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石川明人×野口健

第1回 石川明人×野口健 

石川明人×野口健

2013/03/08

第1回 石川明人×野口健 

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全寮制の立教英国学院で出会った二人が20年の歳月を経てこの度、再会した。お互い大学も社会に出てからも進む方向性が全く違う中で、彼らを引き合わせたのは、くしくも「戦争」というキーワードだった。

石川明人は立教英国学院を卒業後、立教大学文学部キリスト教学科に進学。宗教学を学ぶ中で戦争における従軍牧師の存在や軍事に関心を抱き、立教大を中退。北海道大学文学部哲学学科宗教学講座へと編入し、現在は北大大学院文学研究科宗教学インド哲学講座の助教の傍ら「戦争は人間的な営みである」‐戦争文化試論を発刊。

一方、野口健は立教英国学院を卒業後、一芸一能により亜細亜大学国際関係学部に進学。その後、8年間の学生生活の中でエベレスト登頂を含む、世界7大陸最高峰の登頂に成功し、1999年に世界最年少登頂記録を樹立。現在は、清掃活動、環境学校、遺骨収集など活動は多岐にわたる。

今回の対談では、戦争を知らない世代の二人が、一人は、学術的な観点から冷静な視点で戦争や軍事について考え、一人は戦争の現場に赴き、遺骨収集などの活動を通じて戦争について考える。20年の時を経て、お互いの知識と経験を感情的な議論ではなく、ある意味淡々と戦争理解について議論を深めていく。過ぎ去った歳月を感じさせない二人の間には、真剣に戦争に向き合う姿勢が垣間見える。


石川明人(いしかわ・あきと)

北海道大学大学院文学研究科助教。文学博士。

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1992年 立教英国学院(Rikkyo School in England)卒業
1995年 立教大学文学部キリスト教学科中退
1997年 北海道大学文学部哲学科宗教学講座卒業
2000年 北海道大学大学院 修士課程修了
2003年 同、博士後期課程 単位取得退学
2004年 博士(文学)
2003年7月~2004年3月 北海道大学大学院文学研究科文化価値論講座・助手
2004年4月~2007年3月 北海道大学大学院文学研究科宗教学インド哲学講座・助手
2007年4月~現在にいたる 北海道大学大学院文学研究科宗教学インド哲学講座・助教

20年ぶりの再会――年はとったけど仲間っていいもんだよね(笑)野口

石川) 僕らは全寮制の立教英国学院で出会った。中学3年の時のベッドルームは36人部屋だったと記憶している。広い部屋に二段ベッドがずらっと並んでいて、まさに軍隊の宿舎という感じだったね。

野口) 週末もまったく外に出られない、超厳しい全寮制だった。プライバシーなんてゼロ。学期の間、一人になれるのは、トイレの個室の中だけだったね。まぁ、人間はそれでもどうにかやっていけるんだ。あの生活のなかで一緒だった連中とは、何年間も会わなくても安心感があるし懐かしい。

石川) 高校2年か3年のときのある学期は、6人部屋で、その時の二段ベッドで、上が野口で下が僕という環境になった。ある日の夜中、寝ていたら、イビキがうるさいとか言われて、上の段から野口に顔を殴られて起こされて、頭にきたことを強烈に覚えている(笑)。翌朝、野口はヘラヘラ笑ってた(笑)。

野口) 本当は、殴ったのはあの一度じゃなかったけどね(笑)石川は本当にイビキがうるさくてさ。よく上の段から本かなんかで頭をコツコツと叩いたり、枕を引っ張ったりしたんだ。きっとバレたのがその一回だけだったんだな(笑)。

石川) ええと、中学校3年の時だったかな、それとも高校1年だったかな。国語の授業の課題で、クラス全員がペンネームで作文を書き、全員分をプリントにして配って読みあい、批評するというのがあった。ほとんどは誰が書いたかわからないんだけど、その中に「しらせ」というペンネームで山の話を書いた作文があった。あれは、明らかに野口だったよね。野口は成績は良くなかったけど(笑)、作文は圧倒的にうまかった。

野口) そうそう。確かに書いた記憶がある。いやぁ、よく覚えてるよね!!

石川) 全員がペンネームだから、それぞれ誰が書いたかは分からなかったんだけど、作者「しらせ」は登山の話だったから、みんな野口の書いたものだとわかっていたね。あれはなかなかの名文で、クラスの中でもダントツでよかった。あの頃から文章を書くのはうまかったってこと。だから今も、野口のどの著作を読んでも、とても納得が出来る。

野口) 漢字を書くのは苦手だったけどね......。あとは期末試験も辛い思い出ばかり(笑)。赤点を取るとよく生物室に「カンヅメ」になったなぁ。期末試験で40点以下をとると、生物室に閉じ込められて、先生から課題を与えられる。それを終わらせて、もう一度追試を受けて合格点を取るまで、何日も監禁されるんだよね......。それを「カンヅメ」といった。

石川) そうそう(笑)。お互い、生物室の「カンヅメ」の常連だった。僕はよく数学で赤点をとった。追試のために改めて内容をちゃんと理解するのが面倒だったので、僕はあのとき、課題と追試の模範解答をひたすら丸暗記した。解答用紙のこの欄はこの数字、この欄はこの数字、というふうにただ全てを丸暗記して100点近くをとった。人間は頑張れば、単なる数字と記号の羅列でもかなり大量に暗記できるものなのだ、ということを学んだ。

あと、高校生になってからだったかな、野口からさだまさしのカセットテープを借りて聴いたことがあった。それ以来、さだまさしのファンになって、いまでもよく聴いているよ。

野口) 「風に立つライオン」とか、「防人の歌」なんかいいよね!。「防人の歌」は、日露戦争の映画『二百三高地』の主題歌にもなったよね。

海外に居たからこそ、戦争が身近に感じた...(野口)

野口) 僕が立教英国学院にいる間、父親はイギリス、イタリア、イエメンと勤務地を転々としていた。それにそもそも全寮制だから、親子は離ればなれ。同じような境遇の子どもたちが多かったから、世界中のどこかに、誰かしらの親族がいるという学校だったね。

そんな状況だからこそ、例えば、チャウセスク政権崩壊直前のルーマニアで日本大使館に逃げ込む途中に狙撃されたバスに乗り込んでいたクラスメイトなんかもいた。湾岸戦争のとき、家族が戦地にいたという友達もいた。あと、チェルノブイリ原発事故の時などもそう。とにかく世界中で事件、事故が起こるたびに、学校の誰かの父親や、母親や、知り合いが、現場にいたね。

だからこそ、事件、事故、テロ、戦争に関しても、日本で普通に育った子どもたちとは少し違う感覚が自然に身に付いたのかもしれない。

石川) うん。高校時代の湾岸戦争のとき、ヒースロー空港にはサブマシンガンを抱えた警官がたくさんいた。終業式のとき、校長先生に、空港では爆弾テロがあるかもしれないから、ゴミ箱のそばなどには必要以上に近づくな、と言われたのをよく覚えている。親のいる国に帰るために飛行機チケットを買っていたのに、その航空会社がテロ予告を受けた関係で潰れてしまい、チケットがパーになった生徒もいたよね。

そういえば、野口の父親がイエメンにいた頃、そこで野口が実際に撃たせてもらったか、あるいは拾ったとか言って、新学期にカラシニコフの薬莢を学校に持ってきて見せてくれたことがあった。これが本物か、すげー、って思った。

野口) この石川の著書『戦争は人間的な営みである―戦争文化試論』が正直だと思ったのは「戦争や軍事には、人を魅了し惹きつける何かがある」と書かれている部分だね。

人を殺してはいけないというが、例えば、漫画の宇宙戦艦ヤマトだって、どれだけ「悪」や「敵」を殺しているかわからない。あの「波動砲」でどれだけ相手を一気に殺していたことか。そして最後に地球を守るために、ヤマトは敵の彗星だか宇宙船だかに、死を覚悟して突撃していこうとする。あれは「特攻」だよね。それを見て、自分は素直にかっこいいと思った。

石川) 子ども向けのアニメには、正義の味方が「悪」と戦うストーリーが多い。仮面ライダーや戦隊モノもそう。悪と戦う様子はカッコいい。その「勇気」とか「自己犠牲」とかの姿に憧れるんだよね。

戦争映画でも、派手な戦闘シーンを観ていると、僕らは悲しみを感じるよりも先にスゲーって思っちゃう。それに対して「不謹慎だ」とか言ったところで仕方がないのだと思う。リアルな戦闘シーンから受ける「戦慄」を、僕たちはうっかり「魅力」として受け取ってしまう。良いか悪いかは別にして、現に多くの人にそういう傾向があるものだ思う。

野口) ある学校で講演をした時に、「人を殺すのは全てにおいて本当に駄目か」を取り上げたことがある。

例えば、突然、刃物を持った男が現れて、今にも自分の子どもが殺されそうになったとする。僕は少し離れていて間に合いそうにないとして、仮に僕の手に拳銃があったとしたら、僕は迷わずその男を撃ち殺すだろう。でも、これも人殺しで殺人犯になる。最も守らなければならない者を守るために、相手を殺すことが全てにおいて悪と言い切れるのだろうか?

何をもって「悪」なのか? 目の前で自分の家族が殺されるのをボ~と眺めている事が非暴力で善だというのか? などを考えると、石川が本で書いている「愛や、希望や、真心や、正義感があるからこそ、人は命をかけて戦うことができ、戦争を正当化できてしまう」という表現は、ある意味本当にそうなんだと思った。

石川) あと「戦争」や「平和」を考えるうえで大事なのは、人間の理性や想像力には明らかに限界と矛盾がある、というのをわきまえることだと思う。

例えば以前、僕は鹿児島の「知覧特攻平和会館」を見学してきた。そこの奥には大きなテレビがあって、米軍が撮った特攻機の映像が流されている。観ていると、日本軍の特攻機が一直線に米軍の艦船に突っ込んでいくんだ。でもその特攻機は途中で迎撃されて、海に落ちて、巨大な水柱をたてる。ああ、いま特攻隊員が死んだんだ、うわぁぁ、って思う。だけど、すぐ次に、また別の角度から同じ船にもう一機がスーと突っ込んでいく。これを見ていると「おぉぉぉ、当たれぇ!」と思ってしまい、当たって米軍の船が爆発すると、「よし!」と思ってしまうんだ。平和を願っているつもりなのに、そう思ってしまう。そんな自分に気付いて怖くなる。

自分が抱いているつもりの思想と、実際の態度や感性とのあいだには、大きな矛盾がある、ということを認めざるをえない。「愛」とか「平和」についていろいろ考えているつもりでも、でも自分の理性とか想像力なんて、実はちゃちなものなんだな、って思わざるをえないんだ。

野口) そうだよね。普通そう思うよね。これは反対の話なんだけど、保坂正康(作家・評論家)さんのこんな話を読んだことがある。

保坂さんが小学生の時に、学校で戦争の記録映画を見に行った。太平洋での日本軍とアメリカ軍の戦いの白黒映像なんだけど、日本の特攻機が米艦隊の対空射撃によって撃墜されるシーンで、なんと後ろで拍手が起きたらしい。「えっ」と驚き、振り向いたら、なんとその拍手をしたのは、自分のクラスの先生だった。当時、そうした大人たちの姿をみて大変ショックだったと語っておられた。

そして映画が終わり、その先生から「戦争を仕掛けた日本が悪い。アメリカは正しい」と極端な二元論を教えられたらしい。「もちろん特攻はいかんよね。だって米軍が沢山死ぬから」って言われると、確かにそう思ってしまう子どもたちもいる。だからこそ、教育ってすごく難しいし、また怖いなと思った。

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平和とは、したたかに現実にこだわること(石川)

野口) よく「特攻」というと飛行機の体当たり攻撃を第一に連想しがちだけど、海の特攻も多かった。アメリカが日本の本土に上陸できるくらいの状態になった戦争末期に、人間魚雷「回天」が考案された。(人間魚雷回天について|野口健ブログ)

回天の乗組員たちの言葉に次のようなものがある。「日本はもう防波堤のない状態だった。もし本土で陸上決戦になれば、日本の国民も国土も文化も、全てが失われる。我々は命を失わなければならないが、その代わりに千倍、何千倍の日本人が生き残る。回天は非人道的な兵器ではなく、人道的な兵器だったと思っている」。

この表現からも、回天は一人の命のみを捨てて、その代わりに沢山の人を助ける本当の意味での人道的な兵器だと考えられていたことが良くわかる。少なくとも、こうした戦い方の背後には、人を殺したいという悪意だけがあったのではなくて、むしろ何かを守りたいという善意があったのだと思う。そこに悲劇の根本があるんだ。

石川) 戦争と平和について考える、というのは、その時代の価値観や、その時代の人々の佇まいを考える、ということでもあると思う。だから、いま僕らが戦争と平和について考えるならば、究極的には「自分自身」や「現代」そのものを見つめ抜くことが求められる。

もし現代の人たちが、戦国時代のように鎧兜を身にまとって刀と弓矢で戦うような「戦争」を念頭に「戦争反対」って叫ぶとしたらそれはナンセンスだよね。同じように、もしいま日本が戦争をするとしても、20世紀のような学徒出陣や銃剣突撃や特攻は、もうありえない。当時と今とでは、軍事技術も軍事行政も作戦用兵も違い、また何より、戦争に対する人々の価値観が違うから。

戦争は常にそれぞれの時代で新しいスタイルをとる。戦争に反対するならば、自分たちは今どういうスタイルの「戦争」に反対しているのかがわかっていなければおかしい。だからこそ、戦争や軍事の基礎知識は大事なんだ。そして戦争スタイルを決める要素の一つは人々の価値観だから、戦争や軍事の勉強は、究極的には、僕たち自身の人間観や世界観を問うことでもあると思う。

野口) 戦争は起こる。これまでの戦争とは少しずつ違った形でね。これに対して、偏った主義主張で論争するのではなく、冷静に分析して、どのようにつなげていくか、というのが大事なんだと思う。「戦争は駄目だよね」と言っているだけの社会の方が、実は戦争を繰り返すような気がする。

石川) そうだよね。例えばの話だけど、普通は交通事故や火事などに対して「交通事故反対」「火事反対」とデモをしたりはしない。交通事故を減らしたければ、「反対」と叫ぶ前に、自動車・道路、標識、信号機などについて、あるいは運転する人間の行動について、研究するしかない。同じように、戦争反対と言っているだけでは、意味がない。研究するしかないんだ。もちろんこれは、戦争を交通事故や火事と同レベルで扱っているのではなくて、「問題」に対する姿勢や態度そのものに関する話ね。

野口) 良くわかる。僕自身、違反切符を切られ、違反者講習を受けに行った際、なかなか怖いビデオを見せられた。お酒を飲んで人をひき殺す。しかし、加害者は保険にも入っておらず財産を全て取られ、一家離散。もちろん、交通事故であって、意図的に人を殺したわけではない悪意のない殺人だが、あまりにもリアルに描かれていて、運転の際には、飲まないのはもちろんのこと、事故をしないように気を付けようと、身を引き締めて運転をするように心がけるようになった。現場のリアルさって大事なんだよね。だからこそ、僕は現場に向かう。

年に数度、沖縄へ赴き洞窟の中で遺骨収集をしているが、壕の中には火炎放射器で焼かれている跡が沢山ある。更に、火炎放射器の影響なのか、背骨と御茶碗が熱でくっついた状態で出てきたこともあった。あまりにも生々しいものを見た瞬間、なんとなく、彼らの死に際を想像し戦争を感じる事が出来きるんだ。

小学校に講演に行って、遺骨収集の話をすると、子どもたちは聞いた事の無い話なので、グッと話にくらいついてくる。しかし講演会終了後、校長室などで「あの遺骨収集の話はいらなかった」と言われることがある。いろんな意見がある中で、それぞれが答えを探すことに意義があるのだと思うのだが......。

人間は、戦争に対する理解を怠ってきたからこそ、悲惨な戦争を繰り返してしまっているのではないかと思う。人を殺すことの意味、大切な何かを守りたいという一心で戦った人々がいたことなどを伝え、それについて考えさせることがなぜ駄目なのか、僕には理解できない。

石川) 学校という場で戦争の話をするとクレームが来る、というのはよくわかる。大学でも、「平和」については話していいけど、「戦争・軍事」の話なんてとんでもない、みたいな人はいまだにいるよ。だから僕は一部の人たちからは顰蹙をかっているみたい(笑)。自衛隊の広報官の方に頼まれて、学内に自衛隊関係の講演会などのポスターを貼っても、数日で誰かに剥がされて捨てられてたりする。あれは自衛隊に申し訳なくて辛くなる。

一部の自称平和主義者たちの「戦争」や「軍事」のイメージは、第二次大戦のそれでストップしているんじゃないかなと思う。戦争・軍事を全否定することが、すなわち平和主義者であることの証明になると思い込んでいるのかな。

野口) 学生は違うでしょ? 若い人たちは、非常にまともなセンスをしていると思う。沖縄での遺骨収集を企画すると、若い人たちがバイトしたお金をためて、参加してくる。彼らは戦争や平和について、偏見なくいろいろ考えている。極端な右翼とかではなくて、ただ単純に「平和」とか「人間の命」について考えている。

石川) そうだね。若い学生たちは、戦争や軍事にも健全に興味を持っている。目の前にある現実の問題だからね。野口の言うように、彼らには偏見がない。うちの大学の場合は、なぜだかわからないけど、文系よりも理系の学生の方が、僕のところに話をしにきたりメールをしてくる率がはるかに高い。僕は文学部所属だけど、工学部とか理学部とかの学生と飲みに行くことの方がずっと多いな(笑)

今の若者に対して伝えたいこと

石川) 自分は大学で教壇に立っているが、何も戦争や軍事の話をすることで、学生たちが、何か特別な行動を起こしたり、政治的な主張に目覚めたりすることを期待しているわけではない。

むしろ、なるべく常識人として生きて、普通に戦争のことや、軍事のことや、野口がやっているような遺骨収集のことを、そのまま事実として理解してくれれば十分。そして最終的には、「戦争」や「軍事」という窓をとおして、「人間とは何か」「社会とは何か」という根本について、再考するきっかけになればいいなと思っている。そうすれば、日本はますます良い国になるのではないかな。

野口) 今はインターネットで検索すれば、何でも見たり聞いたりすることの出来る便利な時代。でもアタマデッカチになりすぎず、まずは「現場」を見てほしい。「現場」に行けば、必ずそこで感じる事があるはず。そういう身体で感じる感覚というのを、僕たちはもっと大切にするべきだと思っている。

例えば、遺骨収集活動などは、現場で当時の戦争の事をリアルに知ることが出来る。文字や言葉にはならないものを、そこで感じることができ、それが大きなことなんだ。遺骨収集をすることで、戦争の悲惨さを理屈抜きに、感覚的に捉えることができる。是非体験してほしい。

石川明人著『戦争は人間的な営みである―戦争文化試論』に関して

野口) 日本人の多くは「戦争」と聞くと、感情的に「NO」となる。私は全国の有志の方々と沖縄県で遺骨収集活動を行っているが、この活動でさえ批判が相次ぐ。

この本の内容は、一昔前なら「タブー」だったと思う。最近はPKOや災害派遣で、人々の自衛隊への見方も変わったのかもしれないが、石川がもし50代・60代だったらもっと極論を書かざるを得なかったのではないだろうか。30代だからこそ、ストレートな主張でありながら、非常にバランス感覚の保たれた一冊になっている。

「本当に平和について議論をするのならば、軍事は文化であり、戦争は人間的な営みであることを、まずは素直に認めなければならない」という一文はとても大事だと思う。そう、軍事はしょせんは文化で、戦争もしょせんは人間的な営みなのだ。是非、多くの若い世代の方々にも読んでいただきたい。

 

最後にお互いに向けて印象&一言

石川) あいかわらず野口はいい男だな、と思いました(笑)。いや本当に。お互い離れて住んでいて、ずいぶん長いこと会っていなかったけれど、今日はなつかしい話もできて楽しかったです。野口の本もよく読んでいるよ。うちの母親も野口のファンです。いろいろ異なる意見の人はいるかもしれないけど、とにかく身体に気をつけて、これからもどんどん活躍してください。応援しているよ。

野口) 石川も日本のタブーに挑戦しているよね。勇気ある出版だと思う。そして今度は沖縄の現場にも来てよ。リアルが何よりも大事だと思う。調べて、想像して、講義をするのも大切だけど、現場に行くと新たな発見もあるだろうから。教育者としても、多くの学生に伝えてほしいな。そして現場で感じる言葉は、それを聞く学生たちにもスッと入っていくんだと思う。戦争の現場は難しいので、たまには沖縄の元現場にも足を運んでみて!!

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