富士山から日本を変える
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我が国に環境行政のプロを

「エベレストで見た日本社会」

 一九九七年、僕は初めてエベレストに挑んだ。その頃の僕の目標は、世界七大陸最高峰登頂。エベレストはその最後の関門だった。イメージトレーニングを重ねるため、エベレストを紹介したビデオやテレビ番組などを何本も見た。
 
  しかし実際にエベレストを訪ると僕のイメージは吹き飛んだ。一面が銀世界と思いきや、大量のゴミで溢れていた。これには驚いた。エベレストを紹介したビデオやテレビ番組には一切、ゴミは映っていなかったからだ。更に日本語が書かれたゴミの多さに戸惑いを感じた。

 その時、同じ隊のヨーロッパの登山家が、日本隊が残していったゴミを指差し、「日本は経済は一流だけど、文化、マナーは三流だ」と言った。

 日本の登山家のことではなく、日本という国自体を否定されたのが、とにかく悔しかった。でも散乱する日本語のゴミを前に、僕は何も言い返すことはできなかった。

 その後、彼が不思議な一言を言った。
「お前ら日本人は、ヒマラヤをマウントフジにするつもりか」

 僕はこの言葉の意味がその時、わからなかった。僕達のような登山家は、大抵、富士山に登る時は、冬だ。冬の富士山は一面が氷河に覆われ、一面が銀世界。僕の知っている富士山はそういう世界だった。故に彼の言葉の意味がわからなかった。

 九七年のエベレストは失敗に終わった。その後、記者会見の席で、エベレストのゴミのことに若干触れて、ポツポツと記事になった。
「エベレストに日本隊のゴミ 野口健報告」といった感じだった。

 すると、山岳界を中心に方々から圧力がかかり始めた。「過去の日本隊の栄光に泥を塗る気か」といった具合だ。要するに「黙れ」ということだった。

 その後、二度の挑戦を経て、三度目の正直で、エベレストの登頂に成功した。そしてそれから四年間、僕の活動はエベレストの清掃登山へと移行していく。あの時、ヨーロッパの登山家に何も言い返せなかった自分と、ゴミのことを隠そうとする日本の山岳界の両方に僕は強い怒りを感じていた。口で言うのは簡単だ。でも誰もそのことを解決しようとはしない。「誰もやらないなら自分でやってやる」そんな気持ちだった。


「夏の富士山 −『ヒマラヤをマウントフジにするつもりか』の意味−」

 エベレストの登頂を終え、ふと九七年にヨーロッパの登山家が言っていた不思議な一言を思い出し、初めて夏の富士山に登った。世界中の山を見てきたが、山頂に立った瞬間に自動販売機が、「パンパンパーン」と並んでいる光景を見るのは初めてだった。 こんな山はありえない。アフリカのキリマンジャロの山頂に自動販売機が並んでいたら、アフリカの原住民は意味がわからなくて逃げ出すだろう。

 富士山は日本のシンボルで、世界的にも有名な山。高さ自体はたいしたことはないが、あれだけ美しくシンメトリーを成している山は世界的に見ても稀有で、世界から登山家が集まる。でもその山頂は惨憺たる状況。ヨーロッパの登山家の言っていた一言の意味がよくわかった。

 その後、更なる発見があった。山小屋のトイレの近くから、雪の跡みたいなものが続いている。それは岩肌に乾いて貼りついたトイレットペーパーだった。トイレからは長年、屎尿が垂れ流され、その際に、岩肌にペーパーが絡みつき、太陽であたり、カピカピに乾燥して岩肌の一部になってしまっていた。

 富士山にはシーズンには三十万人から四十万人もの人が集まる。しかし屎尿は山小屋のトイレから垂れ流しの状態が続いている。岩肌に貼りついたペーパーを見ながら、僕はあることを思い出した。一九九三年にアラスカにある北米大陸最高峰マッキンリーに登った時のことだ。


「ウンチは持ち帰ること」

 マッキンリーはデナリ−国立公園内にあり、利用者は事前にパークレンジャーからレクチャーを受けなければならない。特に環境問題をメインとしたレクチャーだが、その中の一つに「ウンチは持って帰る」というものがあった。正直、その時はウンチがゴミになるという感覚がなかった。実際に僕は色々な山でウンチをしてきて、持って帰るということはなかった。厳しい山に挑む前で、食糧を削ったり、あらゆる努力をして少しでも荷物を軽くしていたのに「ウンチは持って帰る」というのは冗談じゃなかった。

 僕は「じゃあ白熊のウンチはどうするんだ。白熊だってウンチするだろう」なんて調子でレンジャーに食って掛かったが、その後の彼の説明を聞いて納得した。
「マッキンリーは氷河に覆われているが、氷河上にはバクテリアが存在しないため、ウンチをしても分解されず、そのまま残ってしまう。マッキンリーには多い時、一日五千人が訪れるが、その人達がみなウンチを持ち帰らずに、氷河上に置いてきたとするとマッキンリーは数年でウンチまみれになってしまう。更にマッキンリーは水源地のスタートラインでもあるため、環境破壊に繋がってしまう」

 彼は「いいですか、ミスターノグチ」といった調子で、まるで小学生に対して教えるように、「何故、ウンチを持ち帰る必要があるのか」ということを切々と説いた。僕は今、環境行政に強い興味があるが、この時の経験が原体験とも言える。

「日本中に『ミニ富士』がある」

 その後、日本の環境行政、特に国立公園の管理について勉強を始めた。その杜撰さはひどいものだった。富士山や屋久島や白神山地、知床半島、小笠原諸島など日本にも世界にひけをとらない雄大な自然があり、それらは国立公園に指定されている。ただその保護に関しては非常に杜撰だ。国立公園の監督官庁は環境省だが、実際には何もしていないに等しい。現場のプロであるべきレンジャー(環境省の自然保護官)は人数も少なく、その仕事内容も実際は許認可事務の手続きが中心で、デスクワークばかりだ。

 更に他の業務も兼任している人も多く、ほとんど現場を知らない。そして数年すると別な場所に異動になる。それではその地域を知り尽くした現場感覚を持った行政のプロなんて生まれるわけがない。富士山に関しては、ゴミが多くて世界遺産にならなかったというCMがあるくらいその管理の杜撰さは有名だ。そして上述したように、トイレの問題もある。
 
  ただ富士山で起きているようなことは日本各地で起きている。日本にはたくさんのミニ富士があるのだ。たとえば小笠原に関しては、環境省は林野庁と共に作った委員会で世界遺産の候補地にあげておきながら、担当のレンジャー(たったの一人!)の勤務地は箱根といった状態で、環境省の職員すらも常駐していない。結果、移入種が入り込み、固有種がその存在を脅かされるなど、多くの環境被害がある。屋久島や白神山地も世界遺産になったばかりに人が大量に押し寄せ、被害が拡大している。受け入れ態勢を整えないうちに世界遺産になることほど残酷なものはない。

「アメリカにおける国立公園の徹底した管理」

 翻ってアメリカではどうか。アメリカでは国の財産である国立公園は徹底した管理がなされている。たとえば富士山と姉妹山提携を結んだレーニア山があるマウントレーニア国立公園では、その全てがアメリカ連邦政府の所有であり、手つかずの自然が全体の九七%を占め、年間に約二百万人が訪れているにも関わらず、ゴミ一つ見当たらない。一九八三年からは入山を許可制にされ宿泊客の上限が設定され、一九九九年からは入山料二〇ドルを徴収している。この入山料は保護管理の予算に充てられる。更にトイレのない場所では、屎尿は袋に入れて持ち帰ることを定めている。

  そして保護管理を担当するレンジャーは、レーニア国立公園だけで一八〇人。日本では全国にある二八の国立公園のレンジャーを足しても二三〇人程度だ。更にボランティアも約七五〇人に上り、彼らはレンジャーの指令のもと自らの得意分野を活かせる業務を遂行している。
 更にアメリカのレンジャーは生涯を一箇所で勤め上げるのが基本となっているため、彼らはとにかく現場を知り尽くしている。故にボランティアの面々からも非常に尊敬されており、レンジャーという行政のプロのもとにボランティアという民間が集まり、レンジャーはそれぞれの団体の特性を見抜き、適材適所の配置を行うというシステムが有効に機能している。

 日本では例えば富士山の周辺には数多くの団体があるが、彼らを仕切れる行政のプロがいないため、結局、各々の団体がバラバラに活動している。それだとどうしても団体間で対立が生じたり、活動自体が自己満足に終始してしまうことも出てくる。
富士山では一部のボランティア団体が、バイオトイレを設置するなど、環境保全活動を繰り広げているが、そもそも国民の財産である国立公園は行政サイドでしっかりと管理すべきものだ。
 
 僕は日本でもアメリカのような現場を知り尽くした行政のプロが必要だと痛切に感じている。そしてそれを行政サイドに訴えてきたが、「前例がない」といったような理由で実現には至らなかった。しかし二〇〇三年の九月、一つの革新的な取り組みが開始されることなった。

「都レンジャーの養成へ」

 僕は約二年前から東京都が主催する「エコツーリズム・サポート会議」の委員を務めており、その関係で石原都知事と白神山地へ視察に行くこととなった。夜に知事と飲むチャンスがあり、僕は「今しかない」と知事に東京都独自のレンジャー制度を提案した。

  国は図体が大きくてなかなか動かない。政治・行政の全体が中央集権体制から地方主権へと移行を余儀なくされている時に、環境問題に関しても、自分達の自然は自分達で守るといった地域独自の取り組みが必要ではないか。たとえば白神山地と小笠原の自然はまったく異なるわけで、一律の環境保護は現実的ではない。各々の自治体が取り組むことによって、固有の自然に則した保護が可能になるのではないか。何年間か環境行政を勉強しているうちに僕はそう思うようになっていた。

 僕は夢中でまくし立てた。
「知事、国は動かない。環境省のレンジャーは何もやっていない。東京都の自然を都が守るならば、東京都のレンジャーが必要です。もし仮に都で独自のレンジャー制度を始めれば、国は焦る。国も動かざるを得ない。それこそが知事の仰っている『東京から日本を変える』に他ならない。知事!! 東京都独自のレンジャー、名づけて『都レンジャー』、知事、『都レンジャー!!』『都レンジャー!!』『都レンジャー!!』・・・・」

  知事は黙って聞いていて、途中で席を立ってしまった。僕は「ああ、失敗した」と思っていたが、知事はなんと翌日の記者会見で

「東京都は来年から『都レンジャー』を始める。初代隊長は野口健を任命する」と発表してしまった。これには本当に驚いたが、石原都知事の英断に感謝したい。

  都レンジャーは東京都の特別職で初年度は小笠原と奥多摩に三人ずつ配置される。上述したように小笠原には環境省のレンジャーは一人も常駐していない。奥多摩に関しても、一人しかおらず、更に奥多摩は秩父多摩甲斐国立公園の中にあるため、一都三県にまたがる国立公園を一人で管轄しているという非現実的なものだ。そのことを考えるとこれは画期的な前進であるといえる。
これまでも地方自治体で自然を守るという制度はあったが、働ける日数が月に十日でボランティアベースだったりするなど、プロとしてそれだけで生計を立て、仕事に集中できるという制度は皆無だった。都レンジャーは月額二十万円ほどが保証され、更に年間三百日以上は現場に出なければならない勤務体系になっている。このような意味において、地方自治体が初めて作る本格的なレンジャー制度といえる。

  故に当然、全国からの視線も厳しい。失敗は許されない。現場主義のレンジャー誕生まであと残り数ヶ月である。僕は生みの親として可能な限りあらゆる努力を惜しまない。都レンジャーの成功が全国に波及し、真の環境行政のプロが日本に誕生するまで僕は戦い続ける。

2004年 3月25日 野口健