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「早くイムジャ氷河湖の水を抜いて」
(写真はクリックしたら大きくなります)

 パンボチェ村の川を越えた真向かいの山の斜面が大きくえぐられている。アマダブラム(6856M)の麓からスプーンでえぐられたような溝がイムジャ・コーラ(クーンブ氷河・ローツェ氷河から流れてくる川)まで続きまるで大地の傷口のように痛いたしかった。ガイドのアンドルジさんは「1975年ごろにナレー氷河とミンボーの氷河の間の湖が決壊した。その時の土砂がチュルンツェ川を下ってイムジャ・コーラに流れ込んだ。この川の下流の方で確か3人だったか亡くなった」「私が住むナムチェバザールの下の村でジョルサレ村の橋がその時の洪水で流され流通がストップして、米や塩や砂糖などしばらく手に入らなかった。小学校の頃だったよ。よく覚えている」

パンボチェ村から見る洪水跡地

 その洪水の時にパンボチェ村にいたナムカさん(67歳)は「洪水の時にこの村にいたさ。そりゃ怖かったよ。小さな池が決壊してその水がもう一つの池に入ってまた決壊したんだよ。死ぬかと思ったよ。でも、パンボチェ村は川岸にある村と山の上にある村と二か所に別れていて、私が住んでいるのは山の上の方だからまだよかったけれど。でも、小さな湖の決壊でこれだけ大きな土砂崩れがあったのだから、上流のイムジャ氷河湖が決壊したらエベレスト街道はひとたまりもない。ホースを使ったりして早くイムジャ氷河湖の水を抜いてほしい。今のままのイムジャ氷河では安心して生活できない。早く水を抜いて」と流暢な日本語で訴えていた。

ナムカさんにミンボー(洪水)について話を聞く
(左より、アンドルジさん、ナムカさん、野口)

  4月12日、パンボチェ村からディンボチェ村へ向かう。途中、クーンブ川を渡りディンボチェ村に向かうが、そのドリム橋が2007年9月11日に洪水により破壊され流されていたため、その復旧活動が行われていた。

昨年の洪水現場で復旧作業が行われていた

橋の復旧作業を視察

 工事している作業員は「夏になればまた氷河が溶けたり地面が緩んで洪水が起こるだろう。だから以前の橋よりも高い所に作る」と話す。昨年の夏、このエベレスト街道の至る所で橋や山小屋が洪水や土砂崩れによって流された。シェルパたちにとって夏はモンスーン(雨季)のため登山隊やトレッカーも訪れない。農作業など本来のシェルパの生活を送り、そしてゆっくりと家族との生活を楽しむ大切な時期。しかし、今ではその夏も洪水の恐怖におびえる日々となってしまった。

橋の復旧作業現場の様子

現場の様子を撮影する野口

2008年4月12日 ディンボチェ村にて 野口健