2009年12月アーカイブ

年内最後の登山はやっぱり八ヶ岳

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 12月30日、平賀カメラマンと八ヶ岳へ。予定では天狗岳~根石岳~硫黄岳といったコースで縦走したかったけれど、天狗岳山頂手前あたりから風が強くなり、天気予報でも寒波が近付いているといった情報もあり、天狗岳に登頂し根石岳に向かっている途中で引き返し渋御殿湯に引き返しました。行こうと思えばギリギリ行けない状況でもなかったかもしれませんが、こんな時は渋御殿湯さんのお風呂に浸かってノンビリと今年の出来事を振り返るのも悪くないだろうと下山。

八ヶ岳・天狗岳の頂
八ヶ岳・天狗岳の頂
吹雪かれる登山者
吹雪かれる登山者
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 下山した夜から天候は本格的に悪化し夜は渋御殿湯さんでも猛吹雪。上にいなくて良かったと、そして渋御殿湯さんのご主人と近所のお寿司屋さんへ。「みつ山」さんというお寿司屋さんですが、この八ヶ岳の玄関口という山中にありながらも銀座顔負けのお寿司屋さん。八ヶ岳に通うたびにこのみつ山さんにも足を運んできましたが、さすが毎日、築地からお魚が運ばれてくるだけあって本当に美味しい。そしてなんともセンスの抜群のお寿司屋さん。ご主人自らも八ヶ岳から定期的に築地通い。
強風のためなかなか前に進めない
強風のためなかなか前に進めない
雪の樹林帯を歩く
雪の樹林帯を歩く
天狗岳までもう少し
天狗岳までもう少し

 八ヶ岳に渋御殿湯さんのお湯にそしてみつ山さんのお寿司。これほど贅沢なことはない。平賀カメラマンと渋御殿湯さんのご主人と、幸せな時間を過ごして先ほど東京に戻ってきました。そして年越しは近所のお寿司屋さん「まなぶ」で。
完全装備の平賀カメラマン
完全装備の平賀カメラマン
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 年越しをヒマラヤで過ごすのが学生時代からのパターンとなってきましたが、日本の年越しもこうであれば素敵なものです。
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しかし、年末年始は日本で過ごすと決めていたにも関わらず矛盾するようですが、どうにもこうにも外に出たくなり、またその感情を抑える事が困難となり、年明けから海外へ。ヒマラヤに登る時間が取れなかったので今回は以前から登ってみたかったキナバル峰へ。ボルネオ島にある山ですが、東南アジアでは最高峰とのこと。来週にはキナバル峰に登頂しているかな?
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それでは皆さん、今年ももう残り少なくなってきましたが、良いお年をお迎えください。今年も多くのメッセージ本当にありがとうございました。来年も突き進みたいと思います!

(写真はクリックしたら大きくなります)

2009年12月31日 野口健

2009 登り納め

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野口健と平賀淳は、今年の登り納めに、八ケ岳に行ってます。
西天狗岳より、映像が届きました。


野口健事務所

4370体のご遺骨祖国に戻る

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 日本ではほとんど報道されませんでしたが、フィリピンで足止めされていたご遺骨4370体が12月9日に空援隊の倉田宇山さんと共に帰国を果たした。これで2009年の空援隊(フィリピンにて遺骨収集を行っているNPO団体)によるご遺骨収集は合計8670体。近年、国家事業として行われてきたご遺骨収集は年平均すれば600~800体であったわけですから空援隊による収集数がいかに多かったが分かる。
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旧日本兵のご遺骨の焼骨式 フィリピンにて

 昨年までは我々のような民間団体には認められていなかったフィリピンでのご遺骨収集活動。今年になり厚生労働省からご遺骨収集の許可を頂きこれだけのご遺骨を収集してきましたが、

片山右京さん遭難について

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 12月18日、富士山登山を行っていた片山さんら3名が遭難しましたが、その知らせに驚きまた他人事とは思えなかった。何故ならば同じ日に富士山登山を予定していたからだ。しかし、一緒に登ろうとしていた平賀カメラマン(山岳カメラマン)が海外ロケに出かけており延期。右京さんの遭難前日、奥多摩登山を行っていましたが、この日からグッと冷え込んでいた。天気予報は「雪が降るかもしれない」と伝えていたので、ダウンジャケットなどの防寒具に身を包んでいたが、それでも寒かった。奥多摩でこれだけ寒かったのだから富士山は大変だっただろうと、延期になった事を安堵していた矢先の右京さん遭難。

 右京さん遭難の一報の直後からテレビ、新聞などの報道陣から話を聞きたいと連絡が相次いだ。そして何人かの記者から「片山さんが登山仲間を残したまま下山しましたが、どう思いますか!」と、最初から右京さんの判断に問題があったのでは、といったニアンスの質問が相次いだ。

 しかし、私はその質問が辛く胸をえぐられる様な痛みを感じていた。何故ならば2年前私がチョモランマに登頂した日の出来事が頭の中を駆け廻っていたからだ。一緒に登頂した日本人登山家が下山開始直後に歩行困難となり、彼は私に向って「先に降りてください」と伝えてくるのだが、そんなこと出来るわけでもなく、そして次に「すぐに追いつくから先に降りていて」と。

 一緒にその場に留まるのか、それとも先に降るのか。あの標高で彼を背負って降りる事は不可能。つまり助ける事は出来ない。かといっていつまでも一緒にその場に留まっていれば自分もやられる。酸欠と究極の極寒の中、自分はどうするべきなのか、なかなか判断できないまま彼に声をかけ続けていた。どれほどの時間が経過したのか、「う~ん」と唸り声と共に彼の首がガクッとなり、そのまま脈が落ちた。私の手も寒さで悴んでいたので本当のところ、彼の脈が止まっていたのかどうか、正直分からない。しかし、最後は自分が生きて帰らなければならないと、彼に「自分はどうしても帰らなければならない。申し訳ない」と声をかけ、彼の体が落ちないように岩にロープで固定し下山を始めた。

 あの時の出来事が未だに何度も何度も夢に出てきます。今振り返ってみてもあの状況ではやはり助ける事は出来なかった。しかし、彼を残したまま下山した、置き去りにしてしまったことには変わりはない。

 強風でテントごと200メートル滑落した仲間に寝袋や毛布でくるみ覆いかぶさるようにして温め朝まで「頑張れ、頑張れ」と声をかけながら体をさすり続けた右京さんの姿が私にはリアルに想像できてしまうだけに辛かった。亡くなった宇佐美さんとは学生の頃に交流があった。

 右京さんが下山を開始したのは午前11時過ぎ。遭難してから約12時間後。動く事もなく仲間に覆いかぶさったままの状態は右京さんにとってもギリギリの状況であったはず。
右京さんが仲間を残したまま下山したのは間違えていなかったと思う。最後は生き延びなければならない。極めて冷たい表現に写るかもしれませんが、冒険では一部例外を除けば基本的には自己責任が求められるもの。

 そして報道陣からの質問の中で「この寒い時期に富士山に登ったことについてどう思いますか」とありましたので、それに対しては、「右京さんは12月中旬から南極大陸最高峰ビンソン峰遠征を控えていて、そのトレーニングだとするのならば、南極大陸の厳しい環境を想定した上で、可能な限り南極の状況に近い厳しい条件の中であえてトレーニングを行っていたとするのならば、それは当然のこと。富士山に登ることだけが目的ならば快晴無風の方がいいに決まっているが、南極遠征のトレーニングならば趣旨が違ってくる」と説明しました。私自身、南極遠征の時に同じような時期に富士山で最終トレーニングを行ったことがある。

 厳冬期の富士山は時にヒマラヤ以上に厳しくなる。独立峰ゆえの凄まじい強風。逃げ場がなく、表面の雪面もガリンガリンに凍りつき、固くなった氷にはアイゼンの爪も充分には刺さらない。そして山頂付近でスリップしてしまえば、凍った滑り台から落ちるようなもので五合目付近まで落ちてしまうことさえある。

 したがって冬の富士山は極めて厳しいのだが、だからこそヒマラヤ遠征前や南極遠征前に富士山でトレーニングする意味があるわけです。

 山岳遭難には様々なケースがあります。経験不足による遭難もあれば、どんなにベテラン登山家でも相手が自然となれば時に遭難することもある。実際に一流の登山家も山で遭難してきたわけです。防げる遭難もあれば防げなかった遭難もあっただろう。なにしろ、生と死の世界が入り交ざるギリギリの世界の中で挑戦を行えば当然、リスクは付きまとう。

 右京さんは7大陸最高峰登頂を目指すために、宇佐美さんという山の専門家を自身の事務所スタッフにし、ヒマラヤでの登山もまたトレーニングもこなし、計画的にチャレンジされていた。その上での事故だと私は思っています。

 亡くなった宇佐美さん、堀川さんも、右京さんの7大陸最高峰登頂挑戦をサポートし一緒に夢に向かって歩んでいたのだと思います。だとするのならば、亡くなった彼らに対し最大の供養となるのは、右京さんが立ち直っていつの日か7大陸最高峰への挑戦を達成することではないでしょうか。

 冒険人生は冒険から得るものもあれば、時に失うこともある。それでも、挑戦を続けなければならない時がある。冒険人生とはそういうものなのかもしれない。

宇佐美栄一さんと堀川俊男さんのご冥福をお祈りいたします。

小沢一郎氏、鳩山由起夫氏に対する私見

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 先日、このブログ内にて「小沢一郎発言に耐えがたい嫌悪感」と題した記事を書きましたが、その反響は予想以上にとても大きかった。賛否両論、様々な意見が寄せられました。また必ずしも真意が十分に伝わっていなかった、説明不足がありましたので、ここで改めて自身の捉え方を述べさせて頂きたい。私が小沢氏の言動に対し疑問を感じたのは天皇陛下の政治利用問題が取りただされる前からです。

 例えば小沢氏が総勢600人を超える大訪中団のさいに胡錦濤氏との会談でのやり取りの中で小沢氏は自身を中国人民解放軍の野戦軍司令官にたとえ「解放の戦いはまだ済んでいない。来年7月に最終決戦がある」と来年の参議院選挙で勝利しなければならないと発言。220万人に及ぶ中国人民解放軍が今まで何を行ってきたのか?

 例えば、第二次天安門事件が発生した時のこと。建前上、国家の軍隊ではない共産党の党軍である人民解放軍が民主化運動の弾圧を行った。中国人の中からも「人民を抑圧している軍隊という印象を持ち、人民解放軍に失望した」と声が上がったそうだ。

 中国で度々使われる「解放」という言葉をそのまま鵜呑みにしてはならない。何故ならばあの大量殺りくが行われたいわゆるチベット問題ですが、中国政府は「封建農奴制からの解放」とうたってきた。

 1950年のチベット侵攻は中国人民解放軍がチベットのガンデンポタン支配地気に侵略した戦争です。中国人民共和国側はこれを「西チベット和平解放」とうたった。この解放の名のもと、一七か条協定が中華人民共和国側から提案され、チベットは中華人民共和国に併合されていくことになったとのこと。

 そういった経緯がある中、日本の与党幹事長である小沢氏が中国人民解放軍の軍司令官と自身をなぞらえて発言を行った事が報道されていましたが、これが事実ならば不謹慎であろう。

 天安門事件にしろ、今現在進行中のチベット問題にしろ、国際社会は中国に対し厳しく抗議しなければならないにも関わらず、この小沢氏の発言は中国が行ってきたこのような行為を正当化してしまう事に繋がりやしないだろうか。

 そして来年の参議院選挙で「民主党が勝利することで解放される」といったような事を表現されているが解放ってそもそもなに?

 民主党が勝利し単独過半数を超えれば社民党や国民新党を切り、連立政権を解消し他党からとやかく言われずに好き勝手にできる。つまり社民党や国民新党からの解放?それとも自民党にトドメを刺す事によって生じる解放?中国を持ち上げてまで発言した小沢氏の「解放の戦い」の真相とは何か?

 

 そして次に小沢氏の「キリスト教は独善的」発言にも驚かされた。11月10日、和歌山県高野町にて小沢氏は記者団に向かって「キリスト教は排他的で独善的な宗教だ。キリスト教を背景とした欧州社会は行き詰っている」と記者団に発言。そして「キリスト教徒よりましだが、イスラム教も排他的だ」とも。そしてその一方で「仏教は人間としての生きざまや心の持ちようを原点から教えてくれる」と発言。


「キリスト教やイスラム教はよくないが仏教は素晴らしいんだ」と言っているに等しいがこの意見こそがまさしく排他的ではないか。そして宗教に対しまったく配慮のないこの発言のセンスのなさ。世界中のキリスト教徒、イスラム教徒がこの言葉を聞いたらどのように感じるだろうか。自身の宗教的信仰と異なる人々をバッサリと切り捨てたこの発言は、政権与党の幹事長であり、事実上日本の最高権力者によって行われたのだ。

 
 私は子ども時代、外交官であった父と共にサウジアラビア、エジプト、イエメンといった中東諸国で過ごしたことがありますが、圧倒的大半のアラブ人は熱心なイスラム教徒です。イスラムの教えは彼らの心でもある。故に宗教的な発言は極めて慎重に行われるべきであり、仮に考え方が異なったとしても相手を尊重しなければならない。小沢氏の発言はキリスト教徒、イスラム教徒の心を大きく傷つけ侮辱してしまった。これは最もやってはならないこと。

 これは森元総理の「神の国発言」よりも明らかに意図的であり悪意が感じられる。にも関わらずマスコミはこの発言を大きく報じなかったのは何故か?いずれにせよ残念ながら日本は世界に対しとんでもないメッセージを発してしまった。

 

 そして沖縄の米軍基地問題で鳩山総理は「社民党との連立も大切」といかにも自身が決断出来ないのは社民党のせいだと言わんばかりであるが、そもそも小沢氏が民主党代表時代に「極東におけるプレゼンス(存在)は第7艦隊で十分」と発言。艦隊は海に浮かんでいるわけだから、この第7艦隊だけでいいということは、米軍基地の県外移設といった次元ではなく、つまり日本中にある全ての米軍基地が必要ないと断言したに等しいわけです。
 
 
 先日の民主党訪中団の団長を務めた山岡賢次国対委員長は民主党と上海国際問題研究院の共同シンポジウムで「日米関係が基地問題で若干ぎくしゃくしているのは事実だ。そのためにもまず、日中関係を強固にし、正三角形が築けるよう米国の問題を解決していくのが現実的プロセスだと思っている」と発言。

 これはつまり「米国よりもまずは中国」といった民主政権の外交姿勢を示したものなのでしょう。社民党云々ではなく、民主政権そのものがアメリカとの摩擦を確かなものにしていると素人ながらそのように解釈しています。

 
そして最後に私がなんとも情けないと感じたのは鳩山首相が11月14日にブルネイのボルキア国王と会談したときのこと。ブルネイは天然資源が豊富でブルネイ国民による所得税は無税。それに対しわが日本の首相はブルネイ国王に

「国民に税金が課されないと聞いた。日本国民もブルネイに移住したいと考えるだろう」

 と発言。ならば鳩山首相からすれば私は日本国民ではないのかもしれない。何故ならば私は自分の国に税金を納めてでもこの国の社会の一員として生きていきたい。とっ言うか、そもそも論として納税は国民の義務ではなかったか。税金逃れのために他国に移住するなどと考えたこともないし、そのような日本人がいたとしたのならば悲しいこと。

 
 そして何よりも残念な事は日本の首相が日本国民を外交の場でけなしたことです。

 ブルネイの国王に「税金を払うぐらいならば日本国民が国を捨てたがるだろう」と言ったに等しいが、なるほど、鳩山氏のその発言は偽装献金問題にまで繋がってくる。母親から毎年1億8000万円の資金提供が判明しているだけで6年間続いた。約9億円。偽装献金に使われたのは母親から提供された資金であったとされている。同額が弟である邦夫氏にも渡っていたとされるが、由起夫氏サイドはあくまでも「貸付だ」と説明。それに対し弟の邦夫氏は「最大限の贈与税を払い、私の責任のつけ方としたい」と事実上認めた。また責任の取り方として党の役職を辞任された。

 贈与税を払いたくないための虚偽記載、つまり悪質な脱税行為が行われきた可能性が徐々に明らかになってきたわけですが、あのブルネイの国王に対し「税金を払うぐらいならば日本国民はブルネイに移住したいと考える」と発言したあの言葉に対し

「日本国民ではなく、鳩山首相、あなた自身の心の声ではなかったのですか」

と私は問いたい。

 
 長々と書きました。私のこの文章に不快感を感じる方も中にはいらっしゃるかもしれない。また違った考え方をする方もいらっしゃるでしょう。それはそれで当然の事で多種多様な考え方、受け取り方があるのが健全な社会です。したがって自分の考え方を一方的に押しつけるものではありません。あくまでも自身のブログの中で私が感じてきた事の一部を述べさせて頂いたものです。

 誤解されたくないのは、意地悪心で揚げ足取りをしているわけではないことです。また民主党故に批判的な意見を述べているわけでもないということです。ただこの耐えがたい危機感を抑える事ができなくなった。それだけです。



2009年12月20日 野口健



2008年3月22日 チベット動乱~北京五輪出場への条件~





不安から危機感へ

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 本日、都レンジャーの隊員と御岳をパトロールし戻ってきました。詳しくは明日以降にご報告しますが、やはり現場はいいですね。なんとも純粋無垢な隊員の姿に救われる思いです。日本にはまだこうして私利私欲に汚染されずにもくもくと自らの使命を果たそうとしている人たちがいる。私の現場の仲間たちはみんな同じです。富士山クラブ、富士山レンジャー、都レンジャー、空援隊。彼らが求めている見返りは世の中の変化です。その一点です。

 それに比べ国を動かす政治家たちはどうなのでしょうか。麻生さんは「ぶれる」と言われた。麻生さんに「ぶれている」と責め立てていた鳩山さんも今では「ぶれる」と言われだしました。しかし私には鳩山さんの場合は「ぶれる」と言うよりも、そもそも「軸がない」のではないか。確かな戦略もなくただただ「漂っている」または「さ迷っている」ように感じられるのは、浅はかな私の単なる気のせいでしょうか。
 
 そしてその隙を狙って虎視眈眈と権力の座を狙っていた小沢一郎氏が、ついに今がその時だと本性むき出しに表に現れたのでは。これはうがった幼稚な推測なのかもしれません。しかし、民主党政権誕生から私なりに様々な出来事から様々な感情を抱いてきました。多数の国民によって選択された民主政権。しかし、もはや不安が不安ではなく、危機感へと私の中で明確に変化して参りました。

 政治に関わる発言を行うと賛否両論多くの意見が寄せられるものです。故に避ける傾向が強いのも分からないわけでもありませんが、この国はそんな悠長な状況にはない。私はそう思います。

 先日の小沢氏についてコメントを出した際にカキコミに「民主党支持者は野口さんの支持者にはなれないのですか」と書き込まれていましたが、そういう事ではないです。やれ民主だとか自民ではなく、大切な事はこの国を良くしようといった気持です。

 最近、そんな事ばかり考えていましたが、それだけに今日は現場でホッと救われました。偉そうにズラズラと出過ぎた意見を述べさせて頂きましたが、私自身、都レンジャー隊員の姿勢から学ばなければならない事が多々ありました。「確かに生きる」これは私が書いた本のタイトルですが「確かに生きる」とはなかなか困難なものです。ただ、それ故に人生捨てたものではないと、明日からまた自身のシャバで精一杯頑張りたい。

小沢一郎発言に耐えがたい嫌悪感

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 600人率いた中国訪問含め一連の小沢一郎氏の言動に対し違和感を覚えていましたが、羽毛田宮内庁長官に対し辞表を要求した一報に違和感などといった程度のものではなく、絶望的な、そして耐えがたい嫌悪感に包まれています。羽毛田長官は小沢氏の辞任要求に対し「辞表をだすつもりはありません」と断言されましたが当然でしょうに。

 それに羽毛田長官に対し辞任要求するのならば、それこそ身内であるはずの渡辺総務副大臣の「天皇陛下の政治利用は遺憾。今からでも中止を」発言に対しまず先にコメントを発するべき。
 
 国民からの陳情も小沢氏に一極集中させ、議員立法も一部例外を除き提出させないとする小沢氏。本性が露わになってきましたが、彼は一体全体どちらのお国の政治家?

 それこそ、そのままご帰国されることなくあちらに移住されればもっと分かりやすかったのかもしれない。

 永年の野党生活。権力を持っていなかった人たちがいざ権力を握った時の権力に対する異常なまでの執着心には驚かされるが、それもまた人間の性なのかもしれないが。

私が最も解せないのは小沢のこの発言。

「天皇陛下のお体がすぐれないと、体調がすぐれないというのならば、それよりも優位性の低い行事を、お休みになればいいことじゃないですか」

正直、この言葉に具合が悪くなった。目まいに頭痛に吐き気。
あなたは何様になったおつもりなのかと問いたい。


 これ以上、書きますと抑えている感情が抑えきれなくなりますので、今日はもうここまでにします。幾分か、感情的になりましたが、今日は勘弁してください。これでも精一杯抑えていますから。

 私は羽毛田長官の発言に対し一人の日本人として心から感謝しています

地元・千葉県にて「野口健環境教室」を開催

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 2009年12月8日、千葉県市原市立有秋東小学校4~6年生対象に野口健環境教室を開催。今年、千葉県環境大使に就任しましたが、森田知事には「名前だけの環境大使にはなりたくない。私が環境大使になるのならば具体的なアクションを起こしたい。名前だけの大使ではなく私を思いっきり使ってください」とお願いしました。



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朝にご挨拶
朝にごあいさつ
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 何故ならば富士山やエベレストでの清掃活動を中心に今まで環境活動を続けてきましたが、気が付いてみれば自身の住まいのある千葉県は不法投棄全国ワースト3位。県内の道路には車から捨てられたポイ捨てされたゴミも多い。したがっていずれは地元でも活動を展開しなければならないと考えていたので、この環境大使就任を一つ地元でアクションを起こしてみたかった。千葉県も今年になり新知事が誕生し、森田健作知事となら色々な事に取り組めるだろうと心して環境大使を引き受けました。

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 まずは環境大使就任後、9月に森田知事と清掃活動を行った。次に県内の小学校にて現場型環境教育をさせてほしいと千葉県に要請。自身が理事長を務めるNPO法人セブンサミッツ持続社会機構では「野口健環境学校」を各地で行ってきましたが、その経験を踏まえ義務教育の中で環境教育を普及させたいと、4年前から長野県小諸市とタイアップし小諸市にある小学校6校中6校と毎年間伐体験などを中心とした「野口健森林教室」をスタート。行政主導で義務教育に現場型環境教育を取り入れたのは全国で小諸市が初めて。

 そして昨年から橋本龍太郎氏の地元である岡山県総社市の片岡市長から「環境観光大使を引き受けてほしい」と依頼があり、同じく「義務教育の中で環境教育をさせて頂けるのならば」と依頼。今年の10月から環境学校が総社市でスタート。ちなみに片岡市長は橋本龍太郎氏の秘書を務めておりその頃からのお付き合い。

そしてこの12月から千葉県で環境教室がスタート。こうして小諸市から始まった取り組みが少しずつではありますが、着実に全国に広まりつつある。一気に全国全てに広げる力も能力もありませんが、こうして1つずつ着実に広げていければそれでいいと思います。何事もコツコツ。


川に降りる子どもたち
川に降りる子どもたち

 市原市立有秋東小学校4~6年生の130人と学校近くの立野川で清掃しました。清掃といっても地下を流れるトンネルの中での清掃でドロドロになる。子どもたちは慣れているようで、準備がよくヘッドランプを付け、なかにはヘルメットまで。深いところでは子どもの腰付近まで深く長靴の中にも水が入る。冬の川とあって冷たい。まっ暗闇の中でなんともマニアックな清掃活動でしたが、それでも嬉しそうに元気よく川に沈んでいるゴミを拾っている姿にこの学校が今まで行ってきた環境問題への様々な取り組みがちゃんと子どもたちにちゃんと根付いている事を物語っていた。

冷たいトンネル内の水が全身を冷やす
冷たいトンネル内の水が全身を冷やす

ヒャー水位が深く水が長靴の中に・・・。
ヒャー水位が深く水が長靴の中に・・・。冷たいよ。
ヘドロにトタン屋根が埋まっていました
ヘドロにトタン屋根が埋まっていました
泥水からトタン屋根から自電車までゴミは様々
泥水からトタン屋根から自電車までゴミは様々
 来年の2月には千葉県と一緒に県内にて「環境子ども会議」なり「環境子どもサミット」なりを開催する予定です。
小さなトラック一台分のゴミを回収
小さなトラック一台分のゴミを回収 
暗闇の中での清掃活動
暗闇の中での清掃活動


 私は父の仕事の関係で幼い頃から転々と移動の連続で実家や地元といったものがなかった。正直、地元をもっている友が羨ましかった。それだけに千葉県民となった以上、可能な限りやれる事は何でもやりたい。


ベネッセ教育ニュース 野口健 環境教室を通して教えたい事


久しぶりに教室内で給食を頂きました
久しぶりに教室内で給食を頂きました
また来年もやろうな!
また来年もやろうな!

ブログ更新できず、ごめんなさい!!

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12月に入ってから年末に向けて再び全国行脚が始まり、また環境学校などバタバタしていてなかなかブログの更新出来ずごめんなさい。

寝る前に必ずやっていることがあります。ホームページとこのブログのみなさんからのメッセージを読むことです。

最近は遺骨収集に関するコメントも増えました。多くの方々が我々と一緒になって必死に考えている。活動している側からするとこれほど心の支えになることはありません。

みなさんからのメッセージを読むのが一日の楽しい日課になっています。

批判も含めバシバシと気がついたこと、感じたことをこれからも書き込んでください。

それにしても、この間の「はなまるマーケット」ですが、どうやらベラベラとしゃべり過ぎたようです。おめざのお寿司ですが、朝から金多楼寿司さんの握りを頂けて幸せでした。みなさんにも自信を持ってお勧めします。

では今日も一日頑張りましょう!
12月5日、大阪にてコスモ・アースコンシャス・アクトの講演会が行われました。私、本当にそんなにしゃべったのかなぁ~?話し終えたら司会の方が「この講演会で野口さんが最長記録です」といったような事を話しているのを耳にし「えっ 僕どれだけしゃべっていました?」と尋ねたら「2時間40分です」とのこと。「えっ!」と驚いてしまった。そもそも人は一人でそんなに話せるものでしょうか?
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 講演中に舞台横からイベントスタッフのソルトさんが「あの20分です」だとか、「冷汗」「飛行機に間に合いません」だとか書かれたボードを必死に見せてくる。
ボードを手にしているソルトさん
ボードを手にしているソルトさん 

 しかしね、この講演会は事前に案内がお客様に渡っているのですが、その案内には「13時から講演開始」とは書かれてありますが、「何時までに終了」とは書かれていないんですね。とっ、言うことはですよ、つまり2009年12月5日の日付が変わるまではしゃべってもいいという事になるわけ。

 それにしても2時間40分、会場のみなさま、長々と申し訳なかったです。反省。講演会後はサイン会と握手会で全て終わったのが18時。最後の方は2時間以上も並んでくださって本当に感謝です。
「エロい顔していますね」
="「エロい顔していますね」と良く言われますが・・・・

 握手会の時に30代の女性が「私の祖父はニューギニアで戦死しました。餓死だったようです。祖母もあまり話したがらなかったのでそれ以上の事は分かりませんが。遺骨収集されていること、本当にありがとうございます」と目涙をためながら、話してくださった。また他の女性も「私の祖父はレイテで亡くなりました。野口さんもレイテに行かれていたのですね」。そして男性の一人は「私もフィリピンのジャングルを歩きながら遺骨を探していました」と。

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 ご遺骨に関しては、表にはなかなか出てこない声ですが、しかし、こうして同じ30代の中にも戦地に取り残されたご遺骨に対する思いがある。忘れ去られていない事が嬉しい。

 そういった声を耳にする度に改めてこの活動、しっかりと続けていかなければならないと全身で感じるものです。講演会場からタクシーで飛行場へ。ギリギリでフライトに間に合い東京へ。なぜ、急いでいたかといえば、東京で空援隊(遺骨収集を行っているNPO団体)の活動報告会が行われていたからです。夜、なんとか途中から参加しましたが、会には私とは入れ違いとなりましたが、小池百合子さんも駆けつけてくださった。そしてまた驚いたのが北は札幌、南は福岡からこの報告会参加のために駆けつけくださった会員たち。夜中の3時まで語り合いました。

 それにしてもこのコスモ・アースコンシャスト・アクトの全国講演会。毎年、全国5カ所で行われ、私はかれこれ8年目かな。本当によく続いています。お客さんも本当によく集まってくださる。そしてスタッフの方々も超本気。イベントのブログコスモアースコンシャスアクト 野口健講演会ブログもありますのでご覧ください。

あっ それとね、あの本のサイン会でよく「野口さん、本当にこのサイン、本人が書いているんですか?」と聞かれるので、講演前の控室でサインしている証拠写真アップします。なにしろ多い時は400冊ほど売れるので事前にサインをして置かないとみんなを永遠と待たせちゃうでしょ。ちゃんと本人がサインをしていますのでご心配なく(笑)
講演前に控室でサイン書き
講演前に控室でサイン書き 


 そして今日(12月7日)は三重県津市にある緑ヶ丘特別支援学校にて講演を行ってきました。病院内にある学校ですが、みなそれぞれに、病と向き合い闘っているのですが、逆に僕の方が彼らから元気を頂いた。本当に。
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 明日は千葉県有秋東小学校にて環境学校。さ~てと!明日も頑張ってきます!

御遺骨収集活動の記録

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日本の香り

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 奄美大島から戻り今度はぶらり一人旅。定期的に伊豆の伊東の山中に断食に籠りますが、その時に出会ったのが池の里の田園。何気なく散歩していて見つけた田園ですが、どこにでもありそうでいて、しかし、妙に引き付ける魅力のある田園。何度か通っているうちにこの田園の一年を追ってみたいと今回はカメラを手にそれこそ本当にぶらり旅。また田園にある神社が「山神社」。まさしく山の神様を祭っている神社。この里山は湧水が豊富でわさびが栽培されています。先日、里山を歩いていたらわさびを栽培している方と出会い、「わさびを一本どうぞ」と有難く頂戴しました。この山山に囲まれた池の里の田園に流れる山の水。

池の里の田園風景
池の里の田園風景
鳥居の向こうに広がる田園
鳥居の向こうに広がる田園 
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「山神社」まさしく山の神
 「山神社」まさしく山の神
 
 しかし、この周辺の里山も近年、人の手が入らず荒れてしまっている。以前はこの里山でも炭を作っていたようです。しかし、今では登山道も歩けないほど荒れてしまったと「我々、農家も高齢化でね、山の管理はもう出来ないね」と農家の方が語っていた。森が手入れされ元気であればこそ恵まれた水が生まれてくる。「今はまだいいけれど先が心配だ」とも。 
日本中にある里山。今、里山文化の復活が方々で謳われている。私もトキ野生復帰を目指して佐渡島の棚田復活事業佐渡・環境学校を5数年間行ってきた。長野県小諸市で小学生達と森林再生プロジェクトを行ってきたのも同じこと。

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無人野菜売場
無人野菜売場
100円で購入
100円で購入
 
 この池の里の田園なら日帰りでも通える。四季を通して田園の移り変わりを見たい。帰り道端に無人野菜売場を発見。田園にしろ、この無人野菜売場にしろ、何処にでもあるのかもしれないが、心がホッと和み、いつまでもこうしてさり気なく残ってほしい「日本の香りだなぁ~」としみじみ。
 
 バリバリ働いていたサラリーマンが定年退職後に突然、盆栽にハマってしまったようなものなのかどうか、最近、私はどうもこうしたさり気なく優しい日本の風景に感じるものが多い。もう晩年?
伊豆の海
伊豆の海

 さて、今日から再び仕事。講演ロードが始まります!よし!もう一踏ん張り頑張らなくちゃ、頑張らなくちゃ!

12月3日 野口健

奄美大島旅行記・後編

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 奄美大島入りしてから雨・雨・雨。実は私、雨男なのです。おかげで私が行っている野口健環境学校もいつも生徒たちにはいつも申し訳ないなぁ~と思うほど雨ばかり。ヒマラヤ登山も私が行くたびに異常気象と言われるほど荒れる事が多い。あの富士山清掃活動も大雨でゴミが流されたこともあったほど。したがってこの奄美大島も例外でなかった。
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大雨の金作原生林で一気に滝が誕生
大雨の金作原生林で一気に滝が誕生

 奄美大島入りしてからまずサトウキビから黒糖を作る工場へ。サトウキビというやつは機械でゴリゴリと絞るとあんなにジューとジュースが出るとは思わなかった。そのジュースの水分を飛ばすとお馴染みの黒糖の塊になる。極めてシンプルですが、固まる前のまだ熱々のドロドロになっている黒糖を舐めてみましたが、濃くて美味しかった。固まる前のあの熱々黒糖こそ商品になるんじゃないかなぁ~と。提供するのが難しいとは思いますが、なんとも美味しかった。
甘いパパイヤはカタツムリにとっても大好物
甘いパパイヤはカタツムリにとっても大好物
藤田竜志さんと。マグロの養殖現場を
黒岩さんのお友達、ダイビングショップオーナー藤田竜志さんと。マグロの養殖現場を見に行きました

初日はフェリーに乗って加計呂麻島に渡るのですが、夕方のフェリーなので時間調整のため雨の中、ジャングルへ。いつも感じるのですが、南国のジャングルの生き物は生命力が強い。西表島や屋久島も同じでしたが、土壌が少ないので台風に倒されないように力強く、まるで人間の指のようにグッとつかんでいる。そして限られた日光の光を奪い合うように時に木が木を絞殺す。日光の奪い合いである。何降り構わず、何が何でも生き延びてやるのだ、といった弱肉強食の世界。
加計呂麻島の丘の上から
 
世界最大のシダが生い茂る金作原原生林にて
世界最大のシダが生い茂る金作原原生林にて

 それは栄養たっぷりな腐葉土に恵まれたあの優雅なブナの原生林を抱えている白神山地とは明らかに違う姿だ。クマが生息できる森とは恵みの森。私は毎年決まって白神山地に訪れマタギの工藤光治さんと白神山地を歩き森の恵みを感じてきた。

人もそうであるように、森もおかれた状況によって性格が大きく異なる。その違いを感じるのも旅の醍醐味かもしれない。それにしてもあるリュウキュウアサギマダラと呼ばれるチョウがゆらりとゆらりとまるで踊っているかのように飛んでいる姿はなんとも可愛らしかった。

夜、加計呂麻島に着いた時は前が見えないほどのどしゃ雨。タクシーで「民宿ゆきむら」に向かうのだけれど、前が見えないほどの雨。この宿は一元さんお断りとのことで、事実上一組貸切のような民宿。黒岩さんの加計呂麻島での定宿。驚いた事に木造建築のこの民宿をご主人の行村さんが自分で設計し1から建てたとのこと。本人はお役所勤めしているとのことですが、建築などの知識は全て独学。その凄さにハァ~と溜め息。

 そして夜は宴会ですが、またまた驚く事にこの嵐の中、奄美大島から黒岩さんの友達の藤田さんが自分の船を操ってわざわざ加計呂島に会いに海を渡ってきた。元学生横綱だけあって立派な体格。また一人濃いメンバーが増えた。

 この宴会、実に盛り上がった。行村さんが滅多にやらない一発芸があると、小さめのタオルと取り出し箸にグルグルと巻き何をやっているのかと、ジッと見ていたら、このタオルが即席の人形となり、皆の歌に合わせてクネクネと色っぽく踊るのだ。首をクネクネとしながら腰を振ってみたり、実に色っぽい。私はこのタオルに恋してしまった。その行村さんの一発芸に素早く反応した山際大志郎さんが私にも伝授してくださいと弟子入り。それに合わせながら皆でまた歌う。そして今度は山際さんが人形を操るのだが、動きがカクカクしていてちっとも色っぽくない。ただ、皆で腹抱えて倒れるように笑い続けた。
行村さんの一発芸
行村さんの一発芸
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気をよくした行村さんが取っておきの長期熟成の焼酎を飲もうと、女将さんが留守にしている間に蔵からこっそりと持ち出してきた時のあの表情にまた一同大爆笑。それにしてもあの夜は本当に楽しかった。

 それにしても驚いた事に藤田さんは明日仕事があるのでと、夜中になって「奄美大島に帰ります」とまた嵐の中、暗闇の海に中、自身の船で消えていった。海の人にとってはなんもないことののでしょうね。
焼酎をこっそり取り出す行村さん
焼酎をこっそり取り出す行村さん

 翌日はなんとか雨もやみ村を散歩していたら犬と散歩しているおじさんに「どこから来た」と声をかけられ「東京です」と答えたら「じゃ面白いもの見せてやるからついてこい」と。そのおじさんの家に案内され箱の中からハブを取り出して見せて頂いたが、怒り狂っているそのハブが「ハァー」と口から息を吐き威嚇している姿にゾッとした。島ではハブを駆除するために生け捕りにし役所に持っていくと数千円を貰えるとのこと。それにしてもヘビのあの縦目の目つき。ペットショップでヘビを買うのは女性客が多いと聞いた事があるけれど、あれをペットにしながら首に巻きつけて何が楽しいのか、分からないものです。
ハブを捕まえた村人
ハブを捕まえた村人 

奄美大島に戻ってからは藤田さんと合流。マグロの養殖現場を案内してくれた。そして夜からまた雨。黒岩さんのお知り合いの三味線の名人たちによる演奏会。島唄と三味線を聴きながら一杯やる。これは贅沢だ。特にお孫さんのまりなちゃんはまだ中学一年生。全国大会でも上位になるのも納得で中学一年生とは思えない腹からの声に貫禄。凄い中学一年生がいるものだと、この子はいずれ世に出てくるだろうと確信していた。最後は皆で歌いながら、気持ちよく踊っていました。雨降りの日は飲みながら歌って踊ればそれでいいのです。
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中学一年生のまりなさん
中学一年生のまりなさん
島唄に踊る
島唄を踊る

 最終日、再びジャングルへ。金作原原生林に出かけたのだが、ジャングルの中を歩いていたら再び雨が酷くなり、気がついたら斜面の至る所が滝に。地響きのように流れる滝の音に冒険家の血なのでしょうか、胸騒ぎ。この自然の音。目を閉じて全身で感じていましたが、あっという間に全身がビショビショ。奄美大島最高峰にも登頂!
最高峰・湯湾岳(694M)に登る
黒岩さんと奄美大島の最高峰・湯湾岳(694M)に登る 
山頂も雲の中
山頂も雲の中

 日本画家の田中一村さんの自宅や、島流し?されていた西郷隆盛が過ごした家を巡り、夜のフライトで帰ってきました。雨ばかりのバタバタの旅でしたが、それにしても本当によく笑った。それにしても人はよくもあんなにも笑えるものだと、笑いすぎて腹筋が筋肉痛になるほどでした。やっぱり旅はいいですね。
西郷隆盛が奄美大島時代に過ごした家
西郷隆盛が奄美大島時代にすごした家
孤高の日本画家・田中一村が過ごした家
孤高の日本画家・田中一村が過ごした家 

 次回の旅は鹿児島にある開聞岳に登ることとなりました。知覧の近くにある山。特攻隊員が開聞岳を目印に最後、沖縄方面に突撃していきました。さて、次回はどのような旅になるのか、また報告したいと思います。

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