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「坂口安吾賞授賞式を終えて」

 新潟市ゆかりの作家である坂口安吾は文学をはじめ多くの分野において何事にも一生懸命に挑み続ける方であった。安吾賞はその「坂口安吾的な生き方」をした人に対する表彰、つまり「生きざま賞」であり、いわゆる「文学賞」ではないとのこと。今年は第二回目となる安吾賞になぜか,小生ごときが受賞させて頂きました。昨年、表彰に選ばれたとのお知らせを頂き、私なりに「坂口安吾的な生き方」について考えさせられました。

 それは私の解釈だと既成概念や旧弊にとらわれず、社会に警鐘を鳴らし自らを生ききったものということになるのだろうか。それでは、私自身がそういった生き方をしてきたかというと、正直なところ自分ではよく分からない。ましてや、未だ挑戦中であり生ききっていないわけで、私には正直、荷が重たい、賞に適していないのではないかと不安を感じつつ、これからも逃げずに戦いなさい!との叱咤激励のつもりで受賞させて頂きました。とても光栄であり、またこの安吾賞に恥じない生き方をしなければならないと改めて気持ちが引き締まる思いです。

 坂口安吾の「堕落論」には「堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である」と記されてありますが、この安吾の書き残したメッセージこそ、私の心にはズシリと響く。

 高校時代、仮進級、暴力事件により停学処分といった処罰を受けたことが1つのきっかけとなり冒険の世界に自身の存在価値などすべてを賭けて挑戦するのだと、この世界に足を踏む入れました。新しい世界に入ってみて感じたのが、一見爽やかに見える登山界の世界も実は結構、足の引っ張り合いだったりする。世界最年少で「7大陸最高峰」に挑んできたときはどれだけ先輩方から「そんな挑戦は100年早い!」とお叱りをうけたことか。

 しかし、そんな先輩に「100年後には先輩も私もとっくにあの世でしょう。死んでしまてっからでは挑戦はできない、先輩はお亡くなりになったあと、あの世で挑戦されるのですか?それはそれで壮大なストーリです。でっ、どのようにされてですか。明確な答弁なければ私には到底理解しえない。いずれにせよ、私は今のこの命で戦いたい、戦い続けることで生き抜くことを表現したい」とよく反論し嫌われていたものです。
 
  特にシェルパ基金、エベレストでの清掃活動などはタブーとされてきた領域でしたから抵抗は大きかった。今では山岳関係者含め多くの方々に理解されていますが、活動を始めた当初は誹謗中傷が耐えなかった。

 しかし、私は間違えていないのだと、自身の信念を曲げようなどとは毛頭考えなかった。信念を捨て去るというとは、肉体ではなしに内面、つまり自らの心を殺すことに他ならない。「不器用な奴だと、あれじゃ付き合いきれない」と周りから人が遠ざかっていった時期もありました。所詮、男にとっての人生観なるものは「強がり」なのかもしれないが、この一線はなにがなんでも退けない、守らなければならないという信念が最も尊いものだろう。

 そのような生き方には正直、疲れることもあるし、自身の生き方を貫く人生は時に孤独だと痛感させられる。しかしいつしか、しぶとくなってきたのか、打たれ強くなったのか、孤独感を楽しむ自分がいた。タブーに対する挑戦からは確かに新たな可能性が生まれてくるもの。ただ、いくら信念を抱いたとしても独りよがりの自己満足に終始してはならない。そして多くの方々に理解され輪が広がっていかなければならない。今は理解されない方にもいつかは理解してもらいたい。その為にも自身はヒマラヤや特に富士山の現場で戦い続けなければならないと、逆に吹っ切れたものでした。

 この安吾賞を頂き、まず感じたことはこれで掲げている目標に向かって挑み続けなければならなくなったこと。そう例え火だるまになろうとも。お陰様でスッキリとしました。新潟市特別賞には建築デザイナーのカール・ベンクスさんが受賞されました。べルリン生まれのカール・ベンクスさん築180年の古民家を再生して新潟県十日町市に移り住んだのは1993年のこと。打ち捨てられ朽ちていく古民家の中に、自然環境に寄り添うような生活の知恵と、日本の職人の高度な技を発見し、「古い民家を壊すことは、文化を捨てることと同じ。宝石を捨てて砂利を拾っている」とカール・ベンクスさんは警鐘を鳴らし続けた。

 ドイツからやってきたカール・ベンクスさんのマイスター魂が、忘れかけていた日本文化の再発見に導いてくれました。またベンクスさんは「家を再生することは哲学を持つことです。一度失ったら二度と戻ってこない日本の文化、技術、芸術を後世に伝えられなくなる。今が最後の時とこれからも頑張ります」と9000キロの遥か彼方からわが日本にやってきたカール・ベンクスさんに心から敬意を払い、今後の活動の中でご一緒させて頂ける部分があるのならばベンスクさんの活動に加わってみたいと切に願ったものです。

 安吾賞受賞をきっかけに私は大きな十字架を背負い、また素敵な仲間に出会えた事に心から感謝申し上げます。篠田新潟市長、野田選考委員長をはじめ多くの選考委員のみなさな、そして新潟県民のみなさま、本当にありがとうございました。

2008年2月9日 野口健