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野口健・御蔵島を訪れる

「野口が御蔵島を訪れた理由」

 2004年5月28日から30日まで野口は御蔵島を訪れた。主な目的は、小笠原と同様に、今年の4月から御蔵島でも運用されている「東京都版エコツーリズム」の実態を見るためである。2004年の1月に東京都と御蔵島の間で「御蔵島における自然環境保全促進地域の適正な利用に関する協定」が制定され、同年4月から本格的にエコツーリズムを開始されることとなった。全島がエコツーリズムの対象であり、山を歩くにも、イルカオォッチングをするにも東京都の公認ガイドの同伴が必要となった。
 野口は、東京都の「エコツーリズム・サポート会議」の委員を務めており、2003年の5月に委員の方が御蔵島の視察に赴いたのだが、残念なことに野口はエベレスト清掃登山の関係で参加することができなかったのである。その後、他の委員の方が御蔵島を賞賛している姿を見て、その頃から興味を持っていたようである。

 まずは御蔵島の概要に触れよう。


巨樹が至るところに存在する

「巨樹と水の島、御蔵島」

 東京・竹芝桟橋から南南東へ約200キロの太平洋上に御蔵島はある。1955年(昭和30年)に旧伊豆七島国定公園に指定され、1964年(昭和39年)に富士箱根伊豆国立公園に編入された。直径5キロ、周囲16キロの小さな島で、人口は約280人。近年は、イルカオォッチングで一躍その名を馳せた。

 島の周囲は黒潮に削り取られ、海岸線は50メートルから480メートルの海食壁で囲まれ、砂浜はなく、海岸は全て岩礁または玉石が敷き詰められている。火山島だが、数千年前から火山活動を休止し、有史以来、噴火の記録がなく、島全体を緑が覆ってい、約半分はシイの原生林で構成されている。

 森の7割は村有林、残りの3割は民有林である。幹周り5メートル以上の巨樹が491本(「巨樹の会」による1999年の調査)もあり、日本全体の巨樹の4.9%を保有している。港区ほどの面積しかない御蔵島に全体の4.9%もの巨樹があるということは割合から考えるとその密度は天文学的なものだろう。更に日本一のスダジイもある。巨樹の森と言われる所以である。

 御蔵島では、現在は廃止されてしまったが、村有林を守るために、役場の中に森の管理人を独自におく「林務員制度」をとっていた。木材資源の保全と活用を村独自で行っていたのである。
 フェリーから島全体を眺めると、巨大な岩に苔が蒸しているように映り、稀有な景勝地であることを再認識させられる。雨が多く、島の周囲を取り囲む海食崖からは湧き水が溢れ、滝となって海に流れ込んでいる。その様子はまるで島の生命の源のみなぎりのようにも映る。ちなみに伊豆諸島で唯一水力発電所が存在する。

「南方と北方の植物が共存する植物相」

 南方の植物、北方の植物が共存する不思議な植物相を持っており、最高峰の御山は標高850.8メートルしかないが、頂上から標高450メートル付近までは、マイヅルソウやカキランといった北国や高山にある植物が散見される。一方、標高300メートルくらいからは、ナゴラン、リュウビンタイなど南方の植物が繁茂している。
 御蔵島にある高山植物は、関東周辺の山々では、1000メートルから1500メートルの高さでないと見られない物が多く、南方の植物は、小笠原諸島、沖縄、南西諸島、屋久島などと共通する。つまり北方植物の南限と南方植物の北限の交差点の島ともいえる。
 
 では何故そのような不思議な植物相を有しているのだろうか。御蔵島には常に強い風が吹いている。強風は、垂直に近い断崖にぶつかり、圧縮され、一気に駆け上がっていく。圧縮された空気は崖を越え、頂上付近で再び開放され、圧力を弱めて広がる。それにより気体の持つエネルギーは減少し、温度が急激に下がる。故に低地は暖かいが、高地までその暖かさは届かず、冬には年に4、5回雪が降るほどであり、南の島にも関わらず、高山植物が育つ環境が出来上がるのである。このような植物相を持つ島は日本中を探しても御蔵島と屋久島しかない。

 またオオミズナギドリの世界有数の繁殖地でもあり、御蔵島に営巣する数は200万羽とも言われており、夜になると赤ん坊の泣き声のような声とともに、大群で巣へと舞い戻ってくる。月明かりに浮かぶそのさまは非常に幻想的である。


オオミズナギドリの巣

「林業から観光業へ」

 御蔵島の経済は、主にツゲやクワといた木材を搬出し、現金収入を得るというものだった。旅館も島に1軒しかなかった。ところが1994年からイルカの調査が始まり、御蔵島のイルカは定着型で、人間を恐れない世界的にも珍しいイルカであることわかった。それ以来、ドルフィンスイムの出来る島ということで脚光を浴び始め、産業構造は大きく変化した。旅館は8軒にまで増え、観光産業が活性化していった。

 そして御蔵島の人々はイルカが人を恐れて離れていかないようにウォッチングのあり方を模索してきた。『御蔵島イルカ協会』が設立し、自主ルールを定めた。「小さい子供を連れた群れにはこちらから接近しない」「イルカに触らない、触ろうとしない」「スキューバダイビングでイルカに接近しない」「水中スクーター、ホイッスルなど、人工音を発する器具は使用しない」などである。林務員制度もそうだが、今回の東京都版エコツーリズムの導入以前から、御蔵島では自然に対する意識は相当高かったのである。


森林インストラクターの広瀬節良氏にレクチャーを受ける

「御蔵島の歴史」

 2泊3日のタイトなスケジュールの中、野口は、御蔵島村役場へのヒアリング、トレッキング、イルカオォッチングを体験。ガイドの方に様々なレクチャーを受けた。これまで御蔵島の概要を記したように、不思議な植物相や、産業構造の転換などに興味を持ったようだが、中でも今回は、島の歴史に対して知的興奮を覚えたようだ。

 野口が興味深く聞いていた島の歴史に関するエピソードを触れておこう。

 島の歴史は古く、今から約6000年前、縄文時代の土器を伴う住居が発掘されている。後にその人々は死に絶えたと言われており、現在の人々の祖先は、鎌倉時代前後に渡ってきたと見られている。徳川時代からは他の島と同様、「流罪の島」となった。
 江戸時代には伊豆諸島は幕府の直轄領となった。御蔵島の経済はツゲが主な柱だった。将棋の駒や櫛などに加工され、江戸で人気を博していた。年に1回から2回ほど、ツゲを江戸に送り、それと引き換えに得た代金で、玄米、麦、醤油、酢、塩、麻などの食料や生活物資を購入し、島に運び、島民で分け合っていた。ツゲは島の唯一の物産であり、財源であった。

 しかし1686年(貞享3年)に、「離れ小島で交通が不便」という理由で、御蔵島の印鑑を三宅島の役所に預けたことにより、江戸との直接交渉ができなくなった。ツゲの搬出には三宅島を介する必要があり、御蔵島の人々は中間搾取をされてしまっていた。
 当時、100人いた島民は苦しい生活ものとなった。食糧自給が限られた御蔵島では、長男以外は結婚できないという掟を作り、みなで守った。要するに次男以下は、自分の所帯を持つことが禁じられ、長男に嫁げた娘以外の女性も、生涯独身を求められ、家業にいそしむこととなった。

 その後、三宅島の支配から脱するのだが、それには流人が関わっていた。1714年(正徳4年)に起きた江島生島事件(歌舞伎役者と大奥女中との不倫)で、両者の仲を取り持ったとして御殿医の奥山交竹院(おくやまこうちくいん)が御蔵島に流罪となった。
 神主であり、地役人を兼ねていた加藤蔵人は、奥山に御蔵島の独立を相談し、大奥にいる御殿医桂川甫筑(ふちく)に窮状を説明し、その打破を持ちかける。
 奥山は島で没するが、桂川の取り成しにより、その10年後、江戸と直接交渉できるようになったのである。島の方々は今でもそのことを「三宅島からの独立」と言う。
 加藤、奥山、桂川は三宝神として祭られ、加藤の命日である11月10日には今でも祭礼が執り行われている。

 他にも米国船が漂流し、鎖国中で、更に尊皇攘夷の国論渦巻く中、自分達の宿を提供し、船員の全てを救ったエピソード(バイキング号事件)や、その約100年後に、池田内閣が御蔵島を米軍の射爆演習場の移転地として発表した際に、御蔵島をフィールドとする学者さんがバイキング号のエピソードをアメリカ政府に訴え、演習場を回避することができた話など、非常に興味深く聞いていたのが印象的であった。


日本一のスダジイを前にして


山頂付近のトレッキング 濃霧に覆われることが多い

 最後にエコツーリズムの取り組み全般について、野口に感想を伺ったみた。

「どこの観光地でも公共事業とぶつかりあって、環境保護は嫌われる傾向が強い。ただ御蔵島では初めて異なる印象を受けた。村役場にいって課長さんと話したときだけど、『この島は唯一PRしていない島。イルカブームで観光客が増えたけど、旅館の関係で、一日最大100人しか島に滞在できない。現在は年間7千人のお客さんがいらっしゃるがもうこれ以上増えなくても良い。意識の高い人だけがくれば良い。』と言われた。
 明確なスタンスを村役場の人が断言してしまうことが驚いた。

 また島の人間の反応にもびっくりした。今回は厳密に言うと、テレビのロケハンの際に、同行して視察したんだけど、テレビ局の方が宿の予約を取る際に、民宿の方に『旅番組ならこないでくれ』と言われたという。旅番組なんかやってしまって、意識のない旅行者がきてしまうと困るということらしい。それに対して『いや今回は環境保護ということで番組を作ります』という旨を伝えた。すると『環境保護ならいいよ』ということになった。役所の方が言うのはまだわかるとしても、民間でこのようなスタンスをとるということは、日本の観光地ではまずありえないことだと思う。

 更にスキューバダイビングはイルカにストレスを与えるからということで、自主ルールに基づいて行っていないことにも驚いた。素潜りしかやらせないと。これはすごいよ。実はスキューバというのは、一番お金になる。僕も色々な島に海外も含めて行ったけど、スキューバのできない島はないんじゃないかな。ガラパゴスもモルジブもできるからね。

 あとタレントの和田アキ子が足を折って、ギプスを何故かわからないけど、神社に祭るというバラエティ番組があった。往々にして、そういうものは観光地はウエルカム。だから富士山も軽井沢も芸能人の店ができてそれを売りにする。どうしても人寄せパンダを欲しがる。だけど御蔵島ではそれを断った。

 僕は日本の観光地にたくさんいったけど、こういう島は初めて。ヨーロッパ的とも言えるかもしれない。ただガイド制度には疑問が残る。現在の公認ガイド制度は、たったの26時間の講習だけでガイドが誕生してしまう。だからガイドの資格を持っている人はすごく多いのに、実際に山を案内できる人は、数人しかいないという。これでは現実離れしすぎている。ちょこっと講習を受けてガイドなんかできるわけではないし、ガイドによって、エコツアーの当たり外れがあってはいけない。前回は良かったけど、今回は駄目だという風になってしまう。もっとガイドの公認制度を厳しいものにする必要がある。

 あと島の方から、御蔵島でも都レンジャーを置いて欲しい、という要望があった。都の職員の方に聞いたところ、御蔵島は小笠原よりも原生的な自然が残っているという。でも面積の問題で世界自然遺産の基準を満たさない。だけど世界遺産になってもまったく不思議ではない自然があるという。昔、御蔵島では村が独自に林務員をおいていたが、今ではなくなっている。是非とも都レンジャーを派遣してもらって、貴重な自然の保全につとめてもらいたいと思う。
 あと島の歴史のエピソードなど非常に面白いものが多いので、カルチャーツアーとしてガイド公認制度というものも試みてみると良いと思う」

 野口に仕事を依頼されてから筆者も様々な観光地を見てきたが、野口が常々口にしている「環境を徹底的に守ることによって、利益が出る仕組み」がこれほど機能しているところは初めてだった。エコツーリズムとは環境保護だけではなく、それと同時に観光振興も図るものである。ドルフィンスイムの例がわかりやすいが、イルカを徹底的に守ることにより、地元の観光業者は潤うのである。

 御蔵島では古くは、ツゲが経済の柱だった頃から、森が生活の糧であるとの認識のもと、ツゲを切ったらその分、必ずまた植えて、森を守ってきた。個人が植えたツゲは個人の所有として認められていた。森が生活の糧であり、守ることによって生活が成り立っていたのだ。またオオミズナギドリのヒナは貴重なタンパク源だった。古くから、島民はヒナを食していたが、数に配慮し、その個体数が減少することはなかった。
 筆者はこのような歴史的背景を持つ御蔵島にエコツーリズムの成功のヒントが隠されているように思う。

参考文献
『自然の中に人生がある 高橋基生・御蔵島博物誌』(御蔵島村役場)
『みくらの森は生きている 巨樹王国御蔵島からのメッセージ』(東京都御蔵島)


2004年6月25日
文責:小林元喜