富士山から日本を変える
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「たとえ火だるまになろうとも」

 「富士山の青木ヶ原樹海を5年間でごみゼロにする!」と5カ年計画でのごみゼロ作戦を先日、環境省の記者クラブで発表した。エベレスト清掃活動を終え、今年からは富士山を中心に活動を開始した私なりの決意表明だ。今までもそうであったように、なにか新たな試みを行う前には決まって宣言する。そして自分が宣言したことには最後まで責任を持つ。やらなければならない環境を作って自身を追い込んでいくのは、今回も同じ。



 例えば原稿の締め切りがなければなかなか原稿が書けないように、物事どこかで区切らないといつまでもだらだらとしてしまうもの。記者からは「5年間で本当にごみをゼロにできるんですか?」といった質問も相次いだ。確かにそのように思われるのも不思議ではない。それだけ樹海はごみにまみれている。しかし、5年前に初めて富士山の清掃活動を始めた時はあまりにも汚すぎて自分で「富士山を世界遺産にするぞ!」と多くの方々に呼びかけながらも心のどこかで「まあ〜無理だろうな」と感じていたのも事実。

 時には「世界遺産になんかになるわけないだろ!」だとか「世界遺産になんかなったら迷惑だ!」との地元からの声もあった。世界遺産に登録されれば当然ルールも厳しくなるわけだから、一部の地元民からすれば商売の敵だと映ったのだろう。いずれにせよ多くの声が寄せられた。しかし、自分が掲げた目標を簡単に諦めるわけにもいかなかった。地元のNPO団体である富士山クラブと連携しながらコツコツとごみの回収を行ってきた。最初は100人集まるのがやっとだったが、続けているうちに年々参加者が増え、今では500人はすぐに集まってしまう。途中で募集を打ち切ってしまうのだが、それでも参加を希望する方々から「なんとか参加したい」と現地集合で飛び入り参加される方も多い。嬉しい悩みだ。先月は1200人もの若者達と樹海の一斉清掃を行った。平均年齢は19歳たらず。また、理容美容専門学校が学校行事で全校生徒を連れて富士山樹海の清掃活動に参加してくれた。どれも5年前では考えられないことだ。今年はすでに2000人以上と共に清掃活動に汗を流した。

 ふと気が付けば5合目から上部はごみがなかなか見つからないほどきれいになった。回りを見渡せば一般の登山者までもが片手にビニール袋を持ってごみを拾いながら山頂に向けて登っていた。そもそも登山者は悪意があってごみを置いてきたわけじゃない。ついついかもしれないし、ごみが捨ててあれば捨てやすかったのかもしれない。ごみがごみを呼んだのだろう。ちゃんと、伝われば彼らの多くはごみなど捨てない。日本人はそこまで愚かではない。5年前は半信半疑で始めた富士山再生プロジェクトだが、今は希望とその可能性に胸がわくわくしている。これからやらなければならないことは山ほどある。



 都レンジャーが実現した今、次なる目標は「富士レンジャー」の創設だ。まずは山梨、静岡両県を中心とした地元が立ち上がらなければならない。山梨、静岡両県が連携して富士山の保護と活用について取り組むためにその核となる「富士レンジャー」の実現へと向け両県で人材と予算を負担するのだ。いつまでも国(環境省)ばかりに頼っていないで地方でまとまるべきだ。東京都が東京の自然を守っているように富士山は山梨、静岡両県で責任を持つ、屋久島ならば鹿児島県、白神山地ならば青森、秋田両県、が守る。自分達の財産を守れないで、いつまでも「国がなにもやらない!」と責任転嫁してはいけない。地方の国に対する依存体質はそろそろ卒業しなければならない。地方自治体が独自の環境保護政策を打ち出した上で国と連携してこそ本来の姿だろう。

 そして次に樹海を餌食にする産廃業者への取り締まりだ。無法地帯と化した樹海の実態を知れば知るほどぞっとするし、日本は本当に先進国なのかと悲しくなる。世界中にODAなどで国際協力している日本だが、まずは自分の国のことをしっかりとやるべき。援助されている国々の人々には日本は裕福で憧れの対象(一部を除いて)だろうが、樹海の惨状を目にするとこれもまた日本の姿だ。国際援助は日本にとって国際的にイニシアチブを取る1つの手段であり、外交カードであることも理解できるが、援助をしても感謝されないどころか日本に対して敵意をむき出しにする隣の大国での出来事を目にする度に日本はなにをやっているんだろうかと疑問を感じてしまうものです。



 産廃業者の犯罪行為は樹海に留まらず日本全国で繰り広げられている。どうせ摘発されないだろうと平然と国土を汚す彼らを許してはならないし、彼らの常套手段である暴力行為にも毅然と立ち向かわなければならない。その為の国家権力の行使は急務だ。国民は動きが鈍い政治家や行政の背を押さなければならない。そして自身に何ができるのか、どのように行動に移すのか他人事でなく、どのような形であれ参加するべきだ。なにがあってもこれ以上、国土を死なせてはならない。

 これからの5年間をちゃんと計画的に活動を多角的に展開していけば樹海のごみゼロ作戦は夢物語でなくなる日がくると確信している。その為にはあらゆる努力を惜しむつもりはないし、また時に降りかかってくるであろうリスクにも立ち向かう覚悟もある。「富士山が変われば日本も変わる」と思えばこの命を賭けてでも成し遂げたい。

 「たとえ火だるまになろうとも行政改革を成し遂げる」、これは私の恩師であり父である橋本龍太郎氏の言葉だ。その「たとえ火だるまになろうとも」という龍さんの気持ちがやっと私にも理解できるようになった。

2004年 8月28日 野口健