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2009年冬ヒマラヤ , トレーニング・体調管理 , ヒマラヤ

アイランドピークにむけて ~ヒマラヤでの高所順応編~

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2009/01/20

アイランドピークにむけて ~ヒマラヤでの高所順応編~

ヒマラヤ登山のような高所での活動に必ず必要なのが高所順応。一気に標高を上げればどんなベテラン登山家でも高山病にやられてしまう。いわゆる低酸素障害です。エベレストでもよく慌てて山頂を狙って急激に登りポクッといく人を見かけたりする。急いで登れば命取りとなる。少しずつ登り、時に何往復もしながら、登ったり、下ったりと、この繰り返しで低酸素に体を慣らせていく。だからエベレストに登るのにザット2ヶ月間は必要となるのです。

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さて、今回のアイランドピーク挑戦はその順応する時間が極めて限られていた。これは完全に僕の初歩的なミスでしたが、日本出発が遅れた分、予備日がほとんど無くなってしまった。そして追い討ちをかけるかのように悪天候でエベレスト街道の玄関口ルクラ村行きの飛行機が一日遅れで飛んだこと。自然は人間に合わせてくれないのだから、時間的に余裕をもって挑戦しなければならないのに、40回ほどヒマラヤに通ってきた奢りなのか、気の緩みなのか、「まあ~なんとかなるよな」的な気持ちであったのも確か。この大いなる勘違いによって仲間の何人かが命を失い、また僕自身もギリギリのところでなんとか九死に一生を得て生還したことがあった。一概に言えないけれど、山の事故の大半は人災だと思っている。えてして判断ミスによって事故が起こるからだ。つまりは究極の自己責任が求められる世界です。

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おい!平賀!寒いから早く撮影してよ!

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おっ!この渋さ、高倉健さんに近づいてきた!

アイランドピークを目指すキャラバン中にこれらの事を1つ1つ思いだし、「あ~俺も勘違いヤローだ」とちゃんと自覚できた事が唯一の救いだった。時間の余裕がないなか、通常、順応の為に二泊するナムチェバザール村を一泊にし、変わりにクムジュン村で一泊。そこからパンボチェ村へ。4300メートルのディンボチェ村には連泊し、二日目は裏山のナガゾンピーク(5100メートル)に登るつもりであったが、便秘がひどく下剤を飲んだら今度は効きすぎて止まらなくなり、脱水症状となったのか、立ちくらみなど具合が悪くなり、一日一人寝袋の中でお腹を摩りながら横になってはトイレに駆けつけていた。

これで貴重な高所順応の機会を1つ潰してしまった。この便秘ですが、かれこれ3年ほど前から始まり、徐々に重症となり、ついに自力で排便するのが困難となった。そこでコーラックさんと出会いここまでなんとか生き延びてきましたが、便秘というものは実にシンドイです。

「腹の中に居るのは分かっている。観念して出てきなさい」とトイレの中で踏ん張りながらお腹に向かって声を上げるのだが「シーン」と立てこもっている。「無駄な抵抗はやめなさい。あなた方は完全に包囲されている!」ともう一度忠告する。それでも進展がない場合、最終手段としての実力行使。コーラック部隊を投入させるのだ。半日後には腸がグルグルと音を立て、立てこもり犯をギュギュとねじりながら粉砕する。この腸のギュルギュル攻撃の震動は凄まじく、時に唸り声を上げてしまう。立てこもり犯との交戦が続き、そこでついに壊滅された立てこもり犯がいてもたってもいられずついに投降するわけだが、この攻防の繰り返しは大変です。特に高所では体力の消耗が激しい。限られた高所順応日が一日潰れてしまった。

そしてアイランドピークまでのキャラバン最後となるチュクン村へ。朝一、ディンボチェ村を出発し11時過ぎチュクン村到着。昼食をとり、すぐにチュクンリー(5500メートル)という裏山に登る。最初で最後の高所順応登山である。ここで最低限の高所順応を済ませたい。一歩一歩登りながら後頭部が重たくなっていく。ただ、山頂付近に到達した時の、あの目の前にドカンと現れるローツェ南壁の威圧感にしばし圧倒され頭痛を忘れていた。平賀カメラマンが張り切って「野口さん、撮影しますよ!」と、「その岩の上に立ってください」と一人元気。風が強く寒くて仕方ない。「おい、淳、もう寒いから下ろう」と。それでも「余裕のあるうちに抑えておいた方がいいですから。ハイ、あっちの方を眺めてください。あっ!いいですねぇ」といつもの調子である。ついつい乗せられてモデル気分である。豚もおだてられれば木に登る。まぁ~そんなものなのかもしれない。

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チュクンリー山頂で撮影するふりをする平賀カメラマン

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やはり、足は長かった

チュクンリー登山を終え、チュクン村の山小屋に戻ったら韓国人の団体客がダイニングを占領していた。30~40人はいたであろうか。驚いたのが中学・高校生の修学旅行とのこと。修学旅行でエベレスト街道までやってくる。日本ではあり得ないだろう。大韓航空が週2回カトマンズまで飛んでくるようになったのが影響しているのだろうが、エベレスト街道は韓国人トレッカーだらけ。韓国人トレッカーは黒い衣服を好み皆が皆、全身黒ずくめで、その集団を見たシェルパ達は「カラスの群」と表現していた。

韓国人トレッカーには若い人が多い。日本人トレッカーといえばオーバー60。中高年を越えたいわゆる高齢者が目立つ。75歳でもエベレストに登る時代だから、また特に日本の高齢者は足腰が強い。さすが戦後の日本を立て直しただけあって精神的にもタフです。

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渋めに演出してみましたが、似合いますか

それはそれで大変結構なことですが、問題は日本の若者たちです。男だか女だか分からない男が増えた。ナヨっとしていて、ピンタの一発でも食らわせようものなら泣き出しそうな男が多い。そして実に内向的。世界を見ようとしなくなっている。最近では世界を旅するよりも国内の温泉宿に泊まり一日中温泉に浸かってポケーとしている学生諸君が増えたとか。温泉旅館の女将さんが「私たちはそのような学生をポケー族と呼んでいますが、学生さんのお客さんが増えました。本当に一日中、温泉でポケーとしているんですよ」と話していた。

まあ~どうでもいいような話ですが、ただ1つ懸念すべきは学生含め若者たちから、エネルギー、独自性なるものを感じなくなっていました。それでいて口だけはペラペラと達者。小学生に「将来何になりたいの?」って聞けば「公務員がいい。だって倒産しないもん」と即答される時代だから無理もないのかもしれないが・・・。ヒマラヤにやってくる韓国の子どもたちが私にはとても逞しく見えたと同時に、うかうかしているうちに日本はあらゆる面で周辺諸国に追い越されてしまう、いや、もうすでにそうなりつつあることに危機感をひしひしと感じていた。
日本の子供たちにもヒマラヤを経験させたい。人生観が変わるだろうなぁ~と韓国の子供たちを眺めながら感じていた。

次回はアイランドピーク登頂についてレポートします。

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