チョモランマにいたかったなぁ~とも感じています。しばらくチョモランマに行く事もないと思うとちょっと寂しいですが、チョモランマで遣り残した事はもうありませんから・・・。これでお終い。
カトマンズでは記者会見、山岳博物館の視察、コイララ・ネパール首相との会談、橋本基金のカンティ小児病院の訪問、シェルパ基金の子ども達との再会とバタバタとしていました。来週からは断食道場にこもり体を休めてきます。明日は環境省で記者会見し、今後の目標、また活動について発表します。日本の空気はやっぱりいいねぇ~。

summit_keiチーム

終わった。終わっちゃった。
一人ごろりと横たわっていると、頭の中にぐるぐると想いが巡る。
8000mオーバーでの酸素。酸素、無酸素。
なんで私、酸素吸っちゃったんだろ。
なんで、って寒かったから。強い意志が無かったから。
大切な人たちに守られ過ぎていたから。

ピピン(ダイバー)はオードリーの挑戦を100%支持したがゆえにオードリーの命を亡くしてしまったけどあんなに私の無酸素を提案していたペンバは私を守りすぎて酸素を与えてくれちゃった。
あーあ、私の意志の弱さ。
一方で、そんなこと別にどうだっていいや、って思う。
有酸素だろうが無酸素だろうが、大した問題じゃないって気分なんだ。
そんなことよりも、大切な人たちと過ごした時間と空間のほうが重要なんだって。
山の高さも、空気の薄さも、登れたか登れないか、どうやって登ったかも、そんなこと他人には結局分からないことで、重要なのはそこに愛があるっていうことなんだと。

誰と登ったか、
そこでどんな時を過ごしたか、
何を見たか、
何を聞いて何を感じたか、
それはそこにいた人にしか分かり得ない事で、
生も死も、苦しみも悲しみも喜びも、
それは全て自分のものでしかない。

きっと二度と来ないエベレスト、今年のチョモランマにはいろんな隊がいて
いろんな人間模様と登攀スタイルがあったけど
私は野口隊のメンバーであったことを嬉しく思うし、

大好きな人達と登れたことに感謝したい。
一生に一度きりの体験だから。

この二ヶ月間、限りなくあふれ出てきた笑いと、いっぱいの愛情に、
心からありがとうと言いたい。
楽しくて仕方の無かった素敵な日々が暮れてゆく。
日本に帰ったらきっとまた一人では眠れない。
あーあ、帰りたくないなー・・・

2007年5月25日 満開のジャカランタが眼に眩しいカトマンズから 谷口けい
チョモランマ登山の約一月半を共に過ごした
野口隊の大切な仲間、シェルパ達の話をなくしては終われない

彼はシェルパ族ではないのだが、これまでも数々の登攀を健さんと行ってきた
クールでインテリ、上部キャンプに歯ブラシを忘れるとショック大

これまでも清掃隊に4度参加、とても強い。茶目っ気があり、憎めない存在、隊員に対するケアは100%。サガルマータ(エベレスト・ネパール側)BC→頂上8時間10分登頂という世界記録保持者。今回は無酸素で、世界中の国旗を縫いつけたジャケットを着て登頂、世界平和を訴えた

昨年のマナスル登頂に続き、野口隊に参加
カメラマン淳くんの右腕として活躍
とても気が利き、日本との中継の際は必ず助けてくれる、物真似が得意で特に淳くんの真似は絶品!

これまで野口隊に2度参加、やさしくておっとり型
普段はタンカ(仏教画)の絵描き、今回は絶対頂上まで行くのだと頑張った

これが最初で最後の高所遠征だと言っている、割り切り型都会派
テコンドーをやっていて体が出来ている、上部キャンプへの荷揚げのときは何時も一番だった
レストの日は音楽がかかると踊りだし、夜は物まね芸人になる

遠征は危険で大変だけれど、子供を学校に行かせるのは大変なんだ・・・
としみじみ語る奥さん想いの誠実派
マイペースで他のシェルパに流されない、最終キャンプへの荷揚げでは最強、そしてとても優しい

普段はMTBツーリングガイドなどを生業としている
サイクル・カジの愛称で皆から慕われる最年長、しっかりしていて頼りがいがある
オンチュウと並んで最終キャンプへの荷揚げでは最強だった

ペンバ・ドルジの弟、弱冠18歳、初めてのエベレストにして2度登頂
素直で優しく、気が利いて、かつ精神的に強い
昨秋にプモリ遠征で、2番目の兄(彼も今回野口隊に参加する予定だった)を目の前で雪崩で亡くした
そのプモリを、何度も何度も見つめながら登っていた姿が忘れられない
*ちなみにペンバ・ドルジ(3男)ら兄弟は、今回別の隊に長男ペンバ・ギャルツェン、4男ニマ・ギャルツェンが参加していて、同じ山に4兄弟が一緒にいた。いずれもこれまで健さんと関わってきており、今回も強風で破壊された上部キャンプの再設営に協力してくれたりした。
2007年5月25日 谷口けい

初めてのチョモランマ(エベレスト・チベット側)そして、きっと二度と来ないはず
BCとABCに初めて辿り着いた時、私は健さんに言った
「こんなに人が多いところ、私無理です。これが最後のエベレストにしましょう、健さん」
さすが世界で最もソラに近い山
ありとあらゆる種類の人間が一時一所に集まってきているのだった
大小30隊ほどの登山隊がいたが
驚いたのは、その中には私が想像した以上に多くの
各種公募隊が存在したこと
日本隊は我々野口隊を含めて5隊(N,O,P,Q,S)
そのうち3隊が公募隊(P,Q,S)
そのほかに国際公募隊(パーミッション共有隊)Aに参加している日本人2人
別の国際公募隊Rに参加している日本人5人
更に国際公募隊(パーミッション共有隊)Tに参加している日本人1人と出会った
つまり、ほとんどが公募隊ではないか
登山活動が終わってみて、日記を書いていて気付いた事がある
シェルパも含めた登山隊員が無傷で全員登頂したのは
自己流隊(つまり公募隊でない)の野口隊とO隊だけだった
P隊は4人中登頂はサブガイド1人
Q隊は4人中登頂2人、1人死亡
S隊は3人中登頂1人
A隊の1人はC2にて死亡、よって1人は撤退
T隊の1人は早期下山
R隊は現在アタック中(既に1人は病気で下山)
公募隊に参加してるのは日本人ばかりではない
どちらかというと、国際公募隊に参加している欧米諸国(南米やフィリピンも)が多い
必ずしも心が通じ合ったパートナーと登ることのできない
世界で最もソラに近い山
そこでは何が起きたって、おかしくは無いのかも知れない
公募隊に限ったことではないが
私が8848mの高みに行って帰ってくる間のほんの4日間のあいだに
三途の川の淵に立ったクライマー達にどれほど触れただろう
C1で進退を考えている韓国隊員のシェルパ2人に呼ばれた
「命について考えるのは隊員だけじゃなくてシェルパも同じで、僕らにも家族がいるってことを彼に伝えてくれ」と
C1→C2へ向かう途中で無線が入った
健さんが登頂後にQ隊の隊員死亡に遭遇、レスキュー&埋葬に尽力していた
健さんの性格からして、中途半端にそれを放棄するとは到底思えなかったが
「自分の酸素はあるの?!8500m以上の高みにそんなに長くいないで!分かってるよね」
更に健さんと共にいるはずのサーダーに
「健さんの酸素はちゃんとあるの?あなたを信じているからね!」
それしか無線を通じては言えなかった
C2→C3へ向かう途中で、ソロ(個人)のMさんテントの存在が気になる
「Mさ~ん!」
と声をかけるが返事なし
結局彼は、このテントの中で亡くなっていた
8000mより上の世界、生と死の分岐点を行ったり来たりしている人たちとの遭遇
頂上直下で遅々として進まない韓国人、本人もシェルパも酸素が切れかかっていたのだ
我が隊のシェルパが有無を言わせず、余分にあった我々の酸素と取り替える
同じように、亡霊のようにフラフラと歩んでいたフィリピン人、
お茶とアミノバイタルを飲ませるが、逆に吐いてしまった
完全に高度にやられて、内蔵機能が低下していた
飲むことも食べることもできないのならば、エネルギーなんか生まれてこないのだ
夜が明けて世界が明るくなると、見えていなかったものが見えてくる
左に前々日亡くなった日本人、右に昨年(?)亡くなったインド人の遺体を見ながら雪壁を下っていく
第二ステップの下にも一昨年からの日本人の遺体
切れ落ちたスノーリッジをゆくと、前方に座り込んだ遺体か・・・
と思ったら立ち上がった
立ったり座ったりしている、気の触れたイタリア人だった
ザックの中に半分以上入った酸素ボンベが入っているのに、酸素は無いとか何とか言っている
無理やりマスクを装着させて、酸素ボンベのレギュレーターを4l(max)出す
ハーネスに結ばれているセイフティー用のスリング(紐)にカラビナがひとつもついていない
いったいどこで失くしてきたのだ!カラビナをつけてあげて、セイフティーをつないで下らせる
まるで歩けない、下るんじゃなくって、転がり滑り下りていく
セイフティーが無かったら、今頃あちらの世界にひと飛びだ
更に下ると、シェルパのミンマが雪上にしゃがみ込んでいた
「僕らにも家族がいるんだ・・・」
と言っていたシェルパだ
ちょっと疲れたから、と言うミンマだけれど心配になって
彼の酸素ボンベのレギュレーターを1.5l→2lに増やす
「さあ、下ろう」
C3に帰り着くと、酸素を吸ったままシェルパ達が寝転がっている
酸素を吸っているから死ぬことは無いだろうけど、この高さで昼寝は禁物なんじゃないのー
と言いつつ、私も寝転がる
つまり疲れているのだ、眠いのだ
それでもこの高さに長居は無用、C3を撤収して更に下る
また、出会ってしまった、生きることを放棄しつつある人
今にも足がもつれそうなオーストリア人女性だ
しかもセイフティーのカラビナをロープに掛けていない
脳みそがとろけていそうな微笑で、私に
「あなた先に行きなさいよ」
と言ってくる
「あなた死にたくなかったらカラビナちゃんとロープに掛けなさい!カラビナ掛けるまで、私行かないよ」
しつこく押し問答をして、結局一緒にC2まで下りる
C2まで行くと、知り合いの韓国隊が酸素ボンベを3本売ってくれと言ってくる
なに?我々のC2にデポしてあった酸素は7本も盗まれちまって、もう無いよ!
でも、C1にデポしてある酸素ボンベを3本譲る約束をする
健さんと無線で話して値段を決める
あー、疲れたな
そういえば頂上直下で韓国隊員とそのシェルパに与えた2本の酸素、あれもお金もらえるのかな
こちらの判断で勝手に変えたものだから、仕方ないかな
人道的なことなので、健さん、かってにやっちゃったけど許してくれるよね
登山になかなか集中できない、不思議な山のおはなしでした
2007年5月21日 谷口けい
5月17日、1次隊に続き二次隊メンバーの谷口けい、パサンラム、そして4名のシェルパがチョモランマに登頂。これで野口隊は隊員、シェルパの全員(合計8人)がチョモランマに登頂を果たした。
登頂後、ベースキャンプに集合し互いの登頂を称えあった。
一人のけが人もださない完璧な成功に心から満足しています。
谷口けいさん、平賀淳くん、そしてシェルパ達、みな最高のパートナーでした。彼らとザイルを結び合えた幸運に感謝。野口隊を影ながら支えてくださった日本の関係者の方々にも感謝。
そしてホームページ等で応援メッセージを送ってくださった多くの方々も本当にありがとうございました。これでやっと日本に帰れます。
チョモランマへのリベンジは10年越しの夢でした。
チョモランマに対し自信を失っていた時期もありましたが、それでもリベンジをするんだと宣言し、実行して本当に良かった。
やはり失敗はそのままにしておいてはいけない。サハラ砂漠を単身で横断しようと果敢に挑みサハラに燃え尽きた上温湯隆氏が生前
「冒険とは、可能性への信仰である」
との言葉を残していますが、その言葉の意味、深さを改めて噛みしめています。
ネパール側、チベット側と両方からエベレストに登頂し、これでやっと両側がそろって私の中のエベレストが終わりました。色々な葛藤がありましたけれど、やってみるものです。諦めなければ不可能なことはない。
チョモランマ山頂では思わず
「アルピニストとしてやるべきことはやった。もう終わりにしたい」
と口走っていましたが、あれはちょっと早まったかな・・・。訂正があるとするのならば
「ラスト・チョモランマ」
であり
「ラスト・クライミング」
ではありません。今後、いかなる環境の変化が起ころうとも、アルピニストとしての活動は持続していきたい。
下山後、自身の足を撫でながら
「お前さん、よく頑張ってくれたなぁ。酷使しっぱなしで申し訳ない。でもありがとう。ご苦労さん」
と痩せ細った足を褒め労いました。
この10年間、休むことなくひたすら突っ走ってきた。そろそろ一息入れても罰は当たらないかな。充電期間が必要なようです。
次はどのような舞台で勝負するのかノンビリと旅でもしながら考えるのも悪くはない。体を休め気力、体力が回復したら次の夢に進みたい。