2011/12/20
清掃登山や遠征などのヒマラヤに関連する記事です
風邪をこじらせナムチェバザールで二泊。ゆっくりと休養。多くの日本人トレッカーとお会いしてきましたが、60歳以上の夫婦が多かった。退職後に奥さんとヒマラヤトレッキングをするその素敵な時間の過ごし方に、いいものだなぁ~と感じていた。昨年末に母親が亡くなったが、 朝日を浴びながら ケイさんと合流 ...
束の間のカトマンズ滞在中 これからのチョモランマ遠征に向けて機材の最終チェックをする 私と淳君にとっては初めてのチベット どんな気候(気温と湿度と)で、どんな気圧が待ち受けているのか 全く未知 そんなチョモランマの空の下から 日本へと中継する予定が何回かある もちろんその中には、富士山との同時清掃も含まれている 私たちの最大の使命の一つは、伝えること 世界と繋ぐこと それを成功させるためにも、苦手な機械を相手に悪戦苦闘する 基本電源は太陽光だが 保険電源の発動機からバッテリーへの蓄電と、そこから全機材への電力供給システムを試す 今までのプチ失敗を繰り返さないように… (電圧や電流の基本が脳みそに入っていなくてオカシナことをしたこともあった?) 手動ジェネレーターから最終的には衛星通信機器や最新OS内蔵パソコンへ ローテクからハイテクへ繋ぐ これを世界で最も高い空の下でやる なんだかとっても面白い構図だな そんな準備の中 カトマンズの街へと買い出しに出かけると 健さんの旧知のグルジア人登山家、不死身のギーアに偶然出遭った かつてのエベレスト清掃を共に行ったギーア 昨年のマナスルでも偶然一緒になり、一時はアタックに出かけたまま行方不明騒ぎになったものの、何事もなかったかのように下山してきたギーア そして昨夏のK2でのロシア隊遭難の中からも唯二(6人中2人)生還した彼曰く、 「スポンサーのためにって無理に突っ込んで(アタックして)も、死んでしまったらスポンサーの意味だって無くなっちまうじゃないか、死は何にもつながらないよ」 全くそのとおりだ いまやっていることは常に次のActionへのステップなのだから 死んでしまっちゃ本末転倒だよね 4月1日谷口ケイ ...
エベレストが見渡せるタンボチェ村にて橋本龍太郎氏の慰霊碑が建てられ、3月30日に 橋本久美子夫人、長男の橋本龍さん、歌手のジュディ・オングさん、橋本龍太郎さんの山仲間の石黒ご夫妻、大河原ご夫妻、そして私が参加してしめやかに式典が行われた。 慰霊碑建立式典 ジュディ・オングさんは橋本龍太郎さんと共にカトマンズのカンティ小児病院支援を行ってきた。病院には龍太郎さんとジュディ・オングさんの写真がいまでも病室にかけられている。石黒さんは73年のRCC隊で加藤保夫さんとエベレスト登頂。その時の名誉隊長が橋本龍太郎さん。大河原ご夫妻はカトマンズ在住でヒマラヤンジャーニーという旅行代理店のオーナー。石黒さんと同様に山仲間でありネパール仲間。龍太郎さんの大切な仲間達に囲まれながらの式典は仰々しくなくてとても龍太郎さんらしかった。 左から大河原夫人・龍さん・野口・橋本久美子夫人・ジュディ・オングさん、石黒ご夫妻 長男の龍さんと 龍太郎さんが亡くなって約9ヶ月。未だに胸の中に大きな穴が開き、風邪がピューピューと音をたてて通り過ぎていくような深い悲しみに襲われることがある。私にとっては大きな心の支えであったし、なによりも大好きな人でした。昨年のマナスル遠征中もベースキャンプのパソコンに龍太郎さんからのメールがいくつも届いた。「雪崩に気をつけろ」「体調は悪くないか」「無理していないか」などと。帰国して龍太郎さんに真っ先に会うのがなによりもの楽しみだった。 ヒマラヤから帰国して龍太郎さんに連絡しようかと思ったその矢先に倒れられ入院。ただ、当初はそれほど重病だとは思わず前回の心臓に比べたら大丈夫だろうとそれほど心配していなかった。しかし龍太郎さんが亡くなる前日のこと。深夜12時過ぎに、富士山の清掃活動のため山梨県に向けて移動中に突然胸騒ぎがした。これは龍太郎さんになにかが起こると嫌な予感がし、慌てて龍太郎さんの秘書や事務所に連絡するが繋がらない、入院している病院も分からず、知り合いの新聞記者に連絡し入院先を調べて頂き、直行。病院の受付で橋本龍太郎氏の病室は?と尋ねても「面会謝絶です」と教えてくれない。勝手にエレベータに乗り込み適当に確か7階辺りで降り、看護婦さんに「登山家の野口ですが、橋本先生の秘書から至急来なさいと連絡がありまして」と話したら龍太郎さんのご長男の龍さんの元に案内された。その時の龍さんの表情を見た瞬間にアーと全身に力が抜けていくのが分かった。そして龍さんから「父は危篤です。ずっと意識不明です・・・」と告げられた。放心状態のまま次の日の富士山清掃活動の為に山梨に再び戻り龍太郎さんの死を知ったのは樹海での清掃中。あまりにも突然だった あれから9ヶ月。長いようで短いようで、とても辛い時間でもあった。定期的に青山墓地に龍太郎さんに会いに行く。お墓の前で龍太郎さんに話しかける時間が好き。タンボチェ村の龍太郎さんの慰霊碑にも話しかけていた。「龍さん、万が一、エベレストから帰ってこられなかったら僕のお墓、龍さんの横に建てていいかな」と話しかけたら「ダメだ。お前にはやらなければならないことがたくさんある。こっちには来るな!」と怒られてしまった。 私がやらなければならないこと。確かにたくさんあるな。だから龍太郎さんに「分かりました。ただいずれは横に建てさせて頂きます。そしてまた思いっきり議論しましょう!」と別れを告げてタンボチェ村から降りてきた。これから始まるエベレスト挑戦。私の手には一本の古い木製のピッケルがある。龍太郎さん愛用のこのピッケルで私はエベレスト山頂を目指す。 龍さんに語りかける ...
イムジャ川 イムジャ湖眺める この湖が増水し続けた数年後にモレーンが決壊したらここより下流にある村(シェルパの里)のほとんどが流されてしまうんだって。 つまりエベレスト街道が無くなってしまうかもしれないってこと。 今回エベレスト街道を歩いていて友人シェルパ達の多くに、この問題の話をされた。 「ネパール政府は何もしてくれないさ」 ってみんな言う。 私たちに出来る事は、調査すること、伝えること、 そしてともに行動する仲間をつくること。 ネパールの仲間も世界中のヒマラヤが好きな仲間も人間と自然が大好きな仲間にも伝えるために 大自然の中で淳君は今日も健さんを追い続けている。 ローツェ南壁 平賀淳カメラマン 谷口ケイ ...
ネパール入りしてから風邪をこじらせナムチェバザーで二泊しゆっくりと休養。たっぷりと寝た。特にナムチェバザール二日目は一日中ゴロゴロし、食っちゃ寝。そして起きては原稿書き。日経新聞の毎週土曜夕刊の連載はヒマラヤにいても続きますから。大変は大変ですが、...
今日はナムチェバザール村へ。途中、多くの日本人トレッカーとすれ違い 記念写真大会。ここ何年間かは共産ゲリラによるテロ活動の影響で日本人 旅行者が激減していたが、今年は日本人旅行者がネパールに戻ってきた! 嬉しいなぁ~ ネパールは素敵な国。インド、パキスタンなどをを旅し 現地で人々に騙され続け人間不信となりつつあった日本人の旅人がネパール にやってきて「いや~ネパールはいいですね。癒されます」と何度聞かされてきたとか。 日本人とネパール人、特にシェルパは感覚的に合うんですね。あの恥ずかしそうに はにかむ姿なんかは昔の日本人なんだなぁ~ ナムチェバザール村到着後からは再び体調不良・・・。頭がボーとダルイなぁ~。 明日はパンボチェ村に向かう予定ですが、ここで無理をしてもなんら意味を 持たないので明日具合が悪ければもう一日ステイします。 ...
*写真をクリックすると拡大します。 1月8日にロブチェピークに登頂し、9日はディンボチェ村で一日休養。シェルパ達は遠征生活に慣れているので、ちょっとでも時間があれば体を洗ったり、髭を剃ったり、また洗濯を行う。遠征は生活の一部なのです。久々の休養、この日は朝からみなそれぞれ、ゆっくりと過ごしました。急激な運動に背筋がパンパンに張っていたのでデェンディーに解して頂きました。あ~久々に人の手に触れられ気持ちよかった。 チュクンリー山頂にて だから、なに? シャリバテ克服の平賀カメラマン 1月10日、トレーニング最後の目標であるチュクンリーピーク(5550m)登山を行う。ただ夜中から強風が吹き荒れこの日は歩行が困難なほどであった。午前7時、ディンボチェ村を出発しチュクン村を経由し、チュクンリーピークの山頂を目指す。アイランドピーク、そしてなによりもローツェ南壁がお見事。昨年末に日本隊が世界初、冬季ローツェ南壁登頂に成功。その南壁を眺めながら一体どこをどう登ったのか予想もつかないほど険しい壁にしばし見とれてしまった。 きれい好きなクリシチナ アンブティーちゃん 午後1時半、強風の吹き荒れるチュクンリーピークに登頂。これで今回の高所トレーニングはカラパタール、ロブチェピーク、チュクンリーピークとそれぞれに登頂し終了。それなりに手ごたえを感じ、またそれ以上にヒマラヤに癒されました。エベレストやマナスルなどの清掃活動と違い無条件に楽しかった。やっぱり僕はアルピニストだったんですねぇ~ だからヒマラヤ登山は止められない。 綺麗に整頓されているシェルパの台所 平賀カメラマンもこの日はアタック直前にラーメンをたらふく食べたのでしゃりバテにならず元気満々。意欲的に撮影していました。いつも平賀カメラマンが凄いと思うのはどんなに過酷な現場でも撮影を行うこと。登るだけでも大変なのに、登りながらの撮影となれば極めて困難。いずれ日本を代表する極地カメラマンとなるでしょう。 夕焼けに染まるローツェ南壁 チュクンリーに登頂しこの日はパンボチェ村まで下る。何日間もお世話になったディンボチェ村のパパとママにお別れした。パパ、ママとは僕が15年前に始めてヒマラヤにやってきた時からのお付き合い。ママは女優の市毛良枝さんと、 田附秀起 (事務所スタッフ)のお母さんを足して2で割ったような顔をしていて暖かい微笑みに今までどれだけ癒されてきたことか。凍てつくヒマラヤで女性の優しさ、暖かさはなによりも最高のご褒美です。お二人はヒマラヤの僕のパパとママです。 ディンボチェのパパ、ママと ディンボチェのパパの編み物 隠し子? 洗濯屋の健ちゃん? トレーニングを終えおどける野口 デェンディーのマッサージ チュクンリー山頂にて 寒いよぉ~ 1月11日、クムジュン村まで降りる。昼間にテリー伊藤さんのラジオに衛星電話で生出演。久々に仕事をしました。テリーさんはいつも僕の活動に興味をもってくださる。特に環境問題やモラルに関する出来事には強い関心がある。僕の仲間です。夕方、クムジュン村に到着した時、ふと振り返ったらローツェ南壁が夕焼けに真っ赤に染まっていた。昨日はその壁の真横にいたんだと、考え深いものがあった。明日(12日)は休養。13日はクムジュン村の人々と清掃活動を再開します。それでは、ナマステ! ...
*写真をクリックすると拡大します。 カラパタールに登頂し次の目標はロブチェピーク。1月7日を登頂予定日にしたが、冬型の低気圧の影響なのか、気流が乱れ、アタックを一日延期。6日、ディンボチェ村に下り待機。しばらく悪天候になるかと思いきや7日早朝から晴天。一気にディンボチェ村からロブチェピークのハイキャンプ(約5600m)に向かう。途中、強風の影響で登頂を断念した英国人女性と出会う。開口一番「とんでもない風だったわぁ。早く降りて温かいスープを飲みたいわ」。その言葉にこりゃ苦労するぞ!と気持ちを引き締めた。14時過ぎ、ハイキャンプ着。 夜には風が強くなるかと覚悟していたがピタリと止み辺りはシーンと静まり返る。テントの中で食事が始まるが、山小屋とまた違った雰囲気。アタックを目前に緊張するものの、シェルパ達と馬鹿話で盛り上がる。テントから顔を出して驚いたのが満天の星空。寒いのを我慢しながら眺めていたらいくつもの流れ星が現れては消えた。4時起床なので早く寝ようと努力するが、興奮なのか、こうしてヒマラヤのいられることに嬉しくて仕方ないのか、ワクワクして眠れない。アタック前夜の緊張感がたまらなく好き。 1月8日、4時起床。風まったくなし。完璧なアタック日和。5時半アタック開始。一時間半ほど岩場をつめ、氷河にでる。ここでアイゼンを装着し氷壁を慎重に進む。ガリンガリンに凍りついた氷河にアイゼンがザクザクと快適に刺さり順調に高度を上げていく。ロブチェピークは過去に4回登頂しているが、今回が最も氷河の状況が安定している。そしてなによりも天気がいい。ヒマラヤ入りして2週間ほど経過しているが一度も雪に降られていない。 途中、平賀カメラマンが遅れだし、待っていて寒くて仕方がなく、ただ高山病なのかと心配したらなんの事無く「けんさん、しゃりバテ(お腹空きすぎてバテるこち)です。お腹すいて歩けません」だって。アホか。しかも山頂直下で。そこで「ダメだよ!アタック中にしゃりバテなんか聞いたことないぞ!そんなわけないだろう!」と丁寧にやさしく怒る。「けんさん、チャパティー(ネパールのパン)ありましたよね」「山頂直下でパン食べる奴がいるかよ!食べさせないぞ!」とのやりとりが続いたが本当に泣きそうな顔してくるので、山頂直下の不安定な急斜面でみんなでチャパティーを食べた。そうしたら「いや~快適な登山ですねぁ~」と呑気なものだ。シシャパンマに引き続き山頂直下で平賀君に怒鳴る(しかしとても優しく丁寧に)のも定例となってきた。予定外の昼食を済ませそこからまた慎重に一歩一歩進み11時15分に登頂! 目の前にエベレストがドーンとその雄姿を現した。日本を発つ前は正直、体の状況からして6000m峰の登頂は厳しいと感じていたが、ヒマラヤ入りしてから日々、体調が回復していくのが分かった。日本にいる時はエネルギーの放出ばかりだが、ヒマラヤではエネルギーを頂くもの。そしてロブチェピークに登頂したことで、チョモランマへのリベンジになんとか望みを繋げることができた。「たかが6000m峰に登って喜ぶな!」と思われるかもしれないが、1つ1つの積み重ねが世界最高峰へとつながっていくものです。慎重に下山し14時半ハイキャンプに到着。テントなどをすばやく回収しディンボテェ村へ。途中、雲海が美しくまた登頂できた喜びに浸りながらしばし見とれていた。18時半、フラフラになりながらディンボチェ村に到着。あ~約13時間も歩きっぱなし。心底疲れましたが、ただなんとも心地よい素敵な疲れに朝までぐっすりと深い眠りにつきました。 ...
*写真をクリックすると拡大します。 山頂を仰ぐ野口 登頂にホッとする 山頂直下のペバドルジ 山頂にて 左からクリシナ・野口・ペンバドルジ 山頂からの天国 山岳テロリスト?クリシチナさん 最後の晩餐 僕らの城 野口健の足 無事ハイキャンプに生還 登頂成功を家族に伝える ...
*写真をクリックすると拡大します。 5時半起床。6時10分にロッジを出発。シェルパ達と歩くのでとにかく速い。他のトレッカーを次々に抜くのだが、こっちはハァーハァー大変(高所ではゆっくり歩いたほうがいいので参考にしないように)、ただせっかちなのか気がついたらシェルパ達のスピードに合わせてついつい早歩きしてしまう。7時20分、カラパタール登山口のあるゴラクシップ村(5150m)に到着。ロッジでスープを飲みカラパタール登山を開始。一時間ほど登ると右側にエベレストがドーンとその姿を現します。真冬のエベレスト南壁は雪が吹き飛び真っ黒。その姿はまるで軍艦のような、まるで203高地のごとく人を寄せ付けない威圧感がある。 カラパタール山頂の背後にプモリ峰(7165m)が聳えているが、今回ばかりはプモリ峰の姿が憎らしく見えた。昨年10月にプモリ峰で仲良くしていたシェルパのプルバ他3人と共に雪崩で遭難死したばかり。遺体が発見されたのはプルバのみ。そしてプルバは今回我々と一緒に登っているペンバドルジの兄さんでもある。ペンバドルジが雪崩のあったポイントを指差し「あそこで兄はやられた」と表情を変えずに説明してくれたけれども内心は辛かったはず。ちなみにペンバドルジはエベレストの世界最短時間登頂記録保持者。世界的に有名なシェルパ。 カラパタール山頂には10時過ぎに登頂。途中から風が強くなりさすがに真冬だけあって凍えた。山頂からエベレストを眺めていると後3ヶ月もすればあそこにかじりついているだと思うとゾッとした。ただのん気に眺めているのと、具体的に登ることを意識しながら眺めているのとまったく違う。他のトレッカー達が歓声を上げエベレストにカメラを向けていたのが羨ましくさえあった。グッと気持ちを引き締め、「今度こそ」と心の中で小さな声で叫んでいました。 2時過ぎ、ロブチェ村に到着。いや~疲れました。明日からが本番。6000m級のロブチェピークの挑戦が始まります。強風による凍傷に気をつけなければならない。ここのところ、ずっと晴天が続いているので、あと数日だけでももってほしい。久々にビビビっとくる登山。楽しんできます。登頂予定は1月7日。それではナマステ! ...