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シェルパのメッカ、ナムチェバザールへ

ベースキャンプに着くまでの間は、体に無理をしないように、ゆっくりゆっくり進む

 今日はシェルパ族のメッカとされているナムチェバザールに向かう。ナムチェバザールでは毎週土曜日に市場が開かれ、エベレスト街道に面している村人達が買い物にやってきて賑わう村だ。時には、チベット人が国境を越えてこのナムチェバザールにやってくる。彼らは、中国製のじゅうたんや、靴や衣服を持ってくる。ナムチェバザールではカトマンズで買うよりもいくぶんか安く手に入れることができる。

  我々は標高に体を慣らすためにこのナムチェバザールで二泊する。プンキテンガからナムチェバザールまでの道のりはいくつものつり橋を渡り、川沿いをつめていく。

  トレッキングの道中には、モンジョという村があって、その近くに以前日本人が植えたという桜の木が見事に桜を咲かせていた。今年はラッキーだ。日本でも桜を見られたから、二度美味しい思いをした。海外で桜を眺めると、つくづく
「自分は日本人だな〜」
と思う。桜を眺めているだけで、胸がジーンと熱くなる。シェルパ達に
「どうだ、あれが桜だよ。日本の花だ」
と言っても、
「フ〜ン、だからどうしたの」
って感じなんだな〜。調子狂っちゃうよ。

 最後のつり橋を渡ってからは、標高差600メートルの坂を一気に登る。毎度のことながらこれはこたえる。ヤクになった気分でひたすら登るしかない。途中、ヘロヘロになったトレッカーらが何人も座り込んでいた。山登りは楽じゃない。プンキテンガから5時間ほどでナムチェバザールに無事到着。ギリシャにある円形劇場のような形をしたナムチェバザールの村。活気あるこの村は僕の好きな場所だ。しかし、このヒマラヤの村もマオイストの影響を受けている。

  村の高台にはマオイストの襲撃に備え、兵士が立てこもっている。こんなところに、マオイストがやってくるのかと、疑いたくなるが、夜7時以降の外出は禁じられている。外出した者はその高台から狙撃される。冗談かと思ったが、これが本当の話なのだ。7時以降に外出すれば問答無用に射殺されてしまう。ここは、ヒマラヤだぞ。信じがたいね〜まったく・・・。

 そして次にがっかりしたのが、ナムチェバザールも年々ゴミが増え続けている。村のいたる所にゴミが散らかっている。ナムチェバザールもいずれカトマンズのようになってしまったら・・・と思うと悲しくなる。ゴミの大半は現地の人がだしたもの。 女優の若村麻由美さんが98年にテレビの撮影でナムチェバザールに来たときもゴミが酷かったらしく、ショックを受けた彼女は、
「思わずゴミ袋広げて掃除してしまった」
と言っていた。その頃よりもさらに事態は悪化している。やはり、現地の人々への環境教育が必要なんだな〜

 ナムチェバザールの村にはいくつものお土産やさんが並ぶ。フラッと入ったら、明らかに古い数本のピッケルが目に入った。アンティーク好きの僕はその黒光りした木製のピッケルがどうしても気になった。店のマスターに聞けば、
「30〜50年前のものだ」
と言う。マスターが
「お前、日本人か、それならば、これどうだ」
と短めのピッケルを手渡された。そのピッケルのヘッドに薄らと「JAPAN」と書かれてあった。仮に30年前としたら、1970年に日本山岳会から派遣された日本隊のものかもしれない・・・。その日本隊は植村直己さんが日本人としてエベレストに初登頂した隊だ。そういえば、いつだったか、板橋区の植村記念館に展示してあった、植村さんがエベレストで使用したピッケルと、長さも形もそっくりだ。もうすっかり気分が盛り上がってしまい、マスターに値段を聞けば
「150ドル」
という。決して安くはない。しかし、それ以上にもう、欲しくて欲しくて、どうしていいか分からないぐらい欲しくなってしまった。お店の人が僕の表情を見て悟ってしまったのか、なんとか値切ってみたものの「140ドル」までだった。しかし、これを買わずしてエベレスト清掃登山に集中できなかったら、それこそ損失が大きいじゃないかと、自身を正当化し購入!

  ロッジについてからも、そのピッケルを見つめながら、
「アルピニストにとってピッケルとは武士にとっての刀と同じだ!」
と男のロマンにひたっていた。今日ばっかりはピッケルと一緒に寝たい気分です。

2002年4月7日
野口健