2011年5月アーカイブ

エベレストより帰国しました

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5月28日、野口健と平賀淳カメラマンはエベレストより無事に帰国いたしました。

ベースキャンプより連絡ありました

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ベースキャンプの野口より、電話連絡ありました。
野口の音声は、こちらよりお聴きください。

「こちら、野口です。昨日の夕方、ベースキャンプに降りてきました。
いろんなことがあるもので、まさか、レギュレーターだとは思わなかったのですが、
キャンプ3からキャンプ4に向かって、順調にスタートして、
なかなか酸素マスクをつけて、キャンプ4に向かっているのですが、
なかなか調子が出なくて、おかしいなあとおもって、ザックを下ろして
酸素ボンベの針をみてみたら、全然動いてなくて、
ああ、これはマスクだなあと思って、2007年で山頂付近でマスクが故障して、
ひどい目にあったので、今回はマスクにはかなりに気を付けてました。
だから、新品のマスク使って、予備をザックに入れて、出発しましたけど、
酸素が吸えない。途中、マスクを変えて、人間不思議なもので、
マスクを変えると酸素を吸った気になって、「酸素が来た!」って思って、
しばらくずっと歩いて、サウスコル前のジェノバという山があって、
そこについたとき、また、ガクンときて、そこで、もう一度メータを見たら、
針が、朝見た時から、全然動いてないんですね。
チューブが凍っているのかとか、いろいろやったんですけど、
結局、ジェノバを超えられず、下山したんです。
キャンプ3について、シェルパと、どうもおかしいと、
ボンベについているレギュレーターかと交換したら、酸素が出たんですね。
レギュレーターが壊れるなんて思わなかったので、
前回、マスクの故障で苦しんだので、マスクの故障と信じてずっとやっていたのですけど、
レギュレーターの故障だったんですね。
ただ、その間、ずっと無酸素状態が続いてので、ダメージが強くて、
そこからなんとか、酸素すって、キャンプ2まで下山できました。
これだけ努力して、たかだか1ケ月のエベレストですけど、まさか、最後、レギュレータに落とし穴があるとは
思わなかったけど、まあ、そんなものですね。
キャンプ2に戻って、もう1回山頂目指すかと思いましたけど、
肺の方のダメージが相当強くて、最低5日・6日のステイが必要だと、そうすると、
今シーズン終わってしまうんですね。
まあ、最後、レギュレータの故障という、らしいと言えばらしいけど、情けないと言えば情けない。
サウスコルまで行けなかった、残念ですけどね。
ただ、考え方ですけど、故障が一日ずれていたら、山頂アタック中に壊れたいたら、命取りになるので、
一日前でラッキーかなと。
残念ですけど、気持ちがスッキリしています。
エベレストも10年いろいろありましたけど、なんとなく、ひとつスッキリしたなという感じですね。
あとは、日本帰って、肺のケアをして、体調整えて、日本でやるべきことたくさんあるので、
やりたいと思ってます。
今思うと、キャンプ3で「おっぱいチョコレート」の軽口叩いたのが、良くなかったかな。
でも、(天気の)読みは間違えてなかったですね。天候がコロコロ変わる中で、ポイントは
19日・20日だと思ったんですね。
19日は微妙でしたけど、他の隊は登頂してるし、みんなではないですけどね。
20日も登頂してますしね、そこの読みまでは良かったですけどね、
レギュレータの故障と、無線機が全く使えなかったので、良くなかったですけど。
明日、ベースキャンプをおります。
日本にもどって、次のテーマを考えてよって行きたいと思っています。
この1ヶ月本当に応援いただいて、ご心配おかけし、この結果もうしわけないとおもっていますけど、
また、いつか挑戦しますので、よろしくお願いします。
ナマステ!」

野口隊は、本日より、ベースキャンプを撤退し、帰国の準備をします。
野口健事務所

無事にベースキャンプに着きました。

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野口は、平賀カメラマン、シェルパとともに、先程、キャンプ2より無事にベースキャンプに戻りました。今回は、酸素ボンベのレギュレータの故障が原因で、サウスコルにたどりつけず、残念な結果となりました。
昨日は、8000Mでの無酸素状態がながかったため、かなり苦しんだようですが、体調も回復し、無事にベースキャンプに降りてきました。

明日以降、野口より、ご報告させてもらいます。

野口健事務所

無事にキャンプ2に下山しました。

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本日、早朝よりサウスコル(キャンプ4)を目指しましたが、酸素マスク、酸素ボンベの調子が悪く、サウスコル手前にて、下山することとしました。先程、無事にキャンプ2に到着したとの連絡が入りました。
現在、少し高山病の症状がでておりますが、酸素をあて休んでおりますので、徐々に回復すると思われます。
皆様には、ご心配をおかけしておりますが、明日には、野口の元気な声をお届けできると思います。

野口健事務所

キャンプ3より電話ありました。

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野口隊は無事にキャンプ3に着きました。
平賀カメラマンは下山し、キャンプ2にて待機しています。

野口の声はこちらよりお聴きいただけます。

「はい、こちらキャンプ3です。キャンプ3に着きました。
え~、え~とっですね。何か言葉がでてきませんね。
天候は、晴れたり、雪降ったりではっきりしませんね。
昨日、今日と8000mから上は相当風が強かった。
キャンプ2にいたときはどっピーカンだったんですけど、
昨日登頂した登山隊員たちは、上から降りてきたんですけど、
結構、ほっぺたやられていて、聞いたら、相当吹雪かれたと。
今日は、どこの隊もアタックしていない、サウスコル(キャンプ4)で
アタックをかけられなかったと、それくらい風が強かったらいいですね。
下からも雪煙がぶわーっと上がっているのが見えましたけど。
今、雪が降っているので、それが、ひょっとすると良い方向に向かっているかなと。
雪降ると風が弱まるので、昨日相当天気が良かったので、寒気が来たので、
風がどーときたのでしょう。
もう、景色を楽しみに来たのでないので、景色なくていいですよ。
あんまり、どかんと雪が降ると、また変わってきちゃので。
そこそこ、ぱらぱらと雪が降って、風が吹かないでくれると良いかなと思います。
まあ、これも考え方ですけど、順調ではないでしょうか。
要は、3~4日のまとまった晴天は今シーズンないので、隙間を付いていかないといけないので。
天気が良くなるまでベースキャンプで待っていたら、一生登れないので、
微妙な天気でも少しづつ標高上げていって、あとはキャンプ4でどれだけ踏ん張ことができるか。
7300mあと、頭がボートしてくるので、
よく、栗城さんは去年の秋、ここでブッシュか何かのモノマネをしてましたけど、
彼凄いね。良く出来ましたね。僕にはできませんね、そんな余裕はないです。
ただ、スタッフの小島君が、ベースキャンプマネージャーとしていますけど、
彼が出発する前、これをもって言ってくださいと、それは何かというとチョコレートなんですけど、
ただのチョコレートじゃないんです。「おっぱいチョコレート」なんですね。
大きさは10円玉くらい。ちょこんとして、そういうのがあるんですね。
小島君に渡されたおっぱいチョコレートに癒されてます。
食べてみたいんですけど、1個しかないので、もったいないんで、
これをポケットに入れて、上に上がりたいです。
まあ、そんなことをしゃべっている僕も、そろそろ高山病で狂ってきたかなと思います。
人間そんなもんです。まあ、順調に来ています。
では、また、更新したいと思います。ナマステ。
ではではキャンプ4から。うそっ。
キャンプ3から。ナマステ」

2011年5月17日 野口健事務所



キャンプ2より電話ありました

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キャンプ2の野口より、電話ありました。

野口健の声はこちらよりお聴きいただけます。

「えー、こちらキャンプ2です。予定では、天気があまりよくないはずだったのですが、
昨日の夜は(雪が)降りましたが、今日は朝から、風はだいぶありますけど、
久しぶりにというか、僕がエベレストに入ってから、一番天気が良いのではないでしょうか?
僕が得ている情報では、今日、9人(エベレストに)登頂したとのことです。
今日はキャンプ2で、明日はキャンプ3あがります。
あとは、天気。持ってくれればいいのですが、若干は希望持っています。
ここまで頑張ってきましたから。
また電話します。ナマステ!」


野口健、再び、上部へ出発しました。

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5月15日、早朝、野口健、平賀淳、ニマ・シェルパは、8000m上部に向け、出発しました。
映像と、野口健の音声が届きましたので、ご覧ください。

出発時の映像です。


野口健の声はこちらからお聴きただけます。

「こちら、キャンプ1です。15日、上がってきました。午前中は天気、良かったんですけどね。今、ネパール時間で、16時15分、やはり厳しいですね。これが、今年のエベレストかな。まあ、今日から、また再び、ベースキャンプを出発しまして、上部に向かって、

エベレストで感じる心

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4月10日に日本を出発し、一カ月と三日。震災の関係もあり、仲間から遅れてのヒマラヤ入り。カトマンズも一泊しかしないままキャラバンがスタートし、高所順応のためにロブチェピークに登り、エベレストもなんとかキャンプ3(7300M)まで到達。ベースキャンプ、キャンプ3での清掃活動も行い、振り返ってみれば一ヶ月間の内容としては極めて順調です。
 
しかし、問題はエベレストの天候。4月は雪が降り続け、5月に入ってからは風が吹き荒れている。いつどんな時でもヒマラヤは厳しいが、今年はまた一段と手荒い出迎え。特にキャンプ1~キャンプ2間の雪崩遭遇は実に肝を冷やした。私だけでなくそこにいた平賀カメラマンや


ベースキャンプ~キャンプ3 登山の映像

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平賀淳写真集1 「野生児」

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7000m付近を登る
7000m付近を登る

 野口さんとアイスフォールを抜けて6000mの世界に足を踏み入れたところ、
手痛い雪崩に遭遇し、危うくこの世の終わりを実感するところであったが、
その後、生きていることに感動し、夢中でシャッターを切った。

 凍えそうな指で、繊細なカメラを抱えながら上部の世界にいると、ファインダー越しの野口さんの表情が日に日に、野生化してきた。何かの獲物を獲ようとする野人のごとく、目は鋭くなり、皮膚は日焼けで浅黒くなって、言葉もそれほど多くはなくなってきた。

 何を狙っている野生児なのか。目線の先に、風雪が舞い上がる頂がみえかくれする。

あと数週間でどのような人となっているのか。ファインダー越しから楽しみにしている。

2011年5月11日 平賀淳
写真集は「続きを読む」よりご覧ください。

野口健写真集5「点の世界に生きる」

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1番目

2番目


写真15枚あります。「続きを読む」よりご覧ください。

野口健写真集4~エベレスト生活~

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1番目 静かなベースキャンプ

静かなベースキャンプ

2番目 平賀カメラマン、撮影開始
平賀カメラマン、撮影開始

写真は22枚あります。「続きを読む」よりご覧ください。

雪崩~生きてこそ~

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5月4日、午前9時半(ネパール時間)、キャンプ1からキャンプ2に向かっている最中の出来事。一カ所、ヌプツェ峰の真下を通る場所があり、我が一行がクレパスに架けられた梯子を渡った直後、上部の方から何か爆発音のような音が聞こえ、サーダー(シェルパ頭)のダワ・タシに「雪崩か?」と聞けば「落石じゃないか」との返事。その方向を見上げたが何しろ真上。何も見えない。とっ、次の瞬間に巨大雪崩が爆音と共に真っ直ぐに我が方に向かって一直線に突っ込んでくる。とっさに「おい!平賀!雪崩だ!」「逃げろ!」



4月23日に行われました、エベレスト・富士山同時清掃でしたが・・・・悪天候のため、富士山清掃を行うことができませんでした。
当日は、朝から激しく雨が降り、早朝より、若村麻由美隊長はじめ、スタッフが富士山クラブもりの学校に集合し、開催できないものかどうか、話し合いが行われました。しかし、山梨県全域に「大雨、洪水注意報」が出ており、午後に向け、天候が回復しないかと、なんども天気予報を確認しましたが、
キャンプ3にて、ごみを発見しました。音声はこちらより。

「キャンプ3でちゃんと見つけました、ごみを。こんなに雪がたっぷり積もっているキャンプ3で、見つけました。
雪からちょっとだけテントが見えていて、表面が凍っているのでくだいて、その隊の食料、多分韓国隊、ハングル語のラーメンとかいっぱい出てきたので。
僕は、ごみを見つけるのは上手いんですよ。富士山の樹海でも僕が行くと見つかるんです。
キャンプ3でも2時間くらい清掃しましたけど、僕が思うに、まだありますね。
ベースキャンプとキャンプ2に関しては、どの隊も清掃してますけど、キャンプはさすが清掃できないですからね。
ここに僕の役割があるんだな。
テント、食料などザック2杯分くらい降ろして、キャンプ3から降ります。
そんなわけで、これからキャンプ2に降りて、明日、ベースキャンプに戻ります。
ごみがあって喜んではいけないのですが、あると分かっていながら、発見できないのはだめでしょ。
では、さようなら。」

2011年5月6日 野口健事務所

キャンプ3より電話ありました。

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キャンプ3の野口より電話連絡ありました。相変わらずの大雪のようで、苦労しているようです。
音声はこちらより。

「こちらは午前11時半くらいです。キャンプ3まで上がってきました。標高は7300mです。今は、天候はどっピーカンで、エベレスト真横に南方が真っ黒で、イエローバンドが綺麗ですね。イエローバンドってのは、8000m位の地層で、アンモナイトとか出てくるところですね。
チョーオユーガドーンと見えて・・・植村(直己)さんが初めて登ったゴジュンバカン。とにかくキャンプ3からの形式ってのは、すばらしいです。
ところが、問題は、雪がどっしり積もっているので、ごみがいないんです。
ごみを探したいと思いますけど、7300mくらいあるのでちょっと歩くといっても大変なんですけどね。
順化と思って、活動が終えたら、キャンプ2に戻りたいと思います。
あさってくらいには、久しぶりにベースキャンプにもどって、のんびり過ごしたいしたいと思います。
そういうことで、7300mからでした。さよなら。ナマステ。」

2011年5月6日 野口健事務所

エベレストベースキャンプで清掃活動

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4月23日、「エベレスト・富士山同時清掃活動」が予定されていたが、富士山側は豪雨で清掃中止。そしてエベレストサイドも中継後から再び雪が降り出し同じく中止。震災により自粛オンパレードの中でなんとか実現させたいと決行した同時清掃活動でしたが、豪雨では仕方がない。それにしてもこの自粛の連鎖はなんなのだろうか?イベントを中止するのならばその分だけ

エベレスト・ベースキャンプにて安全祈願

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ルクラ村からベースキャンプに向かってキャラバンを行う道中、いつもタンボチェの龍さんに会いに行く。龍さんのお墓は地元の岡山、東京、そしてここヒマラヤのタンボチェ村の三カ所にある。タンボチェ村の寺院の裏にあるお墓からは天気がいいに時はエベレストが一望できる素敵な場所。今回はビールを差し入れ。一緒に飲みながら山の話をしました。そして今回も前回同様に龍さんの古い木製のピッケルで。

龍さん、また来ましたよ!
龍さん、また来ましたよ!

キャラバン開始5日目、先にベースキャンプ入りしていた小島クンがパンボチェ村まで下りてきてくれた。「野口さん、体調は大丈夫ですか」と心配してくれるのはいいが、

ロブチェピーク登頂の映像です

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野口がロブチェピーク登頂の映像です。どうぞご覧ください。

キャンプ2より連絡がありました

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キャンプ2より連絡ありました。音声はこちらより。

「無事にキャンプ2に到着しました。キャンプ1に2泊したので、だいぶ頭痛も良くなって、いい感じで順応出来ているかなと思います。今、6400mですが、いい感じで順応できてきたので、明日、朝、4時頃起きてみて、大丈夫かなと思ったら、キャンプ3まで上がってみようと思います。そこに、ゴミ、潰れたテントなどあることが分かったので、そこを清掃して、また、キャンプ2に戻ってこようかと思います。
今日からしばらく、キャンプ2を拠点に、この周辺の清掃をします。キャンプ2は雪が積もっているので、なかなかゴミを発見できないのですが、キャンプ2を中心に順応なり、清掃活動をしたいと思います。
天気は・・・・・まだ、雪は降っていないですね。ネパール時間で13時20分ですけど、そんな感じで、昨日は大変でしたけど、今日は順調。元気で頑張っています。ではまたまた。」

ベースキャンプの様子など、映像・写真は明日、アップする予定です。
2011年5月4日 野口健事務所

5月3日午後14時、キャンプ2より電話がありました。
キャンプ1からキャンプ2に登っている時に、雪崩に遭遇。危機一髪でしたが、シェルパ含め、一人の怪我人もなく、皆、無事でしたとの事。一旦、キャンプ2に行きましたが、本日は、再び、キャンプ1に戻ります。
音声はこちらより

「ただいま、キャンプ2に到着しましたが、キャンプ1と2のちょうど、中間地点ヌプツフェイスの真下を通過中に雪崩が起き、ダイレクトに直撃しました。僕と平賀カメラマンとダワタシシェルパと他の日本隊のシェルパ3人いましたけど、真上から雪崩が来て、ちょうどクレパス地帯で、右も左も逃げれなかったんです。それで全員、輪になってしゃがんで、息が吸えるように口元だけのスペースを残して、なんとかなりました。
ラッキーだったのが、昨夜降った新雪の雪崩だったので、スピードがあったのですが、軽かったので、僕らの上を通過していきました。通過中、息ができなくて、もうこれで終わるかなと思いました。6人が、しがみあって、掴み合ってなんとかなりまいした。まあ、なんとか、無事でした。だいぶ、歓迎をしてくれたものだと思っています。
僕も、サーダーのダワタシもスノーパウダーを吸い込んだので、気管をやられました。今日は、キャンプ2でゆっくり休んで、キャンプ1に降りたいと思います。
今日は、順応で上がってきたので、明日もう一度、キャンプ2に上がりたいと思います。
今年は、雪が多いので、雪崩に気を付けなくてはと思います。
雪崩が通過したあと、平賀カメラマンの姿が見えなかったので、やられたかと思って、「平賀~!」って叫んだら、
シェルパの足にしがみついて、残っていました。
今は本当に6人全員が無事だったということがよかったと思います。
この10年間のなかで、瞬間的にはもっとも今日がピンチだったので、乗り越えたので、まだ次があるかなと。
まあ、冒険というのはそんなものですから、なんとかクリアして、頑張りたいと思います。
また、雪が降ってきて、これから雪崩が起きたところを降りていかないといけないので、気を付けて帰りたいと思います。
あれだけの雪崩にあって、無事だったので、僕の日頃の行いが良かったのかなと思います。
では、ナマステ!」

キャンプ1より電話連絡ありました。

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野口より電話連絡がありました。キャンプ1に着いたようです。ただ、雪がすごく、本日は、キャンプ1にてステイするとの事です。
音声はこちらより。

「ネパール時間、13時。キャンプ1にいます。朝の4時にベースキャンプを出発する予定でしたが、雪がすごくて、出発できず、どうしようかと悩んだのですが、順応する時間もだんだん無くなってきたので、行こうと決めて、
雪の中をすっと上がってきました。一度、雪が止んで、キャンプ1についた頃から、また降り始めて、さっきは雷がなっていました。本当に今年のネパールは雪がよく降ります。
僕もなん回もアイスホールを通ってますが、今年のアイスホールの出来は安定していますね。はしごがあまりなく、アイスホールはザクロを割ったようなルートなんですね。わかんないかな?今回は意外とアイスホールの状況が良くて、ただ、左側の尾根をずっと通るんですね。雪がすごいので、横の斜面から雪崩が来ないかな?嫌だな。と思っていたんですけど、やはり、昨日の夜中に大きな雪崩があったようで、一部はしごが流されて壊されていたので、違うルートを使って上がってきました。
通常のキャンプ1より今回は標高が高いですね。通常5800mなんですけど、他の隊もテントを張っているところが、6100mくらいかな。横のローラ(斜面)の雪崩を警戒しているのかなと思います。
今日はキャンプ1にいますけど、頭痛いので、明日キャンプ2に行って、触ってすぐに戻ってくるのか、朝起きて調子が良ければ、そのままキャンプ2に行って、そこにステイということになると思います。
頭痛いので、あすはキャンプ2に行ってすぐに戻ってくるほうが丁寧かな。
こちらは、皆無事にやっています。じわ~り、じわ~りと高度を上げていきたいと思います。
これまでの原稿とか送っているので、今夜中にブログにアップされると思います。
では、キャンプ2に着いたら、また連絡します。
ナマステ。」

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2011年5月2日野口健事務所

エベレストでフクシマについて考える

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エベレストにいても外国人登山家から「日本は大丈夫か?」「フクシマはどうなった?」と毎日のように聞かれる。そして「ツナミ」以上に彼らが気にするのは「フクシマ」である。つまり福島第一原子力発電所の原発事故の事だ。「フクシマはアメリカのスリーマイル島の原発事故を越えた」と世界に報じられたからなのか。または「フクシマはチェルノブイリと同レベルになった」と報じられたからなのか。夏になると日本に出稼ぎにやってくるシェルパ達の中からも「日本は危ないから今年は行かない」などといった言葉がチラホラと聞こえてくる。

インド人の登山家の一人は「日本は大変だ。アメリカの原爆にやられただけじゃなく、フクシマの爆発にもやられて。日本人はヒロシマに原爆を落としたアメリカ人が嫌いだろ」などと「原発事故」と「原爆投下」をごちゃ混ぜにして論じてくる。確かに、日本人の中にも「原発」と「原爆」をイメージの中で同一にしてしまう人もいるが。

それにしてもこの度の震災は阪神淡路大震災の
1400倍のエネルギー。またエネルギー計算するとヒロシマ原爆(15キロトン)の3万2千発分。史上最強の水爆は1961年にソ連が実験的に作ったツァーリ・ボンバ(50メガトン)。あまりの破壊力に実用化されなかったそうだ。立花隆氏によれば今回の津波はそのツァーリ・ボンバの十発分だったそうだ。

故に福島原発事故後から頻繁に「未曾有」「想定外」といった言葉が出てきたのだろう。それはそれとして、では我々はその原発をどのように捉えていくべきなのだろうか。

以前、地方の某電力会社主催の講演会での出来事。講演のテーマはあくまでもエベレストや富士山の清掃活動や環境教育に関してであったが、講演後に会場から「あなたはこの電力会社が原発を持っているのを知っていて講演しているのか!つまりあなたは原発を容認しているのか!それでよく環境問題を語れるな!」などと野次が飛んできた。講演中から客席の一角が明らかに他の方々とは異なる雰囲気の人たちが集団で座っている事に気が付いていたので、突然の野次にもさほど驚かなかったが、ただあのヒステリックに、そして一方的な表現方法にまるでグリンピースや、または最近ではシーシェーパードの類の印象を受けたものです。

日本は唯一の被爆国(戦争として)であり、いわゆる原子力にアレルギー反応を示す人たちがいるのも理解できる。しかし、エネルギー問題は日々の生活にあまりにも直結しているわけで、感情論のみで論じる問題でもない。日本は既に三分の一を原子力に頼っている現実がある。この三分の一を全て自然エネルギーで担えるかと言えばそれも不可能だろう。勿論、節電も大切であるが、節電によって原発で発電しているエネルギー分全てを削減できるものでもない。

いわゆる環境団体の中にも「原発推進派」と「原発反対派」があったりする。

例えば気候変動(地球温暖化)について研究している学者や環境活動家の中からは「火力発電所は温室効果ガスを多く排出する。原子力発電所こそが温暖化対策だ」といったような意見もでれば、その反面、「核のゴミはどうするのか」「放射能が漏れたら大気も水も汚染される」といった指摘をする環境保護団体も多い。

この分かれる意見に対し、どちらが「正しいのか」「正しくないのか」、「白」か「黒」か、「100」か「0」か、といった議論になりやすいが、私はそのどちらにも一理あると思う。人が生きていくためにはどうしたってエネルギーが必要となってくる。欲望に任せて欲しいだけ消費すればいずれ自分たちに跳ね返ってくる。かといって今更ながら槍を持ってジャングルを駆け廻る生活に戻れるかといえばそれも無理だ。開発と保護。その狭間の中で私たちは生きている。

そしてエネルギー問題を環境問題としてのみ捉えるのではなく国家の根幹として受け止めなければならない。何しろ日本には
12千万人が生活しているのだ。一つには安全保障の問題。石油を輸入にだけたよっていればそれは日本にとってアキレス腱となる。オイルショックの時に日本人はそれを嫌というほど実感しているはずだ。

そもそもあの大東亜戦争だって一つには資源を求めたがゆえに引き起こされたとも言われている。独自の資源をほとんど有しない日本のエネルギー自給率は原子力を除くと四パーセントしかないとのこと。原子力を含めても19パーセント。故に独自で開発できるエネルギーとしての原子力の開発に力を注いできた経緯がある。

福島原発の事故後、東京電力はマスコミから袋叩きとなっている。「人災」とまで言われている。私は専門家でもなく、またエベレストにいてその後の情報が入ってこないので、分からない事だらけ。ただ一つ懸念しているのは、この度の原発事故によって原子力発電そのものを極端に否定する流れが日本中に蔓延してしまわないかということだ。原子力に対し理性的な議論が国民レベルで出来なくなってしまうのではないだろうかということ。

政治家による国民へのパフォーマンスとして原発叩きが横行しないだろうか。またテレビに出るコメンテーターや評論家も世間の流れに合わせて片一方の事しか話さなくなるのではないだろうか。また原発を容認するかのような発言をした人は必要以上にバッシングされたりしないだろうか。

実際に先の都知事選挙も石原慎太郎氏以外の候補者は原子力発電に対しハッキリと「NO」と言わないまでも「原子力のかわりに自然エネルギーを」と皆が口をそろえていたように記憶している。その中で石原氏は「皆さん、冷静に。原子力は必要なのです」と断言されていた。そもそも石原氏は以前から東京湾に原発を建設すればいいと公言されていた方です。

東京都知事選に関わらず統一地方選挙では
12知事選挙も行われた。福島原発事後直後であり、原子力発電の是非が大きな焦点となったのは間違いないだろう。有権者の判断はどちらに流れるのだろうかと注目した。あれだけマスコミによる東電叩きが連日続けば原発容認派はさぞかし不利になるだろうとの見方が評論家の中にもあった。

しかし、開票の結果は原発立地自治体の北海道、福井、島根、佐賀県のいずれも原発容認派の候補者が勝った。

「原発を東京湾に作ればいい」と公言していた石原氏も圧勝。投票率が低ければどうしても現職が有利となるが、都知事選に関しては前回比3・45ポイント増の57.80パーセントとなった。街頭演説などの自粛で投票率が下がるだろうとの見方もあったが、逆に防災、原発問題、復興などが有権者に注目され関心が高まったのだろう。

知事選挙は現職有利とも言われているので、選挙の結果だけで有権者が原発を認めたとは断言出来ないのかもしれないが、それにしても震災が最大のテーマとなった選挙だけにこの結果をどのように受け止めるべきなのか。私が勝手に受けた印象からすれば、原発に関し、日本人の多くは冷静に受け止めているのだろうということ。

だからといってあれだけの事故を起こしてそのままというわけにはいかない。太陽光、風力、地熱などのいわゆる自然エネルギーのさらなる開発に莫大な税金を投入しつつ、マグニチュード9の地震や津波にも耐えられる原子力発電所の建設が果たして可能なのか、それともその規模の震災となればもはや不可能なのか、をはっきりと検証してもらいたい。これは結果論かもしれないが、マグニチュード9を想定していなかったから「想定外」になってしまったわけで、最初から想定していれば「想定内」であったはず。

これは東電のみの責任ではなく、様々な学者が永遠と議論し合って、また国も絡み一緒になって「想定」を作ったわけで、その想定が大きく外れてしまった結果がこの度の原発事故に繋がった。だとするのならば、震災大国日本はこの事故を教訓に世界一安全な原発を建設しなければならない。その為には今まで以上にコストをかける必要があるだろう。安全対策の為ならば電気代を高くしてでもあらゆる想定をしながら二重三重に対応策を練るべきだ。

「今まで通り電気は使いたい」「でも電気代高騰は嫌だ」「原発も嫌だ」では子どもの議論でしかない。起きてしまった原発事故は大変不幸なこと。風評被害や地元を追われ避難所生活している方々の気持ちを思えば「ああだ」「こうだ」と簡単に言葉に出来るものではないのかもしれない。しかし、全てをマイナスにしてしまっていいのだろうか。どうであれ、我々は生きていかなければならない。この震災を大きな教訓にし、新たな社会を築いていかなければならないのだ。その責任は一部の電力会社や国だけではなく、社会の一員でもある私たちも担っていくものだろうと思う。

日本社会全体が原子力の恩恵を受けてきたのも事実。それを忘れてしまったかのように電力会社を一方的に叩くのにはどうしたって違和感がある。もっと建設的な議論を期待したい。

いずれにせよ、この大震災で日本人の価値観も少しは変わったように感じる。計画停電を経験し、また高速道路含め夜の街から街灯が消えた。考えてみれば今までが異常なほど煌煌と街の光が灯り過ぎていたのだ。夜はもう少し暗くてもいいはずじゃないかと、私を含め多くの日本人は気がついたはずだ。

さて、話は大きく変わりますが、このエベレスト登山隊のエネルギー事情も大きく変わってきました。僕がエベレスト登山を始めた頃(
90年代後半)はほぼ全ての登山隊が発電機を持ちこんでいた。故にベースキャンプの至る所から「バラバラバラー」と発電機が発する爆音が響き渡っていた。もちろん、今でも発電機は存在するが、それ以上に増えたのがソーラー。我が隊もソーラーと発電機の両方を有しているが、メインはソーラー。この原稿を書いているパソコンもまた衛星通信機材なども全てソーラーで充電している。分厚く重たかったソーラーパネルが今ではテントに張り付けられるほど薄くなった。来年以降はさらに工夫して100パーセント、ソーラーで補えるようにしたい。

私のこの原発に関する意見には様々な意見があるでしょうが、これはあくまでも私個人の感想であり、それは人それぞれです。原発の問題をタブーにしてはいけない。この原発事故をきっかけに、私も含め一人でも多くの人がエネルギーについて、自身の事として考えるきっかけになればと願う。

2011
51日 エベレスト・ベースキャンプにて 野口健

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