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野口健、エコツアーを旅する
―小笠原編 1―




「小笠原を見ていないという後ろめたさ」

 東京・竹芝桟橋から南南東へ約1000キロの太平洋上に「東洋のガラパコス」と呼ばれる島々がある。父島・母島・聟島・硫黄の4列島からなる小笠原諸島である。約5000万年前の火山活動で誕生して以来、一度も陸続きになったことがない日本で唯一の海洋島であり、1830年までは無人島だった。そのため地球上でも小笠原にしか存在しない固有の動植物が溢れ、世界的にも貴重な自然的価値を有している。

 しかし一部の地域では、長年の観光利用で自然破壊が進んでいた。そのため東京都は2001年(平成13年)の5月に小笠原諸島における自然保護と観光に関する新たな仕組みづくりを検討するために、「小笠原アドバイザー会議」を設置することになる。作家・椎名誠氏や海洋生物学者・ジャック・T・モイヤー氏などを始め計11名の有識者が委員として選出されていたが、その中に野口の名前もあった。

 この時から野口と小笠原の関係が始まる。会議は一年間続き、様々な議論が行われ、提案もなされたが、委員の中には実際に小笠原へ行った事のない人も多々存在した。そして野口もその一人だった。今回、小笠原行きを決断した最大の理由は、「実際に現場を見ていないという後ろめたさ」だったという。


「エコツアーに魅了されて」

 そしてもう一つ野口を小笠原に駆り立てた動機がある。2003年の2月、野口はアフリカはタンザニアのンゴロンゴロ自然保護区で始めてエコツアーを体験している。それは野生動物を生で見る「サファリツアー」だったが、その内容は通常行われているものとは随分異なった。

 サファリツアーというと、大抵の場合、ジープに乗って移動しながら、野生動物と接する、というイメージだが、ンゴロンゴロ自然保護区では、ジープから降ろされて25キロもの大自然を歩いて移動するというものだった。この時の経験が強烈で「野生動物との距離のとり方など新たに考えさせられることが多く、エコツアーへの興味が芽生えてきた」という。


「ガラパコス後、即小笠原へ −感覚で比較するということ−」

 四回目のエベレスト清掃登山を終えた野口は2003年6月の下旬から今度はエコツアーの先進地ガラパコス諸島へと赴く。南米エクアドル共和国に属するガラパコス諸島は、1920年代までは捕鯨船の基地としての役割を果たし、乱獲が行われていた。有名なゾウガメもほぼ絶滅しかけるほどの荒廃ぶりであった。

 だがその後、島の自然や動植物の貴重さに気付き、政府は180度の方向転換を図る。徹底的に保護・管理を行い、世界中から観光客を呼び、外貨を獲得するという方策をとったのだ。そして自然を守ることで経済が成り立つという仕組みを早々に確立したのである。

 ガラパコスでは宿は島に横付けされた船の中であり、島へ移動するにはそこからボートで移動する。都市は存在するが、1カ所に集められ、その他の地域には住むこともできない。上陸の際にはナチュラリスト・ガイドが同行し、歩行ルートも制限される。ガイドの養成も徹底しており、2年間ほど専門の勉強を重ね、その後、ダーウィン研究所で5年間ほど勉強しなければならないという。つまりガイドになるまでに7年ほどの勉強が必要となり、ダーウィン研究所での5年間はガラパコスの住人になることが義務付けられている。

 更にガラパコスの全ての四季と、全ての島々の生態系に精通していなけらばならない。自然を守ることによって、地元の人間の生活が保証される仕組みが見事に機能しているガラパコスを体験し、野口は「その興奮が覚めないうちに小笠原へ赴き、感覚で比較したい」と思い立つ。感覚で比較するということは、野口曰く「知識や記憶を辿って考えるのではなく、五感で素直に判断できる」ということ。



2003年8月23日
文責:小林元喜