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ヒマラヤ

2011/12/20

エベレスト・ヒマラヤ・マナスルカテゴリーの記事

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清掃登山や遠征などのヒマラヤに関連する記事です

エベレスト・ヒマラヤ・マナスル

ヒマラヤ

2008/01/06

カラパタール登頂  (ロブチェ村~カラパタール登頂~ディンボチ村)

1月6日、午前5時ロブチェ村スタート。舟津さん、羽月さんの二人は初ネパールでありながら、高山病にもかからず元気一杯。真横に流れるクンブ氷河 を眺めながら一歩、一歩、カラパタールへ向けて進む。途中、ドドドーンとヌプツェ峰の横っ腹から雪崩が発生。氷河上にいる時は雪崩の爆音に怯えるものの、 雪崩の危険性がない安全地帯では雪崩の姿に見とれ、また「凄いねぇ~」といった歓声があがるもの。 カラパタール・アタック中 カラパータル・山頂直下!もうちょいだ! プモリと野口健 午前11時半、カラパタール(5545M)登頂!さすがに最後の急斜面は皆で「ハァーハァー」と息が切れたが、振り返るとエベレストを中心に圧巻の景色。この絶景はご褒美だ。 山頂直下で雷鳥が何羽もやってきた。なんでこんなにも人を怖がらないのかなぁ~と思いきや、何の事はないシェルパ達が悪びれる事なくビスケットを砕いて雷鳥にあげていた。餌付けが習慣になっていたのだ。 雷鳥1 雷鳥2 バックにプモリ峰 シェルパ達に「野生動物に餌をあげるのはよくない」と伝えたものの、「何で?」と不思議がっていた。日本でも屋久島の屋久 鹿や日光のサルしかり、野生動物に餌を与えることで様々に問題が起きているが、何故にいけないのか意外と説明が簡単なようで難しい。シェルパ達も我々が喜 ぶと良かれとやっていること。そして確かにトレッカーも喜んでいる。だって僕だって雷鳥を身近に見れて密かに嬉しかったのも事実。指摘しづらいが、私を含 めトレッカーはちゃんとシェルパ達に伝えなければならない。 舟津さん、羽月さんは初めてのヒマラヤトレッキング。見るもの触るもの全てが初めてで新鮮。感動する二人の姿に16年前に 初めてヒマラヤに挑戦しカラパタールに登った時に感じたあのワクワク感を思い出し初心に戻らなきゃと感じていた。舟津さん、羽月さんの感動する姿に感動し ていた。人に感動を伝える事も悪くない。 カラパタール山頂にて カラパタール山頂にて 野口カメラマン 平賀山岳カメラマン エベレストをバックに 相棒のデェンディーと プモリと野口健 登頂後、トゥクラまで下った所で舟津さん、羽月さんと別れた。楽しかったカラパタールトレッキングもこれで終わり。これからは平賀カメラマンとシェルパ達と気を引き締めてアイランドピークの頂を目指す。 舟津さん・羽月さんとのお別れ   ...

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2008/01/05

土石流と共に消えた山小屋・トゥクラ村での洪水被害   1月5日、ペリチェ村~ロブチェ村(4950M)

ペリチェ村からロブチェ村に向かう途中にトゥクラ村があるが、到着して驚いたのが昨年まであった一軒の小屋が昨年夏(7月)の洪水によって流され跡 形も無くなっていた。このホームページでも連日紹介していますが、昨年の夏にエベレスト街道沿いは土砂崩れ、洪水の自然災害が相次いだ。朝日新聞の「地球 異変」特集である程度、クンブ地方で起きた水害による自然災害は知ってはいたが、いざ、現地入りしてみて予想以上に被害が大きく驚いた。昨年、春にガイド のアンドルジ・シェルパさんから洪水前のトゥクラ村の様子を撮影した写真を頂いたが、洪水後の写真と比較してみると川幅が倍近く拡大した事がわかる。 アンドルジ・シェルパ 洪水前写真(クリックしたら大きくなります) 洪水後 撮影1月5日(クリックしたら大きくなります) 洪水現場を指さす トゥクラ村の洪水跡地を見下ろして トゥクラ村に山小屋が2軒あり、そのうちの一軒が流された。助かった山小屋の従業員のキタップ・シングライさん(26)は「昨年の7月上旬の夜中に目の前 の川(クンブ氷河から流れる川)が突然、氾濫を起こした。そして1週間後に再び川が氾濫。水と共に大量の土砂が流れ込みトゥクラ村を襲ったんだ。全部で3 回、洪水がやってきた。隣の山小屋が目の前で流されていった。私の小屋も振動で揺れて怖かった」と興奮しながら我々に話してくれた。 キ タップ・シングライさんは「雨はそれほど降っていなかった。それなのになんで洪水が起きたのか分らないが、クンブ氷河の中の複数の水たまりが1つになって 一気に流れてきたとも聞いているけれど、それにしてもものすごい濁流だった。流れの勢いで私の頭以上の大きさの石が私の山小屋周辺にまで飛んできたよ」と 話していた。 トゥクラのキタップ・シングライさん 流された方の山小屋は私がよく利用させて頂いただけにショックだった。幸いな事に山小屋の主は無事であったのが救いだが。それにしてもクンブ氷 河には問題視されるほどの氷河湖はなかった。それにも関わらずこれだけの被害を引き起こした。仮にイムジャ氷河湖や世界最大級のツォ・ロルパ氷河湖が決壊 したらどうなるのか、想像しただけで背筋がぞっとする。事が起きる前になんとか対応しなければならないと、トゥクラ村に残された傷跡が我々に訴えているか のようであった。17時、我々、一行は無事にロブチェ村入り。明日、カラパタール登頂を目指す! ロブチェ村を目指して   ...

2008年冬ヒマラヤ, アジア・太平洋水サミット, ヒマラヤ, 地球温暖化, 氷河湖・水環境

2008/01/04

自然災害が相次ぐエベレスト街道

1 月 2 日、クムジュン村~パンボチェ村へ移動。途中、龍さん(橋本龍太郎元総理)のお墓があるタンボチェ村に立ち寄りお墓参り。龍さんに「新年明けましておめで とうございます。今年もよろしくお願いします」とご挨拶。そして「アジア・太平洋水サミット」のご報告を行った。「龍さんは納得していないかもしれません が、私は無力ながらも精一杯頑張りましたよ。野口君、君になにができるのかね!なんて言わないで下さいよ。それと、岳さん(橋本龍太郎氏の二男)は龍さん の後を引き継いで頑張っていますよ。この間、地元の方へ応援に行ってきました。みんなで支えますから安心してくださいね」と、久々に龍さんと再会し話が盛 り上がった。 龍さん 龍さん2  タンボチェ村の手前のプンキテンガ村を流れるドゥードゥコシ(ネパール語の意味で、ミルクのように白い川・ゴーキョレイ クとクンブ氷河(エベレストの氷河)、チョラレイク、イムジャ氷河から流れてくる川が交わったところ)の橋が昨年夏に水量が増し流されてしまったとのこ と。ガイドのアンドルジさんは「クンブ氷河やイムジャ氷河が溶け出しているために沢山の水が流れてきて橋が流されてしまった。こんなことは 20 年以上なかった。プンキテンガ村だけではなく、この上のペリチェ村、トゥクラ村でも同じような時季に橋が流された。昨年の夏は土砂崩れ、また川の水が増え て川岸が削られ複数の橋が流された。ヒマラヤの天気は年々おかしくなっている」と話していた。 プンキテンガの崩壊した橋 ペリチェの崩壊した橋 確かに私は 92 年からヒマラヤに通い続けてきたが、これだけまとまって自然災害が集中しているのは初めて。温暖化の影響だと懸念する声は大きいが科学的な根拠、因果関係 など分かっていないことが多い。しかし、私には氷河から流れ出す水の音が地球の悲鳴に聞こえてならない。地球の発するアラートに我々はもっと敏感にならな ければならない。 1 月 3 日、パンボチェ村~ペリチェ村に移動。アンドルジさんが話していた通りペリチェ村入口の橋が落ちており新しい橋が架けられていた。 1 月 4 日、高所順応を兼ねてパンボチェ村の裏山であるナガゾンピーク(5300 M )に登頂。カメラマンの平賀淳くんは風邪気味でペリチェ村にて休養。野口、舟津、羽月の 3 名とシェルパ 3 名がネパール時間 10 時半に登山開始、 15 時にナガゾンピークに登頂。雪をほとんど身にまとっていないマカルー峰が姿を現した。明日はロブチェ村へ。 6 日にカラパタール(5545 M )登頂予定。   ...

2008年冬ヒマラヤ, ヒマラヤ, 地球温暖化, 橋本龍太郎氏と, 氷河湖・水環境

2008/01/04

ヒマラヤ写真集

  アマダブラム タンボチェのお墓 クンデ土砂崩れの現場 ローツェのイエローバンド ヒマラヤの壁画1 ヒマラヤの壁画2 ヒマラヤの子供1 ヒマラヤの子供2 ヒマラヤの子供3 プンキテンガの崩壊した橋 プンキテンガの崩壊した橋 ミンマ・ドマ クンデの老婆 何気ない光景 夕日の輝くアマダブラム 荷を担ぐポーター 龍さん 龍さんと1 龍さんと2 ...

2008年冬ヒマラヤ, ヒマラヤ

2007/12/30

ネパール・ヒマラヤ入り 清掃キャラバン開始

12月25日、ヒマラヤに向けて出発(同行者・舟津宏昭[富士山クラブ]・平賀淳[自称山岳カメラマン]、羽月雅[友人])。今回の目的は昨年から 始めたエベレスト街道沿い(エベレスト山麓のシェルパの村々を繋いだ街道)の村々での清掃キャラバン、イムジャ氷河湖を含めた氷河湖の視察、アイランド ピーク(6198M)登頂、そして日本からの逃避。帰国予定は1月25日。    タイ王国経由で26日にネパールの首都であるカトマンズ入り。久々のカトマンズ。日本を離れホッとする。今年も一年、日本全国を飛び回った。多く の出会いあり、発見あり、しかし今までになく目まぐるしい一年でもあった。チョモランマ挑戦から環境学校、講演活動、出版(確かに生きる)、参院選への出 馬要請、ヒマラヤ山域(ネパール・バングラディシュ・ブータン)を訪れ気候変動による氷河の融解による被害の調査や訪れた各国元首級へアジア・太平洋水サ ミットの参加の呼びかけ、そしてアジア・太平洋水サミット開催と追われ続けた一年。時に私ごときの知能を遙かに超えた職責に荷が重くプレッシャーに押しつ ぶされそうにもなったが、どれもこれも誰かがやらなければならないこと。それならば自分がやらなければと自身の尻を叩き続けた一年間。 アジア・太平洋水サミットを終えた頃、ふと気が抜けたのか、張り詰めていた糸がプツンと切れたのか、それとも水サミットで勝手に抱いていた明確な目標設定、解決策にまで至らなかったことなど、自身の無力感に襲われたのか、ガクッと落ち込んでしまった。 それは自分でもコントロールできないほどにもろかった。そんな時に夜中に千葉の自宅まで駆けつけてくれ、朝方まで語り合ってくれた仲間がいた。こうして仲間に支えられてきた一年間でした。 ブログでは水サミットや外務省についてついつい感情的になって愚痴を書き込んでしまった未熟さに反省。そもそも2日間のサミットで全てが解決するものでは ない。サミットとは世界に問題提議し、そこからアクションを起こすものでしょう。日本水フォーラムの方々はサミット開催直前から閉会まで徹夜の日々。さぞ かしご苦労が絶えなかったでしょう。小生如きが愚痴っていてはいけない。外務省に対しても同じです。皆それぞれ色々と事情を抱えながら活動しているわけ で、こちらの思いを一方的にぶつけてはいけない。求められるのは連携なのだから。確かに水サミットで開いた穴は小さい。しかしこの小さな穴をどれだけ大き くする事ができるのか、水サミットでチャンスを頂いた私たちに与えられた使命です。   27日はICIMOD(国際総合山岳開発サンター・ヒマラヤの周辺8カ国でつくる研究機関で本部はカトマンズにある)のメンバーとネパール山岳協会会長の アンツェリン氏と水サミットを受けて今後の氷河湖対策についてミーティングを行った。ICIMODはアジア・太平洋水サミットの「ヒマラヤ地域における気 候変動」のセッションで一緒に発表した現場の仲間。来年春に大規模な氷河湖の調査を行うとのこと。「一緒に調査隊に参加しないかと」とお誘いを受けまし た。一致した意見は引き続き「現場からアクションを起こそう!」だった。 12月28日 カトマンズ~ルクラ(清掃キャラバン開始) エベレストの玄関口であるルクラへ。ガイドのアンドルジ・シェルパ(39才)と合流。ナムチェバザール村で山小屋を経営しているアンドルジ・シェルパは北 アルプスの燕岳(つばくろだけ)の燕山荘で山小屋経営の勉強している。アンドルジ・シェルパは「日本の山小屋はゴミの処理などに熱心。私たちは日本の山小 屋から学ぶべきことが多い」と話す。 29日、ナムチェバザール村(3440m)に到着。30日、ナムチェバザール村での清掃開始。   昨年、ナムチェバザール村で清掃活動を行った時に村人に参加を呼びかけたがなかなか集まらなかった。最終的には村の子どもたちが6人集まっ て参加してくれたが、印象的だったのが「ゴミを拾っているところをお父さんに見つかったら叩かれる」という言葉だった。ここでもカーストの問題があった。 しかし、今回は呼びかけをしていないのに清掃開始と同時に子供たちが集まってくれた。そして大きな変化はナムチェバザール村の青年会のメンバーが清掃活動 に加わったこと。村の若人達が「日本人が私たちの村を奇麗にしてくれている。とても感謝しています。私たちも一緒にゴミを拾います」と嬉しい言葉だった。 偶然であった日本人トレッカーの星野さんも参加してくださった。 星野さんは岐阜県にある高校の教員。星野さんは「観光だけで来ていたら気がつかなかった。清掃活動に参加してみてゴミの多さに驚いた。高校に戻ってこの経験を生徒たちに伝えたい」と話してくださった。 半日で大よそ300キロのゴミを回収。しかし、村はずれのゴミ捨て場にゴミを運んで驚いたのがこの一年間で集められた大量のゴミが処理されずに広範 囲に散乱していた。空き缶などの燃えないゴミの山。村人のゴミ、それ以上に登山隊やトレッカーのゴミが人目につかない場所に溢れていた。ゴミ回収はできる が、ゴミの処理が追いつかない。清掃隊一同、しばし呆然とそのゴミ処分場で言葉を失う。 富士山クラブの舟津さんは「空き缶などアルミやスチール、また金属など日本などでは集めればお金になる。ネパールでもゴミを再利用するシステムを作ってみ たら。例えば集めたアルミをインドに売るとか。そうすれば空き缶などを回収する人が増えるのでは」と村人に提案していた。   明日はクムジュン村へ移動。年明けの2008年1月1日はクムジュン村での清掃活動。年末年始はヒマラヤでの清掃です!   ...

2008年冬ヒマラヤ, ヒマラヤ, 清掃活動

2007/05/25

隊員レポートⅩ/最後のひとりごと

summit_keiチーム   summit_健さんチーム   終わった。終わっちゃった。 一人ごろりと横たわっていると、頭の中にぐるぐると想いが巡る。 8000mオーバーでの酸素。酸素、無酸素。 なんで私、酸素吸っちゃったんだろ。 なんで、って寒かったから。強い意志が無かったから。 大切な人たちに守られ過ぎていたから。   チベットの峠で   ピピン(ダイバー)はオードリーの挑戦を100%支持したがゆえにオードリーの命を亡くしてしまったけどあんなに私の無酸素を提案していたペンバは私を守りすぎて酸素を与えてくれちゃった。 あーあ、私の意志の弱さ。 一方で、そんなこと別にどうだっていいや、って思う。 有酸素だろうが無酸素だろうが、大した問題じゃないって気分なんだ。 そんなことよりも、大切な人たちと過ごした時間と空間のほうが重要なんだって。 山の高さも、空気の薄さも、登れたか登れないか、どうやって登ったかも、そんなこと他人には結局分からないことで、重要なのはそこに愛があるっていうことなんだと。 もみもみ?by健さん_かつてのサミットパートナーのアンダワと   誰と登ったか、 そこでどんな時を過ごしたか、 何を見たか、 何を聞いて何を感じたか、 それはそこにいた人にしか分かり得ない事で、 生も死も、苦しみも悲しみも喜びも、 それは全て自分のものでしかない。 summit_淳くん   きっと二度と来ないエベレスト、今年のチョモランマにはいろんな隊がいて いろんな人間模様と登攀スタイルがあったけど 私は野口隊のメンバーであったことを嬉しく思うし、 summit_淳くんカメラと   大好きな人達と登れたことに感謝したい。 一生に一度きりの体験だから。 summit_keiチーム   この二ヶ月間、限りなくあふれ出てきた笑いと、いっぱいの愛情に、 心からありがとうと言いたい。 楽しくて仕方の無かった素敵な日々が暮れてゆく。 日本に帰ったらきっとまた一人では眠れない。 あーあ、帰りたくないなー・・・ 下山時集合写真       さよならチョモランマ         2007年5月25日  満開のジャカランタが眼に眩しいカトマンズから 谷口けい ...

2007年エベレスト清掃登山, ヒマラヤ, レポート・インタビュー記事

2007/05/25

隊員レポートⅨ/野口隊の愉快な仲間達-シェルパ

チョモランマ登山の約一月半を共に過ごした 野口隊の大切な仲間、シェルパ達の話をなくしては終われない サーダー(シェルパ頭)のクリシナ・タマン 彼はシェルパ族ではないのだが、これまでも数々の登攀を健さんと行ってきた クールでインテリ、上部キャンプに歯ブラシを忘れるとショック大   クライミング・サーダーのペンバ・ドルジ・シェルパ これまでも清掃隊に4度参加、とても強い。茶目っ気があり、憎めない存在、隊員に対するケアは100%。サガルマータ(エベレスト・ネパール側)BC→頂上8時間10分登頂という世界記録保持者。今回は無酸素で、世界中の国旗を縫いつけたジャケットを着て登頂、世界平和を訴えた     アン・カジ・シェルパ 昨年のマナスル登頂に続き、野口隊に参加 カメラマン淳くんの右腕として活躍 とても気が利き、日本との中継の際は必ず助けてくれる、物真似が得意で特に淳くんの真似は絶品!     パルデン・シェルパ これまで野口隊に2度参加、やさしくておっとり型 普段はタンカ(仏教画)の絵描き、今回は絶対頂上まで行くのだと頑張った     カイラシュ・タマン これが最初で最後の高所遠征だと言っている、割り切り型都会派 テコンドーをやっていて体が出来ている、上部キャンプへの荷揚げのときは何時も一番だった レストの日は音楽がかかると踊りだし、夜は物まね芸人になる       オンチュウ・シェルパ 遠征は危険で大変だけれど、子供を学校に行かせるのは大変なんだ・・・ としみじみ語る奥さん想いの誠実派 マイペースで他のシェルパに流されない、最終キャンプへの荷揚げでは最強、そしてとても優しい       カジ・シェルパ 普段はMTBツーリングガイドなどを生業としている サイクル・カジの愛称で皆から慕われる最年長、しっかりしていて頼りがいがある オンチュウと並んで最終キャンプへの荷揚げでは最強だった     プルバ・テンジン・シェルパ(5男) ペンバ・ドルジの弟、弱冠18歳、初めてのエベレストにして2度登頂 素直で優しく、気が利いて、かつ精神的に強い 昨秋にプモリ遠征で、2番目の兄(彼も今回野口隊に参加する予定だった)を目の前で雪崩で亡くした そのプモリを、何度も何度も見つめながら登っていた姿が忘れられない *ちなみにペンバ・ドルジ(3男)ら兄弟は、今回別の隊に長男ペンバ・ギャルツェン、4男ニマ・ギャルツェンが参加していて、同じ山に4兄弟が一緒にいた。いずれもこれまで健さんと関わってきており、今回も強風で破壊された上部キャンプの再設営に協力してくれたりした。       2007年5月25日  谷口けい ...

2007年エベレスト清掃登山, ヒマラヤ, レポート・インタビュー記事

2007/05/21

隊員レポートⅧ/2007年チョモランマにて私が見たもの

初めてのチョモランマ(エベレスト・チベット側)そして、きっと二度と来ないはず BCとABCに初めて辿り着いた時、私は健さんに言った 「こんなに人が多いところ、私無理です。これが最後のエベレストにしましょう、健さん」 さすが世界で最もソラに近い山 ありとあらゆる種類の人間が一時一所に集まってきているのだった 大小30隊ほどの登山隊がいたが 驚いたのは、その中には私が想像した以上に多くの 各種公募隊が存在したこと 日本隊は我々野口隊を含めて5隊(N,O,P,Q,S) そのうち3隊が公募隊(P,Q,S) そのほかに国際公募隊(パーミッション共有隊)Aに参加している日本人2人 別の国際公募隊Rに参加している日本人5人 更に国際公募隊(パーミッション共有隊)Tに参加している日本人1人と出会った つまり、ほとんどが公募隊ではないか 登山活動が終わってみて、日記を書いていて気付いた事がある シェルパも含めた登山隊員が無傷で全員登頂したのは 自己流隊(つまり公募隊でない)の野口隊とO隊だけだった P隊は4人中登頂はサブガイド1人 Q隊は4人中登頂2人、1人死亡 S隊は3人中登頂1人 A隊の1人はC2にて死亡、よって1人は撤退 T隊の1人は早期下山 R隊は現在アタック中(既に1人は病気で下山) 公募隊に参加してるのは日本人ばかりではない どちらかというと、国際公募隊に参加している欧米諸国(南米やフィリピンも)が多い 必ずしも心が通じ合ったパートナーと登ることのできない 世界で最もソラに近い山 そこでは何が起きたって、おかしくは無いのかも知れない 公募隊に限ったことではないが 私が8848mの高みに行って帰ってくる間のほんの4日間のあいだに 三途の川の淵に立ったクライマー達にどれほど触れただろう C1で進退を考えている韓国隊員のシェルパ2人に呼ばれた 「命について考えるのは隊員だけじゃなくてシェルパも同じで、僕らにも家族がいるってことを彼に伝えてくれ」と C1→C2へ向かう途中で無線が入った 健さんが登頂後にQ隊の隊員死亡に遭遇、レスキュー&埋葬に尽力していた 健さんの性格からして、中途半端にそれを放棄するとは到底思えなかったが 「自分の酸素はあるの?!8500m以上の高みにそんなに長くいないで!分かってるよね」 更に健さんと共にいるはずのサーダーに 「健さんの酸素はちゃんとあるの?あなたを信じているからね!」 それしか無線を通じては言えなかった C2→C3へ向かう途中で、ソロ(個人)のMさんテントの存在が気になる 「Mさ~ん!」 と声をかけるが返事なし 結局彼は、このテントの中で亡くなっていた 8000mより上の世界、生と死の分岐点を行ったり来たりしている人たちとの遭遇 頂上直下で遅々として進まない韓国人、本人もシェルパも酸素が切れかかっていたのだ 我が隊のシェルパが有無を言わせず、余分にあった我々の酸素と取り替える 同じように、亡霊のようにフラフラと歩んでいたフィリピン人、 お茶とアミノバイタルを飲ませるが、逆に吐いてしまった 完全に高度にやられて、内蔵機能が低下していた 飲むことも食べることもできないのならば、エネルギーなんか生まれてこないのだ 夜が明けて世界が明るくなると、見えていなかったものが見えてくる 左に前々日亡くなった日本人、右に昨年(?)亡くなったインド人の遺体を見ながら雪壁を下っていく 第二ステップの下にも一昨年からの日本人の遺体 切れ落ちたスノーリッジをゆくと、前方に座り込んだ遺体か・・・ と思ったら立ち上がった 立ったり座ったりしている、気の触れたイタリア人だった ザックの中に半分以上入った酸素ボンベが入っているのに、酸素は無いとか何とか言っている 無理やりマスクを装着させて、酸素ボンベのレギュレーターを4l(max)出す ハーネスに結ばれているセイフティー用のスリング(紐)にカラビナがひとつもついていない いったいどこで失くしてきたのだ!カラビナをつけてあげて、セイフティーをつないで下らせる まるで歩けない、下るんじゃなくって、転がり滑り下りていく セイフティーが無かったら、今頃あちらの世界にひと飛びだ 更に下ると、シェルパのミンマが雪上にしゃがみ込んでいた 「僕らにも家族がいるんだ・・・」 と言っていたシェルパだ ちょっと疲れたから、と言うミンマだけれど心配になって 彼の酸素ボンベのレギュレーターを1.5l→2lに増やす 「さあ、下ろう」 C3に帰り着くと、酸素を吸ったままシェルパ達が寝転がっている 酸素を吸っているから死ぬことは無いだろうけど、この高さで昼寝は禁物なんじゃないのー と言いつつ、私も寝転がる つまり疲れているのだ、眠いのだ それでもこの高さに長居は無用、C3を撤収して更に下る また、出会ってしまった、生きることを放棄しつつある人 今にも足がもつれそうなオーストリア人女性だ しかもセイフティーのカラビナをロープに掛けていない 脳みそがとろけていそうな微笑で、私に 「あなた先に行きなさいよ」 と言ってくる 「あなた死にたくなかったらカラビナちゃんとロープに掛けなさい!カラビナ掛けるまで、私行かないよ」 しつこく押し問答をして、結局一緒にC2まで下りる C2まで行くと、知り合いの韓国隊が酸素ボンベを3本売ってくれと言ってくる なに?我々のC2にデポしてあった酸素は7本も盗まれちまって、もう無いよ! でも、C1にデポしてある酸素ボンベを3本譲る約束をする 健さんと無線で話して値段を決める あー、疲れたな そういえば頂上直下で韓国隊員とそのシェルパに与えた2本の酸素、あれもお金もらえるのかな こちらの判断で勝手に変えたものだから、仕方ないかな 人道的なことなので、健さん、かってにやっちゃったけど許してくれるよね 登山になかなか集中できない、不思議な山のおはなしでした   2007年5月21日  谷口けい ...

2007年エベレスト清掃登山, ヒマラヤ, レポート・インタビュー記事, 自己責任と危機管理

2007/05/21

チョモランマ挑戦を終えて

5月17日、1次隊に続き二次隊メンバーの谷口けい、パサンラム、そして4名のシェルパがチョモランマに登頂。これで野口隊は隊員、シェルパの全員(合計8人)がチョモランマに登頂を果たした。 登頂後、ベースキャンプに集合し互いの登頂を称えあった。 一人のけが人もださない完璧な成功に心から満足しています。 谷口けいさん、平賀淳くん、そしてシェルパ達、みな最高のパートナーでした。彼らとザイルを結び合えた幸運に感謝。野口隊を影ながら支えてくださった日本の関係者の方々にも感謝。 そしてホームページ等で応援メッセージを送ってくださった多くの方々も本当にありがとうございました。これでやっと日本に帰れます。  チョモランマへのリベンジは10年越しの夢でした。 チョモランマに対し自信を失っていた時期もありましたが、それでもリベンジをするんだと宣言し、実行して本当に良かった。 やはり失敗はそのままにしておいてはいけない。サハラ砂漠を単身で横断しようと果敢に挑みサハラに燃え尽きた上温湯隆氏が生前 「冒険とは、可能性への信仰である」 との言葉を残していますが、その言葉の意味、深さを改めて噛みしめています。 ネパール側、チベット側と両方からエベレストに登頂し、これでやっと両側がそろって私の中のエベレストが終わりました。色々な葛藤がありましたけれど、やってみるものです。諦めなければ不可能なことはない。 チョモランマ山頂では思わず 「アルピニストとしてやるべきことはやった。もう終わりにしたい」 と口走っていましたが、あれはちょっと早まったかな・・・。訂正があるとするのならば 「ラスト・チョモランマ」 であり 「ラスト・クライミング」 ではありません。今後、いかなる環境の変化が起ころうとも、アルピニストとしての活動は持続していきたい。  下山後、自身の足を撫でながら  「お前さん、よく頑張ってくれたなぁ。酷使しっぱなしで申し訳ない。でもありがとう。ご苦労さん」  と痩せ細った足を褒め労いました。 この10年間、休むことなくひたすら突っ走ってきた。そろそろ一息入れても罰は当たらないかな。充電期間が必要なようです。 次はどのような舞台で勝負するのかノンビリと旅でもしながら考えるのも悪くはない。体を休め気力、体力が回復したら次の夢に進みたい。     ...

2007年エベレスト清掃登山, ヒマラヤ

2007/05/17

チョモランマ登頂

5月14日、20時45分、チョモランマ、アタック開始。満天の星空に天に感謝。 真っ暗闇の中、ヘッドランプの光を頼りに黙々と登る。聞こえるのは酸素マスクからの 「スースー」といった酸素の流れる音とピッケルの「ガツ ガツ」と雪を突き刺す音のみ。 一歩一歩登りながらこの10年間の重みをひしひしと感じていた。  「チョモランマ」この言葉の響きにいつも囚われていたような気がする。サガルマータ(エベレストのネパール側)に登頂を果たしてもそれは変わることはなかった。   チョモランマ登頂   5月15日、午前8時10分、ペンバドルジ、クリシュナ、カイラシュ、アンカジ、パルデェン、平賀淳、そして野口健とチョモランマ登頂!山頂から日本に衛星電話をかけ、仲間の声が聞こえてきたら不意に涙が流れてしまった。   永かった10年間。チョモランマ遠征前は周囲から「あの多忙なスケジュールで満足なトレーニングもできていない。「登頂は難しいだろう」といった声が聞こえてきた。確かにほとんどトレーニングができないでいた。しかし、そのことを言い訳にはしたくなかった。言い訳を言い出したらきりがない。また最後のチョモランマ挑戦と公言していたので、もし登頂に失敗したらどうしようと不安で一杯だった。そんなことを言わなければよかったのにと後悔したこともあったが、それもこれも自分で決めたことだ。当たり前のことだが、自分で決め、公言したことは実現しなければならない。自分に負けてしまったら、それこそ終わり。  30分ほど山頂で景色を楽しみすぐに下山へ。山頂直下からマスク内の酸素の薄さが気になり、登頂したときには頭がガンガンと痛んだ。酸素を吸っていながら何故?とシェルパに 「酸素が漏れていないかなぁ~」 と相談したものの分からず。下山は山頂で一緒になった他の日本隊員と行動を共にした。 しかし、下山開始して30分ほどで彼の様子がおかしくなり、時に自らの頭をピッケルでコツコツと叩いていた。そして山頂直下で座り込んでしまい、話しかけているうちに 「う~ん」 と小さくうなり声を上げたかと思ったら頭をコクッと垂れてそのまま眠ってしまった。 一瞬なにがおきたか分からずシェルパ達とシーンとしてしまったが、次の瞬間に 「しまった!」 と彼の名前を呼び体を揺すったが反応なし。人工呼吸したくてもこちらも極度の酸欠のために息がだせない。 「あ~あ~」 と焦っているうちに死後硬直が始まってしまった。 あっという間の出来事だった。 彼は私とシェルパの腕の中で息を引き取ってしまった。その現実に脱力感に襲われたが、しかし、その現場は急な雪壁。せめて彼の遺体を少しでも降ろそうと100メートルほど滑り降ろした。そこでルートから2メートルほど離れた場所に遺体を固定。それが我々にできる精一杯のことだった。彼のシェルパが泣くので「お前の責任じゃない。これがチョモランマの世界だ」と慰めてみたが私も泣きたかった。 もっとも身近なところにいながら助けることができなかった。遺族の方々に申し訳ない気持ちで押しつぶされそうになった。 しかし気がつけば1時間以上もその場にいたわけで、山頂直下という場所を考えればすぐに下りなければならなかった。すでに酸素の残量も減っており、また私の酸素マスクが故障しているんじゃないかとマスクに不信感を抱いていたのでとにかく最終キャンプへと急いだ。 最後は三歩歩いては倒れ、立ち上がり、三歩歩いては倒れた。雪まみれになりながら最終キャンプに着いたのは午後6時過ぎ。 先に下山していた平賀淳くんに助けられながらテント内に。 しかし、胃痙攣が始まり吐き続け、次に呼吸困難に。 「あ~俺ももうここまでかぁ~」 と諦めかけそうになった。 その時にシェルパに 「酸素マスクを変えてくれ」 ととっさに頼んでいた。酸素マスクを交換してみたら「スー」と濃い酸素が肺に入ってくるのが分かった。 やはり酸素マスクが壊れていたのだ。それから3時間ほど静かにジーと酸素吸入した。少しづつだか体温が戻ってくるのが分かった。 そのまま翌朝を迎える。  ABCに戻るため午前9時過ぎにキャンプ3を下る。その瞬間に真横のテントのチェコ人が突然立ち上がりクルリと回ったかと思ったら雪の中に倒れこみそのまま息を引き取ってしまった。 あまりの呆気なさにみな唖然。死因は分からないが脳血栓だったのだろうか? フラフラしながらキャンプ2へ。そこで二次隊の谷口ケイさんとすれ違った。  「もう健さん、昨日は心配したよ!山頂直下で酸素が無くなったらどうするつもりだったの!でも登頂できてよかったね。おめでとう」  のケイさんの言葉が胸にジーンと響いた。  「次はケイちゃんだね。無事の登頂を祈るよ」  と別れた。午後7時過ぎ、なんとかABCにたどり着いたが、昨日のマスク故障による低酸素障害が深刻で一晩中、呼吸が安定せず、疲れて寝たくとも呼吸が止まっていることに気がつき慌てて起きる。    そしてウトウトするとまた呼吸が止まる。その繰り返し。 結局、ほとんど眠れず。苦しい夜だったが、ただこうして生きて生還できたことにひたすら感謝していた。チョモランマは遺体だらけの死の山だっただけに・・・。...

2007年エベレスト清掃登山, ヒマラヤ

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