富士山から日本を変える
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「スタッフレポート」(富士山清掃)

(写真はクリックしたら大きくなります)
なお過去二年間の「ヒマラヤ・富士山同時清掃」の詳細はこちらから

 2008年4月19日、「エベレスト・富士山同時清掃登山」が終了した。
「ヒマラヤと富士山で同時に清掃を」と野口がかねてから切望していたプロジェクトも今年で3回目となる。富士山での清掃活動は女優の若村麻由美さんが隊長を務め、ヒマラヤでは野口がリーダーとなり、シェルパたちと共に清掃活動を行い、衛星電話にて中継を行うというもの。3回目となる今回は富士山側の清掃に日本全国から約160名のボランティアの方々が参加。計約2トンものごみを回収した。

 女優の若村麻由美さんは1998年10月にNHKの番組でエベレスト手前にあるにカラパタール峰(5545M)に登頂。その際に興味深いエピソードがあった。関係者の話によると若村さんは「エベレスト街道をトレッキング中にごみの多さに驚き撮影の合間にごみを拾っていた」という。またごみ拾いだけではなく「何でごみがこんなにあるんだろう」と疑問を抱き、翌日、地元の人に聞いて、ごみの焼却場へ見学に行ったという。

 処理しきれないほどのごみの山の中、小さな焼却炉で2人の少年が懸命に処理する光景を見ながら若村さんは「ヒマラヤの大自然にしては、この程度の状態は許容されるかもしれないけど、日本はどうなんだろうと。1億を超える人口が、ありとあらゆるものを大量に生産し、消費する。そしてやがてごみになる。これはもう既に許容を超えているのではないか」と強く感じたという。

 このとき野口も同時期にヒマラヤに入っており、人づてにそのエピソードを聞き、親近感を抱いていた。その後、テレビ関係の仕事で若村さんと知り合う。その際にエベレストや富士山での清掃活動の話になり野口が「一緒に清掃活動しませんか」と声をかけ、2002年にはじめて富士山清掃を一緒に行った。若村さんによると「遠くから望む美しさとのギャップに本当に驚きました」という。

 そして2006年、かねてから野口が計画していた「ヒマラヤと富士山の同時清掃登山」の富士山側の隊長を若村さんに依頼する。

 若村さんに依頼した理由について野口は以下のように語る。

「姿勢がすごく自然だなあと思ったんですよ。たとえば環境をテーマにしたシンポジウムやイベントがたくさんあるんだけど、芸能界の方もよく呼ばれる。そのときに、僕は『お前ウソつけよ』と感じることが多々ある。実際に控え室に戻って話してみると、『そんなのやるわけないじゃん』という人もいる。要するに環境派というとイメージがいいから、そう振舞っているという一種のスタイルでしかない。僕は4年間、ヒマラヤでゴミを拾っていて、一緒に活動していたシェルパも3人亡くなっている。だからこそすごくギャップを感じていた。でも若村さんは違うと僕は強く感じたんですね」

 野口がそう語る背景には、理由がある。若村さんはヒマラヤでのごみ拾いのあと、常に普段からごみ袋を持って歩いている。小さく折り紙のようにたたまれたごみ袋を見て野口は若村さんなら引き受けてくれると強く感じた。

 野口が富士山での清掃活動を開始したのは2000年から。当初は年間100名程度しか集まらなかった。だが今では年間6000人もの人が参加(NPO富士山クラブ調べ)するまでに活動が広まった。

 野口は講演会で「登山も清掃も地味で『清掃登山』だとダブル地味ですよ」と冗談交じりに言う。観客席からは笑いがもれる。野口は常にギャップを意識している。「地味な活動を地味にしたままでは広がりがない」とよく言う。だからこそそこに意外性を持ち込み、活動を広げていく事に全力を注いでいる。確かに女優の若村麻由美さんと清掃活動という組み合わせは、意外性がある。

 野口は「若村麻由美さんのようなまったく別世界で活躍されている方が加わればこの清掃活動もさらに広がりを見せるだろう」という。今年で3回目を迎えた「ヒマラヤと富士山の同時清掃登山」だが毎年、応募を開始してすぐに募集定員がうまってしまう。参加者の層も多様化した。

 また昨年、若村さんが映画『蒼き狼〜地果て海尽きるまで〜』の撮影で半年ほどモンゴルに滞在されていたときのこと。大規模なロケでどうしてもごみがでてしまう。その時若村さんは「日本人がモンゴルで撮影させて頂いているのにごみをおいて帰るわけにはいかない」とスタッフなど関係者に呼びかけ、ごみの持ち帰り運動を行った。野口はこの話を聞いたとき、「やっぱり影響力のある人が動くと違うなぁ」と活動の広まりに喜びを隠せないようだった。

 野口は「富士山から日本を変える」をスローガンに活動を行っている。そのスローガンの意味するところは、不法投棄や過剰な開発など富士山で起きている状況というのは、日本全国で起きている。富士山の縮図がどこにでもある。だからこそ日本のシンボルである富士山を変えることにより、環境維新ともいうべき国民運動が波及していく事を願っているのである。

 野口は言う。
「山がきれいな国は町もきれい。そして山が汚い国は町も汚い。富士山やヒマラヤを綺麗にしながら、環境問題の必要性を常に現場から伝え広げていきたい」

 そして若村さんは3回目の清掃活動を終え、以下のようなコメントをされた。

「今年も大勢の方にご参加いただきとても嬉しく思っています。私は自分の大好きな富士山の美しさに似つかわしくないものが落ちているから拾うというシンプルな考えから隊長を務めさせていただきました。3年目になり、ごみを拾う時に『今までありがとう』という感謝の気持ちを持つ事が大事なんだと感じています。ごみを拾っている時に、ふと『ごみはいつからごみになるんだろう』という疑問が浮かびました。『今までありがとう』という感謝の気持ちを持つ事でものを長く使えると思いますし、ごみに対する意識も違ってくると思います」

 最後にもう一つエピソードを紹介してこの稿を閉じたいと思う。

  私は野口のもとで仕事をしている。現在の杉並区に住んでいるが通勤で毎朝通る商店街で若い人たちがごみ拾いをしている姿を見かけた。商店街にある美容室のスタッフたちだった。どうやら週に何度か日を決めてごみ拾いをしているようだ。特段、行きつけの美容室がない私は、興味を抱き、ある日、その美容室に入った。髪形をどうするかといった一通りの話を済ませた後、私はカットをしてくれている若い金髪の男性にごみ拾いについて尋ねた。

 その男性は「店長が言い始めたんですけど、富士山のごみ拾いをしている人の影響でね、しようということになったんですよ」と言う。

 私は自分の身分を明かさず「富士山のごみ拾いって、えーと、あの確かコーヒーのCMに出ていた人ですか?」などと尋ねてみた。

 「あーそうですそうです。アルピニスト野口健です」

 帰り道、頭皮に涼しい風を感じながら、富士山清掃をはじめた頃の野口を思い出していた。人が集まらないとみなで悩んでいたとき「絶対にこの活動は広まる。いや絶対に広げてみせる」と言っていた野口の確信に満ちた表情が浮かんだ。

 なお今回のヒマラヤ清掃は、主体は地元ネパールの人々だ。彼らが自ら清掃登山を行う事になった。野口はアドバイザーとしていまヒマラヤにいる。

同時中継の模様

野口健事務所 スタッフ