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環境省エコツーリズム推進会議終了

 2004年(平成16年)6月2日、都内某所にて環境省が主催する『第3回エコツーリズム推進会議』が開催された。2003年10月24日、小池百合子環境相が会議の設立を発表して以来、3回目の会議で、今回が最終回であった。
 小池大臣も議長として出席し、これまでの会議の経緯、エコツーリズム憲章、エコツーリズムのモデル地区の発表などが行われた。環境省は2004年度(平成16年度)より、全国に合計8ヶ所のエコツーリズム推進モデル地区を設置し、1地区あたり3ヵ年計画でエコツーリズムの普及・定着につとめるとの方策を掲げていたが、応募が相次いだため、最終的には13ヶ所をモデル地区として選出した。
 数が増えたことにより、1カ所に割り当てられる予算が減り、当初予定していた1ヶ所あたり800万円から500万円へ減額した。今回、野口はこの点について、東京都の取り組みやその予算を例にあげ、異議を唱えた。

「たとえば東京都では、小笠原諸島の世界自然遺産登録推進を目標に定め、移入種対策、エコツーリズム推進などの事業で1億円を16年度予算で計上している。今夏から始まる『東京都レンジャー』制度にしても、16年度予算で4000万円の予算を計上している。つまり東京都の場合、自然保護やエコツーリズムで、1年間だけで小笠原に1億4000万円をかけている。当然、目に見えた効果が出ているが、やはりそのためにはある程度の潤沢な資金が必要となると思う。今回、国をあげてエコツーリズムの推進を図るということは素晴らしいが、13箇所ということではなしに、せめて5ヵ所、もっといえば1ヶ所に集中的に予算をつぎ込んだ方が良いのではないか。一体、500万円でなにができるのだろうか。疑問に思う。あくまでもモデル地区ということなので、1ヶ所を大成功させた方が結果的に波及効果があると思う」


モデル地区について数の削減を提案

 環境省サイドからは明確な答えは聞けなかった。今回でこの会議は終了である。筆者は計3回、同行取材したが、会議の仕組みや運営の仕方についてもっと良い形があるのではないかと思うことが多々あった。会議の時間は1回あたり2時間なのだが、その内の半分は環境省サイドの用意した資料を担当者が読み上げる時間に使われてしまう。
 更に「推進会議」の委員は27名おり、1人あたりの発言時間は非常に短いものにならざるを得ない。議論が議論を呼び、良質な提案に収斂していくといったケースは少なく、儀礼的なやり取りが多かった観は否めない。

 またこの会議は、計3回の「推進会議」と計5回の「幹事会」にて構成されており、「推進会議」での意見をもとに、「幹事会」が専門的に検討し、具体案を提示するという形をとっているのだが、双方に所属している委員は数名しかおらず、「推進会議」のメンバーは自身の提案がどのように「幹事会」で検討されたのかを具体的に知ることができない。自ずと、「幹事会」での結果報告を聞き、それを了承するという形にならざるを得ない。
 野口は「推進会議」の委員で、今回のモデル地区の数の増加についても「幹事会」の報告を聞く形となった。会議は今回で終了であり、異論を唱えても、長期的に見れば参考意見として役立つのかも知れないが、今回のエコツーリズム推進については盛り込まれないと思われる。極言すると、実施的には予め決まっている事柄がほとんどで、根本的な部分に異論を唱えても、反映されにくい仕組みとなっている。この点を野口に伺ったみた。

「確かに委員はもっと少ない方が良いと思う。あまり多いと形式的になってしまう。あと資料は予め送ってもらって、それを各委員に読んでもらうということで良いと思う。概要だけ説明していただいて、あとは議論の時間に使うべき。ただ今回の会議はこれで終りだけど小池大臣も仰っていたように、今後、エコツーリズムを進めていく上で、色々と関わることはあるはず。僕も最大限のことをしたい。去年の10月9日に小池大臣にお会いした時に、様々な提案をさせていただいた。それがきっかけかどうか定かではないけど、すぐに委員会が設置された。過去、環境大臣には何人もお会いしたけど、こういった決断が出来る方はそうそういない。今後とも小池大臣と色々とアクションを起こせればと思う」

 会議の終了の挨拶で小池大臣から委員の方々に「環境省へのアドバイス」をテーマとした1000字ほどのコメントの寄稿が求められた。野口が何を要望するのか。本サイトでも転載して発表したい。


会議終了後に催された懇親会にて小池大臣と


小池大臣、C・W・ニコル氏とともに


2004年6月11日
文責:小林元喜