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野口健・小池百合子環境大臣に会いに行く




 2003年(平成15年)9月22日、小泉連立第2次改造内閣が発足した。閣僚の平均年齢は59・3歳と1967年(昭和42年)の第二次佐藤内閣以来最も若い内閣となった。中でも安倍晋三氏の幹事長への起用は、これまでの自民党の常識を覆すものであり、「世代交代」「新しい自民党」の象徴であった。大胆な小泉流の人事采配は、方々から驚きと喝采でもって迎えられた。

 この日、野口は講演会とエコツアー参加のため島根県・隠岐島にいた。野口はしきりに閣僚人事を気にかけていた。その最大の主眼は環境大臣についてであった。野口はこの4年間で4人の環境大臣と実際に会い、意見を交わしてきた。ただ川口順子氏以外、「環境省の顔としてどれだけ国民に環境政策をアピールしてこれたのか」という疑念が払拭できなかったという。

 野口は本サイトでもたびたび「国は何もしない」と批判的な見解を述べているが、それは国に、環境省に、期待をしているがために生じるジレンマによるものであり、一種の愛情の裏返しと言える。野口が日本の環境行政の不備をいくら説いて回っても、それが現実の変化として機能するには、行政を統括する政治家が動いてくれなければ始まらない。

 新たな環境大臣は周知の通り小池百合子氏が起用された。閣僚人事が発表された瞬間、野口が興奮気味に語った一言が面白い。
「面白いねえ。ああいうタカ派的なストレートにどんどん意見を言う方が大臣になるのは良いと思う。すごく親近感を感じるし。よし小池大臣に会いに行くぞ」

 野口の言う親近感とは、小池大臣のお父さんがエジプトで日本レストランを経営しており、小学生の時に随分とお世話になったことに起因している。

 野口の言葉はわずか17日後の2003年10月9日に現実のものとなった。24階の大臣室に招かれると、すぐに薄いブルーのスーツに身を包んだ小池大臣が颯爽と現れた。落ち着いた表情の中に理知的な雰囲気と華やかさが感じられる女性であった。多忙なスケジュールの中、小池大臣との意見交換は約20分に渡って行われた。

 野口は、早口にならないよう注意を払いながら、エベレストの清掃登山、富士山、小笠原、屋久島、白神山地など国立公園の管理体制などこの4年間の活動で感じた日本の環境行政の不備について、そしてそれを改善するための策を伝えた。

 中でも野口が強く訴えたのが、現在、その活動の中心に据えられている富士山についてであった。野口が富士山にこだわるのはそれが日本の環境行政の不備の象徴だからである。

 富士山は国立公園に指定されながらも、その管理は山梨県、静岡県、環境省、林野庁、更には神社など複雑に絡んでおり、世界遺産の第一条件とも言える「管理の一元化」すらなされていない。年間30万人が登頂する富士山の頂上には自動販売機が立ち並び、糞尿は垂れ流し状態で、湧き水の汚染も懸念されている。樹海には、家電、トラック、犬の死骸、さらにはモデルハウスまでもが不法投棄されている。

 過去には富士山を守る運動もあった。1993年(平成5年)から1995年(平成7年)にかけて静岡県で富士山を世界遺産にするための運動があり、当初は、知事も懸命に旗を振っていたが、徐々にその動きはトーンダウンし、いつのまにか立ち消えとなっていた。

 富士山には様々な利権が絡んでおり、世界遺産への登録を目指すことは、自然保護によって観光産業が打撃を受け、生計が立てれなくなるのではないかという恐れがある。そして、その恐れこそが遅々として進まない富士山の自然保護、長年続いている環境破壊の根源とも言える。

 このような自然保護では食べていけないという「自然保護と観光振興の対立」は屋久島、白神山地、小笠原など様々な日本を代表する景勝地で多かれ少なかれ抱えている問題である。野口は上述した富士山の世界遺産登録に向けての問題点と改善策、具体的には、レンジャー制度の強化と入山料などについて提言を行った。そして環境問題の悪しき象徴とも言える富士山が変われば日本の環境行政が波及的に改善していくという自らの哲学を訴えた。

 富士山の話には特に花が咲き、時折ユーモアも交えながら終始一貫、和やかなムードで意見交換は行われた。小池大臣は自らの意見をわかりやすい言葉で歯切れよく表現し、それが非常に頼もしく見えた。小池大臣が最後に
「これから研究してみますので、環境を通してご支援を宜しく」
と述べた姿が筆者には非常に印象的であった。
 家路に向かう車の中で野口は、
「今度、小池さんと富士山に登りたいな」
としきりに繰り返していた。今後、どのように野口が環境行政に働きかけ、関わっていくのか非常に楽しみである。




2003年10月10日
文責:小林元喜