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ついに犠牲者が・・・



 李さんの遭難騒ぎも一段落し、ご本人も元気を取り戻し、いよいよ清掃活動を開始しようと、昨夜の食事の席では久しぶりには皆がしゃいでいた。久しぶりのアイスフォール越えに備え早く寝袋に潜り込んだが、寒くてなかなか寝られない。遅れたスケジュールの建て直しを頭の中で組み立てていたら、逆に目が冴えてしまい、結局、夜中まで起きていた。

 ふと目を覚ましたのが午前5時過ぎ。もうそろそろ起きなきゃな〜と思いつつも、寒さのあまり、寝袋から出られないでいたら、バタバタ、バタバタ、とテントが風に叩かれだした。
「あれ、風が吹いてきたな〜」
と思いきや、いきなり、テントの真横からボン風に吹っ飛ばされ、組み立て式のベッドから落ちてしまった。それから、休む暇もなく強風がベースキャンプを襲い、必死の思いでテントから出てみれば、風に巻き上げられた雪が視界を悪くし、風の勢いで立ってもいられない状況! ふと自分のテントを振り返れば、今にも飛んでいきそうなほどに傾き、慌ててテントを支えようとつかんだものの、僕の力では飛んでしまいそうな勢い!! それを見たシェルパが飛んできてくれたが、このままではポールが折れると、まずテントのポールを抜き、テントを潰してから、その上から何個も石を起き、飛ばされないようにした。寒さのあまり手はかじかみ、暖かいテントに逃げ込みたいが、しかし、飛ばされそうなテントはほかにもある。それから、約3時間、強風からテントを守るべくシェルパを総動員し、駆けずり回った。機材テントの入り口は見事に破壊され、パソコンや衛星電話に雪が被ってしまい、急いで機材を他のテントに移し乾かした。

 突然の強風という来客に面食らったが、被害は最小限に食い止めた。自然の猛威はいつでも突然だ。キャンプ2が心配になり、なんど無線連絡しても応答がない。ベースキャンプでこれほどの強風であれば、キャンプ2は一体全体どうなってしまったのか。しばらくしたら、キャンプ2にいるカメラマンの村口さんから連絡が入り、
「こっちは強風でテント壊された。ここはひどいよ〜ここ何日間もテントの中でうずくまっている。今年のエベレストはひどい。寝むれもしない。クワ〜大変だ」
と悲鳴とも受け取れるほどに、上部の厳しい状況が伝わってきた。

 その頃、キャンプ3周辺では大変なことが起きていた。前日にキャンプ3に泊まっていた公募隊の英国人が、キャンプ2へ向け下山中に強風に吹かれ、足を滑らし、滑落。そして、クレパスにすべり落ち、死亡。遺体は回収できていないとのこと。あの強風の中、なぜキャンプ2へ下山しようとしたのか・・・。その公募隊のシェルパの大半がベースキャンプにいる。素人ばかりを集めた公募隊の隊員の死。公募隊に参加したことのある僕には、公募隊への複雑な思いがある。莫大な参加費用を支払ったお客さんらは、登頂できることを疑わないでいたりする。
「だって、お金払ったんだから」
と、それはまるで海外旅行の団体ツアーに参加したかのような感覚のお客さんもいるそうだ。「エベレスト登頂ツアー」である公募隊。96年に大量遭難したエベレスト登頂ツアーのロブホール隊を思い起こす。詳しくは「空へ」という本で公募隊の遭難の様子が書かれているが・・・。

 久しぶりのアイスフォール超えのはずが、再び振り出しに戻された。午後には風が止み、荒れたベースキャンプを直した。犠牲者が絶えないエベレスト。ここで、ぐっと気持ちを引き締め、明日こそキャンプ2を目指したいと思う。冒険で死んではいけない。生きて帰ってこそ、冒険。明日(5月1日)、天候がよければ約1週間ぶりに、ベースキャンプを離れ、上部キャンプを目指す。

2002年4月30日
野口健