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アルピニストとしての使命


 カトマンズ入りした翌日からネパール山岳協会の会長であり、シェルパ基金のネパール代表のアンツェリン氏と打ち合わせを行った。アンツェリン氏はエベレスト清掃活動においても最大の理解者だ。彼の協力無くてはここまでエベレスト清掃活動やシェルパ基金は順調に進まなかっただろう。年々このエベレスト清掃活動が世界に知られることにより欧米人登山家からも嫌がらせが激しくなってきた。実際に
「野口隊のゴミがエベレストに大量に散らばっている」
とネットで世界中に情報を流している輩もいる。日本の山岳専門誌までその彼のコメントを取り上げていたりしている。そんな時もアンツェリン氏は
「ケン、ネパールのみんなはケンのやってきたことをちゃんと理解している。だから気にしないで!」
「ネパールのメディアからも いつケンがネパールに来るんだ! と問い合わせがくる。みんな、ケンが来るのを待っているんだよ」
と慰めてくれる。そしてネパール山岳協会と観光省からその意味不明な情報を流したウェーブや雑誌に抗議文をだし、僕の事を守ろうとしてくれる。

 シェルパ基金に関しても日本人山岳関係者からアンツェリン氏の元へ抗議が寄せられたがそれでも怯むことはない。共に戦ってくれる僕の仲間だ。

 今年の春にヒマラヤで亡くなったチョンリンジの遺児2人が入学した全寮制の学校に見学に行った。カトマンズ郊外の高台にその学校はあった。モンスーンのドシャ雨の中、ジープで30分ほど揺られながらたどり着いたが、空気も良ければ学校も清潔で、勉強するには理想的な環境だ。早速、校長先生とお会いし、各クラスを見学させて頂いた。授業中、こっそりと覗いてみたが子供達の元気さに圧倒された。皆、目をキラキラさせながら俺が先だと言わんばかりに手を挙げて答えようとしている。子供達がちゃんと子供の顔をしている。
「いた!」
チョンリンジの子供が慣れない手つきで一生懸命、エンピツを握ってノートに書き込んでいる姿に思わず自分の子供を見ているような嬉しさがこみ上げてきた。目があったらはにかみながら、クスクスと笑ってくれた。幸せそうな2人を見ながらシェルパ基金作って本当に良かったと、心から実感した。それにしても、2人を眺めていたら、こんなに可愛い子供達をおいて先に死ななければならなかったチョンリンジの無念さを感じずにはいられなかった。彼は登山中に具合が悪くなり岩陰で休んでいるうちに息を引き取ったのだ。
「シシャパンマ登山から無事戻ってくれば、また、遊びに来るね!」
と、2人と別れた。あの子達の笑顔とチョンリンジの顔が僕の中で交互に浮かび上がってきた。共にエベレストで戦った僕の仲間の死と、その子供達。今度は僕がチョンリンジに恩返しする番だ。カトマンズ市内に戻る車の中でこのシェルパ基金を持続させることが、シェルパに助けられながらヒマラヤに登ってきた我々登山家の使命だと、心に強く誓った。

 
2002年9月4日
野口健