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野口健、米国マウントレーニア国立公園へ赴く




「富士山の日に改めて痛感したこと」

 2003年2月23日(富士山の日)に、富士山の環境保全活動に取り組む環境NPO団体「富士山クラブ」が国際シンポジウム「世界ふるさと富士サミット―富士山のあるべき姿市民ボランティアからの提言」を早稲田大学国際会議場にて開催した。

 このシンポジウムには、アメリカとニュージーランドから国立公園の管理者やそこで活動するボランティア団体が来日した。アメリカ側は、レーニア山(標高4392メートル)を持つマウントレーニア国立公園、ニュージーランドは、ナウルホエ山(標高2290メートル)を持つトンガリロ国立公園の関係者であった。

 このシンポジウムの目的は、両国の国立公園の関係者からその管理制度やボランティア団体と行政の連携などについて事例を紹介してもらい、富士山を守るために、今後、何をすべきか、そして何ができるのか、といったことを探ることにあった。

 シンポジウムは二部構成で、前半は、三国の行政サイドの代表者の基調講演、後半は、パネルディスカッションが行われ活発な議論が交わされた。基調講演とパネルディスカッションの間には世界初の姉妹山交流計画の調印も行われ、同年の夏からはボランティア団体同士の相互交流が決定した。

 富士山クラブの理事でもある野口はこの日、パネリストとして参加。通訳を通し、マウントレーニア国立公園の長官デイヴ・ユベルアガ氏やトンガリロ国立公園ルアペフエリア局長マーク・デービス氏らと国立公園の管理制度やボランティア団体と行政の連携などについて活発な議論を繰り広げた。そこで野口は何を感じたのだろうか。

 「まずこれを言ったら元も子もないかも知れないけど、調印はアメリカ側もニュージーランド側も国立公園が結ぶ。つまり行政・国が調印を結ぶということ。でも日本サイドは『富士山クラブ』という一NPO団体が結んでいる。富士山は環境省や林野庁、山梨県、静岡県さらに民間の様々な業者が絡んでいるけど、富士山は日本の財産で、通常ならば今回の姉妹山の調印に関して言えば、国立公園の監督者である国つまり環境省がやるべきではないか、という疑問は今でもある。

 でも国は何もしない。そしてそれが象徴するようにシンポジウムでも日本側からは環境省の役人が参加していたけど、肝心な『富士山をどう守ってくか』という具体的な話は何もないに等しかった。質問されても『地主は林野庁ですから』とか『権限がありません』といった調子。さすがにアメリカ、ニュージーランド側からもため息が漏れていた。

 逆にマウントレーニア国立公園の長官デイヴ・ユベルアガ氏があまりにも堂々と喋っていたのが印象的だった。言い方は悪いけどそれはまるで嫌味に感じてしまうくらい(笑)。でもアメリカ人はパフォーマンスと実態が伴っていないこともままあるから、『ほんとはどうなんだろう』という疑問はあった。でもそれ以上にボランティアと行政の連携や、管理制度の話を聞いていて『これはどうやらヒントになるな』という想いが強かった。

 あとボランティア団体の発言が非常に興味深かった。アメリカのボランティアの団体はお金を各地から集めて、それをマウントレーニア国立公園に寄付するということをやっているという。つまり民間が行政に寄付をしている。こういった考えは日本にはない。日本は行政批判は多いけど、行政のために何ができるんだろう、という発想が希薄だと思う。ましてや民間がお金を集めて寄付する、なんて聞いたこともない。そしてボランティア団体のメンバーの一人が『我々自身が行政だ』と言っていたのが非常に新鮮に感じた。

 僕は面白いことを言うなと思った。だからこそシンポジウムでも、長官とボランティア団体のメンバーが長官と並んで発表するんだけど、彼らはものすごく堂々としている。つまり自分たちが政府だ、という発想がある。これは正しいと思う」





「マウントレーニア国立公園の徹底した管理体制」


 同年8月には富士山がレーニア山と「姉妹山」の調印を記念し、『富士山クラブ』の親善交流団がマウントレーニア国立公園を訪れた。この時、野口も同地に同行している。野口の目的は、マウントレーニア国立公園の管理体制やボランティア団体の活動などに実際に触れ、富士山の保全、改善に繋げていくヒントを皮膚感覚で得ることだった。そしてもう一つ、上述したように、長官デイヴ・ユベルアガ氏のアピールと現実に隔たりが、あるのか、ないのか、という疑念を明らかにすることであった。

 しかしその疑念は実際の訪問で完全に払拭される。その全てがアメリカ連邦政府の所有であり、手つかずの自然が全体の97%を占めるマウントレーニア国立公園は年間に約200万人が訪れているにも関わらず、ゴミ一つ見当たらない。

 1983年からは入山を許可制にされ宿泊客の上限が設定され、1999年からは入山料20ドルを徴収している。この入山料は保護管理の予算に充てられる。更にトイレのない場所では、屎尿は袋に入れて持ち帰ることを定めている。

 保護管理を担当するレンジャーは、レーニア国立公園だけで180人。日本は全国28の国立公園のレンジャーを足しても230人に過ぎない。更にボランティアも約750人に上り、彼らはレンジャーの指令のもと自らの得意分野を活かせる業務を遂行している。ゴミ一つ見当たらない雄大な自然は、長官の発言どおり、徹底した管理体制のもとに運営されていた。

 野口はレーニア山を前にこの管理体制の要について思索にふける。そして一つのキーワードに辿りつく。それは「行政とボランティアの連携システム」についてだった。

 「アメリカでも年々、国立公園の予算は減らされている。そのためレンジャーをこれ以上増やすわけにもいかず、ボランティア団体の力が不可欠になっている。様々なボランティアの団体、そして個人も参加しているんだけど、ちゃんと彼らを仕切る行政のプロ、つまりレンジャーが極めてしっかりとリーダーシップをとれている。ここが日本と大きく異なる。

 更にレンジャーの役割分担が徹底していることに驚いた。登山隊の救助を担当する高所のレンジャーもいれば、小中学校の生徒などに環境教育を教える人や、動植物の調査や、どのように生態系を保全していくかといったことを担当する人など業務が細分化され、役割分担が明確にできている。

 日本のレンジャーは例えば白神山地だったら二人といったように非常に少ない。小笠原なんて世界遺産のリストにあげているにも関わらず、レンジャーが一人もいない。その仕事内容も実際は許認可事務の手続きが中心で、デスクワークばかり。更に数年おきに別な場所へ移動してしまう。それではその地域を知り尽くした現場感覚を持った行政のプロなんて生まれるわけがない。

 だからたとえば富士山の周辺には『富士山クラブ』以外にも数多くの団体があるけど、彼らを仕切れる行政のプロがいないため、結局、各々の団体がバラバラに活動しているということになっている。それだとどうしても団体間で対立が生じたり、活動自体が自己満足に終始してしまうことも出てくる。

 アメリカのレンジャーは生涯を一箇所で勤め上げるのが基本となっている。マウントレーニア国立公園のレンジャーはそこが生涯の職場ということ。彼らはとにかく現場を知り尽くしていて、ボランティアの面々からも非常に尊敬されている。だからレンジャーという行政のプロのもとにボランティアという民間が集まり、レンジャーはそれぞれの団体の特性を見抜き、適材適所の配置を行う。そしてボランティアもそれに従う。つまり行政とボランティアの連携システムが非常にうまく機能している。

 富士山に関して言えば、環境省の役人なのか、山梨県の職員なのか、静岡県の職員なのかわからないけど、管理の一元化を図り、ボランティア団体を引っ張っていくことのできるスペシャリストを育成する必要があると思う。そもそも国立公園の監督者は国であるわけだし、これは民間ではなく、行政主導、更に言えば国・環境省がやるべきだと思う」





「日米のボランティア感の違い」

  筆者が野口の話を聞いていて、一つひっかかったのが、何故にアメリカではそれほどボランティアが定着しているのか、ということだった。マウントレーニア国立公園だけでもボランティアも約750人にのぼる。ボランティアなので当然、報酬はない。報酬もないのに何故にそれほどの人が集まるのだろうか。

 「日本ではボランティアというと『メリットがあってはいけない』といったような慈善事業みたいなニュアンスがある。でもそれだと絶対に一時は良くても長続きしないと僕が思う。

 今回、痛感したのはアメリカではボランティアをするということが確実なキャリアアップに繋がる仕組みが出来ているということ。それはたとえば高校卒業の条件だったり、大学入学や就職する際に明らかに有利に働くという社会的なコンセンサスが出来上がっていて、確かにその通りに機能しているということ。たとえばシアトルの高校生は50時間のボランティアをしないと卒業できない、という仕組みになっている。

 日本では奉仕活動の義務化が話題に上った時、随分と批判的な意見も噴出していたけど、僕は悪いことだとは決して思わない。たとえ最初は嫌々やっていてもその繰り返しの中で、ボランティアの楽しさが身に付いていくと思うし、それが今の日本にあるボランティアの概念を変えていく水口にもなると思う。とにかく自分にとってキャリアアップや実績に繋がるといったようにメリットがないと続かない」



「物事の表と裏 −マウントレーニアで感じたもう一つの側面−」

 これまでの話を聞く限り、『アメリカは素晴らしい』でまとめられそうだが、本当にそれだけなのだろうか。野口はしばしば「物事には裏と表がある」と口にする。これまで上述した内容は単純な二元論で言えば「表」の面だろう。今回の訪問では果たして「裏」の面はなかったのか。最後にこの問いを投げかけてみた。

 「日本では今、小中学校で総合学習が始まって、その中に環境教育も含まれている。でも急に『環境教育を』という流れになっても教科書もないし、そのような教育を受けてきた人がほとんどいないから先生たちも教え方がわからない。だから僕の事務所によく教育委員会や先生から電話がかかってきて、『環境教育の教え方がわからないから、教え方を教えてくれないか』という問い合わせが非常に多い。

 でもこのあたりはアメリカも同じような状況にあると感じた。マウントレーニア国立公園はシアトルの郊外に位置しているんだけど、レンジャーが地元の先生たちに環境教育の講習をしていた。これは徹底した管理を見た後だったから余計にその対比が鮮明になって、印象的だった。

 あとアメリカにとって国立公園というのは国をPRする側面が強いんじゃないかと思った。もし旅行者が飛行場からすぐに国立公園に行ってそこだけ見て帰ったら『アメリカって素晴らしい』という風になってしまうような気がする。でも国立公園に関しては、あれだけ徹底して管理できるのに、アメリカの環境への取り組みというのは、京都議定書からの脱退に象徴されるように、世界中からはなはだ疑問視されるような状況だ。

 僕は最後にスピーチで『アメリカはこれだけ国立公園を管理できても、国家としてはまったく環境問題ができていない』という問題提起をした。そもそもシアトルでもちょっと路地に入ったり、通りを変えると、とんでもなく貧富の差があるわけで、そういった環境の問題は解決されていない。

 更にこれは微妙な問題だけど、レンジャーにしてもボランティアにしても旅行者にしても黒人やスパニック系の人たちが極めて少ないことが僕は不思議だった。車も立派なものばかりだし、換言すれば昔でいう『将校クラブ』のような雰囲気が漂っていて、僕はそういう雰囲気に違和感を感じた。

 別に入山料を取るといったってそれほど高いわけではない。でもとにかく上流階級の雰囲気が充満している。あれでは有色人種は入りにくい気がする。僕はあれは完全に白人の優越感でしかないと思う。それをレンジャーに言ったら、『これからは黒人もスパニック系もきてもらえるように努力しています』と言ってたけど、果たしてどうなのだろうか・・・。

 あと確かに徹底されて管理されていて、非常に素晴らしい自然が保たれているけど、歴史を辿れば、そもそもはそこに住んでいたインディアンを全員追い払って、国立公園を作ったわけで、それに意味があるのか、といったら僕は疑問に感じる。でも当然、参考になるところは多々あったわけで、そういう部分は日本に持ち帰って上手に活かしたいと思う。必ず良い形で反映していきますよ」


 野口は、9月には東京都が主催している「エコツーリズム・サポート会議」で白神山地を訪れる。この会議は、白神山地を参考に、世界遺産の国内候補地にあげられている小笠原を実際に登録させるために、何が必要か、ということを検討することにある。おそらく今回のマウントレーニア国立公園で感じ、学んだことがも良い形で繋がっていくと思う。


 

2003年9月13日
文責:小林元喜