25日ABC⇒ノースコル⇒ABC
26日ABC休暇
27日ノースコル(7,000m)1泊
28日ノースコル⇒ABC(6,500m)
25日のコースタイムは10年前に登ったときよりもはるかに早く、4時間50分でABCからノースコルに辿り着いたという。ちなみに10年前はなんと7時間以上かかった道のりだ。
高所での順化はうまくいっていると思われる。しかし、この、ノースコルに言った頃から野口の体調に異変が。
若村麻由美さんの夫である釈尊会会長小野兼弘氏の訃報が届いたのは、僕がヒマラヤ登頂を目指しABC(アドバンスベースキャンプ6500m)での高度順化中。突然の悲しい知らせに、大変驚きました。まず、冒頭お悔やみ申し上げます。
聞くところによれば2月頃から体調が優れなかったとのこと。その様な状況にも関らず、若村さんは3月16日に都内で行なわれた僕の壮行会で、「野口さんはチョモランマに専念してください。富士山は私が引き受けます」と力強く語ってくれていました。
そして4月15日に富士山北西部本栖湖湖畔の青木ヶ原樹海で行なわれた「富士山・エベレスト同時清掃」では参加者160名の隊長として指揮を振るいトラック5台分、約3トンのゴミを集めてくれました。清掃後の中継中もそんな素振りはまったく見せなかったのに...
僕も昨年11月に母を亡くしましたので、少しは若村さんの心境が分かるつもりですが、このような状況にもかかわらず、決っているスケジュールを、坦々とこなされた若村さんの女優魂には頭が下がりました。
月並みな言葉しか書く事が出来ませんが、エベレストより今はただただ小野様のご冥福をお祈り申し上げます。
5200mでの夜明けを待つ
5時半、チョモランマの頂に最初の朝日が当たる
そして世界が朝に向かう
この色の移り変わりを撮るために
カメラマン淳くんは極寒の夜明け前、近くのモレーンまで
カメラ機材を持って出かけた

ダウンスーツを着て、まるで頂上アタックのスタイルだ
一時間もカメラを構えてじっとしていると
寒さが骨の髄までしみるに違いない
我々のベースキャンプに日が当たるのは、8時
一気に暑くなる
日焼け止めを塗り忘れようものなら
ヒマラヤの強い紫外線にやられてしまうよ
はーい、ドクター塗りましたぁ と淳くん

昼間は日本との中継準備
衛星携帯電話のアンテナをセット
衛星電話からテレビ電話につなぎ、テレビ電話にビデオカメラをつなぐ

一方で、別の衛星通信機器を使って
パソコン上で日本の仲間と通信しながら、中継状態を確認する
これらの通信機材に補給している電源は、ソーラーパネルからの充電による
富士電機さんの協力の下に作り出された丸めて持ち運びも簡単、
軽量で、濡れても大丈夫な一品なのだ
4月15日、富士山との同時清掃を中継
富士山側には160人の仲間が清掃に集まったとのこと
毎年、仲間が増えていることに
ヒマラヤの空の下から感動する
こちら 寒い風の中で、清掃と中継に協力してくれたのは我が隊のシェルパ達
いつもの通り、彼ら無くしては野口隊は成り立たないのだ

夜、5月末出版予定の本の原稿執筆をする健さん
ベースキャンプを出発して上部キャンプへ向かう前に
この原稿を書き終えるのだ、と頑張っている
酸素の薄いところで頭を使うのは、なかなか大変なはず
納得いかないところを何度も書き直している様子

無事書き終えた原稿、これから責任持って日本に送信します
本が無事に出版されることを祈って
4月16日谷口けい
昨年の富士山・マナスル同時清掃に続き本年も女優で現在放映中の「蒼き狼~地果て海尽きるまで~」に出演中の若村麻由美さんを隊長に清掃活動を実施し、無事成功裏に終了いたしました。富士山北西部本栖湖湖畔の青木ヶ原樹海に、タレントの野々村真さんご家族をはじめ、北は北海道から西は佐賀県まで総勢160名の方々が集合し、約2時間の清掃作業でトラック約5台分、約3トンの缶・瓶・建材など等を回収しました。全国各地からこの日のために集まってくださった方々、本当にご苦労様でした。また、今回の同時清掃に対しご支援・ご協力を頂きました関係各社の皆々様、誠に有難うございました。
今回の清掃場所は県や環境省等の管轄により入り口付近に車止めのゲートが設置され、車の進入は不可能な地域でした。捨てられているゴミは、ゲートが備え付けられる以前、およそ20年~30年前に不法投棄されたものであると考えられています。殆んどのゴミは既に腐葉土の下に埋まっており、掘り起こし作業から始まりました。掘り起こした途端に込み上げる異臭は、桧や杉のほのかな香りで癒されていた現場の雰囲気を一瞬にして変えるほど激しいものでした。
清掃終了後、富士山クラブ・森の学校へ戻り、集められたゴミをバックに若村隊長および参加者、スタッフとの記念撮影を行ないました。汗を流してゴミ拾いをしてくれた参加者は絶対にゴミを捨てたりはしないし、これをきっかけに身近な環境問題に目を向けてくれる事でしょう。
記念撮影終了後、教室にてエベレストの野口とテレビ電話を使って交信をしました。野口健率いる清掃隊も約1時間のベースキャンプを中心とした清掃活動により、約50キロのゴミを回収致しました。本人いわく、年々ゴミは減っているとの事。地道な活動が功を奏したとは言え、50キロのゴミが集まる状況を考えると、まだまだ活動をしていかなくてはならないですね。
中継中の野口より「富士山もエベレストも新しいゴミが減ってきた。清掃活動が玄関口となり、環境問題をそれぞれが考えることにより周りの意識も変えて行こう」と語りかけると教室全体から拍手が沸きおこりました。若村隊長より「このような清掃活動は心地よい疲労感であり、自分自身を顧みる良い時間であったと実体験を語るとともに、教室の子どもたちに対し、みんなの活動に感動をした。ここで感じた事を忘れず、今後の時代を作って欲しい」と感想を述べられました。今回の活動では前回の若村隊長率いる同時清掃の参加者も約10人おり、教室は終始盛りあがりました。
野口事務所と致しましては、ゴミ拾いは環境問題を考える玄関口だと考えております。今日初めて参加してくださった方、今日初めてこのHPを読んでくださった方、今後も一緒になって今、おきている環境問題を考えてまいりませんか?
来年から京都議定書の約束期間(2008年~2012年)に入ります。(CO2排出量1990年度比の6%削減目標)しかし、現在の日本は1990年度比の+8%。要は14%削減しなければなりません。中でも、民生部門(家庭)や運輸部門の排出量は深刻な問題です。
環境問題は直に解決につながりにくい問題です。野口健が行っている活動は、砂漠に一滴の水を落としているようなものかもしれません。しかし、その一滴が集まりやがて川となる可能性を信じ、これからも活動を続けてまいりますので、皆さんも参加して下さいね。
*今日の豆知識
まもなく5月30日ですね。5.30(ゴミゼロ)の日です。現在、若者が中心になってゴミゼロ運動を企画しているようです。夏の「大江戸打ち水大作戦」のゴミバージョン「全国ゴミゼロ大作戦(仮名)」って感じですかね??皆さんも意識してみてください。拾えば必ずきれいになる…
2007年4月15日 マネージャー 藤村 健

13日の金曜日、チョモランマ清掃開始。 10年前はゴミだらけだったベースキャンプにゴミが見当たらない。


それでも探してみるとベースキャンプの外れの岩の下やテントの影から段ボウル、缶詰、食器、医薬品などがでてきた。高山病の影響で顔が浮腫み、ボーとしながらも約1時間かけ50キロほどのゴミを回収。



明日は富士山・チョモランマ同時清掃活動の日だ。
若村麻由美さんが富士山清掃隊長を昨年に引き続き引き受けてくださりおかがで私は安心してチョモランマの活動に専念できる。若村麻由美さんと初めて富士山を清掃したのは確か2002年。それから環境仲間として共に活動を続けてきた。彼女が映画「蒼き狼~地果て海尽きるまで~」の撮影で半年ほどモンゴルに滞在されていたが、そこで気になったのがゴミ。ロケでどうしてもゴミがでてしまう。そして彼女は「日本人がモンゴルで撮影させて頂いているのにゴミをおいて帰るわけにはいかない」とスタッフなど関係者に呼びかけゴミ持ち帰り運動を行った。その話を聞いて僕はとても嬉しかったなぁ~。若村麻由美さんのように影響力のある方が呼びかけると広がりも早い。感謝です。

14日、富士山・チョモランマ同時清掃がスタートした。
驚いたのが富士山サイドでは160人以上の参加者が全国から集まったとのこと。これは昨年より多い。そして3トンほどのゴミを回収されたとの若村隊長の報告にまたまた驚いた。エベレストと富士山で衛星中継を行いこちらの画面に若村隊長そして参加者の方々の姿が映し出され、こんなに仲間がいるんだと心強かった。エベレストのような極地で活動を続けていると孤軍奮闘しているとの錯覚に陥る事があるけれどそんなことはない。頑張っているのは我々だけじゃない。160人以上もの仲間が同じ時に汗を流しゴミと格闘してくれた。そう思うと寒さで体は冷え切っていたが、心はポカポカに温まった。人の輪の広がりにこそ可能性を感じる。
富士山とチョモランマで共通しているのは、新しいゴミが少なくなってきたことだ。今日の若村隊長の報告では回収したゴミの大半が30年以上前に捨てられたものだという。古いものはしょうがない。
大切なことは新しいゴミがでないこと。ゴミを拾いながらゴミが捨てられない社会を作っていけばいい。
ゴミ拾いはそのきっかけになればいい。僕はそう思う。
さて、明日からは上部キャンプを目指してベースキャンプを出発する。
しばらくはベースキャンプに戻ってこれない。また明日から頭痛かぁ~。
富士山清掃に参加してくださったみなさん、そして若村隊長、富士山クラブのみなさん、本当にありがとうございました。次は富士山で会いましょう!




4月10日、チョモランマ・ベースキャンプ入り。ラサ~シガツェ~シガールを経由しベースキャンプ入りしたが、 ラサからチョモランマ・ベースキャンプまでの道のりの大半がアスファルトで舗装されておりビックリ。
私が最後に この道を通ったのが2001年だがあの頃はアスファルトなどあるはずもなく、まるで火星にやってきたかと錯覚してしまうほど がれ場、砂漠地帯だった。四輪駆動車はガタガタ道を埃を巻き上げながら走ったが、今ではすっかりと舗装道路。 チベットのど真ん中であろうが、さすが中国、人海戦術で道路を作り上げてしまう。来年の北京オリンピックではチョモランマを舞台に山頂まで聖火リレーするとのこと。噂ではチョモランマの山頂まで聖火を上げるようですが、聖火リレーの為に急いで道路を舗装したとのことです。東京オリンピックで新幹線を走らせた感覚なのでしょうか?恐るべし中国、勢いを感じますよ。ただその勢いが羨ましかったなぁ~。
中国版、池田勇人の「所得倍増計画」であり田中角栄の「日本列島改造論」なのだろう。懸念されるのは「日本列島改造論」では地方の経済力の向上、中央と地方の格差を圧縮させて、バランスがとれた国土発展を目指したものだが、しかし、業者が東京を中心に都市部での土地を買い漁り、結果的に大都市圏と地方の地価格差を拡大させてしまった。それが資産格差につながり、地方と都市部の経済力の差を生じてしまった。高度経済成長時代の中国。中国も同じ過ちを繰り返さなければいいのだが。
東京オリンピックの頃の日本も国民が一丸となって我武者羅に働き突き進んでいたのだろう。今の日本に最も欠けている部分かもしれない。日本もうかうかしていると一気に中国に越されるだろう。それもそうかもしれないけれど、世界的に経済発展を遂げるというテーマはとりあえず果たしたわけだから、次のステップとして日本が世界に対して何が出来、また何を求められているのか、その部分に向けて世界に存在感を示す段階じゃないだろうか。色々な分野があるのだろうが、環境問題でもチャンスがあるだろう。京都議定書の議長国でもあり、またアメリカが地球温暖化に対して熱心に取り組まない以上、その分、日本がリーダシップを発揮しなければならない。
特に中国の環境破壊は深刻。環境破壊の先輩国として同じ過ちを繰り返さないように彼らに環境技術を伝授しなければ、日本はアジアのリーダになれない。とにかくもっと必死にならないと・・・。最近よくスローライフなんて言葉を耳にするけれどまるでローマ帝国の末期状態。そんなのん気な事言っている場合じゃないだろうに・・・。
ベースキャンプ入りしてまた驚いたのが登山隊の多さ。中国隊は隊員、スタッフ総勢300人。来年に向けての準備とのこと。それ以外にもすでに24隊以上がベースキャンプ入りし、上部キャンプに荷揚げするヤク(高所に生息する毛の長い牛)が足りない。ノースコルという7000M地点のキャンプ地ではサクラの花見のように場所取りが行われているとのこと。世界最高峰はなんとも騒々しい。呆れ驚いたのがベースキャンプ入り口には売店がズラリとならび、シェルパの情報ではいかがわしい商いがディープに行われているようです。いやはや・・・。
それにしてもチョモランマはとてつもなく大きい。ネパール側からよりもチベット側からのほうが一段と大きく見える。まるで203高地の要塞のような威圧感。



ただ、登山家の血が騒ぎ出したのか夜は目が爛々と興奮状態、朝方まで眠れず。そしてヒマラヤ生活ではお決まりの頭痛。低酸素による高度障害。朝起きたら顔がパンパンに浮腫み、淳君と目があったら彼も苦しい夜を向かえた事が一目瞭然。その横でけいさんだけが一人元気。これからの二ヶ月間は低酸素障害との闘い。標高を上げればその分だけ容赦ない。この痛みとも仲良く付き合っていかなければならない。ただ、痛みを感じるのは生きている証拠。痛みを感じる度に生きていることを実感する瞬間でもある。考えてみればお金と時間をかけてわざわざ苦しみ、命まで賭けているのだから、悪趣味と言われれば確かにそんな気もしますが、ただこんな贅沢はないですよ。精一杯、とにかく精一杯、頑張ればいい。
4月15日は富士山との同時清掃。若村麻由美隊長、よろしく頼みます。
ラサを出て三日目、ダート道の峠をランドクルーザーで越え
ようやくチョモランマのベースキャンプにやって来た。

途中、5100mの峠にて初めてその姿を見た。
広大な砂漠のはるか向こうに、8848mの頂は君臨していた。
ネパール側からのエベレスト(サガルマータ)は幾度も見てきたけれど
チベット側からのエベレスト(チョモランマ)は初めてなのだ。
全く景色が違う
チベットの、どこまでも続く砂漠の台地の中から
突如その白い峰は聳え、見るものを圧倒させる。
5000mの高地で、カメラ機材を持って走る淳くん。

あれがチョモランマだよ、と健さん。

その右に見えるのがチョ・オユーで、その更に右がシシャパンマ
どれも、かつて健さんが登った8000m峰だ。
ロンブク氷河のモレーンの末端に開けた台地に
チョモランマのベースキャンプが設営された。

一日前に入っていたネパール隊員のラムちゃん以下、シェルパ達と
韓国隊員のリーさんと再会する。

5170mという標高に、早速うなだれる淳くんを
うむ、そうだろ、辛いだろ
と見守る健さん。

これからが、いよいよ生物の住まない世界での生活の始まりだ。
日本人メンバーが薄い酸素に順化するべくボーっと過ごす中、
シェルパ達はロープワーク(登攀のための技術)の練習をする
本日の先生はラムちゃん
毎日、生徒と先生を入れ替えて練習すれば、しっかり身に付くよ!
通信係としては、まず、ソーラーパネルを設置

カトマンズで購入したバッテリーと、
日本から持ってきている小型充電システムに充電する
強い日差しのおかげで、たっぷりのエネルギーをもらえる、
淳くんはカメラを回して編集も出来、
健さんは十分にパソコンを使って原稿も書けるというわけだ
偉大なる地球の自然に挑戦する以上、
偉大なる自然の恵みを有難く使わせてもらうこと、
そして自然を傷つけないことが、ここで始まる挑戦の第一歩
2007年4月11日 谷口けい

1997年に初めて挑戦したチョモランマ(エベレストのチベット側 チベット名)。あれから10年。サガルマータ(エベレストのネパール側 ネパール名)の登頂、そして4回のエベレスト清掃活動、シシャパンマ登頂、マナスル清掃活動、シェルパ基金、マナスル基金等などヒマラヤと関わり続けてきた。ヒマラヤは私の原点であり、また第二の故郷。最近では情勢悪化により混乱するネパール、そして地球温暖化の影響により氷河が融解し洪水を起こしている。ネパールの友として、またヒマラヤに育てて頂いた以上、少しでも恩返しをしたい。
10年前に初挑戦し見事に突き放されたチョモランマ。2年後に反対側のネパールからエベレストに登頂するものの、敗退したチョモランマがどうしても脳裏から離れずリベンジ。
同じエベレストもネパール側とチベット側ではまったくの別物。
一番の違いはネパール側より寒い、そして私の最も強敵となる強風。チベット台地の砂を風と共に吸い込み咳き込む。おかげでチョモランマでは咳のしすぎで肋骨を負ったり、肺炎になったりと散々な結果を経験してきた。そしてベースキャンプからの遠い道のり。私にとってはネパール側よりも遥かに過酷。10年ぶりにチャレンジするチョモランマ。ウキウキ半分、不安半分。
世界最高峰と歩んできた10年。撤退あり、登頂あり、清掃ありと、色々な出来事がありました。10年目を一つの区切りに、私の中でのエベレストに賭けた作品を完成させたい。またこのチョモランマ挑戦に素敵な仲間達と共に挑戦出来ることに最大の喜びを感じています。

山と人とそこに営まれる文化が好き
私にとって山に居るときは
最も地球に触れるときであり
健さんと居るときは
最も地球とそれを取り巻く人間社会について考えられるときだ
だからつまり、それはエベレストでなくたってよいのだけれど
今回の舞台はここ
環境メッセンジャーの仲間の一人として、
私は世界で最も高い空の下にやって来た
自分にだから出来る場所で、Actionしたい
そして、未知への純粋な憧れ
そこに集まる人たちは
何処から何のためにそこに集うのか
この台地の隆起に、どんな接し方をしてるのだろうか
極限の際に、人はどう居られるのか
それから、未知への挑戦
日本から来たちっぽけな私と
ネパールの片田舎から大きく飛び立とうとしている娘のラムちゃんと
共にその頂に立てるだろうか
世界の一番高い空から
自分には何が見えるだろうか
そこにはきっと、伝えたいことが溢れているに違いない

「34歳、野口健。いまだ、青春の真っただ中」
2003年のエベレスト清掃登山、シシャパンマ峰、マナスル清掃登山と撮影班として 参加させていただきました。
「エベレストが、僕の青春だった」と、2003年、4回目、最後のエベレスト清掃活動を終え、下山中の撮影インタビューに野口健氏が語った言葉です。
しかし、まだ、彼は、青春の真っただ中。
98年、最初のチョモランマの敗北を、いまだ、忘れることなく、まっすぐ挑戦しようとしている姿勢、その姿に、身近で撮影していながら私は、胸を打たれる時があります。 また、野口さんは、写真に関して造詣が深く、いつもアドバイスをくれ、勉強になります。
また、冒険や清掃活動を通して、野口健としての作品を残したいと野口健氏が語ってくれたことがありました。
わたしの立場では、野口健氏がその作品に残すべき「何か」を映像化し、広く世の中に伝えるための材料を日本に持ち帰ることです。
現場では、常に安全に配慮し、注意深く行動し、野口隊の活動全般、そして、野口健の夢を追いかける情熱のすべてを記録し日本に帰ることを宣言します。

ネパールの登山界における女性革命を自らの力で行おうとしている
若干22歳のソルクーンブ郡ルクラ村出身(クムジュン生れ、ルクラ育ち)
シェルパの世界では、古くから女性は家庭を守るもの
という存在だった
近年、ネパール登山協会等が行っている登山学校に参加する女性も数名いるが、
それ以上の技術や立場(ガイドやインストラクター)を目指す人はいない
しかし自分は一級の登山家/ガイドになりたい
女性にも『プロフェッショナリズム』が必要なのだ
ラムちゃんは自分がそれを実践したいのだと言う
その理由は山に囲まれて育ち、純粋に山が好きだから
昨夏は、フランスにて国際ガイド学校(ENSA)の講習にも参加した
昨秋は、日本ネパール友好登山隊にて未踏峰のナンパイ・ゴスムにも登頂した
自らの手で、ラッキーを形にしてきた女性
幸運の力を持つ女性だ
野口健チョモランマ隊
4月5日、バタバタと忙しかったカトマンズを脱出。エベレストの真横を飛びチベットの首都ラサへ。機内の中からエベレストが真横に見え観光客はみな「わぁー」と歓声を上げていたが、あの山頂をこれから目指そうとしている私としてはとても直視できずチラッとだけしか見なかった。

なにしろこの飛行機と同じ標高まで自分の足で登らなければならないのだ。また、エベレストの山頂付近は強風のためだろうか、雪煙が舞い上がっており、また山頂付近は薄っすらと暗くなんとも不気味であった。エベレスト山頂は雲の中に隠れほとんど見えなかったが、あの雲の中に登っていくのだと思うとゾクッとした。ふと自分の足に手をあて「お前さん、あそこまで登ってくれるかい?いや、登れそうか?」と自分の足に聞いてみた。さすがにビビッてしまったようで、シーンと静まり返っていじけていた。「そりゃそうだよなぁ~」とまた足をさすりながら「酷使してばっかりでごめんなぁ~。これが終わればしばらくゆっくりと休もうな」と足に話しかけていた。
ラサに着いてからは低酸素に体を慣らすために3泊ゆっくりと観光。しかし、ラサ入りの前夜から急激な胃痛に襲われ、谷口けいちゃんとカメラマンの淳君は観光に出掛けるものの私は一人ホテルの部屋で寝込んだ。痛みがなかなか立派で久々に唸りました。お陰で機内でもグッタリ。大食漢の私もさすがにこの時ばかりは食事を受け付けず痩せました。ただ、カトマンズでバタバタと忙しく寝不足になっていたのでエベレスト前の最後の休養だと思いゆっくり寝る事にした。
二日目から少しずつ食事も取れるようになり、久々にポタラ宮に訪れた。

過去にすでに4回も訪れているが、その度に偉大なポタラ宮に感動してしまう。チベット人のラマ教に対する深い信仰心が神秘的で素直に素敵だなぁ~と感じていた。私は何を信じて生きているのだろうか。ダライラマの写真に祈りを捧げるチベット人を眺めながらそんな事を感じていた。

しかし、なによりも驚いたのがラサの変貌ぶり。6年ぶりのラサだけれど区画整理が進み北京の中心地のようにまるで滑走路のような巨大な道路がいくつも完成しており、チベット特有のクネクネと入り組んだ路地の大変が消え、町並みがガラリと変わっていた。
ショッピングセンターではソニーなどの日本の電気製品が液晶テレビからパソコン、最新式のデジカメからなんでも、まるで秋葉原の如くズラリと並んでいた。そして高級車がいたるところに。昨年、中国からラサまで鉄道が繋がったがそのラサ駅は東京駅の10倍ほどの大きさだったか。あまりの急変に現地のチベット人に聞いてみたら中国政府は北京オリンピックまでに大都市にする予定だとのこと。

町の至るところでガコンガコンと建設ラッシュ。1996年に初めて訪れたラサは多少なりともチベットの面影を残していたが、もはや・・・。確かに開発されその分だけ生活しやすくなったでしょう。教育や医療の面は劇的に変化したでしょう。チベット人の識字率が大幅にアップしたとも聞いた。ラサに住むチベット人にとって中国のラサ開発はどのように映るのだろうか。幸せなのかそれとも・・・。チベット人の本音を聞いてみたいとも思ったが、ただ聞くだけ酷かもしれない。そして彼らはけっして本音を話さないだろうと。そんな気がした。
開発され続けているラサの片隅で多くのラマ僧達が大声を上げながら修行を行っていた。

彼らの必死の叫びなのか、私の考えすぎかもしれないがそのように感じ、せめて寺院付近だけでもチベット文化やチベット魂を永久に受け継いでほしいと願っていた。
ポタラ宮の上部から子供を背負ったチベット人の老人が静かにラサの町並みを眺めていたが、なにを想っていたのだろうか。私にはその表情から伝わってくるものがあった。

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いつものようにバタバタと準備に追われて
ほとんど眠れぬままのカトマンズ脱出となった
無事、ラサ行きの飛行機に乗ると
健さんも淳くんも、あっという間に深い眠りに落ちてしまった!
このラサ行きの飛行機は
「ヒマラヤ越えフライト」をする
つまりエベレストのすぐ傍を飛んでいくのだ
眠っている場合じゃないよ

ヒマラヤ越え撮影中
と思ったら、エベレストの脇を通る時は二人ともちゃんと起きて撮影している
普通、国際便の飛行機内は標高2700m位の気圧に設定されているけれど
このラサ便の機内は標高3400m位の気圧に設定されていた
それは多分、これから行くラサの標高が3700m程もあるからだろう
普段海抜0mにほど近い所で生活している日本人にはつらい標高だ
乗客の中に、意識を失って一瞬倒れてしまった方もいた
急性の高度障害ともいえる
眠い、のは酸欠のせい
そして眠ってしまうと呼吸が浅くなってしまい、ますます高度障害が出やすくなる
だから、標高3700mのラサに着いて
「眠くても眠っちゃダメなんだぞ、淳」
と眠がる淳君を起こしていた健さん

淳、寝るなよ~!
「健さんこそ眠っちゃダメですよ」と淳君
次の瞬間には二人とも眠りに落ちておりました

健さん、眠っちゃダメですよ~_

結局二人とも眠りこけてる・・・!
この二人、ドクターけいの手に負えませぬ
谷口けい 2007.4.6
カトマンズに戻ってきてからはチョモランマへ向けた準備でバタバタ。食料の買出し、通信機材のテスト、シェルパとの打ち合わせ、そしてマナスル基金、シェルパ基金などのミーティングなどなど時間がいくらあっても足りない。

カトマンズの様子
カトマンズでの記者会見を終え、登山隊装備の準備の為に倉庫へと向かう途中、川の横を車で通ったがあまりの汚さに車を降りて川に近づいてみた。

川はゴミ捨て場と化し、流れている水はまるで墨汁のようなどす黒い。いわゆるヘドロなのか・・・。そして強烈な悪臭。警戒せずに近づいてしまい、腐った動物の死骸のような悪臭を吸い込んでしまい、胃液が逆流。吐きそうになった。

唖然としばし眺めていたらゴミの山の中に小さな女の子がゴミをあさっていた。あの子はゴミをあさり食べ物や、生活で使えそうな物を探しているのだろう。そしてこの汚染された水をすすり必死に生きている。ちょうど私の娘ぐらいの年だろうか・・・。涙がでそうになった。


川の近くには高級ゴルフ場があり裕福なネパール人や外国人、特にインドからの商人などが多く詰め掛けているが、目と鼻の先でこの格差。民主党の小沢一郎代表が「日本は世界で最も格差社会」と話されていたが本当にそうでしょうか。この光景を目にしても同じ台詞がでてくるのだろうか。世界には日本と比較にならないほど悲惨な格差社会が存在している。


以前訪れたケニア・ナイロビのキビラというアフリカ最大のスラム街はさらに深刻な状況であったが、そのスラム街から塀に囲まれた高級住宅街が見えその露骨すぎるほどの現実にため息しか出なかった。「発展途上国では当たり前の光景。それが現実だよ」と思われるかもしれないが、その過酷な現状にスタッフ達と終始無言。言葉が出なかった。


貧困と環境破壊。日本は世界中にODA(政府開発援助)で援助をしてきたが、これからは特に力を注ぐべきは発展途上国での環境破壊に対する取り組みだろう。そしてケニアのマータイさん(環境保護活動により黒人女性初のノーベル平和賞受賞・後に環境副大臣となる)のように現地から環境保護活動を行うリーダーが出てこなければならない。発展途上国は援助慣れしている部分がある。何でもかんでもお願いすれば先進国がやってくれると思っている人も多い。そうではなく自分達で自分達の国を変えていく!といった意気込みがなによりも大切。その手助けが意味ある真の国際協力に繋がっていくのだろう。
カトマンズにて
ネパール・クンブ地方で高所順応トレーニング・融解し決壊する可能性があると指摘されているイムジャ氷河湖の視察を終え、いよいよ明日からチベット・ラサ入り。出発前日にカトマンズのマッラホテルにて記者会見。記者会見の内容は主に3つ。

1つは4月15日にチョモランマと富士山で同時に清掃活動を行うこと。そして衛星中継で結びチョモランマと富士山で清掃を行った人たち同士で意見交換をする。昨年、マナスル・富士山清掃活動を行った際も衛星中継を行ったが、嬉しかったのが富士山側に日本在住のネパール人が複数参加してくださったこと。同時清掃を行いながら清掃活動を多方面に広げていきたい。

2つめに次にペンバドルジシェルパの発案であるが、世界中の国旗を登山服に貼り付け、その各国の国旗を山頂に持っていくことで世界平和を訴える。世界記録保持者のペンバドルジシェルパがやってこそその活動は広く注目され(実際にネパール国内のみならずBBCやCNNなどこのプログラムを世界に報道している)どこまで実際に影響を与えるか未知数ではあるが、諦めずに平和を呼びかけ続ける事に1つの意味、価値があるのだろうと思う。

3つ目はパサンラムシェルパのチョモランマ挑戦。ネパール人女性のチョモランマ挑戦はいまだ数人の領域を超えておらず、彼女は「ネパールは女性の権利が軽視されている。私がチョモランマに登頂することで女性にも大きなチャレンジが出来ることを証明したい」と訴えていた。


4つ目は地球温暖化による氷河の融解である。10年前にチョモランマと現在のチョモランマに映像を比べてどれだけ変化したかを調査する。先のイムジャ氷河湖同様に世界各地で氷河の急激な後退が問題視されている。地球温暖化によって氷河が溶け出し洪水等の危険にさらされていることは今や広く知れ渡っているが、ネパールの都市部では大半の人々がその危機的状況を把握していない。特に混乱を極めているネパールの政治家の間では温暖化対策、またはツバル共和国のように温暖化の被害を世界に訴えるといった次元にまで到達していない。ネパール人の口々からは「政治家は自身の保身のみ。政治が腐っている。まったく期待していない」といった政治不信を方々で耳にする。「政治家に期待している」といった声は未だかつて一度も聞いたことがない。そしてそれ以上に王室に対する国民の反感。国王による事実上のクーデターをネパール国民は許さなかった。政治、国王不信がマオイスト(毛沢東主義)といった共産テロ組織をここまで大きな勢力に伸ばした最大の要因ではないだろうかと一般的には推測されている。
したがって今日の会見ではネパールの政治から環境問題への取り組みが始まるとは到底思えないので、ネパールのメディアが大きくその真実を国民に伝えてほしいと要望した。メディアの力は大きい。国が動かないのならばメディアの力で民意を動かすしかない。是非、地球温暖化による氷河の決壊の危機、ゴミによる大気汚染、水源地汚染の問題をネパール国民に知らせてほしいと、そして国際社会に訴えてほしいと最後に付け加え会見を終了した。
ネパールに来てみて改めて痛感させられるのが、政治の重要性。これほどまでに国民が政治不信に陥ってしまった社会の建て直しは容易ではない。その結果、多くの人々が自国を良くしようといった社会的な考え方から自分に利益があればいいといった個々の発想に転化していく。国に絶望した以上、自分達の生活を自分達で守ろうとするのは至って自然な成り行きかもしれない。もちろん全ての国民がそうであるわけではないだろうが、私が受ける印象では大半がそのように感じ取れる。環境問題や教育問題は最大の政治課題。それは日本もまったく同じこと。環境問題の相手は人間社会である以上、政治とは切り離せない。その政治が責任ある働きを行っていないのだ。そもそもネパールは永年において選挙すら行われていないのだから。マオイスト党からは国民の審判を受けずに80人以上もの国会議員が誕生。そして閣僚は5人。6月に予定されている(延期する可能性大)選挙で国民の審判が下されるが、果たしてどうなるでしょうか。チョモランマから降りてきた頃に大きな変化があるのだろうか。
政治が動かないのならば民間が動き、その影響力で政治家達に働きかけるしかない。私も民間人としていくつものアクションを起こしてきた。その度に環境大臣始め東京都知事や山梨県知事に働きかけてきました。政治家との連携プレーで実現した事例も複数あります。時に「野口健が政治利用されている!」といった指摘があります。全てではありませんが、確かにその要素は100パーセント否定できるものではないでしょう。しかし、仮に環境問題への取り組みが政治利用に繋がったとしても、形となって実現すれば必ずしも全てがマイナス要素とは限らない。そもそも100点満点などない。理想主義のみで解決できる問題ではない。環境問題は人々との生活に直結している以上、極めて現実の問題です。様々な人々が様々な角度から関わってくる以上、一筋縄にはいかない。極めて複雑。人間社会にはA面B面があり、環境問題は裏の部分であるB面が多い。人間社会の汚い部分ばかりを見せつけられると心身共に消耗するが、それでも一歩一歩実現させなければならない。実際に東京都レンジャーや山梨県富士山レンジャー、環境省のアクティブレンジャーなど誕生したじゃないですか。小池前環境大臣、石原都知事、山本前山梨県知事との連携プレーがあったからこそ実現してきました。官と民の連携がとても大切です。

私達の活動が多くのネパール人に伝わり、そして最終的にネパールの政治家達にまで環境問題の大切さ、そして深刻さが伝わることを切に願いチョモランマへ向かいたいと思います。
ネパール・カトマンズにて



束の間のカトマンズ滞在中
これからのチョモランマ遠征に向けて機材の最終チェックをする
私と淳君にとっては初めてのチベット
どんな気候(気温と湿度と)で、どんな気圧が待ち受けているのか
全く未知

そんなチョモランマの空の下から
日本へと中継する予定が何回かある
もちろんその中には、富士山との同時清掃も含まれている
私たちの最大の使命の一つは、伝えること
世界と繋ぐこと
それを成功させるためにも、苦手な機械を相手に悪戦苦闘する
基本電源は太陽光だが
保険電源の発動機からバッテリーへの蓄電と、そこから全機材への電力供給システムを試す
今までのプチ失敗を繰り返さないように…
(電圧や電流の基本が脳みそに入っていなくてオカシナことをしたこともあった?)
手動ジェネレーターから最終的には衛星通信機器や最新OS内蔵パソコンへ
ローテクからハイテクへ繋ぐ
これを世界で最も高い空の下でやる
なんだかとっても面白い構図だな
そんな準備の中
カトマンズの街へと買い出しに出かけると
健さんの旧知のグルジア人登山家、不死身のギーアに偶然出遭った
かつてのエベレスト清掃を共に行ったギーア

昨年のマナスルでも偶然一緒になり、一時はアタックに出かけたまま行方不明騒ぎになったものの、何事もなかったかのように下山してきたギーア
そして昨夏のK2でのロシア隊遭難の中からも唯二(6人中2人)生還した彼曰く、
「スポンサーのためにって無理に突っ込んで(アタックして)も、死んでしまったらスポンサーの意味だって無くなっちまうじゃないか、死は何にもつながらないよ」
全くそのとおりだ
いまやっていることは常に次のActionへのステップなのだから
死んでしまっちゃ本末転倒だよね
4月1日谷口ケイ