2011/12/20
清掃登山や遠征などのヒマラヤに関連する記事です
エベレストのチベット側、チョモランマでは ABC(アドバンス・ベースキャンプ)が実質上のベースキャンプのような存在となる 6400mの氷河の上にて 様々なチャレンジが繰り広げられる 生命の基礎である飲み水は 幾百年もの時を越えてそこに存在している 硬い氷河をピッケルで砕くことから始まる 飲み水は氷河を砕いて確保する この標高では、ピッケル一振りで、心拍数が150を越えるのだ こんな思いで砕かれた氷を 大鍋で溶かして、煮沸して、飲める形になるまでに 既に一時間の時が経過する 日本との生中継 これまでもエベレストBCやマナスルBCからの中継を行ってきたけれど この高さからの中継は、野口隊としては初めてだ うまくいくのだろうか・・・ 中継テストの日は大雪大荒れの天候で、衛星電波はちっとも安定しなかった 不安がよぎる それでも、強運の持ち主、健さんとのコラボレーションで失敗などありえないのだ ABCからの二回の生中継は 晴天のなかのチョモランマに見守られて、無事成功! ただし、あまりの寒さに 体調を崩し気味だった健さんは相当つらかった様子(写真をご覧ください、カメのようでしょ?) 中継を待つ健さん、とても寒くて体調悪し中継を待つ健さん、とても寒くて体調悪し 生中継の模様 このABCにて 高所登山者たちのDNA研究をしている医療チームがいた エベレストのネパール側には400人規模の医療チームが遠征隊を組んでいるとの事だが こちらのチベット側には、ノルウェー人医師(若い男性)一人 各隊を回って、口腔内の唾液を採取して イギリスの医療研究グループでの研究材料にするのだそうだ 高所登山をする人のDNAが、他の人と違うのかどうか?? とても興味深いところだ メディカルサンプリングに協力 さて、こんなABCでの生活をクリアしながら 上部キャンプへと出かけなければならない チョモランマ登頂への前進キャンプは、 7050mのC1(一般に『ノースコル』という/ネパール側には『サウスコル』がある) 7700mのC2 8300mのC3(これが『最終キャンプ』または『アタックキャンプ』と呼ばれる) 当然、登るにつれて酸素は薄く、凍てつく寒さだ カメラを構える淳くん、ある時は吹雪にまみれ、ある時は絶壁の雪の斜面で 私なんか、登っているだけで寒くてたまらない 7000mなのに素手で無線交信する健さん 体温の高い健さんは、なんと7000mでも素手で無線機を手にしている 信じられない・・・・ 全く世の中にはいろんな人がいるものだ 今日は我が隊のシェルパ兄弟が頂上へ向かった 世界中の国旗をジャケットに縫いつけて平和を世界のてっぺんに運んだ兄と 初めてのエベレストに『夢だから』と挑戦する18歳の弟 心配でたまらなかったけど 頂上から元気な無線が入った 『ハイハーイ、健サーン、ティクツァ(元気だよ)!』っていつもの調子 笑っちゃったけど、安心して涙が出た 健さんの周りにはいつもいろんなチャレンジャーが集うものだね 2007年5月8日谷口けい ...
明日、ベースキャンプを出発しチョモランマ・アタック体制に入ります。10日にABC入りし、12日にノースコルへ。そこからキャンプ2~キャンプ3へと進み順調にいけばアタック一次隊は15日に登頂、二次隊は16日。アタック隊は二回にわけ一次隊は「野口・平賀それにシェルパ4名」、二次隊に「谷口・パサンラムにシェルパ4名」となります。しかし、天候が未だ不安定のためアタック日が変わる可能性大です。 隊員の体調はみな良好です。無線連絡によると上部にいるラムちゃんの腰もストックなしで歩行可能との事。若いから回復も早いのかな。我々は10日間ほどのベースキャンプ、またシガールでの休養がとても良かった。 私自身、上部では何日か呼吸器官に障害がありましたが、いまでは回復傾向にあります。 シェルパ達もみな元気で、5月7日にはペンバドルジとその弟のプルバが一足先にチョモランマに登頂しました。ペンバドルジは無酸素登頂。彼のプロジェクトであった世界中の国旗を山頂に掲げ世界平和を訴えました。弟のプルバは若干18歳。「どうしてもお兄ちゃんと登りたい」と懇願してくるので「頑張れ!」と送り出しましたが、正直、ハラハラ・ドキドキの連続でした。おかげで太田胃酸を飲みましたが・・・。 「シェルパ自身の登山」をさせることに外国人登山家から批判の声がないわけじゃありませんが、永年外国人登山家のサポートを献身的にしてきたのだから、そろそろシェルパ自身が自らの冒険をしたいと願うのは当然であり、それに対して可能な限りチャンスを与えてもいいじゃないかと私は思う。そしてそれがシェルパのモチベーションにもつながり今度は私達が登頂するときには力になってくれるだろう。人間関係って僕はそうゆうものだと思います。一方的なものじゃないだろうと。 これから先、どうなるか正直、分かりませんが、ただ昨年の夏はヨーロッパ・アルプスで井出今日我くんがとても頑張った。私達は勇気づけられた。それならば、次は我々が頑張る番です。 ベースキャンプから上部ではパソコンが気圧の問題で使用できないので、またスタッフの田附くんが「ブログ」にて私との電話連絡で知り得た現地情報をお知らせしますので、そちらをご覧ください。それでは、行って参ります。 谷口けいちゃんはもう少し上部に残り高所順応したいとABCに残った。彼女はいつでも元気だ。ABCでは珍しく頭が痛いと訴えていたが、今ではケロッとしている。平賀淳くんとベースキャンプに戻り久々に5000Mの世界の高酸素に体を休めました。さらに5月3日から6日までチベット登山協会のランドクルーザーをチャータしシガール(4300m)の街まで降りた。ここまで降りてくればそれこそお風呂もあり、久々にお湯に浸かった。湿度のお陰で苦しい肺呼吸も少しはスムーズになった。7日にベースキャンプに戻り、10日にはABC。山頂アタック予定は5月16~20日です。 ...
4月19日にようやく6400mのABC(アドバンスベースキャンプ)に辿り着いたときのこと あまりのテントの数(つまり遠征隊の数が多い!)に仰ぎ驚くとともに 足元の 氷河の流れの中に早速ゴミを発見してしまった 過去のゴミが 氷河の溶けるのとともに流されてきているのだ 思わず拾いながら歩いていくと シェルパ達に、上のキャンプ地には物凄く沢山のゴミがあるから こんなところで拾ってる場合じゃないよ なんて言われる ABCの高度にもなんとか順応してきた頃 健さんとABCのテント村を散歩に出かける 健さんの旧知のシェルパ達と再会したりして喜び合っているその脇に 信じられないほどのゴミが転がっていた 一~二年前くらいのゴミだと思われた 他の日本隊がABCにやってきたら、みんなで清掃大会をやろうよ と言って、その日はその場を去った けれどもゴミを見てスイッチが入ってしまった健さん 他の日本隊がやってくるのなど待てず ABCの大清掃キャンペーンが始まった ゴミ袋を持って、いつものスタイルでゴミを拾い始めると 出るわ出るわ 缶詰、酒ビン、ガスボンベ、医薬品、そしてパンツまで・・・ 「去年はブラジャー拾ったけど、今年はパンツが出た。これで上下揃ったぞ」 とヘンなところで満足する健さん 結局この日はヤク3頭分(120kg)のゴミが回収された 何はともあれ、ゴミ拾いのおかげで(?) ABCでの順応もしっかり進み この後無事に、上部キャンプへと前進できることになりました 5月5日 谷口けい ...
チョモランマ挑戦の前半戦終了。ベースキャンプより上部での15日間は心身共にきつかった。ブログで田附くんが状況を逐一リポートしてくれていた通り、なかなかハードでした。 ABCについてから最初の4日間は頭痛で頭が割れるかと思った。脳の中心が大爆発を起こし、両耳の穴から脳みそが噴出すような痛み。高山病の頭痛を一度味わうと生涯忘れないだろう。それだけ辛いもの。 田附くんも97年にチョモランマで地獄をみているから衛星電話の私の声だけで、現地の状況が手に取るように分かったのでしょう。 相変わらず呼吸気管が弱くチベットの乾いた大気に肺を痛めました。まあ~これは想定内ですが・・・。それにしてもベースキャンプに降りてブログを拝見してみたら、田附くんもなかなか文章力が向上しましたね。以前は下手糞な文章書いては、それでいて喜んでいたのに・・・。 それにしても今年のチョモランマは混みすぎで、6400MのABC(アドバンスベースキャンプ)や7000Mのノースコルはまるで銀座通り。懸念されるのが山頂アタック日。これだけの人々が限られたアタック日よりに一斉にアタックをかけるだろうから渋滞するのは目に見えている。96年だったか、エベレストの山頂付近は登山中と下山中の人々が交互に通過するなどの渋滞がおこり、そこに悪天候が襲い大量遭難事故があった。そうならないことを祈るばかりです。 野口健と氷柱. 気になったのがABC手前の氷柱群が小さくなっていた事。10年前に毎日放送が氷柱群を撮影しており、今回その写真を元に比較してみたら明らかに小さくなっていた。チョモランマの氷河は確かに小さくなっていた。総合地球環境学研究所の中尾正義教授の発表ではヒマラヤの氷河は非常な勢いで縮小しているとのこと。そのスピードは世界中のほかの地域のどこよりも速いそうです。 その理由の1つに、ヒマラヤ地域の氷河は夏のモンスーンに雪が降り、また氷河が融解するのも夏であるという「夏雪型氷河」であることが大きく関係しているとのことです。つまり温暖化によって夏の雪が雨になってしまえば氷河が大きくなるわけがない。そして新雪に覆われて保護されていた氷河が保護されないわけだからさらに融解しやすくなる。冬の降雪によって氷河が大きくなり、夏の融解期に融けるいわゆる「冬雪型氷河」よりもヒマラヤの「夏雪型氷河」のほうが温暖化の影響を受けてしまうのだ。モンスーン特有の気候下にあるヒマラヤの氷河は、他のどの地域の氷河よりも温暖化に弱い。しかし逆に寒冷化がおこればヒマラヤの氷河はほかのどの氷河よりもすばやく拡大するともいえるそうです。ヒマラヤの氷河は気候変化にもっとも敏感に反応するセンサーだと中村正義教授は指摘しています。 (詳しくは「ヒマラヤと地球温暖化 中尾正義 編」が昭和堂にて出版されていますのでご覧ください) 以前、シェルパが「ヒマラヤは人間に例えたら頭です。その頭が熱くなったら体全体がおかしくなる」と話していた通りヒマラヤの氷河が融解し各地で洪水を起こしている現状に私達はもっと敏感にならなければならないでしょう。地球はすでにイエローカードを我々に出している。レッドカードになる前になんとか対応しなければ手遅れになってしまう。小さくなったチョモランマの氷柱群を眺めながら地球の声に人間はもっと謙虚になるべきだと考えていた。 安全祈願. 4月23日、ABCで安全祈願が行われた。今まで30回以上のヒマラヤ遠征を行ってきたが登山中に遭難事故を起こした事はない。ラスト・チョモランマ。どうか最後までお守りくださいと神に祈りを捧げた。そしてふと見上げたらチョモランマの山頂は雪煙を噴き上げていた。その山頂をジーと眺めながら、今度ばかりはどうしても登りたいんだ!と唇を噛んだ。永年の清掃活動。チョモランマの最終キャンプまで登ったこともある。他の登山隊員が山頂を目指すのを横目にもくもくと酸素ボンベを拾い続けた。昨年のマナスル峰もけいちゃんらが山頂を目指している中、私は山頂に背を向けゴミを拾っていた。清掃隊の隊長として当然といえば当然。あくまでも清掃活動がメインであったわけだから、ただ、心のどこかで「俺も・・・」という小さな声が無かったわけじゃない。 とくにチョモランマは10年前に散々苦しめられた相手。どこまで登れるかやってみなければ分からない。苦しい挑戦になることは日本を発つ前から充分に分かっていた事。覚悟もしている。だから疎遠となっていた海外にいる母親とも6年ぶりに再会した。多種多様なご意見がある中でのモナ母との再会でしたが、やはりチョモランマに来てみて、あの判断に間違いはなかったと確信している。人生、一寸先は闇なのだから。 ノースコルの夜. 4月26日、ノースコル泊。二回目のノースコルで天候以外は極めて順調に登ったのに、夜中に肋骨を痛めた影響か、それとも肺の炎症の影響なのか呼吸困難になり、一人テントの中でもがき苦しむ。苦しみながらもウトウトと夢を見ていた。夢の中で龍さんが出てきて「おい、野口、お前、俺との約束を果たす前にこんな所でなにやっているんだ!」と久々の再会なのに相変わらず怒っている。「いつもそんなだから 「威張る・すねる・怒る」の橋本と竹下さんに言われちゃったんですよ!」と言い返したらニヤと笑いながら「お前、よくそんな古いこと知っているなぁ~うんうん、関心、関心」と妙に納得された。「それに、ほらこの龍さんのピッケル、テントの中に入れて一緒に寝ているんですよ!古い木製のものだから凍り付いて亀裂が入らないようにしているんです!」と言い終ったところで夢から覚めたのか目の前がパアっと明るくなり、ボーとしながら光の方を見たら平賀淳君が「健さん、大丈夫ですか」と私のテントの中に入ってきた。「おう、どうした」と寝ぼけながら話したら「健さん、かなりうなされていましたよ。横のテントまで声が聞こえてきましたから。お湯持ってきましたから飲んでくださいよ」とわざわざ心配して来てくれたのだった。7000Mの高所では隣のテントに移動するだけで極めて困難。特に極寒の夜中はトイレ以外は寝袋から出たくないもの。それなのに、淳君は優しいなぁ。友情に感謝し、再び寝袋に潜り込み夢の続きを見ようとしたけれど、龍さんはもう現れなかった。 5月30日、15日ぶりにベースキャンプに戻る。15日間も6000Mを超えて生活していると色々あるもので、女性隊員のラムちゃんが以前から痛めていた腰痛を悪化させストックなしには歩行困難となってしまった。「ケンさんからせっかく頂いたチャンスなのに」と泣かれ「まだ、時間はある」と慰めたものの常識的に見れば極めて厳しい状況に違いなかった。私も二十歳の頃、酷く腰痛に悩まされお灸を打ちながら山に登っていたことがある。登山家は若くして重荷を背負い、また過酷な環境だけにどうしても体を痛めてしまう。特に登山家として体が完成していない頃は壊しやすい。ラムちゃんの涙に何もしてあげられず辛かった。 そして次にキッチンスタッフのマイラが体調を崩しベースキャンプへと降りて行った。途中、吐血が始まり、倒れてしまった。幸いにも近くにいたロシア隊に助けられ、後から無線連絡で事態を知った我が隊からシェルパ二名を救助にだし、最終的にヤク(高所にいる毛の長い牛)に乗せながらベースキャンプへと向かった。いくら本人が一人で降れるから大丈夫だと言ったからといってそれを許したのはいけなかった。もし万が一、最悪の事態となってしまったら、私はマイラの奥さんと可愛い2人の娘になんてお詫びすればよいのか。心底反省させられた。またその頃、チョモランマのネパール側でキャンプ3付近から雪崩が発生しシェルパ一名が死亡したとの知らせが届いた。いよいよ牙をだしたな、と気持ちを引き締めなおした。 谷口けいちゃんはもう少し上部に残り高所順応したいとABCに残った。彼女はいつでも元気だ。ABCでは珍しく頭が痛いと訴えていたが、今ではケロッとしている。平賀淳くんとベースキャンプに戻り久々に5000Mの世界の高酸素に体を休めました。さらに5月3日から6日までチベット登山協会のランドクルーザーをチャータしシガール(4300m)の街まで降りた。ここまで降りてくればそれこそお風呂もあり、久々にお湯に浸かった。湿度のお陰で苦しい肺呼吸も少しはスムーズになった。7日にベースキャンプに戻り、10日にはABC。山頂アタック予定は5月16~20日です。 ...
ABCから眺めたチョモランマ. 安全祈願を行う. 安全祈願. 梯子をかけてクレパスを渡る. 氷柱と野口健. 野口健と氷柱. 氷柱群. 氷柱群の中を歩く野口 ノースコルを登る登山隊. ノースコルに向かう登山隊. ノースコルへ向かう野口. ノースコルへ向かう野口. ノースコルへ向かう野口. 吹雪の中の登山. まもなくノースコル到着. ノースコル到着! 左から平賀・谷口・野口・ラム. ノースコルの様子. ノースコルからチョモランマを眺める. ノースコルのテント内. ノースコルの夜. ...
5200mでの夜明けを待つ 5時半、チョモランマの頂に最初の朝日が当たる そして世界が朝に向かう この色の移り変わりを撮るために カメラマン淳くんは極寒の夜明け前、近くのモレーンまで カメラ機材を持って出かけた 早暁撮影 ダウンスーツを着て、まるで頂上アタックのスタイルだ 一時間もカメラを構えてじっとしていると 寒さが骨の髄までしみるに違いない 我々のベースキャンプに日が当たるのは、8時 一気に暑くなる 日焼け止めを塗り忘れようものなら ヒマラヤの強い紫外線にやられてしまうよ はーい、ドクター塗りましたぁ と淳くん 淳くん日焼け止め 昼間は日本との中継準備 衛星携帯電話のアンテナをセット 衛星電話からテレビ電話につなぎ、テレビ電話にビデオカメラをつなぐ 中継準備 一方で、別の衛星通信機器を使って パソコン上で日本の仲間と通信しながら、中継状態を確認する これらの通信機材に補給している電源は、ソーラーパネルからの充電による 富士電機さんの協力の下に作り出された丸めて持ち運びも簡単、 軽量で、濡れても大丈夫な一品なのだ 4月15日、富士山との同時清掃を中継 富士山側には160人の仲間が清掃に集まったとのこと 毎年、仲間が増えていることに ヒマラヤの空の下から感動する こちら 寒い風の中で、清掃と中継に協力してくれたのは我が隊のシェルパ達 いつもの通り、彼ら無くしては野口隊は成り立たないのだ 中継成功! 夜、5月末出版予定の本の原稿執筆をする健さん ベースキャンプを出発して上部キャンプへ向かう前に この原稿を書き終えるのだ、と頑張っている 酸素の薄いところで頭を使うのは、なかなか大変なはず 納得いかないところを何度も書き直している様子 健さん原稿を書く 無事書き終えた原稿、これから責任持って日本に送信します 本が無事に出版されることを祈って 4月16日谷口けい ...
早朝のチョモランマ 13日の金曜日、チョモランマ清掃開始。 10年前はゴミだらけだったベースキャンプにゴミが見当たらない。 地図を見ながら作戦会議 チョモランマをバックに清掃. それでも探してみるとベースキャンプの外れの岩の下やテントの影から段ボウル、缶詰、食器、医薬品などがでてきた。高山病の影響で顔が浮腫み、ボーとしながらも約1時間かけ50キロほどのゴミを回収。 薬品のビンを回収 約50キロのゴミ回収 明日は富士山・チョモランマ同時清掃活動の日だ。 若村麻由美さんが富士山清掃隊長を昨年に引き続き引き受けてくださりおかがで私は安心してチョモランマの活動に専念できる。若村麻由美さんと初めて富士山を清掃したのは確か2002年。それから環境仲間として共に活動を続けてきた。彼女が映画「蒼き狼~地果て海尽きるまで~」の撮影で半年ほどモンゴルに滞在されていたが、そこで気になったのがゴミ。ロケでどうしてもゴミがでてしまう。そして彼女は「日本人がモンゴルで撮影させて頂いているのにゴミをおいて帰るわけにはいかない」とスタッフなど関係者に呼びかけゴミ持ち帰り運動を行った。その話を聞いて僕はとても嬉しかったなぁ~。若村麻由美さんのように影響力のある方が呼びかけると広がりも早い。感謝です。 富士山とのテレビ中継 14日、富士山・チョモランマ同時清掃がスタートした。 驚いたのが富士山サイドでは160人以上の参加者が全国から集まったとのこと。これは昨年より多い。そして3トンほどのゴミを回収されたとの若村隊長の報告にまたまた驚いた。エベレストと富士山で衛星中継を行いこちらの画面に若村隊長そして参加者の方々の姿が映し出され、こんなに仲間がいるんだと心強かった。エベレストのような極地で活動を続けていると孤軍奮闘しているとの錯覚に陥る事があるけれどそんなことはない。頑張っているのは我々だけじゃない。160人以上もの仲間が同じ時に汗を流しゴミと格闘してくれた。そう思うと寒さで体は冷え切っていたが、心はポカポカに温まった。人の輪の広がりにこそ可能性を感じる。 富士山とチョモランマで共通しているのは、新しいゴミが少なくなってきたことだ。今日の若村隊長の報告では回収したゴミの大半が30年以上前に捨てられたものだという。古いものはしょうがない。 大切なことは新しいゴミがでないこと。ゴミを拾いながらゴミが捨てられない社会を作っていけばいい。 ゴミ拾いはそのきっかけになればいい。僕はそう思う。 さて、明日からは上部キャンプを目指してベースキャンプを出発する。 しばらくはベースキャンプに戻ってこれない。また明日から頭痛かぁ~。 富士山清掃に参加してくださったみなさん、そして若村隊長、富士山クラブのみなさん、本当にありがとうございました。次は富士山で会いましょう! ベースキャンプからのチョモランマ 富士山での清掃活動集合写真 富士山でのテレビ中継 ...
チョモランマを指差す野口 4月10日、チョモランマ・ベースキャンプ入り。ラサ~シガツェ~シガールを経由しベースキャンプ入りしたが、 ラサからチョモランマ・ベースキャンプまでの道のりの大半がアスファルトで舗装されておりビックリ。 私が最後に この道を通ったのが2001年だがあの頃はアスファルトなどあるはずもなく、まるで火星にやってきたかと錯覚してしまうほど がれ場、砂漠地帯だった。四輪駆動車はガタガタ道を埃を巻き上げながら走ったが、今ではすっかりと舗装道路。 チベットのど真ん中であろうが、さすが中国、人海戦術で道路を作り上げてしまう。来年の北京オリンピックではチョモランマを舞台に山頂まで聖火リレーするとのこと。噂ではチョモランマの山頂まで聖火を上げるようですが、聖火リレーの為に急いで道路を舗装したとのことです。東京オリンピックで新幹線を走らせた感覚なのでしょうか?恐るべし中国、勢いを感じますよ。ただその勢いが羨ましかったなぁ~。 中国版、池田勇人の「所得倍増計画」であり田中角栄の「日本列島改造論」なのだろう。懸念されるのは「日本列島改造論」では地方の経済力の向上、中央と地方の格差を圧縮させて、バランスがとれた国土発展を目指したものだが、しかし、業者が東京を中心に都市部での土地を買い漁り、結果的に大都市圏と地方の地価格差を拡大させてしまった。それが資産格差につながり、地方と都市部の経済力の差を生じてしまった。高度経済成長時代の中国。中国も同じ過ちを繰り返さなければいいのだが。 東京オリンピックの頃の日本も国民が一丸となって我武者羅に働き突き進んでいたのだろう。今の日本に最も欠けている部分かもしれない。日本もうかうかしていると一気に中国に越されるだろう。それもそうかもしれないけれど、世界的に経済発展を遂げるというテーマはとりあえず果たしたわけだから、次のステップとして日本が世界に対して何が出来、また何を求められているのか、その部分に向けて世界に存在感を示す段階じゃないだろうか。色々な分野があるのだろうが、環境問題でもチャンスがあるだろう。京都議定書の議長国でもあり、またアメリカが地球温暖化に対して熱心に取り組まない以上、その分、日本がリーダシップを発揮しなければならない。 特に中国の環境破壊は深刻。環境破壊の先輩国として同じ過ちを繰り返さないように彼らに環境技術を伝授しなければ、日本はアジアのリーダになれない。とにかくもっと必死にならないと・・・。最近よくスローライフなんて言葉を耳にするけれどまるでローマ帝国の末期状態。そんなのん気な事言っている場合じゃないだろうに・・・。 ベースキャンプ入りしてまた驚いたのが登山隊の多さ。中国隊は隊員、スタッフ総勢300人。来年に向けての準備とのこと。それ以外にもすでに24隊以上がベースキャンプ入りし、上部キャンプに荷揚げするヤク(高所に生息する毛の長い牛)が足りない。ノースコルという7000M地点のキャンプ地ではサクラの花見のように場所取りが行われているとのこと。世界最高峰はなんとも騒々しい。呆れ驚いたのがベースキャンプ入り口には売店がズラリとならび、シェルパの情報ではいかがわしい商いがディープに行われているようです。いやはや・・・。 それにしてもチョモランマはとてつもなく大きい。ネパール側からよりもチベット側からのほうが一段と大きく見える。まるで203高地の要塞のような威圧感。 チョモランマの雄姿 ヒマラヤ山脈 左端がチョモランマ 初チョモランマに興奮のけいちゃん ただ、登山家の血が騒ぎ出したのか夜は目が爛々と興奮状態、朝方まで眠れず。そしてヒマラヤ生活ではお決まりの頭痛。低酸素による高度障害。朝起きたら顔がパンパンに浮腫み、淳君と目があったら彼も苦しい夜を向かえた事が一目瞭然。その横でけいさんだけが一人元気。これからの二ヶ月間は低酸素障害との闘い。標高を上げればその分だけ容赦ない。この痛みとも仲良く付き合っていかなければならない。ただ、痛みを感じるのは生きている証拠。痛みを感じる度に生きていることを実感する瞬間でもある。考えてみればお金と時間をかけてわざわざ苦しみ、命まで賭けているのだから、悪趣味と言われれば確かにそんな気もしますが、ただこんな贅沢はないですよ。精一杯、とにかく精一杯、頑張ればいい。 4月15日は富士山との同時清掃。若村麻由美隊長、よろしく頼みます。 ...
ラサを出て三日目、ダート道の峠をランドクルーザーで越え ようやくチョモランマのベースキャンプにやって来た。 途中、5100mの峠にて初めてその姿を見た。 広大な砂漠のはるか向こうに、8848mの頂は君臨していた。 ネパール側からのエベレスト(サガルマータ)は幾度も見てきたけれど チベット側からのエベレスト(チョモランマ)は初めてなのだ。 全く景色が違う チベットの、どこまでも続く砂漠の台地の中から 突如その白い峰は聳え、見るものを圧倒させる。 5000mの高地で、カメラ機材を持って走る淳くん。 あれがチョモランマだよ、と健さん。 その右に見えるのがチョ・オユーで、その更に右がシシャパンマ どれも、かつて健さんが登った8000m峰だ。 ロンブク氷河のモレーンの末端に開けた台地に チョモランマのベースキャンプが設営された。 一日前に入っていたネパール隊員のラムちゃん以下、シェルパ達と 韓国隊員のリーさんと再会する。 5170mという標高に、早速うなだれる淳くんを うむ、そうだろ、辛いだろ と見守る健さん。 これからが、いよいよ生物の住まない世界での生活の始まりだ。 日本人メンバーが薄い酸素に順化するべくボーっと過ごす中、 シェルパ達はロープワーク(登攀のための技術)の練習をする 本日の先生はラムちゃん 毎日、生徒と先生を入れ替えて練習すれば、しっかり身に付くよ! 通信係としては、まず、ソーラーパネルを設置 カトマンズで購入したバッテリーと、 日本から持ってきている小型充電システムに充電する 強い日差しのおかげで、たっぷりのエネルギーをもらえる、 淳くんはカメラを回して編集も出来、 健さんは十分にパソコンを使って原稿も書けるというわけだ 偉大なる地球の自然に挑戦する以上、 偉大なる自然の恵みを有難く使わせてもらうこと、 そして自然を傷つけないことが、ここで始まる挑戦の第一歩 2007年4月11日 谷口けい ...
前回、年末年始の一ヶ月間ほどヒマラヤに滞在していたがその間一度も雪が降らなかった。ヒマラヤで真冬に雪が降らないのだから東京で降るわけもない。しかし、私が帰国してからネパールの首都であるカトマンズでは60数年ぶりに雪が降ったとのこと。降るべき場所で雪が降らないかと思えば イムジャ氷河...