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野口健からのメッセージ

 
サマガオンに到着

4月2日、カトマンズを発つ。キャラバンの玄関口であるアルガータ・バザール(570m)にポンコツバスで約8時間、口から臓器が飛び出すほどにガタンガタンとバスの側壁に体を叩きつけられながらの悪路が続いた。アルガータにたどり着いた時には平賀も僕もグタグタ。しばらくバスになんか乗りたくないと心底思った。


湿度とうだるような暑さに参る
 
ネパール時間7時からMBS(毎日放送)の生ラジオに衛星電話で出演。今回のテーマは「マナスル基金」だ。この3月からマナスル峰山麓のサマ村で学校建設がスタートしたが、その経緯などを中心に構成された。MBSの榛葉健ディレクターとはもう15年以上の付き合いだ。エベレストにも2回一緒に出かけている。野口健の裏表など、最もよく理解しているジャーナリストだ。その榛葉ディレクターが先月のフィリピンでの遺骨収集活動の際にも現地からの中継を含めた一時間番組を作ってくれた。フィリピンから帰国し録音されたそのラジオ番組を聞いたが、榛葉さんの「伝える」ことに対する熱意に、またその完成度のあまりの高さにただただ感心させられた。やはり本物は違う。

榛葉さんとはマナスル基金にしろ、シェルパ基金しろ、遺骨収集にしろ、なかなか表に出ない出来事を一緒になって伝えてきた。時に一緒に悩み、喜び、また喧嘩をしたりと、私の仲間です。ここまで取り上げてくださったMBS、そして榛葉ディレクターにとても感謝しています。

いつ落ちてもおかしくない橋

4月3日、キャラバン開始となったが、なにしろ標高が570メートル。暑いなんてものじゃない。そして湿気。あの灼熱地獄であったレイテとなんら変わらない。いや、レイテ顔負けかもしれない。途中、水田の横を通るが、この棚田を眺めながら我々が再生した佐渡島の棚田はどうなっているかなぁ~と佐渡島が恋しくなった。今年も夏に佐渡島でトキの餌場となる棚田造りを行いたい。

キャラバン開始・棚田に佐渡島を思い出す    

エベレスト街道と異なりまったくといっていいほど観光開発されていないこの街道はある意味、リアルカルチャーだ。エベレスト街道に慣れたトレッカーは一度このリアルカルチャーに触れてみるもの悪くないだろう。ただ、ろくなロッジもなく、食堂といってもいやはや・・・食欲がなくなるだけだが。

髪を洗っている女性の後ろ姿にドキ!

街道での人々の営み

野口隊は36人のポーターにロバを11頭。先発隊は先に出発し、私と平賀カメラマンにシェルパ2名で後を追ったがテントも食料も全て先に行ってしまい、我々はバラックのような掘っ建て小屋に泊まらなければならず、屋根裏部屋が吾輩にあてられた部屋であったが、天井には巨大なクモがウジャウジャ。ギョっと驚き思わず殺虫剤を天井に吹きかけたら訳のわからない多種類の昆虫がボトボトと枕もとに落ちてきて心底参ってしまった。そして朝起きたら全身がダニに食われブツブツ。痒くて痒くて、ついでに頭まで痒くひょっとするとシラミ?

宿の入り口にて

私の寝室、ここで全身をダニに噛まれた

 4月5日はタトパニ村泊。ここは温泉が湧く村で、タトパニとはネパール語で「お湯」を意味する。ネパールの地図を眺めていて気がつくのは所々にタトパニという同じ村の名前がある。シェルパに聞けばなんのことはない。温泉が出る村は全てタトパニ村とのこと。それならば日本中に「お湯」という同名の町で溢れるではないか。

そのいわゆる温泉もちゃんと清掃していないため不潔極まりなく、足だけつけたが、どぶの如く臭く、全身を温める勇気などなくそそくさと撤退。世界に出てみると改めて日本人は清潔好きなんだなぁ〜と気がつかされる。

タトパニ村の子ども達と

温泉があるのだが・・・

汗だくになりながらトボトボと歩いていると背後から平賀カメラマンが嫁さんに買ってもらったというGPSがさほど嬉しいのか、聞いていないのに自慢げに「え〜野口さん、私のGPSによりますと、マナスル山頂までは、残りの標高差は7500メートルとなりますねぇ〜」「残り7400メートル」「あっ、残り7500メートルに戻りましたねぇ、おかしいな〜あっ、そうか、そうか、さっき谷を降りたんだっけ」といちいち疲れる情報を嬉しそうに伝えてくれる。

途中、チベットから亡命してきたペマさん(37歳)と出会った。彼は日本語を学んでおり流暢な日本語で我々を見つけるや「あなた方は日本人?サマ村から少し先に進めばすぐにチベットます。中国兵はよくネパール側にやってきます。私たちの村にも入ってきて、ダライラマの写真を持っていたら捕まります。中国はネパールに圧力をかけて亡命者を捕まえようとしていますよ。ネパールは中国にいいなりです。中国は野蛮な国です。これからインド、アメリカに行って訴えたいです」と。もし彼の言葉に一つ付け加える言葉があるとするのならば「したたかで野蛮な国」ということになるのかもしれない。

ここまでくれば上がってくればチベット文化圏

4月7日、ダング村(1860M)までたどり着いたが、今年のネパールは乾季であるにも関わらず毎日が雨降り。カトマンズでも雨、雨、雨に雷。異常気象の現れか?ただでさえ雪が多いマナスル。ついつい雪崩のリスクについて考えてしまう。こればっかりはもうどうしようもなく運命といってしまえばそれまで。参ったのはポンコツ宿は雨漏りが酷く天井からボトボトと寝袋に雨水が落ちてくる。グチョグチョに濡れる寝袋ほど気持ち悪ものはない。劣悪な環境に寝不足も続き寝付けないのでヘッドホン付けたら八代亜紀の“雨の慕情”が流れてきて「あめ、あめ、もっとふれ〜」と「おい!おい!冗談じゃないぞ!」と大好きな曲であったがこの夜ばかりは耐えがたく、さだまさしの「防人の誌」を聞きながら頑張って寝た。203高地を舞台にした映画の主題歌であるが、この曲、高校生時代から聞き続けている私の最も好きな曲です。私はさだまさしさんの大ファーンであるが、つい最近、渋谷のNHKホールで行われた、さだまだしさんのコンサートに初めて行った。20年以上聞き続けているさだまさしさんの声を生で、しかも最後に好きな「風に立つライオン」と「防人の誌」を続けて聴け、これでもう思い残すこともあるまいと一人コンサート会場でウルウルしていたのを、この地の果てで、雨に濡れながら思い出していたが、やっぱりもう一度、もう一度、日本に還りたいと理屈抜きにひしひしと祖国を感じていた。俺はやっぱり日本が好きです。最期は日本で迎えたい。

ベースキャンプまでの道のりは長い

半分壊れかけている橋

8日、ついにサマ村に到着するわけだが、数日前から食事が喉を通らなくなり、下痢と吐き気に悩まされ、上から下から容赦なく噴射に手足の痺れ。とくに腸がねじれ切れるような激痛に悲鳴をあげた。水がいけなかったのか、それとも食べ物か。タトパニ村で魚の薫製がだされ恐る恐る匂いを嗅いだら卒倒するほどの代物で手を出せなかったが、シェルパ達が「臭いが問題ない」と何度も進めてくるので日本のクサヤのようなものかと少し口に入れたのがいけなかったのか、それともただただ疲れがピークに達していたのか、医者じゃあるまいし、原因など分からないが、ただひたすら腸を中心にシンドイ。情けないことに途中、土砂雨の中、シェルパに背負われ、この様子じゃ無理じゃないかと、ヘリでいったんカトマンズまで下ろすことまで検討されたが、ベースキャンプ入りすらできないまま終わるわけにはいかないと、とりあえずサマ村まで頑張ろうと一歩一歩進んでまいりました。

サマ村まで残り4時間ほどの所で上からパカパカと白馬が駆けてくるいではないか。よく見たらサマ村の村人たちで、なんと私の不調を聞きつけ迎えに来てくれたのであった。子どもの頃、6年間ほど乗馬を習っていたので久々の乗馬となったが、それにしても村人の優しい気持ちに心は満たされていた。サマ村は3390メートル。ここまで来ると雪の世界。さっそく大雪が降り雪景色。あれだけ暑かったのが嘘のようだ。このサマ村で休養をとり、4月12日は富士山との同時清掃。5日ほど休み体調を整えてベースキャンプを目指したい。

サマ村か白馬が迎えに来てくれた



もうすぐサマ村だ

子どものころ乗馬を習っていたので、久々の馬の背中にわくわく

4月9日 サマ村にて 野口健