チョモランマにいたかったなぁ~とも感じています。しばらくチョモランマに行く事もないと思うとちょっと寂しいですが、チョモランマで遣り残した事はもうありませんから・・・。これでお終い。
カトマンズでは記者会見、山岳博物館の視察、コイララ・ネパール首相との会談、橋本基金のカンティ小児病院の訪問、シェルパ基金の子ども達との再会とバタバタとしていました。来週からは断食道場にこもり体を休めてきます。明日は環境省で記者会見し、今後の目標、また活動について発表します。日本の空気はやっぱりいいねぇ~。

summit_keiチーム

終わった。終わっちゃった。
一人ごろりと横たわっていると、頭の中にぐるぐると想いが巡る。
8000mオーバーでの酸素。酸素、無酸素。
なんで私、酸素吸っちゃったんだろ。
なんで、って寒かったから。強い意志が無かったから。
大切な人たちに守られ過ぎていたから。

ピピン(ダイバー)はオードリーの挑戦を100%支持したがゆえにオードリーの命を亡くしてしまったけどあんなに私の無酸素を提案していたペンバは私を守りすぎて酸素を与えてくれちゃった。
あーあ、私の意志の弱さ。
一方で、そんなこと別にどうだっていいや、って思う。
有酸素だろうが無酸素だろうが、大した問題じゃないって気分なんだ。
そんなことよりも、大切な人たちと過ごした時間と空間のほうが重要なんだって。
山の高さも、空気の薄さも、登れたか登れないか、どうやって登ったかも、そんなこと他人には結局分からないことで、重要なのはそこに愛があるっていうことなんだと。

誰と登ったか、
そこでどんな時を過ごしたか、
何を見たか、
何を聞いて何を感じたか、
それはそこにいた人にしか分かり得ない事で、
生も死も、苦しみも悲しみも喜びも、
それは全て自分のものでしかない。

きっと二度と来ないエベレスト、今年のチョモランマにはいろんな隊がいて
いろんな人間模様と登攀スタイルがあったけど
私は野口隊のメンバーであったことを嬉しく思うし、

大好きな人達と登れたことに感謝したい。
一生に一度きりの体験だから。

この二ヶ月間、限りなくあふれ出てきた笑いと、いっぱいの愛情に、
心からありがとうと言いたい。
楽しくて仕方の無かった素敵な日々が暮れてゆく。
日本に帰ったらきっとまた一人では眠れない。
あーあ、帰りたくないなー・・・

2007年5月25日 満開のジャカランタが眼に眩しいカトマンズから 谷口けい
チョモランマ登山の約一月半を共に過ごした
野口隊の大切な仲間、シェルパ達の話をなくしては終われない

彼はシェルパ族ではないのだが、これまでも数々の登攀を健さんと行ってきた
クールでインテリ、上部キャンプに歯ブラシを忘れるとショック大

これまでも清掃隊に4度参加、とても強い。茶目っ気があり、憎めない存在、隊員に対するケアは100%。サガルマータ(エベレスト・ネパール側)BC→頂上8時間10分登頂という世界記録保持者。今回は無酸素で、世界中の国旗を縫いつけたジャケットを着て登頂、世界平和を訴えた

昨年のマナスル登頂に続き、野口隊に参加
カメラマン淳くんの右腕として活躍
とても気が利き、日本との中継の際は必ず助けてくれる、物真似が得意で特に淳くんの真似は絶品!

これまで野口隊に2度参加、やさしくておっとり型
普段はタンカ(仏教画)の絵描き、今回は絶対頂上まで行くのだと頑張った

これが最初で最後の高所遠征だと言っている、割り切り型都会派
テコンドーをやっていて体が出来ている、上部キャンプへの荷揚げのときは何時も一番だった
レストの日は音楽がかかると踊りだし、夜は物まね芸人になる

遠征は危険で大変だけれど、子供を学校に行かせるのは大変なんだ・・・
としみじみ語る奥さん想いの誠実派
マイペースで他のシェルパに流されない、最終キャンプへの荷揚げでは最強、そしてとても優しい

普段はMTBツーリングガイドなどを生業としている
サイクル・カジの愛称で皆から慕われる最年長、しっかりしていて頼りがいがある
オンチュウと並んで最終キャンプへの荷揚げでは最強だった

ペンバ・ドルジの弟、弱冠18歳、初めてのエベレストにして2度登頂
素直で優しく、気が利いて、かつ精神的に強い
昨秋にプモリ遠征で、2番目の兄(彼も今回野口隊に参加する予定だった)を目の前で雪崩で亡くした
そのプモリを、何度も何度も見つめながら登っていた姿が忘れられない
*ちなみにペンバ・ドルジ(3男)ら兄弟は、今回別の隊に長男ペンバ・ギャルツェン、4男ニマ・ギャルツェンが参加していて、同じ山に4兄弟が一緒にいた。いずれもこれまで健さんと関わってきており、今回も強風で破壊された上部キャンプの再設営に協力してくれたりした。
2007年5月25日 谷口けい

初めてのチョモランマ(エベレスト・チベット側)そして、きっと二度と来ないはず
BCとABCに初めて辿り着いた時、私は健さんに言った
「こんなに人が多いところ、私無理です。これが最後のエベレストにしましょう、健さん」
さすが世界で最もソラに近い山
ありとあらゆる種類の人間が一時一所に集まってきているのだった
大小30隊ほどの登山隊がいたが
驚いたのは、その中には私が想像した以上に多くの
各種公募隊が存在したこと
日本隊は我々野口隊を含めて5隊(N,O,P,Q,S)
そのうち3隊が公募隊(P,Q,S)
そのほかに国際公募隊(パーミッション共有隊)Aに参加している日本人2人
別の国際公募隊Rに参加している日本人5人
更に国際公募隊(パーミッション共有隊)Tに参加している日本人1人と出会った
つまり、ほとんどが公募隊ではないか
登山活動が終わってみて、日記を書いていて気付いた事がある
シェルパも含めた登山隊員が無傷で全員登頂したのは
自己流隊(つまり公募隊でない)の野口隊とO隊だけだった
P隊は4人中登頂はサブガイド1人
Q隊は4人中登頂2人、1人死亡
S隊は3人中登頂1人
A隊の1人はC2にて死亡、よって1人は撤退
T隊の1人は早期下山
R隊は現在アタック中(既に1人は病気で下山)
公募隊に参加してるのは日本人ばかりではない
どちらかというと、国際公募隊に参加している欧米諸国(南米やフィリピンも)が多い
必ずしも心が通じ合ったパートナーと登ることのできない
世界で最もソラに近い山
そこでは何が起きたって、おかしくは無いのかも知れない
公募隊に限ったことではないが
私が8848mの高みに行って帰ってくる間のほんの4日間のあいだに
三途の川の淵に立ったクライマー達にどれほど触れただろう
C1で進退を考えている韓国隊員のシェルパ2人に呼ばれた
「命について考えるのは隊員だけじゃなくてシェルパも同じで、僕らにも家族がいるってことを彼に伝えてくれ」と
C1→C2へ向かう途中で無線が入った
健さんが登頂後にQ隊の隊員死亡に遭遇、レスキュー&埋葬に尽力していた
健さんの性格からして、中途半端にそれを放棄するとは到底思えなかったが
「自分の酸素はあるの?!8500m以上の高みにそんなに長くいないで!分かってるよね」
更に健さんと共にいるはずのサーダーに
「健さんの酸素はちゃんとあるの?あなたを信じているからね!」
それしか無線を通じては言えなかった
C2→C3へ向かう途中で、ソロ(個人)のMさんテントの存在が気になる
「Mさ~ん!」
と声をかけるが返事なし
結局彼は、このテントの中で亡くなっていた
8000mより上の世界、生と死の分岐点を行ったり来たりしている人たちとの遭遇
頂上直下で遅々として進まない韓国人、本人もシェルパも酸素が切れかかっていたのだ
我が隊のシェルパが有無を言わせず、余分にあった我々の酸素と取り替える
同じように、亡霊のようにフラフラと歩んでいたフィリピン人、
お茶とアミノバイタルを飲ませるが、逆に吐いてしまった
完全に高度にやられて、内蔵機能が低下していた
飲むことも食べることもできないのならば、エネルギーなんか生まれてこないのだ
夜が明けて世界が明るくなると、見えていなかったものが見えてくる
左に前々日亡くなった日本人、右に昨年(?)亡くなったインド人の遺体を見ながら雪壁を下っていく
第二ステップの下にも一昨年からの日本人の遺体
切れ落ちたスノーリッジをゆくと、前方に座り込んだ遺体か・・・
と思ったら立ち上がった
立ったり座ったりしている、気の触れたイタリア人だった
ザックの中に半分以上入った酸素ボンベが入っているのに、酸素は無いとか何とか言っている
無理やりマスクを装着させて、酸素ボンベのレギュレーターを4l(max)出す
ハーネスに結ばれているセイフティー用のスリング(紐)にカラビナがひとつもついていない
いったいどこで失くしてきたのだ!カラビナをつけてあげて、セイフティーをつないで下らせる
まるで歩けない、下るんじゃなくって、転がり滑り下りていく
セイフティーが無かったら、今頃あちらの世界にひと飛びだ
更に下ると、シェルパのミンマが雪上にしゃがみ込んでいた
「僕らにも家族がいるんだ・・・」
と言っていたシェルパだ
ちょっと疲れたから、と言うミンマだけれど心配になって
彼の酸素ボンベのレギュレーターを1.5l→2lに増やす
「さあ、下ろう」
C3に帰り着くと、酸素を吸ったままシェルパ達が寝転がっている
酸素を吸っているから死ぬことは無いだろうけど、この高さで昼寝は禁物なんじゃないのー
と言いつつ、私も寝転がる
つまり疲れているのだ、眠いのだ
それでもこの高さに長居は無用、C3を撤収して更に下る
また、出会ってしまった、生きることを放棄しつつある人
今にも足がもつれそうなオーストリア人女性だ
しかもセイフティーのカラビナをロープに掛けていない
脳みそがとろけていそうな微笑で、私に
「あなた先に行きなさいよ」
と言ってくる
「あなた死にたくなかったらカラビナちゃんとロープに掛けなさい!カラビナ掛けるまで、私行かないよ」
しつこく押し問答をして、結局一緒にC2まで下りる
C2まで行くと、知り合いの韓国隊が酸素ボンベを3本売ってくれと言ってくる
なに?我々のC2にデポしてあった酸素は7本も盗まれちまって、もう無いよ!
でも、C1にデポしてある酸素ボンベを3本譲る約束をする
健さんと無線で話して値段を決める
あー、疲れたな
そういえば頂上直下で韓国隊員とそのシェルパに与えた2本の酸素、あれもお金もらえるのかな
こちらの判断で勝手に変えたものだから、仕方ないかな
人道的なことなので、健さん、かってにやっちゃったけど許してくれるよね
登山になかなか集中できない、不思議な山のおはなしでした
2007年5月21日 谷口けい
5月17日、1次隊に続き二次隊メンバーの谷口けい、パサンラム、そして4名のシェルパがチョモランマに登頂。これで野口隊は隊員、シェルパの全員(合計8人)がチョモランマに登頂を果たした。
登頂後、ベースキャンプに集合し互いの登頂を称えあった。
一人のけが人もださない完璧な成功に心から満足しています。
谷口けいさん、平賀淳くん、そしてシェルパ達、みな最高のパートナーでした。彼らとザイルを結び合えた幸運に感謝。野口隊を影ながら支えてくださった日本の関係者の方々にも感謝。
そしてホームページ等で応援メッセージを送ってくださった多くの方々も本当にありがとうございました。これでやっと日本に帰れます。
チョモランマへのリベンジは10年越しの夢でした。
チョモランマに対し自信を失っていた時期もありましたが、それでもリベンジをするんだと宣言し、実行して本当に良かった。
やはり失敗はそのままにしておいてはいけない。サハラ砂漠を単身で横断しようと果敢に挑みサハラに燃え尽きた上温湯隆氏が生前
「冒険とは、可能性への信仰である」
との言葉を残していますが、その言葉の意味、深さを改めて噛みしめています。
ネパール側、チベット側と両方からエベレストに登頂し、これでやっと両側がそろって私の中のエベレストが終わりました。色々な葛藤がありましたけれど、やってみるものです。諦めなければ不可能なことはない。
チョモランマ山頂では思わず
「アルピニストとしてやるべきことはやった。もう終わりにしたい」
と口走っていましたが、あれはちょっと早まったかな・・・。訂正があるとするのならば
「ラスト・チョモランマ」
であり
「ラスト・クライミング」
ではありません。今後、いかなる環境の変化が起ころうとも、アルピニストとしての活動は持続していきたい。
下山後、自身の足を撫でながら
「お前さん、よく頑張ってくれたなぁ。酷使しっぱなしで申し訳ない。でもありがとう。ご苦労さん」
と痩せ細った足を褒め労いました。
この10年間、休むことなくひたすら突っ走ってきた。そろそろ一息入れても罰は当たらないかな。充電期間が必要なようです。
次はどのような舞台で勝負するのかノンビリと旅でもしながら考えるのも悪くはない。体を休め気力、体力が回復したら次の夢に進みたい。
5月14日、20時45分、チョモランマ、アタック開始。満天の星空に天に感謝。
真っ暗闇の中、ヘッドランプの光を頼りに黙々と登る。聞こえるのは酸素マスクからの
「スースー」といった酸素の流れる音とピッケルの「ガツ ガツ」と雪を突き刺す音のみ。
一歩一歩登りながらこの10年間の重みをひしひしと感じていた。
「チョモランマ」この言葉の響きにいつも囚われていたような気がする。サガルマータ(エベレストのネパール側)に登頂を果たしてもそれは変わることはなかった。
チョモランマ登頂
5月15日、午前8時10分、ペンバドルジ、クリシュナ、カイラシュ、アンカジ、パルデェン、平賀淳、そして野口健とチョモランマ登頂!山頂から日本に衛星電話をかけ、仲間の声が聞こえてきたら不意に涙が流れてしまった。
永かった10年間。チョモランマ遠征前は周囲から「あの多忙なスケジュールで満足なトレーニングもできていない。「登頂は難しいだろう」といった声が聞こえてきた。確かにほとんどトレーニングができないでいた。しかし、そのことを言い訳にはしたくなかった。言い訳を言い出したらきりがない。また最後のチョモランマ挑戦と公言していたので、もし登頂に失敗したらどうしようと不安で一杯だった。そんなことを言わなければよかったのにと後悔したこともあったが、それもこれも自分で決めたことだ。当たり前のことだが、自分で決め、公言したことは実現しなければならない。自分に負けてしまったら、それこそ終わり。
30分ほど山頂で景色を楽しみすぐに下山へ。山頂直下からマスク内の酸素の薄さが気になり、登頂したときには頭がガンガンと痛んだ。酸素を吸っていながら何故?とシェルパに
「酸素が漏れていないかなぁ~」
と相談したものの分からず。下山は山頂で一緒になった他の日本隊員と行動を共にした。
しかし、下山開始して30分ほどで彼の様子がおかしくなり、時に自らの頭をピッケルでコツコツと叩いていた。そして山頂直下で座り込んでしまい、話しかけているうちに
「う~ん」
と小さくうなり声を上げたかと思ったら頭をコクッと垂れてそのまま眠ってしまった。
一瞬なにがおきたか分からずシェルパ達とシーンとしてしまったが、次の瞬間に
「しまった!」
と彼の名前を呼び体を揺すったが反応なし。人工呼吸したくてもこちらも極度の酸欠のために息がだせない。
「あ~あ~」
と焦っているうちに死後硬直が始まってしまった。
あっという間の出来事だった。
彼は私とシェルパの腕の中で息を引き取ってしまった。その現実に脱力感に襲われたが、しかし、その現場は急な雪壁。せめて彼の遺体を少しでも降ろそうと100メートルほど滑り降ろした。そこでルートから2メートルほど離れた場所に遺体を固定。それが我々にできる精一杯のことだった。彼のシェルパが泣くので「お前の責任じゃない。これがチョモランマの世界だ」と慰めてみたが私も泣きたかった。
もっとも身近なところにいながら助けることができなかった。遺族の方々に申し訳ない気持ちで押しつぶされそうになった。
しかし気がつけば1時間以上もその場にいたわけで、山頂直下という場所を考えればすぐに下りなければならなかった。すでに酸素の残量も減っており、また私の酸素マスクが故障しているんじゃないかとマスクに不信感を抱いていたのでとにかく最終キャンプへと急いだ。
最後は三歩歩いては倒れ、立ち上がり、三歩歩いては倒れた。雪まみれになりながら最終キャンプに着いたのは午後6時過ぎ。
先に下山していた平賀淳くんに助けられながらテント内に。
しかし、胃痙攣が始まり吐き続け、次に呼吸困難に。
「あ~俺ももうここまでかぁ~」
と諦めかけそうになった。
その時にシェルパに
「酸素マスクを変えてくれ」
ととっさに頼んでいた。酸素マスクを交換してみたら「スー」と濃い酸素が肺に入ってくるのが分かった。
やはり酸素マスクが壊れていたのだ。それから3時間ほど静かにジーと酸素吸入した。少しづつだか体温が戻ってくるのが分かった。
そのまま翌朝を迎える。
ABCに戻るため午前9時過ぎにキャンプ3を下る。その瞬間に真横のテントのチェコ人が突然立ち上がりクルリと回ったかと思ったら雪の中に倒れこみそのまま息を引き取ってしまった。
あまりの呆気なさにみな唖然。死因は分からないが脳血栓だったのだろうか?
フラフラしながらキャンプ2へ。そこで二次隊の谷口ケイさんとすれ違った。
「もう健さん、昨日は心配したよ!山頂直下で酸素が無くなったらどうするつもりだったの!でも登頂できてよかったね。おめでとう」
のケイさんの言葉が胸にジーンと響いた。
「次はケイちゃんだね。無事の登頂を祈るよ」
と別れた。午後7時過ぎ、なんとかABCにたどり着いたが、昨日のマスク故障による低酸素障害が深刻で一晩中、呼吸が安定せず、疲れて寝たくとも呼吸が止まっていることに気がつき慌てて起きる。
そしてウトウトするとまた呼吸が止まる。その繰り返し。
結局、ほとんど眠れず。苦しい夜だったが、ただこうして生きて生還できたことにひたすら感謝していた。チョモランマは遺体だらけの死の山だっただけに・・・。
今、ネパール時間で19時14分です。
何とか、ABCに帰ってきました。
もう、死ぬかと思いました!
今日は一日、今日はというか最近ずっときつかったです。
特に昨日の8000mでのマスクの故障による酸欠ですか、昨日はちょっと呼吸困難を起こしていたので、そのダメージがかなりあった。
ほんとにABCは遠かったな~。
とりあえず、安全地帯に下りてきました。ただ、今夜から谷口ケイちゃんとパサン・ラムちゃんがアタックをかけますので、まだまだ緊張が続きます。
谷口ケイちゃんとパサン・ラムちゃんが無事にABCに下りてきて、今回の活動は終了、ということです。
あと何時間もしないうちに、多分2、3時間したらケイちゃんがアタックをするわけですから、明日の朝の彼女の報告を聞くまでは、また、彼女が帰ってくるまでは緊張が続きます。
もういい加減に緊張から開放されたいんですけど、そういう世界ですから。
とりあえず、野口健と平賀と3人のシェルパはABCに戻ってきました。
ほんとに皆さんいろいろとご心配をおかけしまして、どうも申し訳ございません。
色々と心配されているメッセージを書き込まれたと言うことを聞いて、申し訳ないな~と思っています。
しばらく高いとこ行くのやめます、もう低いとこに行きます。せっかくダイビングの免許も持ってるし、これからは、より低いことに下って行きたいと 思ってます。その前に、日本帰ったらしばらくのんびりぼけーっと、休みたいと思います。ほんとに心配をおかけしてすみませんでした。
無事に戻りました!
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現地時間午前8時、5月15日8時、クリシナタマン、ペンバドルジ、アンカジシェルパ カイラス、そして平賀淳、そして野口健とただ今登頂しました。
ちょっと、ホントはもう2時間ぐらい早く登頂したかったんだけど、結構苦しんで ね、最後。でもなんとかなったな。やればできるんだな、やればできるんもんだ。
まぁ、なかなかの景色ですよ。これで、ネパール側、チベット側と、やっと両側そ ろってね、これでやっと、僕の中でのエベレストがやっと終わったね。
もう、エベレストはお腹いっぱい、完全にお腹いっぱいになった。ただ風が吹いてき た、途中、第2ステップと言う岩稜帯があるんだけど、かなりやばい。 かなりやばいんで、まだやることやってないんで、とにかく、相当気をつけないと、 ちょっとスリップしたら落ちちゃうんで、 相当気をつけて、写真だけ撮って、おりたいとおもいます。
色々葛藤はあったけど、来て良かったよ。
淳君も一緒に登ってくれたし、事務所の皆も協力してくれたし、若村さんも大変なときに頑張ってくれたし、 でも、これで生きて帰って戻れたら、この10年間のエベレストの作品は100点満点だな、と思ってます。
ほんでこれから、淳君とシェルパと、とにかく生きて帰ること、生きてかえんないと な意味ないんでね。
まあ、俺はそう簡単に死なないしな。まあ、そういうことで、皆さんほんとうにどう もありがとう、 おかげで念願のチョモランマの頂上に立てました。とにかく、多くの人が、チョモラ ンマと書いた、 てるてる坊主をあげてくれたことでしょう。
ほんとにありがとうございました。
これから下りたいと思います。
それではほんとにありがとう!
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(現地時間)14日20時45分、見事な天気です。
おそらく日本の皆さんが、雪だるま、雪だるまじゃない、てるてる坊主に「チョモランマ」と書いてくれたおかげで完璧な※▲●□・・・。
今から準備してアタック開始。天気がこれだけ味方してくれたので、後は自分達の努力、失敗しないこと、あとは自分達に負けないこと。自分に負けず、失敗しなければ、チョモランマに登頂できる。これからアタックを開始したいと思います。
相棒の平賀に代わります。
(平賀)
ようやく朝を迎えました。
酸素がないと苦しいですが、この言葉をたよりに山頂まで行って着たいと思います。
2003年に健さんが6500m付近で、私が「素晴らしい景色だ」と言ったところ、「これは来た人の特権だ」と言う言葉を残してくれました。「この風景が見られるのは、ここまで来た奴の特権だ」という話をうけて、いたく感動したのを※▲●□・・・。
今回もその言葉を旨になんとか努力を重ねて、山頂に何とか、立ちたいなと思っております。健さんとシェルパ、そして日本の皆さんの、期待を胸に山頂に立ってきたいと思います。応援、宜しくお願いいたします。
(野口健)
ま、そんなことで、これからアタックを開始しますが、あとはできるだけスピーディーに登って、出来るだけ早く帰ってくる。ま、天気が変わりやすいので。い よいよ、まー、長かったです。ここまで来るまで。非常に辛いこともあったんですけど、ま、とにかく、岩にかじりついてでも、今回は登りたい!もう登りた い!最後まであきらめずに上がりたい!と、思っています。ではつぎ山頂からうまく更新が出来れば、山頂から更新します。
では行ってきます!
※追伸(野口健)
あとこれからアタックを開始するわけですけれど、一つ御願いがあって、昨日かみさんにも伝えましたけど、もし、万が一、万が一のことがあれば、南青山か、 タンボチェの丘の、あの龍ちゃん(故橋本龍太郎元総理大臣)の墓の横に、僕の墓を建ててください。その墓に「永久に龍さんと語る」と。これ僕の最後のお願 いですけども、なぜかって言うと、龍さんとね、よく議論すると、「もううるさい!」とか「帰れ!」とか怒るんです。結構逆切れされるんですよ。ま、いわゆ る、「怒る、すねる」だからね、龍さんは。だからね。もう何かあったら隣に僕の墓を建ててね、そうしたら龍さん逃げれないわけでしょ、一生、議論してやろ うと思ってね。これが最後、遺言ですけど。じゃ、まっ、淳くんと二人で気をつけて、パーフェクトな登山をしたいと思います。ではナマステ!
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ネパール時間の13時30分に8300mの最終キャンプ(キャンプ3)に到着しました。 残念ながら今、雪が降っている。午後になるといつも天気が崩れる。
この後天気が回復すれば、ネパール時間の本日21時か22時にはアタック開始をして、ネパール時間15日の早朝5時には登頂できると思う。
ここまで来たらじたばたしないで、天気が回復することを祈るばかり。
今朝、頭に血が上って血管が破裂しそうになっるくらい怒りが込み上げた。
昨日はくたばっていて気づかなかったが、荷揚げした酸素ボンベ7本が、他の隊に盗まれていた。
今朝判明した。 これは初挑戦の97年も酸素ボンベが盗まれた事件があった。あの時はロシア人が盗んだ。これは単なる泥棒でない。僕らは荷揚げをして、それを当てにして高 所へ登ってくる。当てにした酸素がなければ酸素が吸えなくなる訳です。これは時に死ぬわけですね。実際にそれで死んだ人もいるわけです。高所で酸素を盗む と言うことは金品を盗むとかそういう容易いものじゃなくて、時に殺人行為なんですね。非常に許しがたいことだと僕は思っています。
(中略)
極めて許しがたい行為が残念ながらこのチョモランマでは毎年起きます。 残念ながらほんとの登山家で無い人もいっぱいくるんですね。
今は怒っている場合じゃないんです。明日登んなきゃいけないんでね。
(中略)
ただ、それくらいの怒りと言うわけですけど・・・。
ま、もう人間を相手にしている場合じゃないんで、明日は、人間に惑わされないで8848mの山頂を目指して、登りたいと思います。
もう後2日だから、歯を食いしばって、岩に爪を立ててでもこの10年間の思いを、晴らしたいと思います。
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今日は14日06:05(ネパール時間)キャンプ2の朝です。
昨晩はむちゃくちゃ寒く、氷、氷、氷つきました。 テントの表の外張りが裂けているせいもあるのでしょうか。
淳君とガタガタ震え上がりながら「寒いな~寒いな~」しゃべっていたら、
気づいたら淳君はいびきかいていたのでむかつきました!
体調は問題ない。
風はぴたっとやんでいる。
明日、これならばいける。
何とかあと一日天気が持って欲しい。
晴れてくれればアタックできる。
日本はあったかいんでしょうね。
だんだん日本が恋しくなってきました。
あと一日、あ、下山を入れてあと2日頑張りたいと思います。
もうそろそろしたら最終キャンプを目指して出発したいと思います。
以上、野口からの電話の内容です。
これからの予定ですが、
本日14日キャンプ3到達。
休憩
本日現地時間23時(日本時間15日2時15分)キャンプ3出発
15日現地時間5時~7時(日本時間15日8時~10時頃)登頂予定。
2007年5月14日
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昨日の決断は、「出発」でした。
天気はやはりあまり良くなく、ノースコルまでも風が強かったということです。
通常ノースコルまでは谷のような氷河帯なので、風の影響を受けるところではないのですが、そういったことは関係ないくらい昨日の風は野口達の行く手を拒んだもようです。
しかし、無事ノースコルに到着。その冷たく乾燥した空気を吸い込んだ野口は、右の肺が息をすると痛い。背中まで貫通するような痛みがあったとのこと。夜は酸素を吸って楽になったようです。
大蔵隊と安丸隊の2隊がチャレンジ中。
本日の出発時は昨日とは違い非常に良い天気。本日キャンプ2に向かう。
午前中の電話より。
2007年5月13日野口健事務所 田附(たづけ)
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エベレストのチベット側、チョモランマでは
ABC(アドバンス・ベースキャンプ)が実質上のベースキャンプのような存在となる
6400mの氷河の上にて
様々なチャレンジが繰り広げられる
生命の基礎である飲み水は
幾百年もの時を越えてそこに存在している
硬い氷河をピッケルで砕くことから始まる

この標高では、ピッケル一振りで、心拍数が150を越えるのだ
こんな思いで砕かれた氷を
大鍋で溶かして、煮沸して、飲める形になるまでに
既に一時間の時が経過する
日本との生中継
これまでもエベレストBCやマナスルBCからの中継を行ってきたけれど
この高さからの中継は、野口隊としては初めてだ
うまくいくのだろうか・・・
中継テストの日は大雪大荒れの天候で、衛星電波はちっとも安定しなかった
不安がよぎる
それでも、強運の持ち主、健さんとのコラボレーションで失敗などありえないのだ
ABCからの二回の生中継は
晴天のなかのチョモランマに見守られて、無事成功!
ただし、あまりの寒さに
体調を崩し気味だった健さんは相当つらかった様子(写真をご覧ください、カメのようでしょ?)

このABCにて
高所登山者たちのDNA研究をしている医療チームがいた
エベレストのネパール側には400人規模の医療チームが遠征隊を組んでいるとの事だが
こちらのチベット側には、ノルウェー人医師(若い男性)一人
各隊を回って、口腔内の唾液を採取して
イギリスの医療研究グループでの研究材料にするのだそうだ
高所登山をする人のDNAが、他の人と違うのかどうか??
とても興味深いところだ

さて、こんなABCでの生活をクリアしながら
上部キャンプへと出かけなければならない
チョモランマ登頂への前進キャンプは、
7050mのC1(一般に『ノースコル』という/ネパール側には『サウスコル』がある)
7700mのC2
8300mのC3(これが『最終キャンプ』または『アタックキャンプ』と呼ばれる)
当然、登るにつれて酸素は薄く、凍てつく寒さだ
カメラを構える淳くん、ある時は吹雪にまみれ、ある時は絶壁の雪の斜面で
私なんか、登っているだけで寒くてたまらない

体温の高い健さんは、なんと7000mでも素手で無線機を手にしている
信じられない・・・・
全く世の中にはいろんな人がいるものだ
今日は我が隊のシェルパ兄弟が頂上へ向かった
世界中の国旗をジャケットに縫いつけて平和を世界のてっぺんに運んだ兄と
初めてのエベレストに『夢だから』と挑戦する18歳の弟
心配でたまらなかったけど
頂上から元気な無線が入った
『ハイハーイ、健サーン、ティクツァ(元気だよ)!』っていつもの調子
笑っちゃったけど、安心して涙が出た
健さんの周りにはいつもいろんなチャレンジャーが集うものだね
2007年5月8日谷口けい
明日、ベースキャンプを出発しチョモランマ・アタック体制に入ります。10日にABC入りし、12日にノースコルへ。そこからキャンプ2~キャンプ3へと進み順調にいけばアタック一次隊は15日に登頂、二次隊は16日。アタック隊は二回にわけ一次隊は「野口・平賀それにシェルパ4名」、二次隊に「谷口・パサンラムにシェルパ4名」となります。しかし、天候が未だ不安定のためアタック日が変わる可能性大です。
隊員の体調はみな良好です。無線連絡によると上部にいるラムちゃんの腰もストックなしで歩行可能との事。若いから回復も早いのかな。我々は10日間ほどのベースキャンプ、またシガールでの休養がとても良かった。
私自身、上部では何日か呼吸器官に障害がありましたが、いまでは回復傾向にあります。
シェルパ達もみな元気で、5月7日にはペンバドルジとその弟のプルバが一足先にチョモランマに登頂しました。ペンバドルジは無酸素登頂。彼のプロジェクトであった世界中の国旗を山頂に掲げ世界平和を訴えました。弟のプルバは若干18歳。「どうしてもお兄ちゃんと登りたい」と懇願してくるので「頑張れ!」と送り出しましたが、正直、ハラハラ・ドキドキの連続でした。おかげで太田胃酸を飲みましたが・・・。
「シェルパ自身の登山」をさせることに外国人登山家から批判の声がないわけじゃありませんが、永年外国人登山家のサポートを献身的にしてきたのだから、そろそろシェルパ自身が自らの冒険をしたいと願うのは当然であり、それに対して可能な限りチャンスを与えてもいいじゃないかと私は思う。そしてそれがシェルパのモチベーションにもつながり今度は私達が登頂するときには力になってくれるだろう。人間関係って僕はそうゆうものだと思います。一方的なものじゃないだろうと。
これから先、どうなるか正直、分かりませんが、ただ昨年の夏はヨーロッパ・アルプスで井出今日我くんがとても頑張った。私達は勇気づけられた。それならば、次は我々が頑張る番です。
ベースキャンプから上部ではパソコンが気圧の問題で使用できないので、またスタッフの田附くんが「ブログ」にて私との電話連絡で知り得た現地情報をお知らせしますので、そちらをご覧ください。それでは、行って参ります。
谷口けいちゃんはもう少し上部に残り高所順応したいとABCに残った。彼女はいつでも元気だ。ABCでは珍しく頭が痛いと訴えていたが、今ではケロッとしている。平賀淳くんとベースキャンプに戻り久々に5000Mの世界の高酸素に体を休めました。さらに5月3日から6日までチベット登山協会のランドクルーザーをチャータしシガール(4300m)の街まで降りた。ここまで降りてくればそれこそお風呂もあり、久々にお湯に浸かった。湿度のお陰で苦しい肺呼吸も少しはスムーズになった。7日にベースキャンプに戻り、10日にはABC。山頂アタック予定は5月16~20日です。
4月19日にようやく6400mのABC(アドバンスベースキャンプ)に辿り着いたときのこと
あまりのテントの数(つまり遠征隊の数が多い!)に仰ぎ驚くとともに
足元の
氷河の流れの中に早速ゴミを発見してしまった
過去のゴミが
氷河の溶けるのとともに流されてきているのだ
思わず拾いながら歩いていくと
シェルパ達に、上のキャンプ地には物凄く沢山のゴミがあるから
こんなところで拾ってる場合じゃないよ
なんて言われる
ABCの高度にもなんとか順応してきた頃
健さんとABCのテント村を散歩に出かける
健さんの旧知のシェルパ達と再会したりして喜び合っているその脇に
信じられないほどのゴミが転がっていた
一~二年前くらいのゴミだと思われた
他の日本隊がABCにやってきたら、みんなで清掃大会をやろうよ
と言って、その日はその場を去った
けれどもゴミを見てスイッチが入ってしまった健さん
他の日本隊がやってくるのなど待てず
ABCの大清掃キャンペーンが始まった
ゴミ袋を持って、いつものスタイルでゴミを拾い始めると
出るわ出るわ
缶詰、酒ビン、ガスボンベ、医薬品、そしてパンツまで・・・
「去年はブラジャー拾ったけど、今年はパンツが出た。これで上下揃ったぞ」
とヘンなところで満足する健さん
結局この日はヤク3頭分(120kg)のゴミが回収された
何はともあれ、ゴミ拾いのおかげで(?)
ABCでの順応もしっかり進み
この後無事に、上部キャンプへと前進できることになりました
5月5日 谷口けい
チョモランマ挑戦の前半戦終了。ベースキャンプより上部での15日間は心身共にきつかった。ブログで田附くんが状況を逐一リポートしてくれていた通り、なかなかハードでした。
ABCについてから最初の4日間は頭痛で頭が割れるかと思った。脳の中心が大爆発を起こし、両耳の穴から脳みそが噴出すような痛み。高山病の頭痛を一度味わうと生涯忘れないだろう。それだけ辛いもの。
田附くんも97年にチョモランマで地獄をみているから衛星電話の私の声だけで、現地の状況が手に取るように分かったのでしょう。
相変わらず呼吸気管が弱くチベットの乾いた大気に肺を痛めました。まあ~これは想定内ですが・・・。それにしてもベースキャンプに降りてブログを拝見してみたら、田附くんもなかなか文章力が向上しましたね。以前は下手糞な文章書いては、それでいて喜んでいたのに・・・。
それにしても今年のチョモランマは混みすぎで、6400MのABC(アドバンスベースキャンプ)や7000Mのノースコルはまるで銀座通り。懸念されるのが山頂アタック日。これだけの人々が限られたアタック日よりに一斉にアタックをかけるだろうから渋滞するのは目に見えている。96年だったか、エベレストの山頂付近は登山中と下山中の人々が交互に通過するなどの渋滞がおこり、そこに悪天候が襲い大量遭難事故があった。そうならないことを祈るばかりです。

気になったのがABC手前の氷柱群が小さくなっていた事。10年前に毎日放送が氷柱群を撮影しており、今回その写真を元に比較してみたら明らかに小さくなっていた。チョモランマの氷河は確かに小さくなっていた。総合地球環境学研究所の中尾正義教授の発表ではヒマラヤの氷河は非常な勢いで縮小しているとのこと。そのスピードは世界中のほかの地域のどこよりも速いそうです。
その理由の1つに、ヒマラヤ地域の氷河は夏のモンスーンに雪が降り、また氷河が融解するのも夏であるという「夏雪型氷河」であることが大きく関係しているとのことです。つまり温暖化によって夏の雪が雨になってしまえば氷河が大きくなるわけがない。そして新雪に覆われて保護されていた氷河が保護されないわけだからさらに融解しやすくなる。冬の降雪によって氷河が大きくなり、夏の融解期に融けるいわゆる「冬雪型氷河」よりもヒマラヤの「夏雪型氷河」のほうが温暖化の影響を受けてしまうのだ。モンスーン特有の気候下にあるヒマラヤの氷河は、他のどの地域の氷河よりも温暖化に弱い。しかし逆に寒冷化がおこればヒマラヤの氷河はほかのどの氷河よりもすばやく拡大するともいえるそうです。ヒマラヤの氷河は気候変化にもっとも敏感に反応するセンサーだと中村正義教授は指摘しています。
(詳しくは「ヒマラヤと地球温暖化 中尾正義 編」が昭和堂にて出版されていますのでご覧ください)
以前、シェルパが「ヒマラヤは人間に例えたら頭です。その頭が熱くなったら体全体がおかしくなる」と話していた通りヒマラヤの氷河が融解し各地で洪水を起こしている現状に私達はもっと敏感にならなければならないでしょう。地球はすでにイエローカードを我々に出している。レッドカードになる前になんとか対応しなければ手遅れになってしまう。小さくなったチョモランマの氷柱群を眺めながら地球の声に人間はもっと謙虚になるべきだと考えていた。

4月23日、ABCで安全祈願が行われた。今まで30回以上のヒマラヤ遠征を行ってきたが登山中に遭難事故を起こした事はない。ラスト・チョモランマ。どうか最後までお守りくださいと神に祈りを捧げた。そしてふと見上げたらチョモランマの山頂は雪煙を噴き上げていた。その山頂をジーと眺めながら、今度ばかりはどうしても登りたいんだ!と唇を噛んだ。永年の清掃活動。チョモランマの最終キャンプまで登ったこともある。他の登山隊員が山頂を目指すのを横目にもくもくと酸素ボンベを拾い続けた。昨年のマナスル峰もけいちゃんらが山頂を目指している中、私は山頂に背を向けゴミを拾っていた。清掃隊の隊長として当然といえば当然。あくまでも清掃活動がメインであったわけだから、ただ、心のどこかで「俺も・・・」という小さな声が無かったわけじゃない。
とくにチョモランマは10年前に散々苦しめられた相手。どこまで登れるかやってみなければ分からない。苦しい挑戦になることは日本を発つ前から充分に分かっていた事。覚悟もしている。だから疎遠となっていた海外にいる母親とも6年ぶりに再会した。多種多様なご意見がある中でのモナ母との再会でしたが、やはりチョモランマに来てみて、あの判断に間違いはなかったと確信している。人生、一寸先は闇なのだから。

4月26日、ノースコル泊。二回目のノースコルで天候以外は極めて順調に登ったのに、夜中に肋骨を痛めた影響か、それとも肺の炎症の影響なのか呼吸困難になり、一人テントの中でもがき苦しむ。苦しみながらもウトウトと夢を見ていた。夢の中で龍さんが出てきて「おい、野口、お前、俺との約束を果たす前にこんな所でなにやっているんだ!」と久々の再会なのに相変わらず怒っている。「いつもそんなだから 「威張る・すねる・怒る」の橋本と竹下さんに言われちゃったんですよ!」と言い返したらニヤと笑いながら「お前、よくそんな古いこと知っているなぁ~うんうん、関心、関心」と妙に納得された。「それに、ほらこの龍さんのピッケル、テントの中に入れて一緒に寝ているんですよ!古い木製のものだから凍り付いて亀裂が入らないようにしているんです!」と言い終ったところで夢から覚めたのか目の前がパアっと明るくなり、ボーとしながら光の方を見たら平賀淳君が「健さん、大丈夫ですか」と私のテントの中に入ってきた。「おう、どうした」と寝ぼけながら話したら「健さん、かなりうなされていましたよ。横のテントまで声が聞こえてきましたから。お湯持ってきましたから飲んでくださいよ」とわざわざ心配して来てくれたのだった。7000Mの高所では隣のテントに移動するだけで極めて困難。特に極寒の夜中はトイレ以外は寝袋から出たくないもの。それなのに、淳君は優しいなぁ。友情に感謝し、再び寝袋に潜り込み夢の続きを見ようとしたけれど、龍さんはもう現れなかった。
5月30日、15日ぶりにベースキャンプに戻る。15日間も6000Mを超えて生活していると色々あるもので、女性隊員のラムちゃんが以前から痛めていた腰痛を悪化させストックなしには歩行困難となってしまった。「ケンさんからせっかく頂いたチャンスなのに」と泣かれ「まだ、時間はある」と慰めたものの常識的に見れば極めて厳しい状況に違いなかった。私も二十歳の頃、酷く腰痛に悩まされお灸を打ちながら山に登っていたことがある。登山家は若くして重荷を背負い、また過酷な環境だけにどうしても体を痛めてしまう。特に登山家として体が完成していない頃は壊しやすい。ラムちゃんの涙に何もしてあげられず辛かった。
そして次にキッチンスタッフのマイラが体調を崩しベースキャンプへと降りて行った。途中、吐血が始まり、倒れてしまった。幸いにも近くにいたロシア隊に助けられ、後から無線連絡で事態を知った我が隊からシェルパ二名を救助にだし、最終的にヤク(高所にいる毛の長い牛)に乗せながらベースキャンプへと向かった。いくら本人が一人で降れるから大丈夫だと言ったからといってそれを許したのはいけなかった。もし万が一、最悪の事態となってしまったら、私はマイラの奥さんと可愛い2人の娘になんてお詫びすればよいのか。心底反省させられた。またその頃、チョモランマのネパール側でキャンプ3付近から雪崩が発生しシェルパ一名が死亡したとの知らせが届いた。いよいよ牙をだしたな、と気持ちを引き締めなおした。
谷口けいちゃんはもう少し上部に残り高所順応したいとABCに残った。彼女はいつでも元気だ。ABCでは珍しく頭が痛いと訴えていたが、今ではケロッとしている。平賀淳くんとベースキャンプに戻り久々に5000Mの世界の高酸素に体を休めました。さらに5月3日から6日までチベット登山協会のランドクルーザーをチャータしシガール(4300m)の街まで降りた。ここまで降りてくればそれこそお風呂もあり、久々にお湯に浸かった。湿度のお陰で苦しい肺呼吸も少しはスムーズになった。7日にベースキャンプに戻り、10日にはABC。山頂アタック予定は5月16~20日です。