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2003/10/24
野口健・小笠原新村長森下一男氏と対談





 2003年7月22日、宮澤昭一前村長の辞職に伴い、小笠原村長選挙がスタートした。石井たかし、小笠原みえこ、森下一男の3氏(いずれも無所属新人)が立候補。前村議で元観光協会副会長の森下一男氏(54)が705票を得票し当選を果たした。

 野口は同年、7月20日から23日まで小笠原を訪れており、この選挙戦のスタートを現地で目にしている。タイトなスケジュールの中、野口は、小笠原における自然保護と観光振興の両立のための様々な方策、着想を得たが、その中の一つに「新しい小笠原の村長と一緒にガラパコスを訪れる」というものがあった。

 ガラパコス諸島は、自然を徹底的に保護することによって、生計を立てることが出来るという仕組みがうまく機能している。しかし日本ではその胎動はあるにしても、まだまだ環境保護によって自分たちの利益が冒されるのではないか、という恐怖心とも言えるアレルギーがある。

 資料を読むといった机上の空論ではなく、実際に現地を訪れ、環境を守ることによって、生計が成り立っているという現実を体験することの方が大事なのではないか。そしてそのような経験を自治体のトップが経験するということは、旧来の価値観からの脱却に最も良い方法ではないか。野口はこのような考えに基づき、新村長とのガラパコス訪問の着想を得たのである。

 野口は帰りの船の中で「新しい村長は誰になるかな。一度、会って話がしたいな。ガラパコスにも誘おう。」と繰り返していた。そしてそれは3ヵ月後の10月20日に森下村長からの要望という思わぬ形で実現する。

 野口の事務所にて約1時間に渡って様々な意見が交わされた。簡単な自己紹介の後、開口一番、森下村長は小笠原の問題点を整理し、野口に小笠原での自然学校の開催を持ちかけた。小笠原は1968年(昭和43年)に返還されて以来、国と東京都の支援で道路を始めとする様々なインフラ整備を行ってきた。結果、人口が2千人を少し超える規模の小さな島であるため、インフラの整備はほぼ整ってしまっている。

 しかし長年、島の産業は公共事業の占める割合が非常に高い。そのため、これからは環境を考慮した観光産業に軸足を移していかなければいけないという認識があるにしても、いかんせん産業構造が硬直化していおり、まずは意識改革から始めていかないとならない。

 森下村長の依頼は、本ウェブサイトで野口が「小笠原で自然学校を開催したい」と書いたことに起因していたが、その本質は、公共事業への依存からの脱却、そして環境保護と観光振興の両立へのパラダイムシフトを促すために、意識改革の先鞭を野口につけてもらいたいというものであると筆者は感じた。

 野口は快諾し、ガイドの質の向上の必要性や、小笠原高校に海洋コースなどの専門的な学科の設置、環境型公共事業への移行など、3ヶ月前に小笠原を訪れた際に得た様々な着想を訴えた。当然、その中にガラパコスへの誘いもあった。

 ガラパコスは、宿泊施設が少なく、大抵は客船に宿泊する。そこからボードで島に入り、夜はまた客船に戻るという形で環境の保護が徹底されている。入島の際には、入島料を100ドル支払い、エコツアーへの参加は5日程度で2000ドルは超える。更にガラパコスまでのフライト代も安くない。にもかかわらずガラパコスへの観光客は後を絶たない。

 野口は、特殊な場所、代替不可能な価値を持っている場所で、優秀なガイドの説明により、その価値に納得すれば、たとえ多少お金が高くても、観光客は訪れるという現実を目にし、小笠原でもそれが可能だと目している。

 2004年、年明け早々に野口は再度、小笠原を訪れる。石原都知事に提言し、実現の運びとなった「都レンジャー」の養成のように、これから何がどのように動いていくのか。筆者も出来る限りのことをしたい。



2003年10月24日
文責:小林元喜