2009年マナスル清掃登山の最近のブログ記事

ヒマラヤを想う

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 久々のブログ。しばしさぼっちゃった・・・。

 ヒマラヤにいた時の方が遥かに厳しい環境だったのにちゃんと更新していました。ただ、僕からするとヒマラヤでの生活の方が楽なのか、肉体は別として少なくとも精神的には健康であります。ヒマラヤでの生活は確かに厳しいけれど、要はいかに生き延びるか、日々を精一杯生きているだけで、世の中の祭りごとなどうでもいいわけです。

 ベースキャンプにはパソコンと通信機材を持ち込んでいるので日本の情報も入ってきますが、誰々が裸で公園を走って逮捕されたとか、小沢代表が辞任したとか、まあ~ハッキリ言ってどうでもいいようなニュースばかりで特にヒマラヤなんかにいますと、「日頃の情報がいかにもくだらないなぁ~」と、最近では何処ぞの知事が「私を総裁候補としてお戦いになるお覚悟はありますか」と、最初はギャグがと笑って見ていましたが、次の国政選挙に求められている本質論から大きく外れた外野席の方ばかりに注目が集まり、これまたどうでもいい。自民党と民主党のやり合いも政策で争うものではなく、互いのスキャンダルを追及することに終始しており、これまたいかにも程度が低く、政治に無関心になってしまう若者の気持ちが少しだけ理解できる。分かる一方、このままでは日本丸は傾き海底に沈んでしまうといった危機をひしひしと感じるものです。

 日々、我々はどうでもいいような情報に振り回されていますが、しばらく日本にいるとそんな事にも気がつかなくなる。無意識の内に毒されているのかもしれませんが、ヒマラヤ生活では余裕がないせいか無意味な情報なんかに構っていられない。その分だけ精神的には健康なのかもしれない。

 マナスル峰から帰国してひと月が過ぎましたが、もうすでにヒマラヤが恋しい。日々、日本をまるで旅芸者の如く渡り歩いていますが、心の中はヒマラヤ。日本が好きだと自負していながらなんとも自己矛盾を抱えていますが、どうであれヒマラヤに帰りたい。

 僕はどうも言葉ばかりの世界が苦手。政治家も評論家も、コメンテーターも、キャスターもその多くが言葉の世界。抽象的で幼稚な表現かもしれないが、多くの人はカッコいい言葉を並べるものの命を賭けようとしない。

 あの生きるか死ぬかの世界、雪崩に脅えながらも「一歩一歩、前へ前へ」と進まなければならない氷河、一日一日を生き延びられただけで心から感謝するあの世界が恋しい。

 マナスル峰遠征直前、相方の平賀カメラマンに「今回は流れが悪い。厳しい遠征になるだろう。やられるとしたら雪崩だ。その時は一緒に流されるだろう。もしそうなれば申し訳ないが俺と一緒に死んでもらう事になる。それでも良いか」と、しばし続いた沈黙の後、「分かりました。その時は一緒に死にましょう」と小さな声であったが、しかし、覚悟を決めた声であった。あの言葉に偽りはなかった。なにが正しいのか正しくないのか私には分からないが、幸か不幸か、このような生き方しかできない。

 考えてみたら自分の夢の為に命を賭けるほど贅沢な事はない。自身の為よりも国なり社会のために命を賭ける方がよっぽど尊いのだろう。まあ~そんな事を考えてダラダラとまとまりのない原稿を書いているうちに名古屋が近づいてきました。

 
 さてと、今日、明日と愛知県で講演。今日は講演会場でどのような出会いがあるのか、楽しみです。それでは頑張ってきます!

2009年7月4日 新幹線の中にて 野口健

2009年春 マナスル遠征 後半

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2009年春 マナスル遠征 後半となります。
前半と合わせてご覧下さい。

2009年春 マナスル遠征 前半

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2009年春 マナスル遠征の映像・前半となります。
後半と合わせてご覧ください。

帰国

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本日、ネパールより、野口隊一同、無事に帰国しました。
ご声援いただきました皆様、本当にありがとうございました。

精一杯もがきたい

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一ヶ月半の遠征を終えカトマンズに戻る日がやってきた。登頂していればなんとも清々しい凱旋帰国となるのだろうが、まあ~こればっかりは仕方がない。サマ村に下りてから晴天続きだ。上部の方は雪煙を噴き上げているので風が強いのであろうが、今となっては青空がとっても嫌味である。まあ~永い冒険人生、こんなこともあるさ。
この写真がトップ・キャプションなし


 それにしてもベースキャンプから下りてからサマ村での生活はまるで東京並みにバタバタと一息入れる間もないほど忙しかったがとても楽しかった。マナスルでは雪との格闘の日々であったが、こうしてサマ村で人々の営みに触れていると、あの日々の出来事がまるで夢の中のようで信じられない。まさしく「生と死」の世界のギャプである。この両方を行ったり来たり。これが私の人生なのかもしれない。
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チャーターヘリに乗り込み、上空からマナスルを眺めていたが、沸々と湧きあがる悔しさを抑えるに一苦労だった。客観的に見ればそう大きく判断を間違えたわけでもないだろうが、しかし、心がどこかで納得していない。つまり不完全燃焼なのである。もっとボロボロになるまで戦いたかった。慎重になりすぎたかなぁ~とも思う。しかし、死んでしまえば次がないわけで、ここが他のスポーツと決定的に異なる。

ビルバードル校長とのお別れ
ビルバードル校長とのお別れ

 慎重になればなるほど登頂率が下がり、生還率が上がる。無理をすればその分だけ登頂率が上がり生還率が下がる。その狭間を行ったり来たりするのがおそらく冒険人生であろう。どちらに重点をおくのか、その人の判断に委ねられるのだが、エベレスト登頂を目指していた学生の頃と比べれば「えいや!」といった勢い、つまり攻撃的な側面が抑えられているような気がする。
学校の子ども達と

学校の子ども達と
 
 無理をしなければ8000M級の山には登れない。しかし本当に無理をしきってしまうと命を落としてしまう。そのバランスであろうが、極限状態でバランス感覚を保つことは極めて難しい。最終的には自身の勘によって判断を下すのだが、それを信じるほかない。

「次だよ!次にちゃんと繋げればそれでいい」「いつまでも、くよくよするなよ!男だろ!」と自身を叱り飛ばしていた。
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 マナスル前に確かカトマンズで「2002年のシシャパンマ峰挑戦時と似ている」といったような文章をブログに載せた記憶がありますが、やはりそうなりました。面白いもので永く冒険を続けていると、なんとなく勝負前にその結末を感じ取ってしまうことがある。本番前から勝負が始まっているんですね。つまり来年のマナスル再挑戦は、今日、この瞬間から挑戦が始まっているのだ。さて、これからリベンジまでどのような一年になるのか、精一杯もがいてみたい。

2009年5月16日 カトマンズにて 野口健

サマ村初のファイヤーダンス?

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 後半から参加したダンサーの藤崎鮎美さんがサマ村でダンスを披露。日頃あまり目にしないボリウッド・ジプシー・ダンス(インド映画の踊り)で、派手な衣裳からその仕草など、どれをとってみても免疫のない村人にとっては相当刺激が強かったに違いない。ダンスが始まった直後は口をポカーンと開けキョトンとしている老人の姿に思わず吹き出してしまったが、さすがはプロダンサーだ。彼らに話しかけ、気がついたらあっと言う間に観衆を魅了し、我が隊のシェルパもあれよ、あれよとダンスに飛び入り参加、夜になってファイヤーダンスがスタートした直後からはシャイな村人も踊り始めた。

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そして鮎美さんが踊り終えると、口笛が鳴りやまず「アンコール」と相成り、彼女もそれに応えようとトータル4時間ほど踊っていた。あのシャイな村人が楽しそうに踊っている姿を眺めながら、音楽やダンスの力は人々の垣根を一気に越えグッと距離が近づくのだから凄いものだなぁ~と改めて実感。

_MG_4361これぞファイアーダンス!

これぞファイアーダンス!
ポカーンとする長老P1060336

ポカーンとする長老

小生もゲラゲラと笑いながら呑気に見ていたら突然引っ張り出され、頭を真っ白くさせながら、あたふたと踊ってみたもののどうであったのだろうか。小生、どうやら極度のリズム音痴であるらしい(本人はまったく自覚していないが)。それはそのはずで、もし音楽センスがあったのならば、アルピニストではなく、ピアニストになっていただろうに。

えっ!俺・・・まじっすか(汗)
えっ!俺・・・まじっすか(汗)
この人、大丈夫?

この人、大丈夫?

見苦しい姿を披露してしまったが、この日ばかりはマナスル敗退のことなど忘れ素直に村人との交流を楽しんでいた。この日の為に遥々と日本から駆けつけてくださった鮎美さんには感謝です。

最後は子供たちも参加

最後は子供たちも参加

2009年5月15日 サマ村にて 野口健

サマ村での歓迎会

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 清掃翌日、今度はサマ村の村人が我々一行に対し歓迎会を開いてくださった。歓迎会といっても村を挙げて開催され数百人に囲まれてである。チベット形式で行われ私も彼らの伝統的な着物を着用した。なかなか似合うでしょ?
この写真をトップに

サマ村の伝統的な着物を着て
サマ村で歓迎会が開かれた
サマ村で歓迎会が開かれた

「冬虫夏草」事件では一部の村人と激しくやりあったがもう一昔前の出来事だ。いつしか村人も私をよそ者扱いせず受け入れてくれていた。そして一緒になって多くの課題に対し考え取り組もうとしている。言葉は通じないがいつしか心が通じ合っていた。
学校の子供たちが出迎えてくれた
学校の子供たちが出迎えてくれた

この学校建設にしろ、そこからさらに広がっていくプロジェクトについて、これからも様々な困難にぶつかるのは容易に想像できる。そもそもネパールでのプロジェクトだ。ここは日本ではない。すんなりと行くはずもない。しかもサマ村はネパールの中でも未開発地である。
サマ村の長老と並ぶ

サマ村の長老と並ぶ

「冬虫夏草事件」が象徴しているように我々とは大きく感覚が異なる。文化もまた生息している自然環境も大きく異なる両者が、一緒になって取り組むわけだから、時にぶつかることもあるでしょう。そこを1つ1つどのように解決し前へ進んでいくのか、互いが意固地にならず理解し合うことが重要だ。学校という建物を作るのだが、大切な事はハード面よりも互いのソフト面だ。学校プロジェクトをきっかけに互いに新たなマインドを構築していかなければならない。これは逆に私が彼らから学ぶべきことが多いはずだ。
伝統的な着物に着替える_MG_4092

 歓迎会で子供たちがダンスを披露してくれたが、そのダンスを眺めながらこのサマ村と運命共同体になりつつあると感じていた。
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 生半可な気持ちでは息が続かなくなるぞ!といった緊張感と、新たなテーマを明確に捉えた時に味あう高揚感を同時に感じていた。私はこの瞬間が好きだ。その分だけ背負う責任は増すが30代半ばになればそれも使命である。頭の中でこれから先に展開されていくであろう出来事をイメージし、それらをどのように実現させていくのか、これからも多くの方々の知恵を吸収しながら確実に一歩一歩進みたい。

2009年5月15日 サマ村にて 野口健

サマ村大清掃!

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 ベースキャンプから下りホッとしたのも束の間。翌日(5月14日)からサマ村大清掃スタート。清掃活動には村人約200人が集まった。まず清掃活動前に村人とのミーティングが行われたが、これまた驚いた事に「ゴミ焼却所がない。各村人から毎月200~300ルピーを招集してゴミ焼却所を作ったりするゴミ処理費に充てようじゃないか」「川の遠くに公衆トイレを設置しよう」などと村人の方から多数の意見が出された。3年前はゴミ清掃の意味も理解していなかった村人が今ではゴミ処理の具体的な方法、またルール作りに乗り出しているのだ。大きな大きな進歩ではないか。
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 そして何よりも嬉しかったのが子ども達だ。大人以上に一生懸命拾ってくれる。基本的には大人たちは目立つゴミを拾いたがるが子供たちは岩の陰に隠れていていかにも拾いにくそうなゴミを見つけては潜って引っ張り出してくれる。その徹底ぶりにアッパレ!学校の先生も「子供たちがゴミを拾うことで大人たちが動く。ゴミに無頓着であった大人たちが変わってきた」と子供たちの行動力、また影響力に驚いているようであった。
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 3時間ほどで3トン以上のゴミを回収した。ごみ回収量にも満足させられたが、それ以上に村人の変化を目の当たりにし、これからのサマ村の将来に大きな希望を抱けたことがなによりもの収穫であった。私に出来る事は限られている。しかし、彼ら自らが動けば私の存在などどうでもいい。私は絶えずきっかけでありたい。残念ながらマナスル登頂はならなかったが、しかし、村人のアクションに疲れた心はしっかりと満たされていた。彼らのアクションは私にとって大きなプレゼントとなった。
キャプションなし活発な意見が相次いだミーティング

この活動、富士山でもそうだが、反響があるから続くのだ。これが一人ぼっちでは孤独でしかたがない。仲間の輪が広がるからこそ持続していける。我々の投げかけに応えてくれたサマ村の仲間たちとこれからも一緒に一歩ずつ歩んでいきたい。
清掃清掃1

清掃4

清掃2


2009年5月14日 サマ村にて  野口健

ベースキャンプ撤退

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いつでも判断は難しい。5月に入り連日の大雪。そしてキャンプ1に設置したテントは2メートルほど雪に埋まりポールは砕け完璧に破壊されていた。キャンプ1でこの状況ならばキャンプ2はまったく期待できない。我が隊に限らず多くの隊がテントと装備を失った。
ベースキャンプ最後の写真
ベースキャンプ最後の写真
 キャンプ2に荷揚げした装備の回収も検討されたがシェルパから「雪崩のリスクが大きすぎる。私たちには家族がいる」の一言が響いた。ちょうどそのころ、前回のマナスルで我が隊のシェルパであったラクパ・ヌルブがエベレストのアイスフォールで氷河の崩壊に巻き込まれ遭難死したニュースが届いた。遺体回収も不可能であった。嫌なタイミングであった。

5月中旬まで登山活動を中止し、雪の状態が落ち着いたら(早くとも20日以降だろうと推測された)再開することも考えられたが、5月中旬にはモンスーン(雨季)がやってくる。そうなればさらに天候が不安定になる。そして前回のマナスルの経験からすれば20日を過ぎれば氷河が緩みセラック(氷の塊)の崩壊が多発する。

バタバタと撤収作業に入る
バタバタと撤収作業に入る

様々な判断があるだろう。粘るのも1つの方法。パッと見切りをつけるのも1つの方法。人生いろいろ。冒険家もいろいろ。人それぞれである。判断の分かれ目となるが、生涯最後の挑戦とあれば大きなリスクを背負ってでも続ける意味もあるでしょう。しかし私の冒険人生はこれからも続く訳で、私はそのような見方はしていない。臆病風に吹かれたと言われればそれまでかもしれない。また力不足を指摘されればまたその通りかもしれない。反省材料があったことも否定できない。まだまだ甘い。それら全てを受け止めてみて、確かに悔しいが、また戻ってくればいいではないか。チャンスは必ずある。

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 5月13日、森田健作千葉県知事とのテレビ会談を行い、撤収作業開始。酸素ボンベなどキャンプ2に荷揚げし、雪に埋まり回収出来ていない装備は約100万円相当であったが、我々の身代りになって頂いたと解釈すれば大きな問題ではない。ただ我々が撤退してしまえばその装備はゴミとなる。次回戻ってきた際はその分だけ、いやそれ以上のゴミ回収を行うことお約束しますのでお許し頂きたい。
森田知事とのテレビ会談
森田知事とのテレビ会談

解釈によってはマナスルの女神に酸素ボンベをプレゼントしたことになるのかな?

 ベースキャンプを後にする時、振り返りマナスル山頂を見上げたが相変わらずの雪空でなにも見えず。しばらく山頂付近を眺めていたが、コレヒドール島脱出時の挫折感または敗北感とは比較できるはずもないが、私なりの「アイ・シャル・リターン」を心に誓っていた。

 「近い将来、必ず戻ってくる。それでいい」と自身に言い聞かせるかのように、何度も何度も繰り返し呟きながら、そして山頂を目指している時と同じように、「一歩一歩」サマ村へ向かって下った。


2009年5月14日 サマ村にて 野口健

撤退 野口健よりメッセージが届きました

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マナスル ベースキャンプより メッセージが届きました。

再びアタックを目指していた野口隊ですが、
天候の回復が見込めず、再び上部に上がることは危険であると判断し、
撤退することを決意致しました。
皆様には、ご声援・ご協力いただきました事、心より感謝申し上げます。
皆様からのコメントに、現地では、大変勇気づけられていたようです。
本当にありがとうございました。

野口健事務所


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