生中継しますので、もしよかったらご覧くださいね。
夕方から近所の温泉に入ってきましたが、全身の力が抜けてグタグタ。今日はもう寝ます。やっとゆっくりと眠れます。やはり日本はいいですね。帰ってこれてよかった。おやすみなさい。
5月28日、小西さんとマナスルに残って登山を続けていたオーストラリア人女性登山家のスーさんがマナスル登頂後に山頂直下のクレパスに転落し遭難。彼女のシェルパが転落したクレパスに向かって彼女の名前を読んだが返事がなかったとのこと。シェルパ一人では救助も行うこともできず安否を確認できないまま下山。最終キャンプからの無線連絡で彼女の遭難は伝えられたが、マナスルに残っているのは小西さんとそのシェルパ達だけ。小西さんはすでにマナスル登頂を断念しベースキャンプへと下っていた。スーさんの安否は確認されないまま救助活動も行われることなく今春、マナスルに挑戦していた登山隊は全てがその活動を終了。なんとも悲しく後味の悪い結末であった。

スーさんのクレパス転落をカトマンズで聞かされた時に、状況からして救助活動が不可能であることを知り、極めて不謹慎ながら彼女の「即死」を願っていた。8000mを超えた高所であり、単独での脱出は極めてありえない状況で、また無傷であることもないだろうと推測する中で、仮に彼女がクレパスの底で生存しながら、けっしてやってこない救助を待っていたとしたら、それこそ残酷で可愛そうでならない。
あくまでも結果論でしかないが、彼女のマナスルアタックは遅すぎた。谷口ケイさんやグルジア人登山家のギーアが登頂した頃は多くの登山隊が集中していた。もし、その頃の遭難ならば救助活動が行えたかもしれない。そしてシェルパの話では5月下旬はすでに登山シーズンを終えており、高温の為にクレパスが緩み滑落しやすくなるとのこと。谷口さんのアタック時もすべに至る所でクレパスが開いておりロープを使用したとのこと。エベレスト世界最短時間で登頂したペンバ・ドルジ・シェルパが「スーのアタックは時期が遅すぎた。氷河が緩んでいたのだろう」と語っていた。登山は他のスポーツと違い小さなミスでも時に命を失う。取り返しがつかないのだ。念願のマナスルに登頂しながら、その直後の遭難はとても残念であり、またもったいない。ロープさえ繋いでいたら、と思ってみても今となっては全てが遅い。私達ができる事は遭難事故を繰り返さないことだ。これからも安全管理を徹底して行なっていきたい。スーさん、素敵な笑顔をありがとう。そして安らかにお休みください。さようなら。
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5月29日、野口はカトマンズ市の運営しているゴミの処分場を見学してきました。
この処分場は、日本の JICA (国際協力機構)の協力の下、福岡方式と呼ばれることもある準好気性埋立方式を取り入れた埋立処分を行っています。プラスチックや紙類の多い日本のゴミと違い、カトマンズのゴミは 7 割が生ゴミなので、焼却方式でゴミを処理してしまうとコストやダイオキシンなどの様々な面で問題が起きてしまいます。そこで、ゴミを地中に埋め、そこに縦横にパイプを通して空気を入れることで溜まったガスや汚水を抜き、ごみが分解されやすいようにする、準好気性埋立システムが導入されました。現在ある最終処分場は、カトマンズ市内から 300 トン、郊外を入れると 380 トンものゴミが毎日運ばれてきます。そのため、この処分場はあと 3 年もすればいっぱいになり、つぎの処分場へとゴミが運び込まれることになります。なお、このごみの輸送能力強化のため、日本はノンプロジェクト無償資金協力で大型のごみ輸送車の供与も行なっています。
1980 年代から、ドイツがコンポストを利用したゴミの処理法を導入しようと試みましたが、この時は臭いの問題などで地元住民とのコミュニケーションがうまく行かず、頓挫してしまいました。ドイツの場合、ハード面の整備はしましたが、地元住民への啓蒙活動や技術の養成などを行ってこなかったため、撤退後のネパールには何も残されませんでした。その点 JICA は、学校での環境教育や北九州市でのカウンターパートの研修、地元住民への啓蒙活動を積極的に推し進めており、 JICA 撤退後も運営できるシステム作りを目指しています。
野口は「エベレストやマナスルの清掃でもそうだったように、地元の参加が最も大切。ごみ焼却施設や最終処分場がなかったネパールでは、ゴミの処分方法が最大の課題であった。 JICA の地道な努力は次に繋がるっていくだろう。この最終処分場も後 3 年で満杯になる。その次をどうするのか。日本政府の継続的な援助(特に技術協力)を期待するが、しかしネパールに限らず発展途上国は援助なれしている。一方的に援助するだけではけっしてネパールのためにはならない。最終的には彼らが自立できるようなシステムにしなければならない。その為にも技術、ソフト面をいかに定着させていくかが今後の大きなテーマだろう。特にゴミなどの環境問題は意識改革が必要。今後とも JICA の活動を応援し、また彼らの活動を伝えていきたい。それにしても現場の世界は大変だ。情熱がなければとてもできない。頭が下がります」と語っていました。

5月26日、午前11時。 カトマンズ市内のマッラホテルで、4月14日から5月24日まで行われた「野口健マナスル清掃登山」の記者会見を行いました。会見会場には、ネパールのテレビ局、新聞記者、海外のメディア等から30名ほどが足を運びました。
会見に先立ち、マナスルベースキャンプでの清掃・谷口ケイ登頂・サマ村清掃の模様を映したビデオをながし、実際の現場の雰囲気を感じとってもらいました。ビデオで、谷口ケイさんがマナスル山頂において日の丸を掲げるシーンでは盛大な拍手が会場の中に湧き起こり、サマ村の清掃で村人が薪とゴミとの区別がつかず捨てようとしているシーンでは、笑いが起こりました。
【野口隊長の話】
・4年間のエベレスト清掃が終わったとき、肉体的にもとてもハードなことだったし、シェルパ3人の犠牲やそのほかたくさんの犠牲を払ってやってきたので、もうやらないと思っていた。そんな時シェルパ達に、エベレストだけではなくネパール全体が汚い。我々もやるからやろう、と言われ、やろうと思った。
・今から50年前、日本は戦争に負けて国全体の自信がなかった。そんな時、8000m峰であるマナスルに日本人が初登頂し、大きな勇気をみんなに与えた。マナスルは日本人にとって、そんな山だと知った。
・マナスルは非常に雪の多い山ですが、4月の終わりなのに気温の上昇のせいで水のような雪がたくさん降る。何回もヒマラヤに来ると、身体で温暖化を感じる。このことを伝える使命を感じた。南太平洋に浮かぶ「ツバル」という国は、温暖化による海面の上昇で消滅の危機にある。海面の上昇には、どんどんと溶けていく氷河も関係しているので、氷河のあるネパールはその国のように、地球温暖化を訴えられる国でもあるのです。

・今回一番嬉しかったことは、サマ村の人々が話をすることで我々の考えを受け入れてくれ、積極的に清掃に取り組んでくれたこと。地元の人たちがやる気を持って取り組んでくれたことが本当に嬉しい。
・このことをヒントに、山から村へと下りて行きたいと思う。ルクラからナムチェ・クムジュンへとクリーニング・キャラバンを行いたい。それをやる上で大事なのは、システム整備と環境教育。学校等で環境教育を行いそこから村全体へと広げていきたい。
・田部井淳子さんと、サマ村でマナスル・ファンデーションを作ろうという話をした。教育に主眼を置いた基金。50周年のこの年に、パーティのような形だけのことではなく中身のあることをしたい。ヒラリーは学校や診療所を作ったりしてクンブエリアの発展のために尽くして来た。日本人はこの50年間、なにもしてこなかったので、次に繋がるような中身のあることをしていきたい。
・トイレに関しては、システムを早急に作る必要がある。エベレストにはシステムがあるが、ヒマラヤのほかの山には全くシステムがないので、氷河の中にうんちが埋まっている状況だ。氷河にはバクテリアがいないので、分解されずにそのまま残ってしまう。それが少しずつ溶け出し川に流れていったものを、村人が飲むことになる。登山隊は入山料をたくさん払っている。その中から、ネパール政府はトイレのシステムを作って欲しい。
【サマ村代表:ビル・バードルの言葉】
・ 50年前、日本人の登山家が我々の村にやってきて成し得たことが当時の日本人に大変な勇気を与えたように、50年後の今、再びやってきた日本人が、今度は我々に大きな勇気を与えてくれました。

【質疑応答】
エベレストの清掃後、アジアの国々の環境に対する意識に変化はあったのか?
特に変わったのは、韓国隊。昔はゴミに対して無頓着だったのが、現在は清掃隊まであるほど。
日本隊もここ4~5年は大きく変わっている。中国隊は、まだまだこれからだという感じがします。
環境教育のシステムを作ることに関して、政府との協議は?
政府側には、これから提案をしていく段階。ただ、その前に自分たちに何ができるのかを考えて欲しい。富士山でもそうだったが、ローカルなところでできることはやる。そこから政府に提案をしていったほうが早いこともある。
エベレスト4回の清掃で、どれくらいのゴミを回収したのか?
約7,7トン
今回、50年前の日本のゴミはあったのか。また目立った国のゴミは?
50年前のゴミは見つからなかった。
目立ったのは、韓国・日本・ヨーロッパ。ただし、缶などは錆びてどこの国のものか判別できないものが多かった。また、ベースキャンプからポーターが荷物を上げ下げした時に食べたものや落としていったものも多かった。
【会見に先立ち】
サマ村にある唯一の学校、ガウリ・シャンカール・スクールは、通学制にすると親が子供を働かせてしまい学校に来られないことがあるため、全寮制の学校です。この学校では現在、5歳から15歳の生徒26名が学んでいます。会見をした校長のビル・バードルと村の若いお坊さんは、村を変えていくためには子供達への教育が必要だと考え、昨年、今までの学校を新しい制度にして再開校しました。彼らの村を変えたいという一生懸命な思いに打たれ、サマ村を去る前に野口はこの学校に米2トン、そしてノートや鉛筆、教科書などの大量の文房具を寄付しました。

5月27日 ベースキャンプ・マネージャー 阿久津千尋

5月27日、野口の行っているシェルパ基金(シェルパ遺児の教育)の子供達が学んでいるマウント・カエラス・スクールへ行きました。



午前の授業を見学し、午後は子供達とカトマンズ市内の動物園へ行きました。

野口はいつもヒマラヤから下りてくると、子供達と交流をします。昨年は、エベレストの見える丘に行きました。今年、新たに一名の遺児が加わりました。野口は「最初、入って来るときはみんな固いけど、一年も経つと目が生き生きとしている」と語っていました。

5 月 27 日 ベースキャンプ・マネージャー 阿久津千尋



: サマ村での清掃活動を終え、夕方から盛大な歓迎会を開いてくださった。村人との懇親会が行われたり、また小学生達が踊りを披露してくださった。この小学生の踊りがまた見事で、飽きることなく見入ってしまった。今までヒマラヤ清掃活動を続けてきたが、これほどまで我々の活動に反応してくれた地元はなかった。エベレスト初登頂したヒラリー卿は、登頂以来、一貫してエベレスト麓のシェルパの村々で学校や診療所を作ったり、また植林活動を続けてきた。


おかげで、シェルパ達の生活水準も高くなった。ヒラリー卿の凄さが最近になって始めて分かったような気がする。それに比べて私達はどうだろうか。ヒマラヤの恩恵は受けながらどれだけ恩返しをしてきただろうか。子供達の踊りを見ながら、これからもサマ村と関わり続けたいと思ったし、またその責務もあるだろうと感じていた。ヒマラヤの清掃活動からそろそろ里での活動に移る時期が来たことを実感していた。


マナスルから撤収し、サマ村に下りた私達をサマ村の村人が大歓迎して迎え入れてくれた。手作りの日の丸が村のあちらこちらに掲げられていた。 5 月 23 日は朝から村人が広場に集められ、ヘッドラマ(村で一番偉いお坊さん)が村人達に我々のマナスル清掃隊の活動を紹介しながら、「日本人が私達のマナスルの掃除をしてくれた。私達も一緒にやろう!」と呼びかけ、総勢 150 人でサマ村の一斉清掃が始まった。村人の多くがゴミ拾いをしたことがなく、ゴミの説明から始まった。村人が手に持つゴミ袋の中身を覗いたら枯れ草や牛の糞が入っていたので、これはゴミではないと説明。初体験のゴミ拾いに戸惑っていた村人も徐々にゴミの存在を理解し、ゴミ拾いに夢中になってくれた。決められたゴミ捨て場のないサマ村では至る所がゴミだらけ。ガラス瓶や衣服、缶詰から電池などの生活品。

午後にはサマ村の小学生約 30 人も清掃活動に合流。自分の体ほどのゴミ袋を背負いながらも楽しそうに拾っていた。子供達とゴミを拾いながら、このネパールでも日本で行っている環境学校のような環境教育の普及活動を行わなければならないと感じていた。「環境問題」といった概念のないネパール社会。まずは教育から始めなければならないだろう。

この日のゴミ回収量はなんと約 5 トン。カトマンズから持ってきた100枚のゴミ袋など瞬時に終わってしまった。なによりも嬉しかったのが、我々がマナスル清掃活動を行ったことで、マナスル山麓の村人が動いてくれたことだ。ヒマラヤ清掃活動に命を賭けてきたが、それだけに終止してしまったら意味がない。ヒマラヤ清掃活動はあくまでシンボル的な活動であり、その活動からさらに広範囲に普及してこそ始めて意味がある。ネパールの村人が始めの第一歩に過ぎないが、それでもアクションを起こしてくれたことがなによりもの嬉しい出来事であり、過酷な条件化で清掃活動を続けてきた我々への褒美でもあった。サマ村は日本隊が初登頂したマナスルの玄関口だ。 50 年前の日本隊もサマ村の方々の協力があってこそ初登頂の快挙を成し遂げられた。そのサマ村に日本人として少しでも恩返しができたかなぁ~と実に気持ちのいい実りある一日であった。



5 月 21 日、野口隊のマナスル上部での活動を全て終了しベースキャンプを撤収。 22 日にはマナスル登頂を断念した田部井さん、平木さんも撤収。マナスルに残り山頂を目指すのは小西さんと 3 名のシェルパ達。一ヵ月半、共に挑んできた小西さんとの別れは辛かった。無酸素登頂というあえて過酷な条件を自らに課し挑み続ける小西さんの生き方から学ぶべきものが多かった。小西さんのマナスル登頂予定は 5 月27~2 9 日。無事に生還されることを心から願っています。

サマ村への下山中、ベースキャンプにはけっしてなかった緑が現れた。土に草木、そして花。どれも新鮮で匂いに植えていたのか、嗅覚が敏感。それら命の匂いに敏感に反応ししばし犬のようにクンクンと嗅ぎ続けた。名前は分からないが黄色い花がやけに鮮やかで、目に沁みた。やはり土のある世界は素晴らしい。土の上を歩きながら誰一人失うことなくマナスル清掃活動を終了できた幸運に感謝していた。マナスルでは不眠症に悩まされていたが、サマ村の夜は安堵感からか朝まで一度も目を覚ますことなく眠れた。寝る前のビールが効いたかなぁ。




清掃登山参加の動機?
2002年と2003年の二回、エベレストの清掃に参加して、最初の年は、なぜ苦しい思いをしてゴミを拾うのかなぁと少し客観的に思っていたのだけれど、二回目の2003年に、エべレストを掃除することに意味があるのではなくて、エベレストを掃除することで周りに与える影響がいかに大きいかという、その後々の影響力の大きさに気づいて、例えばネパールの政府、環境省が、持ち込んだものは持ち込んだ人が持ち出さなければいけないという決まりを作ったりだとか、シェルパ達が、最初はなんで掃除をしているのか意味が全然わからなかったはずなのに、健さんが4年4回清掃をしているうちに、自ら自分たちの子供たちの時代に汚染された水を飲ませたくないとか、そういう思いで積極的にシェルパたちが清掃隊に参加しているんだって知って、すごくここの清掃隊って意味があるんだな、て気づいたのがひとつで、ここからぜひ健さんと一緒に活動を続けて行き、その健さんだからできることはあるけれど、もしかしたら自分にだからこそできることもあるはずだなぁと思って。例えば、私はすごくネパールの人たちが好きで、一緒に山で生活をするシェルパたちと話をして、どんな考えを持っているの?とか、こうじゃないの、と自分の考えを言ったりとか、そういうやりとりをすることで今後の自然とか地球とかに対して何か影響していけるのかなと考えていて。それはもちろん、エベレストとか大きな山に限ったことではなくて、日本の小さな街角だったり普通の裏山だったするんだけど、あえて今回ちょっと危険だなとわかっていても、清掃隊に参加しようという決断を下したのは、自分にだからできることがここにひとつあるかな、という思いがあったので、参加を決めました。
実は何回か、そんな恐ろしい山には行きたくないと断っていたのだけれども、健さんと一緒に何かをやるのは面白い、というのと、ネパールの仲間たちともう一度何かをやりたい、というのが、私を行こうと思わせた大きなきっかけだったと思います。
うんこ隊長を引き受けた理由は?
もともとの役割は登攀隊長だって言われていたのですが、それだけじゃ清掃隊に参加する意味がつまらないなぁと思い、あえて自らうんこ隊長になりますと宣言をしたわけです。それは、シェルパ達が最も嫌っているゴミというか汚物だったわけで、シェルパたちは例えば遺体であったりゴミであったり古いテント、そういうものを下ろすのをいくらでもやってくれるのですが、エベレストのときに気づいたのは、彼らの世界にはカーストというどうしても切っても切れないものがあり、最初は理解できなかったけれども彼らの文化を尊重する上で彼らには運べないと、ならば日本隊員の私たちがやればいいんじゃないかという思いがひとつと、日本隊員たちが自らその一番嫌がられる汚いものを下ろすことによって、ネパールの人たちに、何でそんなことをするんだろうというひとつの驚きと、疑問を持ってもらったら説明ができるので、じゃあ掃除しようよ、という問いかけのひとつになればいいなと思ったのがきっかけです。実際やってみて、健さんも積極的に下ろしてくれるしこの村のラマさんたちもすごくありがたいと言っているし、それによってシェルパ達も上部で携帯トイレを使ってくれて下ろしてくれる、という動きにつながったことがすごくうれしいなと思います。
この山の難しさは?
マナスルだからってことはないと思うのですが、一つ一つの山に性質がいろいろあって、ここは今まで行ったヒマラヤの中では非常に雪が多いのと、あとはその雪が湿気ていて重いので雪の処理が非常に厄介だなあと。天気がすごく不安定というのもあるかなぁ。天気を見るのもひとつだし、天気を見た上で雪質を判断すること、今行くべきなのか行かないべきなのかの判断を決めること、そこが難しいかなと思います。あとは雪崩かな。雪崩多いね。でも、他の山も雪崩はあるので、それは同じかなと思います。
アタックをかける気持ち?
不安はないかな。何も怖くないっていうわけじゃないんだけど、怖いと思っている限り、たぶん今までどこの山にも登れていなくて、ようは、自分とこの山が今どれだけ仲良くなれているかだと思うんだよね。たぶん三週間前にこのベースキャンプに来たときは、登れるとは思えなかった。でも、今はあんまり不安はないかな。なぜかというと、ずっとここに一緒に暮らしていると、山とも近づくし、仲間とも近づくし、お互いがすごい理解しあえているな、と思う。それは自分と他の隊員だったり、自分と他の山だったり、自分と空の天気だったり全部含めてなんだけど、すごい近づいてきているっていう感じがするから、変な不安はないかな。突っ込みたいとかそういう気負いもなくて、仲良くなってきたんだからもっと近づこうよ、という感じかな。「アタック」といういうよりも、もっと近づいていくよ、という感じかな。
アタックにかける意気込みは?
ちょっと残念なのは、健さんをはじめ他の日本の隊員が一緒に行かれないことが非常に残念で、その中で私が頂上に行く意味ってあるのかな、って思って。行っちゃいけないんじゃなくって、面白くないんじゃないの?って最初思ったんだよね。その健さんに、役割があると、大きく二つに分けようよ、と。清掃と、登頂と。って言ったときに、そうだ、自分の役割のひとつは登頂だ、って思ったのがひとつと、日本隊員は一緒に行かれないけど、今まで一緒に清掃も山登りもやってきたネパールの隊員とともに上へ向かえるということに対して自分はすごく幸せだなと思っていて、今までキャンプを上に上げるごと、ずっと一緒にやってきた二人のネパール隊員とともに上に行けるということが、ひとつ自信であり喜びであり本当にありがたいことだなと思っていて、絶対に何かをしなきゃいけないとは思わないけど、みんなの想いを背負って、ぜひ三人で一番高いところまで行ってきたいなと思っています。

勝利宣言!
午前 9 時 30 分、谷口ケイさん、ペンバ・ドルジ・シェルパ、アンカジ・シェルパの 3 名が無事にベースキャンプに戻ってきた。ベースキャンプに降りてくるまでは安心できないもの。やっと帰ってきてくれましたぁ~。8000 M 峰に登頂したのにピンピンと元気なケイさんに驚き。ケイさんをサポートしてくれた 2 人のシェルパ達には心から感謝。ありがとう。これで野口隊としてはマナスル上部での活動を終了。無酸素登頂を目指している登山家の小西浩文さんは小西隊として 4 名のシェルパ達と共にマナスル挑戦を続け 5 月下旬にアタックを目指す。

ケイさんのベースキャンプ帰還を喜び合う

マナスルに登頂した3人(左からアンカジ・シェルパ、ケイさん、ペンバドルジ・シェルパ)
清掃活動は 5 月 24 日まで。23~ 24 日はマナスル山麓の村、サマで村人たちと一斉清掃を予定。 5 月 25 日にカトマンズに戻ります。もの残り約 1 週間!最後まで事故が起こらないよう気を引き締めて頑張ります。それにしてもケイさん、無事に帰還、本当に良かった。

マナスル登頂、ほんとうにおめでとう!
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野口健マナスル清掃登山隊の登攀隊員として
キャンプ1に隊員全員が順化で泊まっていた夜、狭い一つテントの中で頭をつき合わせて、残された登山期間での役割について改めて話しをしたことがあった。清掃隊と登攀隊の役割を明確にしよう、ということ。つまり、健さんが清掃隊長であり、私が登攀隊長であるということだ。それまで、私は健さんが頂上に向かわないことがあったら、一人で向かうなんていうことは考えられなかった。でも、この登山隊の仲間は健さんだけではなく、今まで共に清掃登山隊として活動してきたシェルパ達がいるのだった。そのシェルパ達も、清掃隊と登攀隊に分かれることになった。
ここで気持ちが新たになった―――日本とネパールの国旗をマナスルの頂に掲げよう。
ベースキャンプ出発前に思ったこと
何で私はこの山に登るのか。何のために。この山に登る意味は何だろう。
何でもいいから登りたいっていうのは違う。この山の、この姿のときに、誰と、どういうスタイルで登るのかっていうのが重要なのだ。50年前、日本人が初めて登ったマナスルというこの美しい山の頂に、私も立ってみたい。8163mという私にとっては未知の高みに、辿り着いてみたい。ペンバドルジとカジという大好きな仲間と共に、あの高みに登り着いてみたい。彼らと一緒だからこそ登りたいし、彼らとなら登れる気がする。
出発前にカメラマンの淳君から「アタックに対する不安を聞かせて」と言われたけれど、答えられるような不安はなかった。この山にやって来る前と、初めてこの山に出逢った時は不安だらけだったけれど、今は無い。いつものように、この山に徐々に近づいてきたって気がするから、自然に頂上へ向かう。
三人で絶対にあの頂に立とう
高所順化とルート工作で、約7000mまで三人で行ったとき、このまま頂上へ行こう!なんて話になった。気持ちは高まったけれど、時期尚早だった。そして天気も次の日からしばらく崩れることとなった。逃げるようにベースキャンプへ下りる。その代わり、次は絶対に三人であの頂に立とうね、と約束する。
更に、山麓のサマ村まで1000m高度を下げて二泊三日休養をし、再び三人でベースキャンプに戻ってきた。三人の気持ちは一つ、悪天の合間をついての速攻登頂だ。途中のキャンプを飛ばして、ベースキャンプ→キャンプ2→キャンプ4→登頂・キャンプ2へ下山、という考えで登るつもりだった。仲間の隊員や、他隊の友人らからは「そんなの無理だよ」「他隊と協力してルート工作したほうがいいよ」と散々アドバイスも頂いたけれど、結局、私たちは自分たちの考えを通すことにした。自分たちの登山なのだから。それから、これは野口隊長にも内緒だったのだけど、酸素ボンベは、天気が最高に良かったら三人とも使わない、天気が少しでも悪かったら三人とも使って速攻登頂をしようと決めていた。(健さん、ごめんなさい!)
さて、ルートの状況は、このところ降り続いた大雪でキャンプ2から上は深雪となっていた。ラッセルに時間をとられ、私たちは予定より低いところに最終キャンプを作ることとなった。通常のキャンプ3と4のちょうど間ぐらいの、7250m地点。この先を見ると、巨大な氷塊が折り重なっている。うーむ、明日の朝はきっとこれを乗り越えていくのに悩まされるに違い無い。そして夜じゅうの強風。私たちは酸素を使うことにした。8000m峰は初めての私とカジは、この最終キャンプで酸素マスクの使い方をマスターして喜ぶ。食事は三人で一食分のアルファ米とお茶とツアンパ、それからスープ、スープ。食欲が無いわけではないけれど、三人とも高所ではあまり食べないようにしている。消化に酸素が奪われてしまうから。
午前1時起床。しかし相変わらずの強風。カジが一生懸命お湯を作ってくれているのに、私とペンバドルジはまた寝てしまった。2時半、風がだいぶ収まって来たので出発準備に取り掛かる。結局、登りだしたのは4時頃で、東の空が白みかけていた。ヘッドランプの明かりで氷塊を登攀するのは予想通り時間がかかった。途中で氷付けのテントやスノーバー、古いロープを目にした。ようやく7時に、通常のキャンプ4、7400m地点まで辿り着く。ここからが頂上プラトーと呼ばれるところ。プラトーとは言っても、4つの大きな雪壁が待ち構えていて、その遥か彼方にマナスルの頂上が朝日に輝いていた。その頂の上を、まるで生き物のように雲の筋が越えていく。もうあの頂からは目を離さない。
頂上プラトーに出てからは、ペンバドルジとカジはずっと私を先行させてくれた。彼ら曰く、マナスルは日本人の山だから、ケイが最初に頂上に立つべきだ、と。
11時15分、一番高いところにいた。
約束通り、三人で立った頂上。他には誰もいなかったし、風も無く、太陽の日差しだけが暑かった。いやいや、私たちの心も熱かった。日の丸の赤と、ネパール国旗の赤もヒマラヤの空に燃えた。
御礼
マナスル登頂に際して、多くの皆様にご協力ご声援を頂きましたことを御礼申し上げます。特に、野口健マナスル清掃隊の日本隊員、ネパール隊員(シェルパ)には多大なご指導とご協力、そして沢山の笑顔を頂きました。これからも共に歩んで行きたい大切な仲間を得られたことを誇りに思っております。
2006年5月17日 マナスル・ベースキャンプにて 谷口けい
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谷口ケイさんが無事にベースキャンプに生還し、午後からベースキャンプでの清掃活動を再開した。ベースキャンプ入りしたばかりの頃に必死に雪かきしながらゴミを探していたが、最近では雪がだいぶ溶け出し部分的にゴミが露出することもある。二日ほど前から露出しているゴミ回収を始め、合計で12キロほど回収。今日もそのポイントの清掃を行ったが、目立っていたのが電池。清掃中、ふと視線を下の方にやると1000m下にあるサマ村が見えた。この氷河を汚染すればそのままサマ村の水を汚すことが実感としてよく分かった。そしてその水がカトマンズへと流れ国境を超え、インド、バングラディシュ、そして最後はインド洋に流れていく。
つまりヒマラヤはまさしく水源地のスタート地点であるわけで、ヒマラヤを汚せばヒマラヤのみならず最終的には海まで汚染してしまう。今日もわずかなゴミしか回収できなかったが、我々がゴミを回収する姿からゴミを捨てる人が減ればいい。また、ネパール人スタッフ(例えばシェルパ)はまだまだ環境という概念がない。登山隊員が捨てなくてもネパール人スタッフがゴミを捨てることが多い。中には登山隊員が「あれは私じゃなくてシェルパが捨てたものです」と反論する人もいるが、それは違う。自分達のスタッフにちゃんと指示し伝えなければいけない。
清掃隊に参加するシェルパ達の中にも最初は何ゆえに危険地帯でゴミを拾うのか理解しない人がいるが、現場でゴミと格闘するうちに真意を理解してくれる。そうやって清掃活動の輪が広がっていけば、今日の10数キロのゴミ回収の意味がグーンと広がる。そう信じながら氷河の氷を削ったり、雪を掘りながらゴミを拾い続けている。人にはなんとも地味な活動に映るかもしれないが、ただ地味な活動の延長線上に大きな変化があるわけです。明日はキャンプ1のトイレを回収しに行きます。ただ今のゴミ回収量は222キロです。


捨てられていた、チャイニーズサングラス(ナウいでしょ?)
谷口けいさんがマナスルの山頂を目指しベースキャンプを出発し、今度は我々清掃隊が出陣。午前 10 時 30 分、野口、阿久津、平賀、 7 名のシェルパは4200m地点の旧ベースキャンプ地を目指した。このポイントは 3 回目の清掃で過去に約 150 キロのゴミを回収している。現在のベースキャンプから下って一時間強。帰りは約 2 時間ほど登り返す場所にあり、往復すればなかなかの運動量になる。谷口けいさんが「けんさんの分までマナスルに登ってくるからね!」と言ってくれた。けいさんはマナスル登頂に専念し、僕は清掃活動に専念する。それでいい。

どうしていつも、僕はゴミに囲まれているの?
今日はガラス瓶のかけらが多く指を切らないように気をつけた。残念ながらどうして毎回、日本語のゴミが発見されるのだろうか。大量ではなかったが、日本語で書かれた缶詰やカップラーメンを回収。 2 度ほど清掃している場所なので見た目は綺麗になっているが、さすがクリーニング・シェルパ。勘で土を掘り起こしてみると土の中からゴミがでてくる。

あ~、僕もビールが飲みたい!

茶摘みたい!

みんなでゴミの仕分け

ゴミを拾いながらも、景色に心を癒される
我々はいつしかゴミハンターになっていた。以前も原稿で書いたが、ゴミを捨てる人の立場になって探してみれば見つかるもの。今日も 2 時間ほどで 40 キロほどのゴミを回収した。これで合計 210キロ。目標にしているゴミ回収量までまだまだゴールが遠いなぁ~。捨てられていた中国製のサングラスをかけてみたが、なかなかシブく、なういとの事。いけてるとの評判ですが、果たしてどうでしょうか?

準備をする谷口ケイさん
2006年 5 月 14 日、午前 8 時 10 分、谷口ケイさん、ペンバドルジ・シェルパ、カジ・シェルパのマナスル・アタックメンバー 3 人がベースキャンプを出発。登頂予定は 5 月 16 日。アタック隊と清掃隊をわけ、谷口ケイさんはアタック隊のリーダー。ベースキャンプ出発直前に谷口ケイさんが「無理はしないよ。シェルパと楽しみながらマナスルに登ってくるね。健さんは清掃活動に専念してね」とアタックへの抱負を語ってくれた。
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| 出発まで間もない谷口ケイさん | 出発前の祈り |
ケイさんは私にとって最高のまた最強のパートナーです。 2003 年のエベレスト清掃登山でも体調を崩していた私をずっとサポートしてくれた。マナスル隊でも登山リーダを勤めながら食堂テントや食料の管理、服が破ければ彼女が縫ってくれるし、みんなが疲れた顔をしていたら、冗談を言って皆を笑わせたり、時には歯医者になり、それでいながら野口隊でもっとも標高高いところまでシェルパ達とルート工作行ったりと、野口隊の中心人物です。外国隊からも、「ケイはストロングでチャーミング」と人気者。野口隊の姫です。日本の皆様も谷口ケイさんと 2 名のシェルパ達のマナスル登頂、そして生還を心からお祈りください。

ケイさんのパートナーのペンバドルジ・シェルパ(エベレスト最短時間登頂世界記録保持者)

カジ・シェルパ

万歳三唱をする野口隊メンバー


「左から野口・田部井・平木・谷口」
マナスルの麓にあるサマ村のヘッドラマ(一番偉いお坊さん)から提案があった。「日本隊がマナスルを清掃するのならばサマ村の人々はマナスルの麓であるサマ村を清掃する。一緒に行動したい」とヘッドラマが我々に伝えてきた。これには正直驚き、同時にとても嬉しかった。雪が多くなかなかマナスルでの清掃活動も苦戦していたが、我々の活動に地元が動きだし、一緒に活動しようとの彼らからの呼びかけは、マナスルでゴミを回収する以上に大きな意味がある。


4 月23~ 24 日に野口隊とサマ村の人々と一緒にマナスルの麓を一斉清掃することが決まった。その安全祈願と「野口隊、サマ村共同清掃活動」のセレモニーが4200M地点で行われた。ラジオネパールも野口隊とサマ村が一緒になってゴミ清掃活動を行う計画をネパール全国に放送した。我々が行動したことによって地元が動く。これこそ私が最も求めていたものです。 50 年前に初登頂を目指しやってきた日本隊と、地元の人々にとっての神様であるマナスルに登ることを反対したサマ村の人々が、 50 年という年月を得て今度は一緒に清掃活動を行おうとしている。

注射器
上部での清掃活動を断念し、今日から総勢 9 人でベースキャンプ周辺の清掃活動を再開した。前回清掃した4200M付近の旧キャンプ地で再びゴミ清掃し土を掘り起こしてみたら、医薬品や、注射器に点滴の袋や針。土の中からそれらのゴミを引っ張り出しながら、なんでこんなものがマナスルに埋められているのか不思議であり、またゾッとした。富士山の樹海でよく医療廃棄物と出会うがまさかマナスルとは。登山隊に医者が同行し弱った隊員に点滴や注射をうったのだろうが、医者がいながらこっそり医療器具を埋めて帰るその悪質さ、回収しながら怒りを感じた。
この日は田部井さんも一緒にゴミ清掃を行ってくださった。田部井さんは以前からエベレストの環境調査を行うなど、ヒマラヤの環境問題に熱心に取り組んできた。その田部井さんとこうして一緒にマナスルでゴミを拾えたことがなによりも嬉しい出来事でした。
今日は約 70 キロを回収。合計 170 キロ。残り約 2 週間で500キロは回収したい。


点滴の袋

土の中から掘り起こしたゴミ

医療器具やバッテリーなど土壌汚染につながるものばかりです。
小西さんは、1997年、2002年と、二回のマナスル経験があります。
野口健マナスル清掃登山隊に参加された思い?
ちょうど一年ちょっと前に、野口健くんから、小西さんマナスル登っていないので、良かったら行きませんか?という誘いがあってですね、自分の中でゴーサインがでましたので、参加しました。彼は、友人でもあるし弟のような存在でもあるので、自分に協力できることは当然やったほうがいい。それに彼がやっているシェルパ基金、ヒマラヤで亡くなったシェルパの子供さん達への教育とか生活のために NPO を作って活動していることに対して、自分はヒマラヤ登山中にパートナーであるシェルパを雪崩で亡くしていたので、本来やらなければいけない立場でもあったのに何も出来ていなかった。だから出来ることはやらせてもらうべきだなと思い参加させてもらいました。

清掃登山隊に対して?
自分が清掃隊をやる気は正直言ってないんですよ。何故かと言うと、清掃するのは当たり前で、ゴミを撒き散らすこと事態問題外だし、例えば家の近くでも、ゴミを拾うというのはやるべきことだと思うんですよ。まして自分が登らせてもらう山で自分がゴミを捨てるなんて問題外。ただ、他人が捨てたゴミまでを回収するなんて大変な労力とお金がかかるわけですよね。だからなかなかそこまでは踏み切れなかったのですが、自分も登らせていただく山であるし、彼がやろうとしている山を綺麗にするって言うことは、登山者としての礼儀、礼節として最高じゃないかと思うんですよね。
ヒマラヤのいろんな山に行ったと思いますが、ゴミの現状は?
当たり前ですが、登山者の数に比例しますよね。登山者の多い山は当然ゴミも増えますし、登山者の少ない山は当然ゴミも少ないという感じがします。マナスル自体、登山者が年間凄い数訪れる山ではないので、そんなにゴミがいっぱいある山ではないと思うんですよ。ただ、日本人が初登頂させて頂いた唯一の8000m峰で、彼と一緒にサマ村の人達にお話をお聞きして自分でも驚きましたが、彼らはやはり、これは日本人の山だろう、とはっきりと定義づけているしそういう印象を持っているわけですよ。そういう山に50周年というひとつの区切りに来させていただいて、自分らに出来ることはさせていただくということは、本当にいい話だと思います。そして、山を清めると言うことは、自分の心も清めるということがあるんじゃないかと思うんですよね。山の神様に対する礼儀。本来、自分の持っている目とか耳、鼻、意識、心、身体全てを清めるために山に登るって言うのが日本の山登りでしたから、マナスルという山にこういうご縁で、まして自分は二回来させていただいているので、自分に出来ることは当然やらせていただきたい、するべきだと思っています。

山頂を目指していく中で、マナスルの魅力と怖さはどんなところにあるのか?
8000m峰は、ネパール・中国領チベット・インド・パキスタンの四カ国にあって、それが14座あります。その一座がこのマナスルです。日本人が唯一初登頂した山です。私自身が感じるマナスルは、雄大で綺麗な山ですよね。人が見て感じる美しさ、厳しさ、気高さというものをマナスルという山には感じます。4年前に雪崩で80m落ちて助けていただいているわけですが、雪はやっぱり多い山ですし、雪崩の事故も過去にかなりの頻度で起こっています。これは全ての山について思うのですが、登らせていただければよし、登らせていただけなくてもそれはまたよし、もし機会がいただけるのならば登らせていただけませんか、と思っております。非常に気高く美しい山という印象をマナスルに対して持っていますので、スピリチュアルな山と言うその名前がぴったりの山という感じがします。

14座無酸素で登頂を目指すことに関して?
8000mの山を酸素を吸って登ると、酸素を吸う量にも寄るのですが、肉体的条件は6000mくらいになってしまうわけです。登山を志した15歳のときから一番感じているのは、親から授けていただいた心臓と肺、自分の身体で登らせていただきたいと。酸素を吸うと、より安全に、より楽に登れるわけですが、それはしたくないなというのがあるのです。自分の持って生まれた心と身体で登らせていただきたい、自分自身で最も心に忠実で一番どきどきわくわくする幸せな登り方が、無酸素なんです。人それぞれ、自分のお金を掛け時間を掛け人生を懸け山に賭けているわけですから、酸素を吸って登る登山家のことを全く否定する気はないです。もうひとつ、出来る限り自分の持っている登山家としての限界を伸ばしたい、というのが未だにあるわけです。やるのであれば他の方がやるよりももっと厳しい条件、もっと困難な条件を自分に課してやりたいというのがあるのです。そういうわけで、無酸素で登らせていただきたいと思っております。
厳しい気象状況の中でもうすぐアタックを目指しますが、現在の状況とこれからの展望は?
今の状況は、すでに 5 月 4 日の段階で5人のサミッターが出ているわけです。そういう現実がありますので、シェルパの人達も10人以上いるわけですから、何よりも雪崩、クレバスへの転落、頂上アタックへの全ての計算とコントロールをきちんとして、有酸素無酸素に関わらず、私を含め登る 4 人の日本人とシェルパ 11 人、合計 15 人で絶妙のチームワークを持って、絶対にあせることなく、着実に自分らのやるべきことをさせていただいて、あとは山の神様の許可をいただいて無事に登らせていただき、全員無事にカトマンズに帰らせていただき、無事に日本に帰らせていただければなぁと思っております。
何事も執着しすぎるとエネルギーをぶち壊してしまいますので、絶対にこだわっちゃいけないです。ただ、最後の段階では不屈のガッツ、精神力や集中力は当然必要で、それを発揮しなければいけない。人生最高の気合を入れて、落ち着いて、登らせていただき、下らせていただくということです。登山の第一の絶対条件は、全員が生きて元気で自宅に帰ることです。出来うれば登頂させていただいて、全員が元気に自宅に帰ること。そういうことを全員が心の中に持っているのであれば、いい結果は来てくれると思っております。

ベースキャンプに皆が勢ぞろいした 5 月 9 日の夜、食事をしていたら隣のシェルパの食堂テントから歌声が聞こえ始め、水タンクを太鼓代わりにヒップホップのようなリズミカルな演奏が始まった。様子を見に行くと、上部キャンプから無事に戻ってきてホッとしたシェルパ達がみな嬉しそうに踊っていた。

そしてシェルパの一人が「今日は 5 月 9 日。日本人が 50 年前に初登頂した日ですよ!」と私達日本人以上に 5 月 9 日を大切に思っていたことに驚いた。マナスル上部でずっと続いていた緊張感からこの時ばかりは開放され気がついたら私までが踊っていた。これでも、小学生の頃は児童劇団に通っており、登山家になるか光ゲンジになるか迷ったんですよ・・・?。楽しい夜でした。


5月5日、 7000 M地点で清掃活動を行うため、キャンプ1、キャンプ 2 を目指した。天候が回復し晴天が続くが、しかし今度は急激に温度が上昇したことによりセラックの崩壊(氷河上の土砂崩れのようなもの)があちらこちらで起きた。危険な氷河を通過するときは、万が一にそなえ被害を最小限に抑えるためにグループを 3 つに分け、一グループずつ通過した。 5 月 6 日、午後 4 時半、キャンプ 2 への荷揚げを終え、キャンプ 1 にシェルパ達が戻ってきたその瞬間に巨大なセラックがルート上で崩壊し、大雪崩が発生。なんと我々のシェルパ達が通過した直後に・・・。前日、私、平賀カメラマン、谷口けいさんもそこを通過していたが、通過しながら「ここはやばいなぁ ~ 」と話していた。それから立て続けに同じ場所でセラックの崩壊が繰り返された。


すでにキャンプ 2 に上がっていたけいさんとシェルパ 2 名はキャンプ3(6750M)までルート工作し、私は破壊されたルートを確認した後にベースキャンプに戻りサーダー(シェルパ頭)に指示をだしながら、今後の打ち合わせを行った。二日ぶりにベースキャンプに戻ってみると、氷河が溶け出し滝のように水が流れていた。小西さんは「前に来たときは 5 月下旬になってようやくベースキャンプの近くから水の音がチョロチョロ聞こえる程度だったが、これは酷い。 5 月上旬にして完全に 5 月下旬、 6 月上旬の温度になっている」と驚いていたが、私もヒマラヤに 30 回以上訪れているが、これほど温暖化の影響を深刻に感じたことは初めて。先週までは新雪による雪崩だったが、今週になってからは高温によるセラックの崩壊と雪崩。雪が溶け出しグチョグチョになっているだけに雪崩の音が重い。
5月9日、上部キャンプに上がっていたシェルパ達、谷口けいさん、小西さんがベースキャンプに集合し、今度の予定について話し合った。 15 人を抱えた清掃登山隊。清掃活動ではこれ以上のリスクを背負うわけにはいかない。私はメンバーやシェルパ達にベースキャンプから上部での清掃活動を断念、終了することを伝えた。残念ではあるが、判断を間違えると取り返しがつかなくなる。清掃隊は明日からベースキャンプ付近での清掃活動を行う。
そして次に野口隊のもう1つの目標であるマナスル峰登頂は少数精鋭で行う予定。 14 座無酸素登頂を目指している小西浩文さんは 5 月中下旬に山頂を目指す。そして我が隊のホープである谷口けいさんも状況によってはシェルパ 2 名と山頂アタックを賭ける。いずれにしても、安全第一、万全の状態になって初めて山頂を目指す。残り約 2 週間、清掃活動、そして登山活動、気を引き締めて行います。

ヒマラヤの現在のゴミの現状、環境問題の現状について?
ここ 10 年ヒマラヤへは来ていませんが、 30 年前のヒマラヤと比べて大きな違いは、 1970 年代は1シーズンに1チームしかヒマラヤは入山の許可が下りなかったので、入る人数が本当に限られていました。ですからあまり環境のことをうるさく考えることはなかったのですけれども、人間がたくさん入ってくるにしたがって、環境がどんどん悪くなってきた気はします。
そういう意味では、登山者のマナーももちろん向上しなければいけないし、ネパール、あるいはパキスタンなり中国なり、ヒマラヤを持っている国の組織や規則をしっかり作って、持ってきたものは持ち帰ることを義務づけることをしなければいけない。その為にリエゾン・オフィサー(連絡官)が各登山隊に与えられているわけですが、リエゾン・オフィサーはそれなりの役目を果たす任務を負っているのではないかと考えています。

マナーの徹底ということが、街でも山でも重要ということですか?
街の生活の中でも、ゴミはきちんと分別して出すとか、燃えるゴミ、資源ゴミ、燃えないゴミ、リサイクルのものとちゃんと分けているわけですから、そういう街の延長線にこの登山はあるわけで、他のスポーツと全く違う点、たとえばサッカーとかテニスとか卓球とかそういったスポーツと全く違うところは、生活がその場にある、というのが登山なんですね。そういう意味では街の感覚の延長線にあるので、街でやっている自分ができること、必ずゴミは持って帰るとか、分別するとか、そういったことをきちんと山でも実行する、それがとても大事だと思います。
清掃登山、環境意識を持った登山の必要性に関して?
(ゴミを)掘り起こさなければいけないという現状は、ひとつの環境を考えるとても大きな啓蒙になってはいると思いますが、やはり今いる現状の中で、各登山隊、各登山者のマナーの向上をきちんと努めていくことも重要だと思います。ですので、突き詰めると、個人のマナー、その隊のマナーになって来る気がします。
ですが、一生懸命回収するという作業が、多くの人にやっぱりゴミを持って帰らないといけないな、という啓蒙になればいいと思います。

美しい山、美しい祖国は重要なもの?
ご覧ください。この美しいマナスルのベースキャンプ、この美しいヒマラヤを。この美しいものを次の世代またその次の世代に引き継いで行く為には、今いる私たちがそういったことを啓蒙していく必要があると思いますし、この美しいヒマラヤを持っている国の人たちがもっと自覚してくれることを願いたいと思います。
そして、富士山はいち県の物ではなく、一個人のものでもなく、日本の宝だと思いますので、日本国民ひとりひとりが大事にする気持ち、誇りにする気持ちがとても大事だと思います。
山に登るということは、美の意識、美意識がとても大事で、自分たちだけのものではない、自然に対する畏敬の念とかがとても大事だと思いますので、そういう意識を次の世代の人にも持ってもらいたいと思います。

上部キャンプから、ベースキャンプへ戻ってくるとホッとする。なんだか空気が濃くて美味しいし、仲間が全員そろって食事をするのは楽しい。上部キャンプでは乾燥食品ばかりだから、ベースキャンプでの食事は重要なのだ。そして、ベースキャンプでくつろげないと、上部へ向かうための力を養うことも出来ない。遠征に出掛けるたびに、いかにベースキャンプでの生活を楽しくするか、について頭をひねる。今回、健さんと日本から持ってきたものは、ダイニング・テントに掲げる『お食事処』暖簾。日本に来たこともある、キッチンスタッフのデンディが食事の時間になると、暖簾を掲げて「晩ゴハンですよ~」等と叫んで知らせてくれる。

それから、晴れた日には、シェルパ達が総出でテント周りの融けた雪を整地して、平らな居心地の良いテントを張りなおしてくれる(私はこれを『ガーデニング)と呼んでいる)。これをしないと、強い紫外線によって、テントの下や周りの雪はどんどん融けて、テントが傾いたりゆがんだりしてしまうのだ。

大雪の日には、ひっきりなしの雪かき作業。マナスルの雪は今までに行ったヒマラヤのどの山よりも湿った重い雪で、上越の豪雪地帯ってこんな感じなんだろうな・・・なんて思いながらの雪堀り、雪下ろし。働き者のシェルパ達が勢を出しすぎて、健さんのテントがシャベルの縁で破けてしまった。次の日には、これまた働き者のシェルパ達によって、すっかりブルーシート・テントに様変わり。

そんな事件になっているとは露知らず、健さんとカメラマンの淳君は夜遅くまで、通信テントにて凍えながら原稿を書いたり、映像を編集しているのでした。

なにしろ、このマナスル・ベースキャンプでの一大イベントの一つである、日本との中継を失敗させるわけにもいかないのだ。中継の日には、夜明け前であろうと、大雪であろうと、数時間前から間違えのないように準備を進める。無事、中継が終わればまた雪と戯れて過ごすのだ。
谷口ケイ


事件が起きました。富士山との生中継を終え、テントの中でゆっくり休むとするかぁ~と思ったその矢先に。北海道ミルクキャラメルを食べていた小西さんが、口の中でガリガリしていることに気がつき、キャラメルの中に硬いチョコレートでも入っているのかなぁ~とそれにしては変だぞと、ペッと吐き出してみたらなんとその正体が金歯2本であった。キャラメルで金歯が取れてしまったのだ。それからが、さあ大変。谷口けいさん、そして僕が呼ばれ、準備のいい小西さんが歯科医院にあるピンセットやミラーのついた金具(奥歯を見るもの)、ガリガリと歯石をとるあの金属の棒、金歯を装着するセメントなど一式用意していたのだ。なぜ、そんなものを持っているのか分からないが、その説明書を谷口けいさんと読み、ぶっつけ本番で歯の治療が始まった。

歯茎からは出血するし、小西さんは痛がるし、そりゃ怖かったが自分達がやるしかない。特にけいさんは初めてなのにテキパキテキパキ。女性は度胸がある。金歯にコンクリートを付けすぎると金歯が浮き痛い。かといってコンクリートを薄くすると歯茎に金歯がぶつかりこれもまた痛む。装着しては外し、その繰り返しを4時間以上は繰り返し、どうにか金歯2本が元の場所に収まった。しかし、途中なかなか上手にできず、小西さんが通う日本の歯医者さんにお電話し、先生のアドバイスを頂きながらなえないピンセットや金具で歯をガリガリやった。

下界と違いこのヒマラヤの世界では自分達でやらなければならない。小西さんもよく僕やけいさんが「ああでもない こうでもない」と言いながらの治療を耐えてくれた。さぞかし心細かったにちがいない。でもあの4時間の集中力は我ながら大したものだった。無事に治療を終え、それから谷口さんは「ドクターケイ」と呼ばれるようになった。


5月3・ 4 日にマナスル・富士山同時清掃活動が行われた。清掃後、森の学校(富士山クラブの本拠地)とマナスル・ベースキャンプで生中継をしました。 3 日には富士山の静岡県側、 4 日には山梨県側。富士山サイドは 2 日間で参加者 230 人、 2 トン強のゴミが回収された。ずっとこだわってきたマナスルと富士山の同時清掃登山が無事に成功したことがなによりも嬉しい。そしてせっかくのゴールデンウィークにわざわざ富士山にまでゴミ拾いの為に足を運んで下さった多くの参加者方に心から感謝しています。若村麻由美隊長も「今回、参加できて本当に良かった。富士山が美しくなるまで続けたい」と抱負を語ってくれました。山がきれいな国は町もきれい。そして山が汚い国は山も汚い。富士山やヒマラヤを綺麗にしながら、環境問題の必要性を常に現場から伝え広げていきたい。

評論家が多い中で私が最も大切にしているのは現場感覚だ。環境問題は理念や理想論に偏りやすい。しかし、着実に実現させてこそ意味があるわけだし、100か0かといった極論に終始していたら結局なにも実現しないまま終わってしまう。世の中、口だけだす人が多い。また、なにかをやろうとすれば「そんなこと出来るわけがないだろ!」と何もしない人に限って足だけ引っ張ろうとする。
環境問題などのシンポジウムにも多数出席してきたが、言葉だけが頭の上を飛び交っているようで、そこは机上の空論ばかり。リアリティーなどなかった。だから、こうして富士山やヒマラヤなどの現場を飛び回っている。そしてなによりも好きなのが多くの仲間達と一緒にゴミと格闘した後のあの爽やかな気持。一見地味なゴミ拾いも一度やってみるとその達成感なのか快感。例えば一人で樹海にこもってゴミ拾っていたらこれは実に暗いなぁ ~ 。しかし、人が集まれば「みんなでやるぞ!」といった連帯感が生まれる。そして清掃後のみんなのやり遂げた顔。僕は好きです。また、逆に酷い不法投棄に出会えば心底怒りを感じるもの。時に怒りや危機感も大切。すべては現場からです。

これからも全国どこでも多くの方々と現場で汗を流しながら、さらに活動を広げていきたい。富士山の清掃活動に参加してくださった方々、今回は直接お会いできませんでしたが、確かに私達は1つの大きなプロジェクトを実現しました。参加者のみなさん、富士山クラブのみなさん、そして富士山清掃隊長の若村麻由美さん、本当にありがとうございました。また一緒に活動しましょう!
昨日の静岡県サイドでの清掃を終え、この日は、山梨県は富士河口湖町に位置する青木ヶ原樹海周辺にて清掃活動が開催されました。合計200名を超える方々で昨日に引き続き、広範な地域から約1.5トンものゴミを回収しました。日本に住むネパールの方も12名が参加。懸命にゴミの回収につとめました。
清掃活動終了後は、富士山クラブ・森の学校へ移動。若村隊長と、マナスルにて清掃活動を行っている野口健との衛星中継を行いました。衛星中継がなされる前に、マナスルでの清掃活動の模様がビデオで上映され、その過酷さに参加者も息を呑んでいました。
中継では、富士山サイドとマナスルサイドの清掃の状況を報告。野口は、日本語の書かれたゴミやハングル後の書かれたゴミを手に取りながら、「ベースキャンプでは2メートルも雪が積もっており、雪を掘りながらゴミを回収するといった状況。これからあと3週間程度、清掃を続け、6000m、7000mと範囲を広げていく。こういった活動を続け、どれだけ広げていけるかが大事」と述べました。

マナスルとの中継の模様







2006年5月3日、マナスル・富士山同時清掃登山が開催されました。この日は、静岡県側の富士宮市にある朝霧高原で富士山清掃隊長の女優の若村麻由美さんの指示のもと、富士山クラブの方々と参加者約70名で、合計500キロのゴミを回収しました。
富士山が一望できる素晴らしいビューポイントですが、そこかしこに、空き缶や、車両、煙草のフィルター、ビニールシートなど雑多なゴミが不法投棄されており、富士山の美しい姿とは対照的な現実に参加者の方々は驚きを隠せないようでした。







4月30日、午前11時半、野口、平賀カメラマン、シェルパ2名はキャンプ 1目指してベースキャンプ出発。なかなか出発したがらない我々に谷口けいさんが「ほら!ケンさん、そろそろ出発でしょ!早く準備したら!」とせかされ、平賀淳君と顔を合わせ「明日でもいいんだけどなぁ~」なんてだだこねていたら、「ダメよ!ハイ、頑張ってきてね!」といつでもどの時代でも決定権は女性にあり、男のささやかな抵抗などなんら意味を持たないまま僕と淳君はベースキャンプを後にした。午後4時キャンプ1着。夜は日本から持参した乾燥食品にお湯を入れて頂いたが、これがまたまた美味しい。特に尾西食品の五目御飯が大好物。しかし、寝袋に入ってからが大変。酸欠の影響なのかなかなか寝付けない。隣の淳君のテントからは「ゲー」と吐いている音がし、翌朝、寝不足のままテントからでれば、顔を浮腫ませながら悲しげな淳君が寝袋に入ったまま僕をジーと無言のまま見つめていた。彼の壮絶だった夜を物語っていた。


5月1日はキャンプ2に向かう予定だったが、朝から不気味な筋雲が姿を現しマナスル山頂付近は強風により雪が飛ばされ、これは天候崩れるぞ、ともう一泊キャンプ1に泊まることになった。午前11時過ぎ、シェルパ達と小西さん、谷口さんがキャンプ1に到着。予定ではみんなでキャンプ2に上がる事になっていたが、やはりキャンセル。午後からは大雪、強風となり、しだいにゴロゴロゴローと雷の轟音が響き渡り、その瞬間にテントの外にいたら、被っていたニット帽がチリチリと音をたてたと思いきや脳天がビリビリーと痺れ倒れそうになりながらテントに飛び込んだ。次の瞬間に谷口けいさん、「痛い、痛い、痛い」と頭を抱えながらやはりテントに飛び込んできた。スコップで雪堀をしていたシェルパも頭から左腕に電気が流れたと驚いていた。ピッケルやカラビナなどの金属をテントからほうり投げ、雷が通り過ぎるのをじっと怯えながらテント内で非難した。後に聞けば以前にマナスルのキャンプ1周辺で落雷により亡くなった登山家がいるとか。危なかった。日本でも登山中に落雷事故で亡くなるケースがあるだけに怖い。それにしてもあれだけ頭が痺れたわけで、後遺症はないのかなぁ。これ以上、悪くなりようもないのであまり心配していませんが・・・。夜中まで雪が降り続きました。


5月2日、小西さん以外はみなベースキャンプに戻る。マナスル無酸素登頂を目指す小西さんは出来るだけ高所で順応しなければならない。小西さんは天候が回復すればキャンプ2を目指したいとシェルパ一名とキャンプ1に残ることになった。私のような有酸素登山と、小西さんの無酸素登山とではまったく肉体的なダメージが違う。小西さんは8000m峰14座全てを無酸素でチャレンジしているが、私には到底想像できない世界だ。ヒマラヤを知り尽くした小西さんから少しでも学びたいと思う。


小西さんがサマ村で板割りを披露してくれたので、今度は私が空手の回し蹴りを披露した。(これでも7年間ほど空手・少林寺をやっていた)雲の上でのまわし蹴り、後ろ回し蹴りは息が切れたが気持よかった。悪天候でなかなか予定通りに行かないが、それがヒマラヤ。いちいちカリカリしていたらきりがない。大雪が降ろうが、近くで雪崩が流れようが、どこかで楽しんじゃえばいい。せっかくはるばる来たのにストレス溜めてはそれこそもったいない。ベースキャンプに下り、田部井淳子さんにお会いしたら、「いや~凄い雪だねぇ~ 楽しいねぇ~日本ではこんなにゆっくり出来ないよぉ。」と満面の笑顔。世界の田部井淳子さんは余裕でした。

我が隊の楽しい仲間、11人のシェルパ達。彼らの役割は、一つは私達とゴミを拾うこと。そして、もう一つは頂上へ向けてのルート工作をし、キャンプを上へ上へと設営していくこと。今回は、C1(5700m)、C2(6400m)、C3(6900m)、C4(7400m)という四つのキャンプを作り、頂上へアタックする計画だ。

クライミング・リーダーのペンバ・ドルジを筆頭に、彼が選んだ強者シェルパ達が、恐るべきマナスルのセラック(氷塔)帯を縫うようにして、雪崩の危険を出来るだけ回避して、頂上へ向かうルートを引いていく。危険な場所や、技術的に困難な場所にはフィックスロープを張る。サーダーとクライミング・リーダーが相談して、荷揚げ部隊とルート工作部隊に分かれる。そして、休養日ももちろん作る。高所では連日の行動は禁物だ。例え山岳民族のシェルパ達であろうとも、高所での過労は体を蝕む。

今日は、ルート工作の初日。ペンバ・ドルジ、プルバ、ラクパが先行し、カジ、パサンと共に小西さんと私が後続した。キャンプ1のすぐ上に、最も雪崩の危険があると思われる、大セラック帯があり、ここの通過が最も緊張させられる部分だ。シェルパ達も、このエリアに入る前に一寸休憩し、気を引き締めて歩き出す。急いで通過したいけれど、こんな高所で急いで行動したら心臓が飛び出してしまう。いくら高所順化のためとはいえ、何度も通りたくはないところだ。それでも、エベレスト始め、ヒマラヤで鍛えられたシェルパ達は何とも楽しげに、この雪と氷の世界を行ったりきたりしている。ここは、確かに彼らの世界なんだなぁと、改めて思うのだった。

そんな彼らも、もちろん雪崩を一番恐れている。互いに注意しあったり、オムマニペメフムとチベット仏教のお経を唱えながら上り下りしている。素朴で親近感のある彼らの笑顔の裏には、雪崩で亡くなった仲間達への消えない想いがきっといくつもある。

谷口ケイ
4月27日、5700mのキャンプ1にようやく手動式バイオトイレを設置した。この日は、健さん、小西さん、平賀カメラマンと私の隊員全員がC1へ向かった。上部キャンプ作成部隊の小西さんと私はC1で一泊し、更に上部へと向かうことになっていたので、私は携帯式バイオトイレの換えセットを担いで行くことにした。携帯式便座はシェルパが一緒に運び上げてくれた。この携帯式トイレセットは、2003年のエベレスト清掃登山でも使用したものなので、シェルパ達も勝手知ったるという感じで雪を掘ってスペースを作り、トイレを設置してくれた。早速、下痢気味の小西さんが立て続けに使用。


その二日後に、田部井さんと平木さんにC1でお会いしたので、我が隊のトイレを是非お使いいただきたくお願いをすると、お二人とも楽しげに(常に元気で楽しげなお二人なのです!)トイレの交換方法などを試してくれた。
しかし、一番の核心は、今までこのようなトイレを使うことに慣れていないシェルパ達にしっかり使ってもらうこと。トイレはシェルパにとって敬遠される存在で、カーストのあるこの国では、シェルパは決して汚物に触らないカーストなのである。エベレスト清掃のときもその問題はあり、汚物を下に担ぎ下ろすのは我々の重要な役割となる。ポイントは、寒さで凍った汚物が融ける前、午前中の寒い時間に急いで下ろすこと!さもなければ、恐るべき臭いに包まれてしまうことになりかねない。

汚物を担ぎ下ろす行為と共に、これらがゴミと一緒で、長い年月の末に氷河と共に汚水となって下界の村の飲料に注ぎ込むという恐ろしさにつながるのだということを伝えなければならない。このことは、サマ村のラマが、登山隊に対して懸念していたことの一つでもあったのだ。

谷口ケイ