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橋本元総理との出会い/2

  会場を訪れた子供たちと
 そして9月上旬に橋本事務所に7900メートル付近から発見された一本の酸素ボンベを手に訪れた。応接室に案内され緊張しながら待つこと5分、橋本元総理が現れた。ヒマラヤでの体験談をまるで子供のように楽しそうに語られるお顔は、いつもテレビで拝見している厳しい橋本元総理の表情とはあまりにも違った。その会話は1973年のRCC隊に参加された事や、1988年の日本・中国・ネパールのチョモランマ三国合同隊での出来事、等々30分以上にも及んだ。

 そしてついにあの「すてたもので随分助かりました」のお話をなされた。1973年、RCC隊は加藤保男・石黒久の両隊員がエベレストに登頂した。その際総隊長として橋本元総理はベースキャンプまで同行されていた。加藤・石黒両隊員がエベレスト登頂後、下山中に日が暮れ、酸素ボンベも底を尽き、事態は緊迫していたとの事。酸素を失えば、体への影響も過酷になる。

2000年の清掃登山で回収した88年日本隊のゴミ  
 絶対絶命と追い詰められた両隊員が発見したのが、前年のイタリア隊が捨てていった酸素ボンベ。その酸素を吸いながら、命からがら奇跡的な生還を果たしたのだ。橋本元総理は、そのイタリア隊の捨てた酸素ボンベがなければ、おそらくアタック隊は生還できなかっただろうと、本当にあの酸素ボンベには感謝していると語られた。

 なんの事はない、私の早とちりであった。勝手に、橋本元総理からの圧力と思い違いし、なにがなんでも橋本隊のゴミを見つけてご本人の元へ届けてやろうと、短気を起こしただけであった。葉書の中には「すてたもので助かった」としか書かれていなかった為、過剰にその言葉の裏に含まれている意味合いを探ってしまったが、取り越し苦労であった。本当に前年のイタリア隊が捨てた酸素ボンベのおかげで命拾いしたのだった。よくよく考えれば元総理まで勤められた方が私ごときの一介の登山家にそのようなこしゃくな真似などするはずもない。私の思い上がりであった。

 しかし、せっかく橋本隊の酸素ボンベを持ってきたので、「橋本隊のゴミと思われる酸素ボンベです」とお渡ししたら、橋本元総理のお顔が真っ赤になり、「我が隊のゴミがそれほどあったのか?」と聞かれるので、正直に「酷い状態です。他の隊のゴミを圧倒しています」とお伝えしたところ、厳しい表情となり、「申し訳なかった」「当時の環境に対する意識の無さを痛感した。反省しなければならない」と。そして「参りました」とも・・・。私は橋本元総理が自分達の非を素直に表現されるのを目の当たりにし、その潔さに感服させられた。

 その後、東京都庁内にてチョモランマ清掃活動の展示会をおこなったが、その展示会場に橋本元総理もいらしてくださった。その翌週には環境庁の川口順子長官もいらした。「橋本先生にご紹介をいただき来てみました。」と・・・・。私の勝手な思い上がりが、なんとも恥ずかしかった。「参りました」は私のほうであった。