2009年7月アーカイブ

英霊の声に応えるもう一つの顔

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 6月18日、野口健活動報告会が九段会館にて行われましたが、産経新聞の喜多由浩記者がその時の様子を記事に書いてくださいました。昨年の遺骨調査活動では喜多記者も私と一緒にフィリピンでの遺骨調査活動に参加。やはりこの活動は現場に訪れないと本当の意味で戦争の悲惨さや、また国の為に戦って亡くなった方々の無念さを感じる事はできない。私は喜多記者と一緒に現場で「知ってしまった」のだ。その喜多さんの記事を紹介したいと思います。 野口健


「英霊の声に応えるもう一つの顔」
 
 アルピニスト、野口健さん(35)にはいろんな「顔」がある。

 25歳のときに樹立した世界7大陸最高峰最年少登頂記録達成者。今年で4年目を迎えたヒマラヤ・富士山同時清掃登山の隊長。大学の先生。ときにはバラエティー番組の出演者...。
 そして、最近、加わったのが戦没者の遺骨収集活動に熱心に取り組む「顔」である。
活動報告会では、従来の登山や清掃活動と併せて、昨年来、3度訪れたフィリピンでの遺骨調査・収集活動が、野口さんの言葉と映像とで紹介された。
 「フィリピンのジャングルの洞穴で、(英霊の)『声』が聞こえたんですよ。『おれたちは60年も(迎えを)待っていたんだよ』ってね」
 これまで政府の派遣団しか認められなかった遺骨収集は、野口さんや、目覚ましい成果を上げているNPO法人の"活躍"によって、今年3月以降、民間団体にも道が開かれた。

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 清掃登山で富士山側隊長を務める女優の若村麻由美さんは、「野口君には、いろんな人を巻き込んで、引っ張っていく『才能』がある。清掃登山でも遺骨収集でも、こんなに早く実現するとは思わなかった」という。
 報告会には、野口さんを物心両面で支援する企業や政治家、官僚、NPO法人、メディア関係者ら多くが駆けつけた。


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戸井田とおる前厚生労働省政務官と

 遺骨収集を所管する厚労省前政務官の戸井田とおる衆院議員は、「なぜこれだけの方から支援されるのか? 『何でもお金』の時代にあって、野口さんが"お金では買えない"活動をされているからだろう」と話すと、会場からは大きな拍手。
 8月には4度目のフィリピン。来年にはまたヒマラヤに向かう。「また報告会をやります。そのためには来年まで生きていなきゃね」。半ばジョーク、半ば本気の顔で、会を締めくくった。(喜多由浩)

体罰とは?

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 先日、戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長と再会。戸塚先生とは昨年秋に雑誌(正論)で対談させて頂いていた。久しぶりの再会となりましたが、食事中に

「野口さん、体罰と虐待とでは意味が違うんですよ。その違いを分からない人が多い。体罰はあくまでも子どもの成長の為に大人が叱ること、虐待とは、自分の為に子どもを叱ること、つまり八当たりのようなものです。赤ん坊が夜泣きをして「うるさい!」と殴ってしまうのは虐待に当たります。イライラを子どもにぶつけて解消しているだけです。問題は体罰と虐待の違いが分からない人が多いことです。今では叱ること全てが体罰となってしまう。子どものために叱るのが体罰であり、体罰なくして教育は成り立たない。体罰は肉体的苦痛を与えることですから、例えば授業中に騒いだ子どもを廊下に立たせるのも体罰となります。しかし、教育方針の中で体罰を禁じてしまっているので、廊下に立たされたら足が痛くなるから体罰になってしまうということで、立たせるのはイカンとなってしまった。野口さん、最近の子どもは、「僕には授業を受けない権利があります」と平気で教師に言ったりする。授業中にずっと座っていなきゃならない、それが肉体的、精神的苦痛であると主張する。それに対し反論できない教師が多いんですよ。子どもに叱れない大人たちが多い。だから我慢出来ずにすぐにキレる子や、引き籠ってしまう子どもたちが増えるのです。私は教育には体罰が必要だと訴えていきたい」

と仰っておられた。

 
 私の書いた本で「確かに生きる ~落ちこぼれたら這い上がればいい~」(集英社文庫)にも詳しく触れていますが、私の高校時代は酷い落ちこぼれで散々悪さもした。当時、立教英国学院に通っていたが、先生方が本気で怒ってくれた。先生に殴られたこともあった。ただ、殴られながらも「この先生は本気で自分と向き合ってくれている」と、内心嬉しかったものです。私の周りにはしっかりと怒ってくれる大人が多かった。今思えばとても幸せなことだった。 

 よく学校に講演のために出かけていきますが、本当に色々な学校があるものです。講演中に騒ぐ生徒達、体育館に入った瞬間にこれでは動物園?と思ってしまうほど「ギャーギャー・ピーピー」と大騒ぎ。それでも叱れない先生たち。ある高等学校では講演前に校長室で校長先生とお話をしていましたが、その校長が「私はね、教育委員会からやってきたばかりでしてね、直接生徒と話す機会は少ないんですよ。こういった現場は苦手で・・・」と教育現場に対して愚痴ばかり話していた。また別の学校の校長は「うちの生徒は静かに人の話を聞けませんが、まあ~そこは一つ勘弁願いたい」などと最高責任者でありながら部外者である私に言葉を換えれば「自分の生徒の質は悪いがよろしく」と、これでは責任放棄ではないか。

 またある学校の校長は講演中にあまりにも騒ぐ生徒達がいたものだから「おい!そこのお前さん、ガタガタうるさいねぇ~。人の話は黙って聞くものだ。それにつまらない話なら逆にこちらが申し訳ないけれど、俺の話はそうまずくはないはずだ。こっちだって本気で話しているんだから、ちゃんと聞けよ」と怒鳴ったら会場は一瞬シーンと静まり返った。ただその直後からの生徒達のググッとくる真剣な視線に会場は熱くなった。講演の講師が声を上げるのは極めてレアケースらしいが生徒達にとってはインパクトがあったようです。
 
 帰宅後のホームページの掲示板には「大人が本気で怒鳴るのを初めて見ました」「ビビったけれど気持ちが伝わった」などと沢山書き込まれましたが、最後まで私が怒鳴った学校の校長は私に対し「余計なこと」と憮然としたままだった。

 またある学校の校長は「問題児には学校に来てもらわないのが一番助かるんですよ」と、もちろんそんな学校ばかりではないが・・・。しかし彼らのような当事者意識を著しく欠けている方々が校長を務められてしまえば生徒達にはたまったものではないと、実に気の毒であり同情してしまった。


 廊下で生徒と先生がまるで友達同士のようにタメ語で話し合っているのをよく見る。大人を大人と思っていない子どもたち、そして先生は先生で「生徒達と仲がいいでしょ」と案にアピールしている姿に「あ~」と大きなため息、そして違和感を覚えていた。

 戸塚先生との再会では「大人のあるべき姿とは」と改めて考えさせられていた。こんな事を考えているんだから、俺ももうおじさんの仲間入りかなぁ~。

2009年7月17日 野口健

八ヶ岳 大縦走

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7月13日・14日 平賀カメラマンとともに、八ヶ岳の大縦走を行いました。
八ヶ岳は思い入れの深い山の1つ。前編・後篇合わせてご覧ください。

八ヶ岳大縦走 前編


八ヶ岳大縦走 後篇
小池百合子氏(元環境大臣)より、野口健著「自然と国家と人間と」に対し、産経新聞・書評倶楽部に以下のような書評が寄せられました。

【産経新聞 書評倶楽部】衆院議員・小池百合子氏 

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「自然と国家と人間と」


■環境、遺骨...野口少年の思い

 多感な少年が、そのまま大人になったというのがアルピニストの野口健さんだ。日本の外交官を父に、エジプト女性を母に持つ野口さんと私はエジプトつながりもあり、環境大臣当時から、親しくお付き合いしてきた。

 「ヤンバルクイナなどの貴重な生物に出会うよりも、数少ない環境省のレンジャー(自然保護官)に出くわすほうが少ないですよ」と冗談まじりに日本の生態系保全が不十分だとする野口さんの指摘は痛烈だった。たしかに箱根から小笠原までの広域で担当レンジャーはわずか6人(箱根2人、沼津1人、下田1人、小笠原2人)。全国で250人程度しかいない日本のレンジャーであり、2万人態勢のアメリカのパークレンジャーとは比較対照にもならない。おまけに彼らは銃を携行する警察官的存在だ。

 この野口さんのひと言をきっかけに、2005年、レンジャーの補佐役としてアクティブ・レンジャー制度を設けることにした。公募の上、全国で60人ほどの優秀な人材が加わる結果となった。

 本書は野口さんの従来の環境活動に加え、フィリピンのセブ島やレイテ島での遺骨収集に関する現場の苦労話を盛り込んである。だから「自然と国家と人間と」というタイトルとしたのだとわかる。

 ヒマラヤ登山で仲間の死に直面したり、過酷な自然状況の中で自ら、死を覚悟するような瞬間を覚えたり、アルピニストとして野口さんは人間の極限を経験してきた。それでも、それは自らの意志による行動における経験だ。

 一方、「赤紙一枚でご自身の意志とは関係なく戦場に派兵された」先人たちの遺骨を前に、先の戦争は「何だったのだろう」と野口さんは歴史をたどる。

 やんちゃな青年時代を振り返る著書の中には、日本の国粋的な団体入りを思い立ったものの、たった一日でクビになったという武勇伝も記している。見かけはバタ臭いが中身は日本男児そのものの野口さん。この次は何を目指すのだろうか。
                               小池百合子

(産経新聞 書評倶楽部より引用)

産経新聞 書評倶楽部
P1060439


ヒマラヤを想う

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 久々のブログ。しばしさぼっちゃった・・・。

 ヒマラヤにいた時の方が遥かに厳しい環境だったのにちゃんと更新していました。ただ、僕からするとヒマラヤでの生活の方が楽なのか、肉体は別として少なくとも精神的には健康であります。ヒマラヤでの生活は確かに厳しいけれど、要はいかに生き延びるか、日々を精一杯生きているだけで、世の中の祭りごとなどうでもいいわけです。

 ベースキャンプにはパソコンと通信機材を持ち込んでいるので日本の情報も入ってきますが、誰々が裸で公園を走って逮捕されたとか、小沢代表が辞任したとか、まあ~ハッキリ言ってどうでもいいようなニュースばかりで特にヒマラヤなんかにいますと、「日頃の情報がいかにもくだらないなぁ~」と、最近では何処ぞの知事が「私を総裁候補としてお戦いになるお覚悟はありますか」と、最初はギャグがと笑って見ていましたが、次の国政選挙に求められている本質論から大きく外れた外野席の方ばかりに注目が集まり、これまたどうでもいい。自民党と民主党のやり合いも政策で争うものではなく、互いのスキャンダルを追及することに終始しており、これまたいかにも程度が低く、政治に無関心になってしまう若者の気持ちが少しだけ理解できる。分かる一方、このままでは日本丸は傾き海底に沈んでしまうといった危機をひしひしと感じるものです。

 日々、我々はどうでもいいような情報に振り回されていますが、しばらく日本にいるとそんな事にも気がつかなくなる。無意識の内に毒されているのかもしれませんが、ヒマラヤ生活では余裕がないせいか無意味な情報なんかに構っていられない。その分だけ精神的には健康なのかもしれない。

 マナスル峰から帰国してひと月が過ぎましたが、もうすでにヒマラヤが恋しい。日々、日本をまるで旅芸者の如く渡り歩いていますが、心の中はヒマラヤ。日本が好きだと自負していながらなんとも自己矛盾を抱えていますが、どうであれヒマラヤに帰りたい。

 僕はどうも言葉ばかりの世界が苦手。政治家も評論家も、コメンテーターも、キャスターもその多くが言葉の世界。抽象的で幼稚な表現かもしれないが、多くの人はカッコいい言葉を並べるものの命を賭けようとしない。

 あの生きるか死ぬかの世界、雪崩に脅えながらも「一歩一歩、前へ前へ」と進まなければならない氷河、一日一日を生き延びられただけで心から感謝するあの世界が恋しい。

 マナスル峰遠征直前、相方の平賀カメラマンに「今回は流れが悪い。厳しい遠征になるだろう。やられるとしたら雪崩だ。その時は一緒に流されるだろう。もしそうなれば申し訳ないが俺と一緒に死んでもらう事になる。それでも良いか」と、しばし続いた沈黙の後、「分かりました。その時は一緒に死にましょう」と小さな声であったが、しかし、覚悟を決めた声であった。あの言葉に偽りはなかった。なにが正しいのか正しくないのか私には分からないが、幸か不幸か、このような生き方しかできない。

 考えてみたら自分の夢の為に命を賭けるほど贅沢な事はない。自身の為よりも国なり社会のために命を賭ける方がよっぽど尊いのだろう。まあ~そんな事を考えてダラダラとまとまりのない原稿を書いているうちに名古屋が近づいてきました。

 
 さてと、今日、明日と愛知県で講演。今日は講演会場でどのような出会いがあるのか、楽しみです。それでは頑張ってきます!

2009年7月4日 新幹線の中にて 野口健

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