2007年3月アーカイブ

エベレストが見渡せるタンボチェ村にて橋本龍太郎氏の慰霊碑が建てられ、3月30日に
橋本久美子夫人、長男の橋本龍さん、歌手のジュディ・オングさん、橋本龍太郎さんの山仲間の石黒ご夫妻、大河原ご夫妻、そして私が参加してしめやかに式典が行われた。

 


慰霊碑建立式典

 


   ジュディ・オングさんは橋本龍太郎さんと共にカトマンズのカンティ小児病院支援を行ってきた。病院には龍太郎さんとジュディ・オングさんの写真がいまでも病室にかけられている。石黒さんは73年のRCC隊で加藤保夫さんとエベレスト登頂。その時の名誉隊長が橋本龍太郎さん。大河原ご夫妻はカトマンズ在住でヒマラヤンジャーニーという旅行代理店のオーナー。石黒さんと同様に山仲間でありネパール仲間。龍太郎さんの大切な仲間達に囲まれながらの式典は仰々しくなくてとても龍太郎さんらしかった。

 


左から大河原夫人・龍さん・野口・橋本久美子夫人・ジュディ・オングさん、石黒ご夫妻


長男の龍さんと

 龍太郎さんが亡くなって約9ヶ月。未だに胸の中に大きな穴が開き、風邪がピューピューと音をたてて通り過ぎていくような深い悲しみに襲われることがある。私にとっては大きな心の支えであったし、なによりも大好きな人でした。昨年のマナスル遠征中もベースキャンプのパソコンに龍太郎さんからのメールがいくつも届いた。「雪崩に気をつけろ」「体調は悪くないか」「無理していないか」などと。帰国して龍太郎さんに真っ先に会うのがなによりもの楽しみだった。
ヒマラヤから帰国して龍太郎さんに連絡しようかと思ったその矢先に倒れられ入院。ただ、当初はそれほど重病だとは思わず前回の心臓に比べたら大丈夫だろうとそれほど心配していなかった。しかし龍太郎さんが亡くなる前日のこと。深夜12時過ぎに、富士山の清掃活動のため山梨県に向けて移動中に突然胸騒ぎがした。これは龍太郎さんになにかが起こると嫌な予感がし、慌てて龍太郎さんの秘書や事務所に連絡するが繋がらない、入院している病院も分からず、知り合いの新聞記者に連絡し入院先を調べて頂き、直行。病院の受付で橋本龍太郎氏の病室は?と尋ねても「面会謝絶です」と教えてくれない。勝手にエレベータに乗り込み適当に確か7階辺りで降り、看護婦さんに「登山家の野口ですが、橋本先生の秘書から至急来なさいと連絡がありまして」と話したら龍太郎さんのご長男の龍さんの元に案内された。その時の龍さんの表情を見た瞬間にアーと全身に力が抜けていくのが分かった。そして龍さんから「父は危篤です。ずっと意識不明です・・・」と告げられた。放心状態のまま次の日の富士山清掃活動の為に山梨に再び戻り龍太郎さんの死を知ったのは樹海での清掃中。あまりにも突然だった

 あれから9ヶ月。長いようで短いようで、とても辛い時間でもあった。定期的に青山墓地に龍太郎さんに会いに行く。お墓の前で龍太郎さんに話しかける時間が好き。タンボチェ村の龍太郎さんの慰霊碑にも話しかけていた。「龍さん、万が一、エベレストから帰ってこられなかったら僕のお墓、龍さんの横に建てていいかな」と話しかけたら「ダメだ。お前にはやらなければならないことがたくさんある。こっちには来るな!」と怒られてしまった。
私がやらなければならないこと。確かにたくさんあるな。だから龍太郎さんに「分かりました。ただいずれは横に建てさせて頂きます。そしてまた思いっきり議論しましょう!」と別れを告げてタンボチェ村から降りてきた。これから始まるエベレスト挑戦。私の手には一本の古い木製のピッケルがある。龍太郎さん愛用のこのピッケルで私はエベレスト山頂を目指す。


龍さんに語りかける


イムジャ川


イムジャ湖眺める

 

 この湖が増水し続けた数年後にモレーンが決壊したらここより下流にある村(シェルパの里)のほとんどが流されてしまうんだって。
つまりエベレスト街道が無くなってしまうかもしれないってこと。

今回エベレスト街道を歩いていて友人シェルパ達の多くに、この問題の話をされた。

「ネパール政府は何もしてくれないさ」
ってみんな言う。
私たちに出来る事は、調査すること、伝えること、
そしてともに行動する仲間をつくること。

ネパールの仲間も世界中のヒマラヤが好きな仲間も人間と自然が大好きな仲間にも伝えるために
大自然の中で淳君は今日も健さんを追い続けている。

ローツェ南壁


平賀淳カメラマン

谷口ケイ

決壊する氷河湖

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ネパール入りしてから風邪をこじらせナムチェバザーで二泊しゆっくりと休養。たっぷりと寝た。特にナムチェバザール二日目は一日中ゴロゴロし、食っちゃ寝。そして起きては原稿書き。日経新聞の毎週土曜夕刊の連載はヒマラヤにいても続きますから。大変は大変ですが、

ナムチェバザールより

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今日はナムチェバザール村へ。途中、多くの日本人トレッカーとすれ違い
記念写真大会。ここ何年間かは共産ゲリラによるテロ活動の影響で日本人
旅行者が激減していたが、今年は日本人旅行者がネパールに戻ってきた!
嬉しいなぁ~ ネパールは素敵な国。インド、パキスタンなどをを旅し
現地で人々に騙され続け人間不信となりつつあった日本人の旅人がネパール
にやってきて「いや~ネパールはいいですね。癒されます」と何度聞かされてきたとか。
日本人とネパール人、特にシェルパは感覚的に合うんですね。あの恥ずかしそうに
はにかむ姿なんかは昔の日本人なんだなぁ~ 
ナムチェバザール1

日本人とレッカーと

ナムチェバザール村到着後からは再び体調不良・・・。頭がボーとダルイなぁ~。
明日はパンボチェ村に向かう予定ですが、ここで無理をしてもなんら意味を
持たないので明日具合が悪ければもう一日ステイします。
ナムチェバザール2



ナムチェバザール到着

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野口から電話が入りました。
現在ナムチェバザール(3440m)にて静養中です。
というのも風邪をこじらせ、体調があまり良くないそうです。

3月24日、カトマンズからエベレスト街道の玄関口、ルクラ村に飛ぶ。
動向ガイドはパサンラム。22歳のシェルパの女性。彼女は今も最もネパールで注目されている女性登山家。フランスの国立登山学校でガイドの資格をとった初のネパール人女性。前回の清掃キャラバンの時に私の元を尋ねてきて「どうしてもエベレストに登りたい。一緒に登らせてください!」と直訴。彼女のその眼差しの強さに私なりに感じるものが多かった。若さゆえかもしれないが、彼女のあの一途な必死さは並大抵の意思ではなかった。そして野口隊の一員に。必死に生きている人の姿は美しい。年や経験を重ねるとだんだんと疲れてくる。そしてまあ~いいじゃないかと妥協を覚える。日本出発前に10年前のエベレスト初挑戦の映像を見てみた。自分で表現するのも変かもしれないが初々しく清清しかった。あの時のような新鮮な気持ちでエベレストと向き合えるあだろうか。正直難しいかもしれないが、いくらかは取り戻せそうな気もする。植村直己さんの言葉で「私はいつま子供の心を持って生きてきた」とありますが私もそうであり続けたい。


ヒマラヤの景色


日本食を食べる野口


空港で眠る野口


お花

 今日から4月2日まで高所順応開始。日本での過酷な日々から急に開放され緊張感がスカーンと抜けた為かトマンズ入りしてから酷く風邪をこじらせ鼻水ダラダラ。日本では寝不足の日々だったのでエベレスト挑戦が始まるまではたくさん寝よう。旅は道連れであり淳君までもが鼻水ダラダラ。体を温めようと昨夜は日本レストランの「ロイヤル華」で鳥鍋を頂き、食後は同レストランのお風呂に入りました。かなり高温でゆでだこ状態。ただおかげでだるかった体が少しだけ軽くなった。


カトマンズの銭湯で


ポーターと

 それしにてもルクラまでのフライトは強風の影響でかなり揺れ淳くんの「ギャー」という悲鳴がやたらと機内に響いた。無事に到着しトレッキング開始したが、あの誇りまみれのカトマンズと違って空気が美味しいのなんの。喉が腫上がっていたが少しは楽になりました。トレッキングの道中にあちらこちらでお花が咲き、春の訪れを感じさせた。明日はナムチェバザール村。シェルパ村では最大級。昨年末に清掃キャラバンした村。あれからどうなったかなぁ~ 少しは村人に意識が広がっていればいいのだが・・・。


飛行機に乗り込む野口

 

無事出発しました。

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1997年失敗に終わった初のチョモランマへの挑戦。
野口は10年ぶりに挑戦する。
1999年にエベレストに登頂したものの、やはりチベット側からの挑戦で破れたあの日はいつも心の中に残っていた。
10年という区切りの年。チベット側から山頂を目指し、心の中のわだかまりを払拭したいそういう気持ちが伝わるような出発。
先日20日。成田から家族や仲間に見送られ、カメラマンの平賀と共に野口は旅立って行った。出発前の笑顔は意気揚々としたものだった。
これからの挑戦に応援、宜しくお願いいたします。

成田


現地からの様子はブログにてお知らせいたします。

野口健 マネージャー 田附(たづけ)

*写真をクリックすると拡大します。

 3月20日に日本を発ち 21 日ネパールの首都であるカトマンズ入り。共にエベレストの山頂を目指すシェルパ達と合流。シェルパ頭はクリシチナ・タマン。彼とは 10 年前のエベレスト初挑戦の時からの付き合い。 99 年ネパール側からエベレストに登頂したときも一緒だった。

 そしてもう一人の仲間はペンバードルジ・シェルパ。彼とはエベレスト清掃隊から一緒になり、 200 3年にエベレストの世界最短時間登頂を目指したいと私に相談があり、ベースキャンプから 15 時間ほどで山頂に到達したいとの計画に驚いた。しかし、外国人登山家のサポートばかりさせられていたシェルパが自ら自分の冒険をしてみたいと言ってきた。応援する側にもリスクがある。確かに反対する声もあったが、私はペンバドルジの冒険に賭けてみた。そして 200 3年、ペンバドルジは世界最短時間でのエベレスト登頂に成功。成功後、カトマンズでは盛大にパレードが行われ彼はネパールでスターになった。共産ゲリラがテロ活動を繰り返し多くの人々が死んできた。ペンバドルジの成功は疲れ果てていたネパール人に勇気を与えたのだろうと思う。私はそんなペンバドルジを誇りに感じるし、またこうして一緒に冒険をすることに大きな喜びを感じている。

 久々のカトマンズだが、ホテルの門や店が閉められていた。我々がネパール入りしたその日にインドの国境付近でマオイスト(共産ゲリラ・毛沢東派)の熱狂的な支持者と、永年マオイストに搾取されてきた住民との間で乱闘が起こり発表では 27 人の死亡。実際は 50 人以上が死亡したのではないかといった情報も流れた。カトマンズではマオイストがホテル経営者を誘拐し、寄付金を出せと要求。拒否したらその経営者に集団暴行を加えた。怒ったホテル経営協会が国に安全を身の安全を保障してほしいと要求。国がマオイスト対策に乗り出さないのならば明日からホテルは「ストライキに入る」と宣言。そうなれば私も宿泊しているホテルから出て行かなければならない。

 慌てたが朝になってみたら経営者協会側と国、マオイスト側が協議しとりあえずは落ち着いたようだが、このマオイストの問題は中東のヒズボラと同じで政府にテロ組織を抑える力がないからと、妥協案としてそのテロ組織を政党として迎え入れるのだが、そもそも彼らはテロ集団。都合が悪くなれば武力に訴える。そして厄介なのが PLO と同じようにマオイスト内部が分裂しそこでの争いが始まった。アラファートのようなカリスマ的なリーダですらまとめられなかった PLO 。そしてハマスのような過激派がテロ活動を展開していく。ネパールが同じ過ちを繰り返さなければいいのだがと願ってみても、嫌な予感がする。

 このマオイストの問題はこれからさらに深刻になっていくだろう。次の選挙でマオイスト党が負ければ彼らは再びテロ活動によって揺さぶるだろう。かといってマオイストを根絶するほど国に力がない。しかし、テロ組織相手に妥協を繰り返すのは問題の先送りとしかならないだろう。

 今月末に自衛隊が停戦監視団としてネパール入りするが、武器を持たず大丈夫なのかと心配になる。せめて自身の安全を守る武器保有は認められるべきだと思うが。日本国内でも PKO や停戦監視団で現地に行く自衛官に対して「武装するべきではない」といった意見もあるが、「それならばあなた方が丸腰で行ってみろ」と言いたい。どれだけの恐怖か。世界にはネパールに限らず国連の介入によって解決を望む国々が多いのも事実。ネパールのマオイスト問題。国連の停戦監視団の活躍に期待したい。

 22日、カトマンズにて記者会見を行った。記者会見では「ネパールの治安悪化で経済的悪化、また教育、環境問題への取り組みも停滞したまま。いつまで同じネパール人同士が殺しあっているのか。ネパールの環境破壊は深刻だ。大気汚染、水源地汚染、伐採による土砂崩れ、ゴミ問題、温暖化によって氷河が溶け出し洪水の危機、などあげたらきりがない。今こそ目の前の問題に取り組まないと、いずれ大量の人々が環境破壊によって死ぬ。ネパール人同士が殺し合いをしている場合じゃない」と訴えたがどこまで伝わったか。この当たり前のことがなかなか伝わらない。しかし、諦めてはいけない。ネパールの友として環境問題から平和を訴えていきたい。

 

エベレスト出発

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 いよいよエベレストです。明日(3月20日)日本を発ちます。4月4日までネパールで高所トレーニング。5日にネパール・カトマンズからチベットのラサに飛び、10日にエベレストベースキャンプ入り。4月15日にエベレスト・富士山同時清掃活動を行いその様子をエベレストと富士山で中継します。富士山清掃に参加して下さった方々とはスクリーンを通してお会いできる。一緒に山を綺麗にしましょう!

 
 

靖国神社正式参拝

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 3月8日、靖国神社に正式参拝しエベレストでの活動の安全を祈願して頂きました。ヒマラヤ遠征前には必ず靖国神社にて参拝を行なってきましたが、正式参拝は初めて。南部利昭宮司と環境問題について意見交換会が行われ、特に霊峰である富士山について「日本人は自然を敬って生きてきましたが、現代人にはその自然を敬う気持ちが薄れてきています」と仰っていました。同じ霊峰である白山は地元の方々に愛されゴミ一つない。日本の美しい自然を取り戻したいと南部宮司とお話しさせて頂きました。(写真はクリックしたら大きくなります)
靖国1


靖国5

靖国3


 昇殿参拝後に国民精神研修財団からエベレストの強風にも耐えうる特注された日の丸を寄贈されました。登山のジャケットにもいつも通り日の丸のワッペンを貼りますが、私は日の丸を衣服につけるのが大好き、気持ちがシャキッと引き締まる。日本人として世界に恥じない責任感、緊張感を持ってエベレストで活動を行っていきたい。
靖国2

靖国6

靖国7

兄様、胴体着陸!

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哲也さん 

撮影 野口哲也(写真をクリックしたら大きくなります)


 今朝、胴体着陸した全日空機に私の兄貴が乗っていました。携帯メールに兄貴から「心配かけましたが無事です」と連絡頂き、ホッとしました。機内から脱出した兄貴には取材が殺到し、NHKニュースなどでもあの目がクリクリした兄貴の顔が全国ニュースで流れていた。直後に本人に電話したら、「機長が着陸5分前、2分前、1分前とアナウンスしてくれたので安心だった。それにしても機内でのANAの対応は立派だった。しかし、地上では事故後ANA側の会見が終わるまでは開放してくれず、会社側のエゴを感じた」とのコメント。会社側の会見前に乗客がぺらぺら喋るのを嫌ったのかもしれないけれど、そんな事はお客には関係ないだろうに・・・。それにしてもあれだけお客に精神的な負担をかけさせておいて航空運賃の返還もないとは呆れる。
 
 不時着前に燃料に引火しないよう空っぽにするために数時間に及び上空を旋回していた時間はさぞかし不安であっただろう。まあ~それも人生の経験なのかもしれないが・・・。兄貴は「ケンと同様に不死身です」だって。それにしても無事でよかった。

ブログ書けずにごめんなさい

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 最近、バタバタとしていてほとんど家に帰れずブログを書けていません。ごめんなさい。エベレスト出発準備、地方の講演会等々、バタバタ。明日、小松での講演を終え東京に戻りましたら、ちゃんと最近の活動の報告をさせていただきますのでご勘弁ください。エベレスト出発は3月20日。キャー 準備、間に合うかな~

大好きな小池百合子さんと再会

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 3月7日から三浦雄一郎さんの事務所内にある低酸素室で低酸素をトレーニングを開始。2時間ほど、4600M付近の酸素量に設定した部屋で自転車漕ぎをしました。トレーニング後、頭痛かった・・・。
 夜はコスモ石油の環境コンサートが行なわれ、コンサート後のパーティーで小池百合子前環境大臣と久々の再会。私の最大の環境仲間。小池百合子さんが3年間環境大臣をお勤めになりましたが、ずっと連携してきました。そして小池さんのおかげでどれだけ環境問題がクローズアップしてきたことか。そして環境省の職員の方々も生き生きしていた。現環境大臣がどうのこうのと言うわけでもありませんが、ただ、最近環境省がシーンとしちゃった。
小池さん1

木村社長

                     コスモ石油 木村社長と

久々の再会に思わず「小池さん、また環境省に戻ってきてくださいよ」と無理なお願いをしてしまいました。ただ、改めて感じたのが小池さんのリーダシップに頼りすぎていたこと。もっともっと自分達が頑張ればいいこと。そしてもう1つ改めて感じたのが僕は小池百合子さんが大好きであったこと。またいつの日か環境仲間としと一緒に取り組む日が来ることを秘かな楽しみにしつつ頑張りたい。
小池2

東京ヴェルディ1969開幕戦 キックオフ初経験

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 今年から東京ヴェルディ1969の環境アドバイザーに就任しました。ヴェルディは今まで多摩川清掃活動や選手全員がチーム・マイナス6チームに登録したり、スタジアムからゴミを減らそうと3R普及促進キャンペーンに参加するなど環境問題に対する取り組みを積極的に行なったきたが、今年からはさらに活動を広げようと試合後にサポータの方々とスタジアムの周辺の清掃活動を行うこととなりました。

 3月4日は開幕戦。その開幕戦でキックオフの大役を任せられ大変、緊張しました。なにしろサッカーボールを蹴ったのは高校時代が最後。1万人を超える観客の前でのキックは実にエキサイティング、興奮しました。試合の方はザスパ草津に5対0で圧勝!特に存在感があったのが2点入れたブラジル人のフッキさん。彼は今シーズンからヴェルディに加入した期待のストライカー。昨シーズンまで所属したコンサドーレ札幌では25得点をきめリーグ2位。フッキさんのスピード、そしてスピードに乗ったドリブルシュート。凄かったなぁ~ ファンになりました。ファンクラブあるのかな?J1への復帰をフッキで目指す?
 そしてザスパ草津ですが、J2に昇格するまでは選手達は地元の草津の温泉宿で仕事をしながら練習していたとのこと。草津の人々に愛され支えられながらJ2に昇格し次はJ1を目指している姿に心温まるものがあった。地元密着型のJリーグの姿は理想的でした。
ベルディ1

ベルディ2

ベルディ3





試合後は約150人ほどのサポータとスタジアムを一周歩きながらの清掃活動。多くの子ども達も参加してくださり、盛り上がりました。特に試合に勝っただけに、選手も頑張ったのだから我々も頑張ってゴミを拾うぞ!とサポータの方々からの声が聞こえた時は気持ちよかった。
ベルディ4

ベルディ5


98年だったか、フランスでのワールドカップで日本代表が試合に負けた際に、世界中のマスコミを驚かせたのが日本人サポータが暴れる事もなく、スタジアムのゴミ拾いを始めたことだ。ヨーロッパのサポータは試合に負けたりすると暴れたり、時に殺人事件まで起きる事が多々繰り返されてきただけに、負けたのにゴミを拾うその姿は国際的なニュースになりました。ちょうど、その頃、エベレストで日本隊の捨てたゴミに対して批判されていた時期であっただけに、そのサポータのニュースを聞いて心から嬉しかった事をよく覚えています。お隣の大国にいたっては自国のチームが負けると怒った多くのサポータが対戦国である日本の総領事館を焼き討ちしようと投石や火炎瓶を投げ込み襲撃してしまったが、いかがなものでしょうか。私は試合に負けた後であろうとゴミを拾うサポータの姿に美学を感じるものです。

選手1
ベルディの選手達と

選手2


 東京ヴェルディ1969が清掃キャンペーンを始めたことで他のチームにも広がり、また同じ読売グループとして例えば読売巨人軍も始めればさらに清掃キャンペーンが盛り上がるでしょう。もう清掃活動は一部の環境保護団体のみの取り組みではないのだから。これからも環境アドバイザーとして清掃活動を各地で盛り上げていきたい。3月20日からエベレストの挑戦が始まりますが、僕の登山服にはヴェルディ1969のクラブエンブレムが付きます。選手がJ1復帰を目指し闘っている時に、私も同じようにエベレストで必死に闘っているでしょう。選手に負けないよう私も頑張ってきます。
ベルディ6

ベルディ7



龍さんへのご報告

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 3月1日、小田原でのフジフィルム工場で講演を行いました。フジフィルムさんは昨年末から私の活動に支援してくださり、年末年始のヒマラヤから私のジャケットにフジフィルムさんのワッペンが貼ってあります。フジフィルムさんも環境問題への取り組みを行なっており、今年の夏は社員の方々と富士山の清掃活動を行う予定です。
3月1日 1



 小田原から戻り橋本龍太郎さんのお墓参り。龍さんに大切なご報告がありました。橋本龍太郎事務所を閉めるということで、龍さんのスタッフをされていた藤村健さんが環境アドバイザーとして野口健事務所の仲間入り。藤村さんは「長年、橋本先生の元で環境政策などを担当してきました。しばらくは政治の世界を離れて環境問題に取り組んでみたい」とお話しされていましたので「それならば一緒にやりましょうよ!」と意気投合。藤村さんとは6年前からのお付き合い。同年代としてとても心強い。そしてなによりも環境問題に関する知識が豊富。これから龍さんの素敵なスタッフと一緒に取り組んでいけることを龍さんに感謝し、ご報告にお伺いしました。龍さんの「ふ~ん それなら力を合わせて頑張れよ」との声が聞こえてきたような気がしました。
3月1日2

3月1日3



 昨夜から八ヶ岳入り。以前、「日本人が好きな偉人列伝天才編」で私、野口健がベイトーベンを演じましたが、今回は八ヶ岳である世界的な方を演じてきました。さて誰でしょう?放送日が決まりましたらお知らせしますね。それにしても久々に雪山を登り気持ちよかった。ザックを背負って汗をかきながら歩く。本当に気持ちよかったし、ストレスを思いっきり発散してきました。それではお休みなさい。

(写真をクリックしたら大きくなります)
3月1日5

3月1日6

3月1日7



環境問題に国境なし

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 昨日のニュース23で中国の環境破壊が特集されていたが、南京市で硫酸塩などの大気汚染で煙霧という光化学スモッグが発生。一日中、霧状態。その影響が国境を越え今後福岡県にも被害が起こるという。環境問題に国境はない。環境問題は国境をまたがって取り組まなければ意味がない。それでけに難しい。中国から言わせると急激に経済発展を展開しているわけで、環境問題で経済の足を引っ張られたくないという思いもあるだろう。以前、中国で「お前らもさんざんやってきたじゃないか!」と指摘された事もある。確かに日本も50唐0年代に公害を繰り返してきた。イタイイタイ病、水俣病しかり。日本は環境破壊の先輩だ。公害を繰り返しながら経済発展を行なってきたのも事実。ただ、同じ過ちを繰り返してはいけない。日本は過ちの中から多くの事を学んできた。発展途上国の国々が同じ過ちを犯さない為にも日本は中国などに環境技術などの援助を行なうべきだろう。そしてそのことが日本を救うことにもなる。環境問題に国境はないのだから。

 2月26日は群馬県太田市にて講演。太田市は私の祖父の地元。したがって幼い時に田植えなどしました。懐かしい。地元には金山があり、35年前から地元の方々によって清掃活動が行なわれているとのこと。地元に愛される山は美しい。

 27日は「ふしぎ発見」の収録。精一杯頑張りました。しかし、頑張れば正解するものとは限らないものです。ただ、神秘な世界を見せていただき感動。放送日が決まりましたらHPのほうでお知らせします。
ふしぎ発見


28日は朝からロケ。「たべごろマンマ(日本テレビ)」である食べ物を獲りに行きました。驚きと、そして美味しかった。放送日は3月24日です。夜は「地球の果てまでいってQ」のスタジオ撮影。二本ともベッキーさんと一緒でしたが、彼女は亜細亜大学の後輩。一芸一能組みですが、僕と違い彼女はしっかりと4年間で卒業。偉い!僕は8年かかりましたが・・・。今日はこれから小田原で講演です。そして夜はそのまま八ヶ岳入り。久々の山だぁ~。

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