは技術を伝承する為にも合理的な年数でもあります。そのおかげで1300年もの間、日本の伝統技術が伝承され、神宮は古代から伝わるお姿を保ちながら常に新しいお宮であり続けたわけです。また解体された古い木材は、全て他の神社の建て替えや、災害の復旧時に差し上げ、木材の切れ端まで再利用されます」昨今、リサイクルに関して方々で取り上げられるが、こういった思考法は昔から日本にはあったわけだ。

 

 式年遷宮には大量の木材が必要になるため、神宮の背後には世田谷区(5,500ヘクタール)ほどの宮域林がある。大正12年に式年遷宮の木材を全て神宮内の森でまかなえるように、檜の造林が開始された。200年かけて檜を育てていくという遠大な計画だ。日本全国の森を歩いてきたけれど、大半は針葉樹ばかりの人工林。生き物も少なくまるで海底にいるようにシーンと静まり返っている。

外宮参拝

  しかし、宮域林は森林生態系の調和を図るために広葉樹との混合林。その為、日本の野鳥の4分の1もの種類が生息し、絶滅にひんした種もいる。木に祈り、感謝し、そして謹んで使わせていただく。そして新たな木を植えて森を再生させる。式年遷宮は木の再生のお祭りとも言える。

 日本人の「山の神」「水の神」といった概念は理解されにくいのかもしれない。しかし、日本人特有の自然と人のかかわり方、共生のあるべき姿を、もっと世界に伝えていくべきだろう。

プルバの分まで精一杯生きたい

| コメント(0) | トラックバック(0)
 ヒマラヤから戻ってきた登山仲間の谷口ケイさんから悲しい訃報が届いた。この春、ケイさんと一緒にマナスルに登頂したペンバドルジ・シェルパの兄,プルバがプモリ峰で雪崩に巻き込まれ遭難死した。プルバはエベレスト清掃活動などずっと私を支えてくれた大切な仲間。プルバの死に声がでなかった。毎シーズン、ヒマラヤに登る「職業シェルパ」は絶えず危険地帯の最前線で活躍する。その為、毎年のようにシェルパ達が命を落とす。今年に入って私の知っているシェルパ2人が雪崩によって亡くなっていた。どんなに気をつけようが、ヒマラヤの大自然は時に人の予測できる範囲を大きく超える。登山を始めて18年、その年数以上の仲間を山で失ってきた。失った仲間が多ければ多いほど年をとる。老け込んでいくような気がする。
 
 そんな生き方しか出来ないのかもしれないが、しかし、死の世界を身近に感じれば感じるほど逆に生に対する執着心が強くなる。よく「登山家は命を粗末にする」「山で死ねば本望だろう」と批判されるが、それは違う。みな、生きて帰りたいと必死に死の世界と闘っている。山にいる時ほど生きることに精一杯になることはない。いかなる状況に追い込まれようとも最後まで生きて帰ろうと諦めないのが冒険なのかもしれない。生きてさえいればいくらでも可能性がある。逆に死んでしまったら終わりだ。それだけに自らの手で命を絶つ行為を耳にする度に命がもったいないと残念でならない。
 プルバの死に大きな衝撃を受けたが、私達にできる事は事故を繰り返さない努力しかない。プルバ達の分まで精一杯生きていきたい。

探検家・高橋大輔さんとの出会い

| コメント(0) | トラックバック(0)
 今日はTBSの「R30」の収録でまず午前中に探検家の高橋大輔さんとトークしました。高橋さんは物語や童話が現実の世界にあるのではないかと徹底的に調べ現地に探検してきた方です。まずはロビソンクルソーですが、実はまったくのフィックションかと思っていましたが、驚くべき事実が高橋さんの探検、発掘によって世界で始めて明らかになりました。ここから先は11月10日のTBS「R30」24時40分~をご覧下さい。
(写真をクリックすると大きくなります)
探検家 高橋大輔さん
探検家 高橋大輔さんと
 
 午後は「R30」の冒険列伝第三弾の収録で冒険家の大場満郎さんを紹介させて頂きました。大場さんは世界初の北極・南極の両極単独徒歩横断を成し遂げました。大場さんとは僕が学生の頃からよく一杯飲みながらお互いの冒険について語り合う仲間でした。僕の大好きな冒険仲間です。ただ、大変だったのが大場さんの寒さを体感しようと西麻布にあるアイスバー(03-5464-2160)での収録。マイナス7度での撮影は寒すぎてガタガタ振るえ口がひきつり、鼻水がたれ、なかなか凄いバーでした。大場満郎さんの特集は11月17日24時40分放送です。
アイスバー1

アイスバー2




 今日は冒険家達の生き方に触れ、命を賭けてきた人たちのメッセージを聞きながら、私も早くヒマラヤに帰りたいと熱望したものです。理屈も綺麗ごともない世界。ヒマラヤのあの乾いた空気こそがまさしく私の世界なのだと今更ながら気がつきました。私の帰るところはヒマラヤ以外にないです。
 12月20日以降にサマ村(マナスル山麓)清掃、1月上旬は6000峰への登頂、1月中旬はエベレスト街道での清掃キャラバン(一般募集あり。HISでツアー行ないます)など約一ヶ月間のヒマラヤ滞在です。特に1月中旬のエベレスト街道清掃はシェルパの村々を清掃しながら、またトレッキングを行います。もし良かったら参加してくださいね。(HPでもツアー案内を紹介します)
http://www.his-j.com/tyo/eco/asia/eco-series03.htm


 夜は「世界不思議発見」の収録。ハァ~ 現実は時に酷であります。前向きに生きていかなければ、世界不思議発見は僕をタフにします。明日は登山家として大先輩の田部井淳子さんと食事です。これからは田部井さんとマナスル基金など特に環境問題への取り組みなどで力を合わせていきたい。

湯本高等学校で講演!

| コメント(0) | トラックバック(0)
 今日は福島県いわき市の「湯本高等学校」で講演を行いました。講演のテーマは「自分の道に色をぬろう」。生まれ育った環境、また両親の離婚、落ちこぼれた中学、高校時代、そして先輩を殴りつけ停学、停学中に冒険家の植村直己さんの著書「青春を山に賭けて」と出会い山に登り始める、そしてエベレスト登頂後から清掃活動を始めるなどといった自身の人生を1つ1つお話させて頂きました。

 最近、高校の教科書(英語)で僕の活動を紹介して頂いた為か高校での講演会が増えました。明後日、明々後日も静岡県の高校で講演があります。高校生を相手にした講演は楽しい。彼らと接していると自分の高校時代を思い出す。初恋の純子さんの事や、あの頃はとにかくなにかをやりたくて、ただ、その何かが見つからなく、イライラし、時に人を傷つけ、また自身も傷つき悩み、本当に色々ありましたが、あれが青春だったのかなぁ~ 戻れることならもう一度高校生に戻りたい。僕にとっては高校時代が人生にもっとも大きな影響を与えた時期だったように思います。それだけに高校生を相手にお話しするときは出来るだけ伝えられることは全て伝えたくなり、ついつい時間がオーバーしちゃう。
 
 今日の湯本高等学校の生徒達も元気だった。よ~く僕の話を100分以上も飽きずに聞いてくれた。講演後、湯本駅で電車を待っていたら、講演を湯本高等学校の生徒達と出会い、しばらく写真を撮ったり、話し込んだり、そして「私もゴミ拾うからね!」と嬉しい一言。
 湯本駅前には足湯があって、10分ほどお湯に浸かりましたが、暖かかったなぁ~。また近所のおばちゃん達が「昨日の行列ができる法律相談所を見たよ!」「シンスケさんにやられていたねぇ~」と話かけてくれた。そして最後に「富士山の事は宜しくお願いします」とお願いされお別れしてきました。毎日、全国を飛び回り講演会など行っていますが、その旅先で多くの人たちとの出会い。その出会いの中から、今まで繰り返し声をあげてきたことが着実に伝わり広まっていることを実感しています。 それではお休みなさい。
湯本駅 足湯

元気ですから大丈夫ですよ!

| コメント(0) | トラックバック(0)
 今日、8日ぶりに帰宅。久々に娘の絵子(えこ)さんと再会し、食事していたら「パパ、今日はお家に帰らないの?」と聞いてくるので、意味が分からず「今、家にいるじゃないか」と答えたら、「パパのお家はどこにあるの?」と聞かれて絵子さんの質問の意味が理解できた。僕の家が別の場所にあって、たまに訪れてくれると思っていて、今日は家でゆっくりしていたから不思議に感じていたのでしょう。
 昔、親父の同僚か先輩の話で、忙しくて家に帰るのはいつも夜中。そして早朝には出勤してしまうため、寝ている子供の顔しか見なかったようです。ある日、やっとの事で休みをとり家族とゆっくり過ごしたら夜になって我が子に「おじちゃん、また遊びに来てね」と言われガックリしたようですが、遥か昔に聞いたこのエピソードがまさか我が家で起こるとは・・・。

 絵子さんのその発言の後にかみさんに「絵子はあなたが他の場所で生活していると思っているようです」と言われ、その指摘に納得、反論も言い逃れもできず食卓はシーンと静まり返り、まるで北極海の海底にいるかのような寒さだった。 
 
 確かに全国飛び回り、家に帰らない日も多いが、これだけ活動していても、まだまだ時間が足りない。体がもう1つあればどれだけ助かることか。スタッフ達も「野口健事務所は24時間営業だ」といって休むことなく必死に働いてくれている。家族には大変申し訳ないと感じています。仕事と家族、この両立は難しいものです。

 最近、「カキコミ」や「ブログ」、また直接出会う方々から「疲れていませんか?」とか「顔色が悪い」「体が小さくなった」とよく指摘されますが、体調はまったく問題ありません。基本的に元気ですよ。ただ、移動が多くて、あれだけの移動が続くとちょっと堪えますが、ただ、そんなのん気なこと言っていられませんし、もっと体力をつけて乗り越えればいいわけです。体調管理含め。 元気ですからご心配なく。

 それにしても今日の「行列ができる法律相談所」の新聞のテレビ欄に「冒険家・野口健 離婚を語る」と書かれてあり驚いた。もうギャグにならないんだから・・・。
テレビを観ていない人は誤解するでしょうが、あの離婚話は遥か昔の出来事の事で現在進行形の出来事ではありませんので。フゥ~ 明日は福島の高校で講演。若い人達からエネルギー頂いてきます。それではお休みなさい。

(昨日、一昨日のブログに写真を付け足しましたのでご覧ください)



今年最後の富士山清掃活動

| コメント(0) | トラックバック(0)
 2006年、最後の富士山清掃活動を行ってきました。今日は三井物産の社員の方々約80名と富士山の静岡県側で清掃活動を行い、約2トンほどのゴミを回収。タイヤは60本以上。残念だったのが、古いゴミばかりではなく、最近捨てられたと思われる新しいゴミが多かったこと。まだまだ私達の活動が足りていないということ。来年はもっともっと頑張らなければならない。それでも今年は富士山クラブと一緒になって約4000人以上の参加者と68トンほどのゴミ回収を行ってきました。昨年が57トンだったので、10トンほど多く回収した。
(写真をクリックすると大きくなります)

三井物産清掃2

三井物産清掃

 来年からの目標は清掃活動を続けていきながら、長年、提案してきた富士山の入山料制度の実現に向け取り組みをより具体的に進めていきたい。自然環境を守って行く為の制度作り。今までの富士山でに活動はどこかで問題提議としての要素も含まれていたが、次はさらに踏み込んでさらに大きなアクションを起こしていきたい。7年前など入山料制度の必要性を訴えようものなら、批判的な意見が多く寄せられてきたが、徐々に抵抗も弱まり、今では地元の行政の長からも「入山料制度が必要ではないか」といった意見がでてくるようになった。環境問題の相手はあくまでも人間社会。遥か彼方の理想ばかりを追うよりもまずは目の前に山積みされている多くの課題に1つ1つ取り組むことの方がなにか大事なような気がする。環境問題は常に現実の問題です。

mitui3

 三井物産の方々とは今年2度、富士山で清掃活動を行いました。来年も引き続き一緒に富士山での活動を行うことになりました。本当にありがたいことです。また三井物産の清掃メンバーは実に女性が多いんですねぇ~ 今日も楽しくワイワイとゴミを拾えました。本当にありがとうございました!!!

 12月中旬から再びヒマラヤでの清掃活動が始まります。日本もネパールも、また世界中が同じ問題を抱えています。この活動の輪を世界中に広げていきたい。どこまで出来るのか自分でも分かりませんが、人生、時間が沢山あるようでないものです。体が動くうちは現場の最前線で踏ん張って頑張りたい。

長崎から富士山へ

| コメント(0) | トラックバック(0)
  今日は(11月3日)長崎県の長与町にて講演を行いましたが、驚いたのが長崎空港から長与町まで釣り船のような船?フェリー?(ポンポン船)で20分。空港からいきなり船に乗り込むのは初めて。それにしても長与町はのどかでいい町だったなぁ~ 寅さんが旅していそうな町でした。講演する前に控え室で昼食があり主催者の方が吉宗という店の「ちゃわんむし」を取り寄せて頂き、これがどんぶり一杯分の巨大な「ちゃわんむし」で驚きましたが、味がしっかりしていて美味しかった。

nagasaki1

nagasaki2
 
  講演後、東京に戻り明日の富士山清掃の為に静岡県富士市入り。途中、富士宮の「花の湯」に立ち寄りました。久々にアカスリしたら垢がたらふくでたぁ~ この「花の湯」にはイスラエルの死海同様の塩風呂があり、体がプカプカ浮く。僕はあの死海風呂が大好きで「花の湯」では必ず浮かびますが、しかし、アカスリの直後に入ったら「ギャー」と悲鳴をあげるほど全身がしみ、涙が出ました。アカスリをすると実は全身に細かい傷ができているんですねぇ~ 
 
 昔、小学生の頃おやじと兄貴とイスラエルを旅した事があって、3人ではしゃぎながら死海に入ったら痔だった兄貴がお尻抑えながら「いてぇ~」と飛び出し、おやじとゲラゲラ笑いながら、次におやじが死海に入ったら今度は水虫が痛かったようでヒィーヒィー言いながらやはり涙を流していた。次に僕が死海に入りなんともなかったので深いほうへと得意げに歩いていったら突然足が浮いてしまい頭が後頭部から水に浸かってしまい、目に死海の水が入り、これが痛すぎて痛すぎてギャーと叫んでしまった。結局、3人とも死海で撃沈されたわけですが、今日、アカスリの後の死海風呂で久々にあの時の感覚がよみがえり、痛がりながらも、懐かしい思い出にふけりました。あの頃は無条件に楽しかったなぁ~

 それから富士市のホテルにチェックインし、スタッフと今晩出演するTBSのR30を見ようと僕の部屋に集まりテレビをつけたら、なんと静岡県は一週間遅れで東京で先週ながれた「チャラ」という歌手?がゲストでした。東京と静岡は近いようででも番組は一週間遅れ。驚きました。25時まで待っていただけに悲しかった。静岡では来週放送されますので、静岡の方は来週よろしくお願いします。

 明日は年内最後の富士山清掃活動。三井物産の方々との活動ですが、今年を締めくくるのにふさわしい成果を上げたいと思います。今日も一日、たっぷりと移動しましたぁ~。それでは、おやすみなさい。

悲痛な小林クン

| コメント(0) | トラックバック(0)
 朝、小林君がふてくされながら「ケンさん、夜中にお腹の中でバイクが走っていました。しかもハーレダビットソンが、ドドドと音をたてながら・・・。あれ、本当にビタミン剤だったんですか」と頬をげっそりさせながら人間不信に陥ったウサギのようにジーと白い目で眺められた時にはいやいや、参った、参った。「ごめん、ごめん、最近のビタミン剤はちょっと効きすぎるのかな?強すぎてお腹こわしちゃったかな?」とごまかしたものの、通用するわけもなく素直に謝罪しました。夜中からトイレから離れられず睡眠不足だと辛そうでした。ただ、それだけ出し切ればスッキリしていいんじゃないかな。まあ、「人生何事も経験です」とっ慰めておきました。
 
 午後からは札幌市内で講演。嬉しいことに満員でした。札幌では何度も講演をしてきているのに、満員とはありがたいものです。正直、疲れがたまっていますが、ただこうして頑張れるのは講演会に来てくださる方々が一生懸命聞いてくれるし、またよく笑ってくれる。「ワッハハ」と人の笑い声っていいですね。大好きです。特に環境問題のような一見固いテーマの中にも笑いがあるのが好きです。先日もつくば市で講演会がありましたが、私がやっている「シェルパ基金」の基金箱を講演会場の入り口に置いてありましたが、5万円以上も入っており、本当に感謝です。少しでも多くの遺児たちを学校に通わせたく5年ほど前から始めましたが、いまでは13人にシェルパに遺児がおかげさまで学校に通えています。年に何度か彼らの学校に会いに行きますが、「パパ」と呼ばれちょっと恥ずかしい(照れ)ですが、ただ、彼らが生き生きと学校で勉強している姿にこちらがジーンと親を亡くしながらも強く生きている彼らから学ぶべきことが多いです。

 明日(3日)は長崎県・長与町文化ホール(主催・長与町)で講演。またどんな出会いがあるか楽しみです。それでは、今日もおやすみなさい。

利尻富士は寒かったよぉ~

| コメント(0) | トラックバック(0)
 富士山での清掃活動を終え、最終の飛行機で北海道札幌へ。富士山の清掃日に合わせるかのように、静岡、山梨両県県警が富士山に不法投棄する不法投棄業者の一斉摘発に乗り出し、その日は県警ヘリが上空からパトロールし地上ではパトカーが警備を強化した。なかなか本格的に乗り出さなかった地元行政、特に不法投棄は犯罪行為であるにも関わらずなかなか摘発に動かなかった県警がこうしてアクションを動かしてくれたこと、本当に嬉しかったし、よくぞここまで来たと感慨深いものがあった。民間が動き、そして行政、そして政治家も動く。官と民の連携なくして本当の変化は生まれない。どちらも同じように必要なのだ。この勢い、絶やしてはならない。これから、これからだ。

 10月31日、北海道、利尻島の利尻岳での登山。いやぁ~極寒でした。登頂したかどうかは、テレビの撮影なので放映するまでは秘密ですが、いやいや、なかなか立派に本格的にハードでした。11月1日、札幌に戻ってきて2日の札幌市内の講演会に備える。

 夜、タクシーの運転手さんに「この辺りでうーんと美味しいすし屋さんありませんかね」と紹介して頂き、運転手さんが「北海道一美味しい寿司屋があります」といって「すし善 すすきの店」を紹介してくれた。車を降りるときに「ただ、ちょつと値がはるかな」とアドバイスを頂いたが、東京に比べ物価の安い北海道だ。まあ、そうはいってもそこまで高くもないだろうと、自信まんまんスタッフの小林と入り、まあまあ食べた。どれもこれも絶品でまた女将さんが着物姿で品があり、美しく、途中からひょっとすると結構高いのかな?とその場の雰囲気を察したものの、途中でいくら?とも聞けず、そのまま食べ続けた。悲しいかなちょっとした見栄。そしてお会計の時に銀座の一流店並の金額に驚き、ちょっとした高級スーツほどの金額に北海道をなめていたなぁ~ととお支払いし店をでたが、でも久々に小林君との寿司デートだったし(ちなみに男ですが)また、それはそれは素敵なお寿司に納得でした。ただ、タクシーの運転手さんに「北海道一高級なすし屋」とアドバイスして頂けたら心の準備ができたのだけど・・・。東京にも店を出しているので、なにかのスペシャルデーに訪れてみたい。精一杯頑張ってお仕事させて頂いて、たまに自分へのご褒美で楽しい仲間と素敵なお寿司を食べる。僕のもっとも好きな大切な瞬間でもあります。

 夜、小林君と一杯飲み、ついつい酔い過ぎた勢いで下剤のコーラックを三粒カバンから取り出し「ハイ、ビタミン剤だよ」と手渡したら、小林君がなんの疑うこともなく、飲んでしまい、あっ!と驚いてしまったが、もうどうすることもできなかった。
用心深い彼にしては珍しい。たった先ほど、「おやすみなさい」と別れ自身の部屋に戻ってきたものの、なんとなく心配。コーラックは驚くほど効くんですよねぇ~ 明日の朝、小林君に会うのが怖いようでなんとなく楽しみ。ちょっとした悪いいたずらをしてしまいました。いくら酔った勢いとはいえ、やり過ぎました。反省、反省。明日のブログでその後の小林君の状況報告します。あ~怒られそう・・・。それにしても、まだまだ家に帰れない。明日(今日)講演を終え、東京に戻り夜まで羽田で仕事(取材)があり、羽田内になるホテルに泊まり、翌早朝に長崎に日帰りで往復し、その夜にそのまま富士山入り。その次の日は年内最後の富士山清掃。それが終わってようやく帰宅です。最後までバテないようにいなければ・・・。頑張りますよ。頑張ります。では、お休みなさい。zzz。

カテゴリ

月別 アーカイブ

ウェブページ

Powered by Movable Type 5.01

このアーカイブについて

このページには、2006年11月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2006年10月です。

次のアーカイブは2006年12月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。