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ディンボチェのママ

ベースキャンプまで、人(ヤク?)と出会いながら道を進む

 4月8日、クムジュン村を後に一路ベースキャンプへとキャラバンを開始した。相変わらず、午後になると雪がふる。登山道が雪でどろどろになってしまい、歩きにくいが、しかし、喉を痛めた僕にとっては恵みの雪でもある。雪のおかげでいつも苦しめられている砂埃がすくないからだ。乾燥しきっているはずの空気も湿度をたっぷり含み喉にやさしい。

 4月9日、ディンボチェ村に到着。ディンボチェ村に来る時には必ず寄っていく家がある。

僕がディンボチェ村に始めて訪れたのは19歳。その時に泊めてもらった村の人の家だ。高山病に苦しんでいた僕に小屋のママが
「頭痛にはガーリック入りのスープがいいのよ」
と作ってくれた。その頃のエベレスト街道は今のような豪華なロッジなどほとんどなかった。

 泊まるところといえば、村人の民家にお客用の寝室を付け加えただけの質素な「民宿」だった。それだけに、彼らの生活習慣にどっぷりとつかれた。決して衛生的ではないが、しかし、僕らの社会が失ってしまった他人に対する温かさがあった。1992年以来、僕はディンボチェに寄るときにはママの小屋に泊まる。1999年のエベレスト登頂直前もベースキャンプからママの小屋に降りてきた。精神的にも追い詰められていた3度目のエベレスト挑戦。アタック目前にママの小屋で数日過ごした。なにか、守られているようで、ほっと安心したのか久しぶりに熟睡できた。

  このディンボチェ村にも今では立派なロッジがいくつかできた。どうしてもトレッカーの足はその清潔感あふれるヨーロッパ風のロッジに向いてしまうが、ママの小屋のような温かさは感じられない。エベレスト目前に僕はママの温かさを充分に感じ取っていた。

 高度順化の為に、ディンボチェ村の裏にあるナガゾンピーク(5100メートル)に登った。5000メートル付近から息が切れだした。少しずつ足を前へ前へと出すが、なかなか続かない。頭もなんとなく、重たく感じる。来た来た来た!高所の世界に踏み入れた証だ。ここが、自分の世界なのか、妙にうれしい。
「低所よりも高所のほうが体質にあっているのかな〜」
残念ながら、ナガゾンピークの頂についた時には雲に覆われ景色は楽しめなかったが、体調とは裏腹に気持ちは「わくわく」と興奮気味だった。

2002年4月13日
野口健