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「念願のピサンピーク登頂!」



チュルー西峰に登り、休むことなくピサンピーク登山へ。もともとピサンピーク登山は予定されておらず、チュルー西峰登山後はツラギ氷河湖を目指し、氷河湖の視察を終えたらチャーターヘリでマナスル峰の山麓、サマ村に飛びマナスル基金で建設中の学校の視察を行いまた村人と意見交換を行う予定であったが、チュルー峰を目指す道中、ピサンピークの横を通過した時にその雄姿を眺めながら、いつであったかピサンピークのハイキャンプで雪崩に流され撤退した出来事を思い出していた。

ピサンピーク全容 撮影平賀


「平賀、予定にはないが、チュルーに登れたらそのままピサンを目指そう。休みはなくなるがそれでいいかな?」と尋ねれば「えっ!休まないでそのままですか」と応えてくるので「あとのスケジュールが詰まっているのでチュルーに登ったらそのままダイレクトでピサンに向かわなければならない」と。「了解です。わかりました」とその瞬間に決定。慌ててカトマンズに連絡しピサンピークの登山許可書を申請。スケジュール的には無理があったが、今はただただ我武者羅に山に登りたかった。

撮影 平賀

緊張感が続く岩場 撮影 野口

岩場を慎重に登る 撮影平賀

4月15日にチュルー峰に登頂し、その日のうちにベースキャンプへ下る。
4月16日、チュルー・ベースキャンプからマナン村へ。
4月17日、マナン村〜ピサン村へ。
4月18日、ピサン村(3200m)〜ピサンピーク・ハイキャンプへ(5000m)。
4月19日、ピサンピーク・ハイキャンプ(5000m)〜ピサンピーク登頂(6091m)〜ピサン村へ。

アンナプルナ山系 撮影 平賀

18日、時間に余裕がなかったのでベースキャンプに泊まらずピサン村から一気にハイキャンプへ。7時間で1800M登ったがこれがまた立派にきつかった。ヘロヘロの毎日。

19日、午前3時45分、ハイキャンプを出発し、ヘッドランプの光を頼りに足場の悪い岩場を登る。我々以外にもドイツ隊が山頂を目指していたが、風が強く指が寒さで痛むと撤退。確かにアタック開始前から風が強くテントを出るのがいささか憂鬱であった。



アタック直前はいつも緊張する 撮影平賀

山頂アタック開始!撮影 平賀

一歩一歩山頂を目指す 撮影 平賀

アタックを一日延期する事も考えてみたが、ずっと天候に恵まれていた今回のヒマラヤ登山、少しずつ崩れていくのを感じていただけに早めに勝負をつけたかった。

ただし、チュルー峰で苦しんだ高山病に関しては既に低酸素に順化できていたのでまったく影響なし。これは助かった。

真っ暗闇の世界をただただ山頂を目指して会話もなくザクザクとアイゼンが雪を突き刺す音、またはカランカランとカラビナが岩を打つ音、そして「ハァーハァー」と自分たちが吐く息の音だけが響く。

アタック開始直後は頭の中を様々な出来事がさ迷うが次第にそのような余裕もなくなり、
次第に無心に近づくものです。

平賀カメラマンとアイコンタクトを交わすばかりで、会話らしいものはほとんどない。言葉の要らない世界。これがどれほど楽なものか。これ以上、贅沢なことはないのかもしれない。体力的には厳しかったけれども精神的には自由であり、いつまでもこの瞬間が続けばいいのにと、やはり山に救われた。

チュルー峰は横移動が長かったが、ピサンピークはひたすら直登。垂直の世界。


山頂目前 撮影平賀

撮影 野口

 午前10時15分にピサンピークに登頂。山頂からの景色はマナスル峰、アンナプルナ山系、ダウラギリ峰と360度の大パノラマに平賀カメラマンと息を吸うのを忘れてしまったかのようにジッと眺めていた。

「これでいい。これが自分なのだ」と、なにかを取り戻したかのように心身共に充実していた。

ピサンピーク登頂!撮影 ミンマ・シェルパ

山頂付近からの景色 撮影野口

アタック中の景色 撮影 野口

カメラマンも楽じゃない!撮影野口

下山が始まり、山頂から一気に約3000M下のピサン村へ。ピサン村にたどり着いたのは17時30分過ぎ。そのまま山小屋のベッドに倒れ込み翌朝まで動けなかった。
一泊二日で3000Mを往復し、足はパンパンに浮腫み、翌日は平賀カメラマンと、そしてシェルパ達と足を引きずりながら、次の目的地であるツラギ氷河湖を目指してキャラバンを開始。

ピサンピーク下山開始 撮影平賀

マナスル峰が見える(左奥)撮影野口

雪の上で横になって休む平賀カメラマン

 体は疲れ果てていたが、久しぶりに体の中がメラメラと燃え、生き生きしている自分の姿を感じていた。

2010年4月21日 コテルマナン村にて 野口健