2006年4月アーカイブ

今日、キャンプ1へ向かいます

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 昨日は疲れてブログ書けませんですみませんでした。ただ、昨日は収穫大きかったです。4200mのキャンプ地跡に約100キロのほどのゴミ回収に成功。空き缶やビン、食料の袋、電池なで岩陰や岩の下に捨てられていたゴミを発見。回収しました。ゴミの多くはハングル語に日本語。その捨てられ方からして意図的に隠して捨てられたものと思われる。20年ほど前の隊のものかな。
 小西さん、谷口さんはキャンプ2から無事にベースキャンプに戻ってきました。2人ともとても元気。6000m付近から上部を撮影した写真を見たが、あれはなかなかやばい。気をつけないと。今日は僕と平賀カメラマンが高所順応のためキャンプ1に向かいます。今日から3日間キャンプ1から体調がよければキャンプ2で過ごし5月2日にベースキャンプの戻る予定。5月3日にテレビ朝日のスパーモーニングにてここマナスルのベースキャンプから生中継しますので、良かったらご覧くださいね。中継がつながる時間はこれから決まるので、決定しましたら野口健ホームページのお知らせで案内します。
 今日から3日間、上部。頑張らなきゃ!頑張らなきゃ!

 ベースキャンプはいまだ雪が多く雪を掘りながらのゴミ探しも限界があり、4200m地点の旧ベースキャンプ跡地の一斉清掃活動を開始。岩陰や岩の下から大量のゴミを発見。

 エベレストでもそうであったが、 80 年代半ばの登山隊は登山ルートに堂々とゴミを捨てていったが、 90 年代に入ってからの登山隊のゴミはルートから外れた場所から発見され、 90 年後半の登山隊になると岩陰やクレパスの中からゴミが発見されることが多くなる。だんだんとゴミを捨てることに罪悪感を感じるようになってきたのだろう。そして最近の登山隊はゴミを持ち帰るようになった。

 発見されたゴミの多くはハングル語、残念ながら日本語のごみも複数発見。それ以外はさびが酷くどこのゴミか分からなかった。それにしても捨てた登山隊が岩陰に一生懸命ゴミを隠したであろう様子は回収しながら想像できた。ゴミを探し出すにはコツがる。

 まず、捨てる人の立場になること。自分が不法投棄業者ならどこに捨てるだろうか、と想像しイメージしてからその場所を探し出すと発見される確立がグーンと高くなる。捨てる人はばれたくないわけだから、必死なわけです。清掃活動なんかを続けていると刑事になった気分になる。結局は人の心の問題。ゴミを拾いながらその社会や人が見えてくる。本日のゴミ回収量は約100キロ。なかなかの収穫量でした。

 

ベースキャンプ周辺にゴミ発見

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 今日は朝から晴天なり。小西さん、谷口さん、は午前7時半キャンプ1からキャンプ2へと向かった。12時過ぎ、谷口さんからキャンプ2(6000m)着の連絡が入る。キャンプ1からキャンプ2間のルートが安定せず良くないとのこと。セラック地帯(ビルほどの大きさの氷の塊の集合体)が不安定で、また雪崩れのリスクありとの無線連絡が入りました。小西さんからも「新雪が降ったら危ない」とのアドバイス。ただ、昨年、マナスルに挑戦した南井さんから、野口健HPでアップしているマナスルの写真と比べ今年の方が雪が少ないとメールを頂きました。これよりも雪が多かったとは・・・恐るべしマナスル。

 ベースキャンプ組みはゴミ探しに出かけシェルパが300mほど下った所にゴミが雪から露出しており、発見したとの一報。明日、早速そのポイントに一斉清掃に出かけます。雪を掘らずしてゴミが拾える。そんな素敵なことがありえるのだろうか。先日は約20人で2時間以上も掘り続け、それで回収できたのはチョコレートの包み紙一枚。捨てるのは簡単だけれど、回収するのは極めて困難。そんな事を痛感しましたが、明日は雪を掘らないでゴミを拾える。この間、夢に温泉や寿司が出てきたが、昨夜ついにゴミが夢に出てきました。かなり重症かもしれません。 それにしてもこのブログ、毎日毎日、ゴミだの雪堀だのかなりマニアック。僕は別にゴミマニアじゃないんですけれどね・・・。

 やっと晴れいよいよキャンプ1へ出発。野口・谷口・平賀・小西・シェルパ 11 名でキャンプ 1 を目指した。クレバス地帯を慎重に抜け、日中は雲も風邪もなく全身が干からびるほどの灼熱地獄。雪に囲まれながらなんでこんなに暑いのか、理解に苦しむがそれだけ日光の跳ね返りと紫外線が強いということなのでしょう。ただ、ずっとベースキャンプでゴミ拾いに徹していたり、また悪天候で何日も閉じ込められていたので、久々の登山活動は楽しくてしかたがなかった。

 キャンプ1に近づくにつれマナスルが迫ってくる。迫力満点だが、キャンプ 1 から先のルートに目をやるとズタズタに避けたセラック地帯をジグザグに進むのだが、あのビルほどの大きさの氷のブロックが崩壊したらと思うとゾッとした。キャンプ 1 から先はなかなかリスキー。最大限気をつけなければならない。5700mのキャンプ 1 に無事到着。小西さん、谷口さんはキャンプ1に泊まり明日キャンプ 2 を目指す。僕と平賀はベースキャンプに戻り明日から再びベースキャンプ周辺の清掃活動に入る。

 それにしても今日一日は大変申し訳ないと思いつつ、ゴミの事はすっかり忘れ登山を楽しませて頂きました。いがいと僕は山が好きだったのかもしれない。

 

 昨夜からの大雪のため、キャンプ 1 行きを諦めベースキャンプステイ。ゴミ回収作業もこれだけ雪が積もれば中止。無駄に体力を消耗してはいけない。一日中ノンビリ過ごす。今回の遠征は身動きが取れない日が多い。現場にいながらジッとしているのもなかなか辛いものです。夕食は田部井淳子さん達とご一緒した。田部井さんはエベレストのゴミの調査などを何年にもわたり行ってきただけあって、山の環境問題の専門家。田部井さんのお話は1つ1つ勉強になりますし影響を受けます。 9 時過ぎまで話が尽きず大いに盛り上がり、特に小西さんはいつもになく嬉しそう。大雪や雪崩のことをしばし忘れ楽しい夕食会でした。

 

大雪のため、キャンプ1に向かえず

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 昨夜から再び大雪。テントが雪の重みで押しつぶされそうになり、シェルパ達が夜中までテントの雪下ろしをしてくれました。ベースキャンプで50センチほど、おそらくキャンプ1では腰まで積もっただろうとのこと。今日、平賀淳君とキャンプ1に向かう予定でしたが、キャンセル。それにしてもこのマナスル、よく雪が降ります。
本当に・・・。三日連続でベースキャンプ周辺のゴミを清掃しましたが、労働力に比べ回収量は・・・。あるのは分かっているんだけれど。また雪質が問題。ベトベトでミゾレにアラレ。4月中旬でこんなに暖かかったら5月に入ったら雨になってしまう。
やはり地球温暖化なんでしょうか。ヒマラヤにいると気温の明らかな変化を痛感しますよ。雪でテントに閉じ込められている時は 毎週土曜日の日経新聞夕刊の連載の原稿と、毎日新聞の原稿、ホームページにブログを書いていますが、4000mを超えてからは酸欠の影響なのかなかなか頭から文章がでてきません。それにしても清掃登山は登るだけの登山と違い忙しい。昨年のシシャパンマ登山はシンプルで楽しかったなぁ~。
 来週は富士山との同時清掃活動。富士山は若村隊長に任せたので安心していますが、こちらはどうなるんだろうか。昨日、夢で寿司を食べていました。そろそろ寿司が恋しい。「まなぶ」や「金多楼」の寿司が食べたい。それと温泉なんかもいいなぁ~。日本はもうだいぶ暖かくなったんでしょうね。アネハさんが逮捕されたとか。う~ん ここにいると日本での出来事がイメージつかないです。
 明日は天候次第でキャンプ1に向かいます。

 昨夜、サマ村のお坊さん達が我々の為に安全祈願を行いとわざわざベースキャンプまでやってきてくれた。私達の為に雪の中1300メートルも登ってきてくれた。驚きと感謝でした。午前中は 5 回目の安全祈願。これだけ安全祈願を執り行ったのは我々ぐらいだろう。ただこの雪の状況、雪崩の危険性を考えれば何度でも神頼みしたくなるもの。真剣に祈った。

 安全祈願を終え、再び清掃活動を開始。嬉しいことにサマ村のお坊さんも参加してくださった。私も所詮は登山家だ。正直、山頂を目指し上部に向かって登っていく登山家達を横目にゴミを拾うを辛いと感じることがある。「俺だって」という思いもある。しかし、山頂を目指すことだけが冒険ではないと、ピッケルの変わりにスコップを手に雪を掘り続けている。そんな時にサマ村のお坊さんが一緒にゴミを拾いたいと訪ねてきてくれた。お坊さんは「マナスルは登山隊のゴミで汚れている。そして私達の水も濁っていく。マナスルの清掃活動にはとても感謝しています。」と私達に声をかけてくれた。この輪の広がりこそが私にとって目指すべき冒険なのだろうと、嬉しかった。お坊さん達はサマ村に降りなければならないので短い時間であったが、一緒にスコップで雪と格闘した今日の出来事は忘れないだろう。

 清掃中にキャンプ1に泊まっていた小西さん、谷口さんがベースキャンプに戻ってきた。「雪が大変だったよぉ~」と谷口さんの声は明るかった。この人はいつも登った分だけ元気になる。

夕方から再び雪が降り、夜にはテントが押しつぶされるほどの大雪に見舞われた。毎日、雪が降っているがその中でも最も激しい雪だった。シェルパ達はテントが押しつぶされないよう、徹夜でテントの雪下ろしに追われた。安全祈願で祈り続けているのに、なかなかマナスルの神様が微笑んでくれないのは何故。

 

灼熱地獄のベースキャンプ

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 昨夜、サマ村から2人のお坊さんが我々を訪ねてやってきた。我々の安全祈願をおこないとわざわざサマ村から登ってきたのだ。おかげでまた今日、早朝からベースキャンプで安全祈願が執り行われた。今回の遠征は4回も安全祈願を行ったのだから、無事に帰れるでしょう。安全祈願を終えてから再びごみ清掃を開始したが、今日は
快晴無風で雪の反射もあり絶えられないほどの灼熱地獄。雪に囲まれていながらなんでこんなに暑いのか理解できないほどの暑さ。頭クラクラ、そして脱水症状なのか頭が痛くなり、雲がでる夕方に活動を開始することで、いったん中止。今、ベースキャンプに戻ってきました。
 昨日、キャンプ1に上がっていた小西さん、谷口けいちゃんの2人も先ほどベースキャンプに戻ってきました。カトマンズは今日から50万人規模のデモ行進が予定されているとか。カトマンズはデモ、マナスルは雪崩。どっちがいいんだろうか。



ベースキャンプでの安全祈願を終え、午後3時からベースキャンプ周辺の清掃活動開始。昨日は総勢約20人、2時間でチョコレートの包み紙一枚しか発見できなかったので、今日こそは探し出してやると気合を入れて活動を始めましたが、安全祈願を終えた直後から再び雪が降り出し、しまいにはアラレとなりなかなか悲惨な状況でスタート。小西さんが「ケン、前回マナスルに来たときにあの辺りにゴミが捨てられたのを見たよ。あそこの雪を掘ってごらん」とキャンプ1に上がる前にアドバイスを頂いていたので、その場所を集中して掘り続けた。それでもなかなか発見されず、諦めモードが漂った頃、シェルパのプルバがゴミを発見したと大声を出し、皆で集まりその部分を掘ったら、ついに奴(ごみ)が出てきた。ビール瓶、缶詰、袋など。けっして大量ではないが、それでもこの1・5mは積もっている雪の中から探し出し発見した喜びに歓声が上がった。これからの約一ヶ月間、どれだけゴミ回収ができるか分からないが、我々は最後まで諦めない。ゴミ発見に久々にテンションが上がりました! 明日も掘り続けます!


 

 




 



 4月24日、午前7時30分からベースキャンプの丘で一時間ほど安全祈願が執り行われた。ネパールに来てからこれで何度目の安全祈願か分からないほど祈ってきたが、このマナスルの厳しい状況下であれば何度やっても足りないような気がする。同じくマナスルに挑戦中の田部井淳子さんも野口隊の安全祈願に参加してくださりました。他のヒマラヤでも雪崩の遭難事故が起きていますので、みんなで必死の神頼み。安全祈願を終え小西さん、谷口けいちゃんと6名のシェルパはキャンプ1へと登っていきました。小西・谷口の2名は明日ベースキャンプに戻る予定。

 

 

清掃活動開始!

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 昨日の午後に清掃活動開始。マナスルの神様は相変わらずご機嫌斜めでなかなかスッキリと晴れてくれませんが、まあ~長期戦ですから焦らずノンビリと構えます。今日の午前中にベースキャンプ開き(安全祈願)を執り行い、午後から再びベースキャンプ周辺のごみ捜索活動を開始します。小西さんと谷口けいちゃんはシェルパ6人と共にキャンプ1を目指して先ほど出発しました。
 ネパールはデモ活動が日に日に激しくなっているようで、シェルパ達が「マナスルから戻ったら国が無くなっているんじゃないか?」「国王はインドに亡命するしかない」だとか朝からヒソヒソ話をしています。それは気になるよなぁ~。建国以来の危機だとみな心配しています。僕はマナスルの雪のほうが気になっていますが・・・。
昨夜も一晩中、雪崩の音にビクビクしながら横になっていました。夜中の雪崩は怖い。
 今日のマナスルは安全祈願を終えた直後から再び雪。いや、雪というよりもアラレ。この時期に、またこの標高でアラレは経験したことないなぁ~ 温暖化の影響なのかヒマラヤにしては高温です。これでは、午後から清掃活動開始します。


「いよいよ清掃活動開始」
夜中は雪崩の爆音が鳴り止まずなかなか寝付けなかった。昨日、エベレスト(ネパール側)で雪崩による遭難で3名ものシェルパが亡くなったとのこと。マナスル・ベースキャンプでも約2メートルは雪が積もり、ゴミ清掃もスコップでありそうな辺りをひたすら掘り続けるしか方法もなく、今日は約20人で2時間ほど掘り、悲しいかなチョコレートの袋1つ回収。





このマナスル清掃活動、覚悟きめてやるしかない。雪が多いのは最初から分かっていたこと。ただ、想定内の想定外ということでしょうか。ここでくじけず明日もベースキャンプで雪を掘り続けます。小西・谷口は明日、キャンプ1に向かいます。

 

 

 

マナスル・ベースキャンプ

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 4月21日、マナスル・ベースキャンプ(4750m)入り。サマ村滞在中にたっぷりと雪が降った影響で、サマ村のポーター達が雪崩が怖いと荷揚げを嫌がったが、説得しなんとかベースキャンプまで登ってきました。それにしても雪が多い。ベースキャンプは2m以上は積もっている。う~ん、つまりごみを回収する為にはこの雪を掘り起こさなければならない。どこにゴミが埋まっているのか、マツタケを探しより難しい。今までのヒマラヤ清掃活動の中で最も困難。
 昨日はコスモアースコンシャクアクト・アースデー・コンサートが武道館が行われ倉木麻衣さんが出演されたが、その前座でここマナスルのベースキャンプから衛星中継で生中継しました。本番直前まで大雪でアンテナの上に雪が被さってしまい、なかなか映像と音声が武道館に届かずバタバタ、焦りました。本番10分前に雪がやみギリギリセーフ。生中継成功しました。ただ完全にガスっていたので、ヒマラヤの景色を武道館にお届けできなかったのが、残念。午後に先にマナスル入りしていたグルジア人登山家のギーアと再会。彼はエベレスト清掃活動の時にずっと行動を共にしてくれた親友で、今回はロシア隊に参加してやってきた。彼かマナスルに挑戦し続けなんと今回で6回目のチャレンジ。キャンプ2手前まで登ってきたそうだが、やはり雪の状況に「マナスルに来て16日目になるが、完璧に晴れたのは一日だけ。ケン、のんびり構えよう」とマナスルをよく知っているギーアは開き直っていた。
 今朝はとても残念なニュースが入った。エベレスト(ネパール側)のキャンプ1~キャンプ2の間で雪崩が発生し、6人のシェルパが巻き込まれ、3人が死亡とのこと。今年のヒマラヤはマナスルに限らず雪が多いようです。今日はベースキャンプ周辺の雪を部分的に掘り起こし、ゴミ探しします。発見できるかな? 体調のほうは、ベースキャンプ3日目になって少しずつ体が順応してきました。それでは、清掃活動開始!
 

朝から晴天。いよいよベースキャンプを目指す。昨夜はサマ村のポーターが雪崩が起きるから行きたくないと拒否されたが、シェルパとも相談し完璧ではないものの必ずしも登れない状況ではないと判断し午前8時30分サマ村を65人のポーターと共に出発。今朝はマナ村に入ってから一番の晴天。マナスルもその雄姿を見事に現した。途中からガスが湧き視界がなくなり、風が吹きぐっと寒くなったが、4600mを超えた辺りで雲を突き抜け、突然目の前にマナスルが現れた時は驚いた。15時半ベースキャンプ(4750m)着。ドイツ隊、ロシア隊、日本隊2隊(野口隊・田部井隊)の計4隊

ベースキャンプから上部を双眼鏡で見渡した小西さんは「雪のつき方がよくないよ。べったり雪がついている。雪崩、要注意だ。」と言っていた。ベースキャンプからが遠征。いよいよマナスル遠征が始まった

 

小学校を訪問

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天候は回復したものの、ベースキャンプまでの斜面が雪崩の危険性があるのでサマ村にて待機。もはやこの村でやることもなく、だからといって一日中寝てすごすわけにもいかず、隊員の皆様はサマ村をお散歩。ガウリシャンカール小学校を訪問。全寮制の学校で 5 ~ 15 才の生徒 26 人が学んでいる。朝、 6 時から午後 5 時まで授業が続く。全寮制にしなければ、子供達が家事、手伝いをさせられ学校に通わしてもらえないので去年からこのシステムになった。昨年までの先生は昼間から酒を飲みろくに学校に来なかったため、サマ村の若いラマ(お坊さん)が彼を追放。しかし、その追放された先生の言い分は「子供達が学校にこないから酒を飲んだ」とさ。どちらも真実でしょう。

 主な科目はチベット語、ネパール語、英語、理科、算数、地理。重点的に行っているのは語学。ネパール政府はチベット語など必要ないとの方針だが、サマ村では独自の文化を残したいとチベット語などの先生を受け入れている。サマ村としては人口 1000 人の村人の各家庭から一人ずつ子供を学校に通わせる事を目標に掲げている。このガウリシャンカール小学校を卒業しインドなどに留学するケースもあるとか。どの村も子供達の教育の必要性を感じ取っているようです。校長先生は「教育が全て。教育がなければ職業を選べない。

子供達が村を出てさらに勉強し、再びこのサマ村に戻ってきて村の為に働いてほしい。例えば、この村には医者がいない。将来、彼らの中から医者になってくれれば」と熱く語ってくれました。

 方や恵まれた日本社会では不登校が社会問題になっている中、サマ村の子供達は裕福な教材があるわけではない。また、食べ物も満足に支給されずお腹を空かしているにも関わらず、それでも一生懸命、先生のお話を聞き熱心に勉強をしているその姿に私達が失ったひたむきさ、必死に生きている姿を見ました。

 

昨日の大雪の影響で今日もサマ村にステイ。周辺の山々からゴゴゴーと雪崩の音が響く。

 午前9時頃、カトマンズからヘリが到着。我々の追加の食料と150個のトイレットペーパーが無事に到着。平賀淳君がいつも通りの下痢で2日間で10以上のトイレットペーパーを消費。昨日、カトマンズに連絡し急遽取り寄せました。

 そのヘリで田部井さん、平木さんがやってきた。田部井淳子さんもマナスル登頂を目指す。小西浩文さんや田部井淳子さんといった大先輩と一緒に世界に名峰にチャレンジできることに感謝。また清掃活動を行ってきたのも、田部井さんの影響が大きいだけにとても嬉しかった。昼食を共にし食後は田部井さんがお茶を点ててくれた。このヒマラヤで抹茶を点ててくださり久々に日本を感じました。

 午後からついに避けられない事態が起こりました。一昨日から小西さんが「ケン、ケン、試し割りしよう!」と言われ続け「なんですか、その試し割って?」と言い返せば、どこからか板を持ってきて「チョップで割るんだよ!」。「嫌だよ!そんなの!」と逃げ回るが、なんせしつこい。目が合えば「試し割り!」と声が飛んでくる。テントに逃げ込んでも表から「試し割りしようよ」と声が聞こえてくる。もう試し割りノイローゼになりかけ、こんなに辛いのならやって手を怪我して開放されたほうが遥かに楽になると決断し、山小屋の中でシェルパ達に見物されながら人生初の板割りをやりました。何とか一枚目は割ったものの二枚目は失敗。痛かった。次に小西さんだがチョップするまでの作業が永い。靴から靴下まで脱ぎ、それから呼吸法が始まりその後はチベットの怪しいお呪いから気を入れ、アザラシのような「バァホォー」と奇妙な声を出し、次に「ヤァー」と甲高い声を出し手刀をバンと板に入れあっという間に真っ二つ。小西さんの気合?に驚きました。そして「ケン、試し割が出来ないようじゃマナスル登れないぞ!」だって。僕はなんて返事すればいいのだろうか。また明日やるそうです。トホホ・・・。

 シェルパの話では明日はまだ雪の状況が落ち着かない為、ステイしたほうがいいとのこと。夕方から再び雪が降り出し、途中からみぞれになった。この時期にこの標高でみぞれ。明日、晴れる事を祈りながら寝袋に入ります。おやすみなさい。

 

サマ村大雪

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 昨夜から雪が降り始め、今朝の5時ごろからテントが雪に押しつぶされるほどの大雪になった。テントが潰れそうになり、テントの内側をバンバン叩き雪を落とすが、落としても落としてもきりがないほど降り続ける。エベレスト方面と違いマナスル方面の雪は越後地方の雪のようにじっとりと重たい。そして濡れる。サマ村を歩いている干草を背負っている少女はまるで「おしん」の世界にでてきそう。雪が積もったサマ村も昔の日本にあったような雰囲気。雪かきの一日でした。

 ちょうど今頃、マナスルの上部でロシア隊、ドイツ隊がキャンプ1、キャンプ2に上がっているので雪崩が心配。この雪質にマナスルは雪崩が多いというのがうなずける。

 テントの中で雪崩の話になった。2002年の春に小西さんがマナスルの7000 m 地点でシェルパと雪崩に流され怪我をした事。またエベレスト清掃隊で野口隊のシェルパだったペマ・シェルパがフランス隊に参加し、昨秋にこのサマ村のさらに奥で雪崩遭難し全滅、亡くなってしまった。彼は野口隊やまた三浦雄一郎さんともエベレストに登頂してきた強いシェルパでまたナイスガイだった。ペマの死をここサマ村で聞いてみなショック。また亡くなったペマの子供が一昨日生まれたばかりと聞き、なんとも悲しかった。

 今日はベースキャンプ入りを中止。雪の状態が落ち着くまでサマ村で待機。積雪量、一日で50センチ。よく降りました。明日もサマ村でゆっくりと待機します。

サマ村にて休養

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4月17日、今日はサマ村で一日休養。明日からベースキャンプ入りだから、その前にゆっくりと休む。午前中は洗濯や髪の毛を洗ったりした。サマ村は近くに川が流れているので水があるが、ベースキャンプは雪の中。水が簡単に手に入るうちに洗濯などを済ませる。

 一昨日、アルパインツアーのトレッキングツアーがやってきてツアーガイドの西川茂樹さんから差し入れを沢山頂いた。スピーカだったり、車に使うような大きなバッテリィーボックスだったり、とても助かりました。午後はサマ村のお寺でマナスル清掃活動の安全祈願を行いました。

 30分ぐらいかと思いきや1時間半にも及んだ。正座していたら足がビリビリ痺れ辛かった。小西さんの指摘では骨盤がずれていると足が痺れ易いとのこと。しかし、一昨日、50年前のお話を聞かせてくれたギャムソ・ラムさんがお経を上げてくださり嬉しかった。

 夕方からは雪が降り続け、明日からベースキャンプに向けて登山が始まるのになぁ~と、まあ山は僕たちに合わせてくれませんから、あくまでも私たちが山に合わせるということですから・・・。いよいよ明日から氷河の世界。ワクワク、ドキドキ。

 

予定より一時間遅刻の 8 時 30 分サマ村を出発。ベースキャンプ(4700 M )まで登るつもりだったが、サマ村からベースキャンプがとても遠い。シェルパ達が空身で 5 時間かかるわけだから僕らは 8 時間以上かかる。ただ、朝寝坊してしまい、結局ベースキャンプまでは届かなかったが、それでも 1 時 37 分まで登り標高は約4400 m 地点まで到達。

 途中、頭が少し痛んだが、一回目の4000 m 越えはそんなものでしょう。途中、登山隊が捨てていったゴミを発見。残念ながら日本語のごみが出てきてしまった。ごみが散乱している場所を少し掘り起こしてみたら、さらに埋められたごみがでてきた。昔のゴミ捨て場だったのかな。明後日、ベースキャンプに向かって登るときに回収します。

 

 最高到達地点から戻ろうとしたときに、ベースキャンプに荷揚げして帰ってきたサマ村のポーター達が雪を滑り落ちてくる勢いですっ飛んで降りてきて「ナマステ!」と挨拶していたら、ポーターの一人がタバコをポイ捨てしたら、あっという間に火が枯れ草に広がり数分もしないうちに山火事になってしまった。風が強かったからさらに火が広がり僕らはキョトンと唖然としてしまったが、ポーター達はまったくお構いなしにさっさと降りてしまった。昨日、サマ村の長老が「マナスルは私達の神様」とおっしゃっていたのだが・・・。驚きましたぁ~。

 5 時半、サマ村に帰ってきました。あ~疲れましたが、いい順応トレーニングができました。明日はサマ村でゆっくりレストします。

 

 

 高所順応のためベースキャンプに向かう道のりの途中まで登った。 3 時間ほどかけて300 m ゆっくりゆっくり登る。途中、氷河湖を見下ろしたが、美しかった。この辺りは日本の山のように白樺やコケが生えている。ヒマラヤで初めて白樺と出会った。日本出発前に三浦雄一郎さんの低酸素室でトレーニングを繰り返し行ったためか、3800 m まではいがいと楽に登れた。他のメンバーもみな元気で食欲旺盛。特に小西浩文さんは馬みたいに食べる。平気で 3 人前は平らげる。こっちは満腹で「もう食べられない」と言えば「ケン、そりゃダメだよ~そんなんじゃマナスル登れないよ」といいながら一人もくもく食べる姿にみな唖然。食料足りるかなぁ~と不安。

 順化から戻りサマ村の長老にお話を聞いた。ギャムソ・ラマさん(73)とジグメ・ラマさん(81)。 50 年前の日本隊初登頂の事をよく覚えていた。

  

「マナスルは私たちの神だ。いきなり日本人がやってきて私たちの神に登ると言う。彼らは 3 回来たが、一回目に挑戦して失敗して帰っていった後に、マナスルの氷河で雪崩が発生してね、お寺まで雪に潰されて 3 人が死んだ。神が怒ったと私たちは思ったよ。そうしたらまた日本隊がやってきた。そこで私たちと日本隊は喧嘩になった。ただ、日本人達がお寺に寄付金を出してくれた。金額は覚えていないけれど、日本人が寄付金を出してくれたことで村中の人が喜んだ。村の人が喜ぶってことは、私たちの神様も喜んでいる。だからマナスルに登ることを許したんだよ」とギャムソ・ラマが話しジグメ・ラマさんは「私たちは山に登ることの意味が分からなかった。だから登ろうがどうしようが興味なかった。

 ただ、私たちの領域にやってきたんだから、自分たちのためだけじゃなくて私たちの文化も理解してまたマナスルを大切にしてほしい」とそして「氷河は登山隊のごみで汚されている。その汚れが水を汚くして私たちの生活が困るんだ。だからあなた達がきれいにしてくれるのは有難いよ」と締めくくった。帰りに若手のお坊さんが「マナスルは日本人にとっての神だろう」と質問され返事に困ってしまった。彼らの神様に日本人が登った。

 その意味をどれだけの日本人が感じ取っているのだろうか?そもそも霊峰である富士山がごみだらけの日本社会。「神聖なる領域」それは自然に対して人は謙虚であろうと示すためなのだろうか、どうであれ「神聖な領域」を身近に感じながら生きている彼らの姿が美しかった。明日はベースキャンプまで高所順応で登り夕方にはサマ村に帰ってくる予定です。

 

谷口ケイ ♀【ウンコ隊長】
02年、03年のエベレスト清掃隊に参加して強く感じたことは、今、目の前にあるゴミを拾うことが重要なのではなく、世界のエベレストを清掃することによって周囲に与える影響に意味があるのだということ。例えば、シェルパ達が「ゴミ」に対する意識を持つようになって積極的に清掃隊に参加してきてくれるようになり、ネパールの環境省が入山する隊に対して持ち込んだものは持ち帰るように制度を設けるようになった。そして、今は毎年いろいろな国から清掃登山隊がヒマラヤへやってくる。共に山を登る仲間、シェルパや世界中からのクライマーと生活をも共にしながら地球の自然に対する話をすることが、ただの会話でなく、その後のお互いの生活にいろいろな意味をもたらしていくのだなぁ、と実感したこの数年。もちろん、日本の自分の住む町でも出来ることはあるのだけれど、自分にだから出来ることの一つは、健さんと共にヒマラヤからメッセージを伝えることかもしれない。健さんとのヒマラヤ清掃登山は3回目、シェルパたちと共に新しい何かを伝えられるような活動をしていきたい。

平賀淳 ♂【癒し系カメラマン】
03年エベレスト清掃登山と05年シシャパンマ遠征に続き、マナスル富士山同時清掃登山の撮影班として参加させていただきます。清掃活動や登頂までの冒険の様子を映像にして伝えていきます。日本にいてはみることのできない、ヒマラヤを舞台にした登山家としての野口健さんに、どこまでも迫っていきたいです。

写真:伝説のカトマンズカット!!


阿久津千尋 ♀【 BC マネージャー兼通信隊長】
今回ベースキャンプマネージャーとして、みんなの活動を縁の下から支えさせていただきます。ヒマラヤの高い山々に囲まれたこの集落で想像以上の山の大きさを目の当たりにして、この美しい山々を美しいままにしたいという自然な思いとさらに頂上へと挑んでいくみんなの世界の厳しさに圧倒されています。何が起き、何が始まっていくのかまだ分からないですが、活動を全力で支えていきたいです。

小西浩文 ♂【アドバイザー兼特攻隊長】
今回ご縁をいただいて野口健マナスル清掃登山隊に参加させていただきました。マナスルという日本人が初登頂した山を清掃させていただくのは私たち日本人登山家の責務だと思っています。清掃させていただいて頂上に登らせていただければ、大変ありがたい話です。何よりも一番大切なのは、全員が元気で帰ってくることだと確信しています。皆様の応援を何卒宜しくお願いいたします。

 

午前 4 時半起床。 7 時 30 分、チャーターヘリに乗り込みサマ村に向けて出発。前日の情報ではサマ村はひざまでの大雪と聞かされていたので、情報が正しければ大変だなぁ~とそれなりに覚悟していましたが、サマ村(約 3500m 地点)に到着してみたら雪などまったく積もっていなかった。マナスルのベースキャンプとサマ村の情報がごっちゃ混ぜになったようでした。先にマナスルに入っていたドイツ隊はすでにキャンプ1まで到達しているとのこと。

 このサマ村はネパールというよりもチベット文化そのままだった。ラマ族が住んでいるが、髪型も服装もチベット人そのもの。ネパール語が通じない人も多い。このサマ村が 50 年前の日本隊のベースキャンプ地であった。村を歩いていたら老人がいたので 50 年前の日本隊について聞いてみたら「覚えているよ」と懐かしそうな顔をしながら言っていた。明日は、 50 年前の日本隊について印象に残っていることを話してくれるそうです。楽しみ。

 サマは開発され尽くしたエベレスト街道と違いとても静かで素朴な村で、散歩しながらみんなで「いい村だねぇ~ のんびりするねぇ~」と話していました。歩いていたら村人が集まってきて一緒に写真に写ろうと行列ができた。デジカメだから撮影した写真をあげられないのに、それでも一緒に写りたがるんです。谷口ケイ隊員はどうみてもオカマにしか見えない男性?に恋されベタベタされていた。「嫌だ~」と言いながらまんざらでもなさそうで、嬉しそうに一緒に写真に納まっていました。肝心のマナスルはここからは一部しか見えなかったが、初めて肉眼で見るマナスルにドキドキ。

 これから一ヵ月半、この地でどんなドラマが生まれるのか、楽しみであり、また緊張感もあります。明日は400mほど登ろうかと思います。ここはカトマンズのあの暴動とは無縁で平和。ただ、村人によるとたまにマオイスト(毛沢東主義者・共産ゲリラ)が村にやってくるが、サマの村人はネパール語があまり話せないのでコミュニケーションがとれず、少し食料を寄付してやるととっと帰っていくそうな。「ネパール語ができなくてよかった、よかった」と笑いながら話してくれたおじさんの笑顔がまたまたよかった。一部しか見えなかったけれど、マナスルは大きかった。

 

明日、マナスルに向けて出発!

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15日にカトマンズ出発予定がヘリコプターの都合上、突然14日になりノンビリしたかったカトマンズ生活も慌ただしく過ぎていきました。明日、サマゴンという3800M付近の村に向かいます。この村は50年前に日本隊がベースキャンプとした場所です。このサマゴンで3日間ほど高所順応の為に滞在しながら、裏山に登り下りを続けます。今回はマオイストの影響で下からキャラバンできないので、一気にヘリでベースキャンプ手前まで上がるためある程度の高山病は避けれない。したがって3日間の滞在でどれだけ順応出来るかが大事。

今日はまず午前中に富士山清掃の時の生中継の実験を行いました。日本にいるスタッフが山梨県の富士山クラブの森の学校に集まりカトマンズから中継しましたが、テレビ電話の画面に富士山クラブの大井さんや船津さんの顔が写り、笑えました。中継無事に成功。ただ、船津さんの髪型がちょっと気になりました。短髪のほうが似合うのになぁ~。午後から観光省訪問、カトマンズ在住の日本人の知り合いへの挨拶、日本大使館に訪問し平岡大使にお会いしました。大使とネパールの情勢について意見交換し、外務省含め混乱するネパールを支えていきましょうと話し合ってきました。とても気さくな大使でした。



そして昨日、焼き肉食べている時に外れてしまった銀歯を紙に包み歯医者に持っていきつめ直してもらいましたが、カトマンズの歯医者ですからかなり覚悟していったら、アメリカ人医師でまたとても綺麗なセンスのいい診察室に一安心。ちょっと痛かったけれど無事に銀歯が治りました。カトマンズで外れたのがとてもラッキーでもしマナスルに入ってからだとどうしようもなかった。危なかったです。今のところ、ついているかもしれません。



明日からはテント生活。しかも大雪らしい・・・。ただ、ここまで来ると一日も早くマナスルに行きたい。ガツガツとごみを回収しながら登りたい。ヒマラヤに帰ってきたと体が喜んでいるのがわかります。それでは、明日はヒマラヤからの更新となります。

4 月 12 日、朝 8 時からシェルパたちとボナダートと呼ばれる寺院で安全祈願を行った。午後は先にネパール入りし高所トレーニングをしていた登山隊アドバイザーの小西博文さんと合流。この方はいつでも元気すぎるぐらい元気。特に日本にいるときの 100 倍以上は生き生きしている。8000 M 峰14座への無酸素登頂を目指している日本を代表する登山家で、私の兄貴のような存在で山岳会の中で数少ない親友であり尊敬する仲間です。

 シェルパ頭のダワ・タシがマナスル方面にいる親戚と電話で連絡したらベースキャンプ手前から膝あたりまで雪が積もっているとのこと。この春のマナスルは雪が多く苦戦するだろうとの情報を聞かされた。ダワ・タシと「雪崩には気をつけよう」と話し合い、特に第一キャンプから第二キャンプの間が今まで多くの登山家が雪崩の被害にあっているから要注意とのこと。 85 年にダワ・タシがマナスルに挑戦した際も第二キャンプ辺りで雪崩とやられ若いシェルパ一人が亡くなったと聞かされた。午後 11 時から再び外出禁止令。明日はどうなるのかな。

 夕食の時に銀歯が外れてしまい、明日は朝から歯医者さんに診察していただきます。高所での虫歯は痛みが激しく、まして銀歯が取れたままほっといたらそれこそ6000 M も超えたら痛くいて気が狂うだろう。なんでこんな時に銀歯が取れるのかなぁ~。余計な仕事が増えてしまいました。昼は「古都」という日本レストランで親子丼を食べましたが、美味しかったなぁ~。

 夜はビッラエベレストという韓国焼肉屋でたらふく肉を食べた。日本では寿司か蕎麦が主食の私ですが、ヒマラヤ目前のカトマンズにくると猛烈に「肉」が食べたくなる。エネルギーを蓄えようと体が戦闘体制に入ろうとしているのかもしれない。顔もだいぶマルクなって体重も増えてきました。 14 日からヒマラヤの生活が始まります。高所にいくと食欲が落ちるから今のうちに食べておかないと・・・。

4 月 11 日カトマンズ入り。空港からカトマンズ市内までは外出禁止令のため、特別に許可されている車以外は通行してはならず、我々が乗り込んだ車以外はほとんど走っていなかった。普段、ごみごみしているカトマンズ市内がまるで死んでしまったかのようにシーンと静まりかえっていたが、ふと気がつくと建物の窓の中から人々の目線を感じた。

 息を殺しながら外出禁止令が解かれるのを待っているのか、それとも暴動を恐れ警戒しているのか分からないが、ただ異様な雰囲気であるには違いなかった。この日もカトマンズの郊外や地方都市でもデモ隊と警官がぶつかり警察や軍が発砲したとシェルパ達から聞かされた。午後 5 時からは外出禁止令が解かれ我々が滞在するタメール地区は多くの外国人旅行者がホテルからぞろぞろと出てきて町を歩いていた。私たちも買出しや食事などさほど緊張感もなく歩き回っていたが、翌日の新聞に掲載された写真を見て驚いた。軍に発砲され倒れている子供や、担架に運ばれている血まみれの人達の写真が大きく掲載されていた。実は我々の身近な場所で大変なことが起きていたのだ。


写真:地元紙による暴動の様子 

 午後に一緒にマナスルに行くシェルパたちと合流。初めてのシェルパも多く、自己紹介しながら彼らの顔を見ているうちにマナスルへの挑戦がぐっと身近に迫ってきていることを感じ取り、緊張感なのか、それとも興奮のなか分からないが、ワクワクしていた。いよいよ始まろうとしている。

マナスル出発

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 いよいよマナスル出発です! 昨日は靖国神社でお参りしました。夕食は大切な仲間たちと金多楼寿司で最後の晩餐会。千葉では「まなぶ」、東京では「金多楼」と僕にとって大切なお寿司屋さんですが、マナスル前にしっかり両方に通ったし、夜は植村直己さん自宅にお邪魔して線香を上げてきました。夜中まで公子夫人と昔話し、別れるときに「帰ってきてね」と本当に暖かい言葉をかけて頂いた。京都の実家にも戻ったし、これでヒマラヤ前にやるべきことは全部やった。出発を目前にしたこの一週間は一日一日がとても濃かった。1つ1つに意味があった。普段なにげなく過ごしている日々もヒマラヤ前はとても貴重に感じられる。極端な話、一食一食も選び抜かれた食事になっていく。無駄な物は一切食べたくない。わがままな一週間でした。そして、かみさんも荷造りからネパールとの連絡、電話対応、毎晩、夜中までよくやってくれました。感謝、感謝。スポンサー活動はミスター小林、若村さんは富士山清掃隊長を引き受けてくれたし、その彼女を支える富士山クラブの舟津副隊長はじめ富士山クラブのメンバー、多くの人たちに支えられて初めて実現するマナスル・富士山同時清掃活動。ネパールでは共に命を賭けてくれるシェルパ達。僕は幸せ者です。

 ネパールは極めて困難な時期ですが、こんな時こそネパール社会のためになにか恩返しをしたい。 そして二ヵ月後には大好きな日本にみんなで帰ってきたい。いや、帰ってきます。遠征中もこのブログや野口健HPで更新していきますので、みなさんも日本から応援してくださいね。特に写真や映像はHPのほうでアップしますので、楽しみにしていてください。それでは、次はネパールから。ナマステ!

マナスル前に親に挨拶

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 昨夜から京都。銀閣寺の近くに実家があり、マナスル前に両親に出発の挨拶をしてきました。学生の頃からそうでしたが、山に行く前はちゃんと親に説明と挨拶はしてきた。あえて危険なことをするわけだから、しっかり説明しないとね。
 


 今日はまず午前6時に起床し親父の愛犬であるハチの散歩。でかい秋田犬だが、こいつがまた暗い奴なんです。いつもトボトボ歩いていてハーとため息つく。食べる時も
やる気なし。それでもかわいいんですけれどね。早朝の哲学の道を散歩しましたが、桜の凄さ。京都は今がちょうど満開。今年は珍しく桜をたっぷり拝見できた。散歩後には大阪に単身赴任中の兄貴(野口哲也)と2人で蓮華寺(れんげじ)と圓通寺(えんつうじ)に行きました。僕の大好きなお寺で京都に出かけるとふらりと寄りしばしノンビリする隠れ場所です。特に蓮華寺の庭園は小川が流れお茶を頂きながらその水の流れを眺めながら心を落ち着かせるものです。

 朝からテレビや新聞ではネパールのゼネストのニュースばかり。ギャネンドラ国王の独裁政治が続くネパールでは協賛ゲリラ、それに学生、主要7政党、大学教授などが反国王で結束した。マナスル清掃登山ではネパール政府の協力も得ているので、ここでの表現は難しいが誓い将来ネパールの国王制度はなくなるだろう。大切なのはなくなり方。突如カースト社会がなくなるとも思えないが、国が混乱するのは避けられないだろう。明日は過去最大の抗議行動(デモ)になるだろうとのこと。いやはや、大変な時期にマナスル清掃活動がスタートしようとしている。ヒマラヤなどの自然も怖いが最後は人間社会のほうがよっぽど厄介で怖い。

 蓮華寺の小川を眺めながら、そんなことを考え「ネパールの治安悪化は最初から分かっていたこと。だからこそこの厳しい状況下であえて行う清掃活動に意味があると決断したんじゃないか」と自身に言い聞かせていた。
 昼は両親と合流し深泥池の近くにある「武鮨」(075-791-6475)に行きました。ここの寿司はおそらく京都で最も美味しいだろうと自信をもって人に紹介できる絶品のすしを握ってくださるお寿司屋さんです。親父、かあちゃん、そして兄貴と家族4人での外食は何年ぶり(おそらく10年以上ぶり)だろうかと、たわいもない話をしながら楽しい楽しい食事会でした。一泊の京都の旅を終え、東京に戻ってきましたが、やはり日本はいいですね。しばらく日本を離れるのが寂しいなぁ~と新幹線の中でぼんやりと考えていましたが、でもヒマラヤに通っているからその分だけ日本の魅力を感じるわけだから・・・。明日は靖国神社へお参りです。

低酸素トレーニング終えた

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 4月6日、7回行った低酸素トレーニングを終えました。4500mまでは高所順応も順調に仕上がったかなぁ~ あれだけ頭痛かったり、吐き気がしたのが嘘のようにトレーニング後も元気。トレーニング後は赤坂のすし屋でたらふくお寿司を頂いた。
 4月7日は、午前中に歯医者で治療。きれいに磨いていただき歯もピカピカになった。仮に万が一の事態が生じてもピカピカの歯であれば、歯型を調べられても恥ずかしくない。午後は自宅で荷造り。大量の食料や登山道具や衣服をダンボールに詰めた。TBSのニュース23が今日も取材にきてくれ、ディレクターやカメラマン達が撮影後に荷造りを手伝ってくれた。メディアの方々に手伝ってもらえる関係性が嬉しかったし、楽しかった。
 
 それに環境学校の生徒であったアジもお手伝いで我が家に駆けつけてくれ、おかげでパッキングもだいぶ片付いた。夜は富士山清掃隊長の若村麻由美さんと高田馬場のイタリアン、イルキャステロで食事した。イルキャステロは親父の代から通っているイタリアンで僕も10数年間、イタリアンといったらイルキャステロだった。僕の大好きなレストラン。ヒマラヤ遠征直前には決まってイルキャステロの「渡り蟹のリングイネ」を食べる。縁担ぎでもあるから、今年も無事にマナスルから生還できるだろう。
 
 若村麻由美さんとも最後の打ち合わせを行い、力強い言葉を頂いた。彼女が隊長であれば私も安心してマナスルに行ける。僕の大切な仲間です。明日から一泊で京都。京都に住む両親に挨拶してきます。それでは おやすみなさい。

いよいよマナスル

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 4月になってマナスルの準備に追われています。3月29日にマナスル・富士山同時性移動登山の壮行会が開かれ、女優の若村麻由美さん(富士山清掃隊長)と決意表明しました。若村さんに富士山清掃清掃隊長をお願いしたのは、ただ著名人だからではない。98年に彼女はNHKのロケでヒマラヤのカラパタール峰(5545m)に登頂するのだが、カラパタール峰までの道のりをトレッキングしている道中に落ちているゴミの多さに驚き、撮影の合間にごみを拾いながら歩いたと、他のスタッフから聞き、その後の私の富士山清掃活動に参加してくれた仲間です。98年から彼女と交流を続けてきましたが、彼女の富士山を美しくしたいという気持ちに嘘がなく、隊長を引き受けてほしいとお願いしたら、「野口さんがマナスルで命賭けるなら、私は責任をもって富士山の隊長を引き受ける」と言ってくれた。これで私は安心してマナスルに専念できる。
 3月30日には環境省で記者会見。小池大臣ともお会いする予定であったが、緊急入院された当日で実現しなかったが、そんなことよりも、この入院でゆっくり休んで頂きたい。激務が激しかった。正直、激務に心配していました。特に現場主義の彼女は全国を飛び歩いてきたので、とにかくゆっくり休んで頂きたい。

 4月になってからはマナスルに持っていく食料や医薬品の買出しパッキングの日々。
4月2日は夏に予定している障害者の2人と挑戦するヨーロッパアルプスのトレーニングで佐久にあるスキー場で橇に乗っていただき引っ張る練習をしたりしましたが、この日は残念ながら雨。寒い中、みなで頑張ってトレーニングしました。
 そして我が家にやっと 私の秘密兵器の立ち漕ぎマシーンが届きました。注文していましたが、なかなか在庫がなく、2ヶ月目にしてやっと手に入れました。残り1週間ですが、出発直前までこの秘密兵器でトレーニングを行いたい。明日は、低酸素トレーニング。出発までバタバタですが、泣いても笑っても残り一週間。今夜は千葉の鎌取にある「まなぶ」というすし屋で食べました。僕の愛するすし屋です。美味しかったぁ~ まなぶにいるときがなによりほっとする。そしてもう一軒が世田谷にある金多楼寿司。明後日でも行こうかな~。寿司、寿司、寿司。食べまくりたい。

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