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カトマンズでの反響





 23日、シャンボチェからチャーターヘリに乗り込みカトマンズへ飛んだ。ヘリコプターの事故が相次いでいるだけに機内では緊張。昨年もエベレスト遠征後に迎えに来たヘリコプターがその二日後に墜落。未だに行方不明。中古のさらに中古のロシア製のオンボロヘリ、そして信用できないメンテナンス。カトマンズに到着するまではなんとも落ち着かなかった。午前7時30分発、9時過ぎにカトマンズ着。カトマンズはすっかり夏の気候となっていた。そして世界で最も大気汚染の被害に喘ぐカトマンズの空気の悪さはヘリから降りた瞬間にはっきりと分かる。

 飛行場ではネパールの報道陣に囲まれ「来年からはどうする?」「ネパールでの活動は続けるのか?」「日本人が初登頂したマナスルでもゴミの被害があるという。次はマナスルでの清掃活動か?」などとすでに顔見知りの記者からの質問攻撃を浴びせられた。マナスルに関しては以前からネパールの山岳関係者から「マナスルでの清掃活動をやってほしい」との意見を寄せられていたが、エベレストの清掃活動が終了していない段階でそう間単に判断できないでいた。飛行場で報道陣に「マナスルに関してはこれから検討します。もしかしたら次の目標になるかもしれません」と返事したが、これがいけなかった。翌日の新聞に「来年の目標はマナスル!」と僕のコメントが紹介されてしまったのだ。4年間にも及ぶエベレストでの清掃活動が終了した直後に同じ8000m峰の清掃活動は考えられる余裕などあるわけもなく、閉口させられた。僕はエベレストで精一杯 清掃活動してきたわけで、だからといって全て同じように取り組めるわけではない。しかし、毎年カトマンズでの記者会見で顔を合わせる記者達からネパールでの活動を続けてはほしいとの意思表示には素直に嬉しかった。2000年 初めてエベレストの清掃活動への記者会見では清掃活動の意義がなかなか理解されなかっただけに4年間という年月の間に彼らと理解し合えたことは7.7トンのゴミ回収量よりはるかに大きな意味があった。

 マナスルでの清掃活動は今の段階では分からないが、いずれにせよネパールでの活動はシェルパ基金もあり続けていくことになる。この10年間で27回もネパールに訪れた。二十代の青春の大半をネパールで過ごしてきた。それだけにネパールに対する愛着も大きい。

 さて、その前にゆっくり一休みします。


2003年5月23日
カトマンズにて 野口健