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「サバイ氷河湖決壊に山が割れた」
(写真はクリックしたら大きくなります)

 メラピーク登頂の翌日(4月30日)我々はタンナ村まで下った。98年9月3日、午前5時にタンナ村のすぐ上部にある氷河湖サバイ氷河湖(地元名タン湖)が決壊しタンナ村の一部が流され、また一面が緑の放牧地がその面影を残すことなくまるで軽井沢の「鬼押し出し」のような死の土地に変わり果てていた。

サバイ湖決壊時の写真(ラクパ・ギャルゼン・シェルパさん撮影 )

 決壊前に何度も訪れて事のあるタンナ村。先にも書いたように一面が青々として牧草地で、特に夏は放牧用の村として知られている。私が行き来していた時期は今と違ってロッジなど一軒もなく、夏はヤク使いからヤクの新鮮なミルクにバターをとっては頂いていた。またジャガイモ畑が村中にあり、観光地となったエベレスト街道とは違いシェルパのリアル・カルチャーを感じられるほのぼのとした世界であったが、メラピーク登山が注目させるにつれ外国人トレッカー、登山隊が増え今ではルクラ村からメラピークのベースキャンプ(カーレ)までまるでエベレスト街道を連想させるかのように至る所にロッジが建てられている。

サバイ湖決壊時にタンナ村で避難したラクパ・ギャルゼン・シェルパさん

 そのタンナ村の上部にあるサバイ氷河湖の上部にあるアイスフォール(氷河の滝)の一部が融解し湖面に崩れ落ち湖水を圧迫しその威力で水位が上がると同時に湖の岸壁を押し破り決壊したとのこと。タンナ村から見ると、ちょっとした丘のような山の奥にサバイ・ツォがあったが、決壊と共にその山が真っ二つに割れたようにV字形に削られ、そこから水と一緒に土砂が12時間以上にもわたって何度も繰り返してタンナ村に襲いかかってきた。

サバイ湖全容

土石流はタンナ村を襲った

決壊した場所を指さす 

後ろが98年に決壊した時にできたV字型の傷痕

 爆音と共に岩が擦れる時に発する異臭に驚き慌てて家を飛び出したラクパ・ギャルゼン・シェルパさん(30)は「12時間ほど時間をかけて何度もゆっくりと土石流が流れてきた。音が大きくて怖かった。また岩が擦れる臭いが臭くて吐き気がした。私の兄のロッジが目の前で流されていくのをただただ黙って見守るしかなかった。兄は全ての財産を失いルクラ村に戻ったが生きる希望を失ったのか心の病に侵され未だに社会復帰できていない。引きこもり状態で家族を養えていない。一日も早く元の兄に戻ることを祈るばかりだ。私もジャガイモ畑をもっていたが今は土砂に埋まっている。この地では二度とジャガイモ畑はできないだろう。温暖化の影響で氷河が溶けだし氷河湖の決壊がネパールでも増えていると聞くけれど私たちにはなにもできない。運命として受け入れるだけ」と嘆いていた。

 翌日、タンナ村を離れ下流約5キロのコテ村まで下ったが川岸の道程も土砂とともに巨大な岩が押し流されてきており、歩行困難な状態であった。改めて水の破壊力を思い知らされた。新聞報道によればサバイ氷河湖の貯水量は1700万立方メートル。エベレスト街道上部にあるイムジャ氷河湖に至っては現在直径一キロ、深さ約90メートルにも達し、約3580万トンの水を貯水している。日本人に分かりやすく説明するのならば東京ドーム32個がすっぱりと入るとのこと。一目にサバイ氷河湖よりもイムジャ氷河湖のほうが遥かに巨大なことが分かるだけに、もしイムジャ氷河湖が決壊すればサバイ氷河湖決壊時の被害(死者2名・橋が5つ流された)では済まされない事など一目瞭然である。ただ、不幸中の幸いはサバイ氷河湖の下流にも大きな村もなく人的被害は極めて限定的であったこと、数万人が生活し行き来するエベレスト街道での上流での決壊となればその被害は想像しただけでもゾッとさせられた。

サバイ湖に流れ込む氷河、この氷河の一部が崩れサバイ湖に
落ちたことによりサバイ湖は決壊した

 サバイ氷河決湖決壊は水の破壊力を改めて私たちに知らしめた。この自然の合図に対し私たちは謙虚に受け止めそして敏感に察知し、そして大胆な決壊対策としての早急にアクションを起こさなければならないだろう。私とも関わりのあるカトマンズに本部があるICIMODO(国際総合山岳開発センター)が仮にイムジャ氷河湖が決壊すれば下流7・5キロのディンボチェは決壊から14分に土石流に襲われ、さらにこの湖から14キロあるパンボチェ村には21分後に土石流がやってくると発表していた。エベレスト街道の玄玄関口であるルクラ村までは一時間で土石流が届くと指摘する日本の学者の先生方もいる。

タンナ村からコテ村に下る途中の光景。洪水、土石流の影響で川岸が大きく削られ、また地面もえぐられ巨木が倒れ見るも無残な姿だった。

決壊したサバイ湖からは30キロ下流まで土石流が流れた。
かつてこの辺りは放牧地であった

 
 いつ決壊するかも分からない氷河湖。「野口健は危機感を煽りすぎだ」と指摘する日本の専門家の方々がいらっしゃるようですが、もしその方々のお住まいの頭上にいつ決壊するか分からない巨大な氷河湖を抱えていても同じ気持ちになるのだろうか。私はこの旅で多くの村人の声を集めてきたが、みな異口同音「地球温暖化はシェルパのせいではない。氷河湖の水を抜いてほしい。早く安心して生活がしたい」であった。怯えて過ごす人々の生活を目の当たりにし待ったなしの状況であると自身に言い聞かせ、この現場の声をどのようにG8環境大臣会合、洞爺湖サミットに届けられるのか、現場を知っている人間の責任でもあり声を上げる義務があるのだと、明日から再び新たな現場を目指す。

丘の上からタンナ村を撮影。後方は決壊したサバイ湖

2008年4月30日 タンナ村にて 野口健