本日の産経新聞に【野口健の直球&曲球】が掲載されました。シェルパ基金第1期生との再会を書きました。ぜひ、ご覧下さい。
2018年11月29日産経新聞
大切なことを気づかせてくれた「シェルパ基金」
講演終了後、1人のネパール人青年が控室に訪れて僕を驚かせた。パサン・リンジ。約10年ぶりの予期せぬ場所(日本)での再会に驚きと喜びで気がついたら手を握っていた。僕が初めて彼に会ったのは、彼が8歳の時だ。
パサン・リンジの父親は、シェルパとしてエベレスト清掃隊を支えてくれていた。しかし、体調不良が続き、翌年のエベレスト清掃隊の参加を見送っていた。しかし、彼は他の登山隊でヒマラヤに向かい遠征中に病死。訃報はエベレストの僕の元にも届き、愕然(がくぜん)とさせられた。「しまった...僕の隊にいればケアができたはず」と、後悔の念に駆られた。シェルパたちは、家族を養うために過酷なヒマラヤ登山を続けている。体調不良だからといって、簡単に休めるはずがなかったのだ。
その翌年(2002年)から、ヒマラヤで犠牲となったシェルパの遺児への教育支援を目的とした「シェルパ基金」を設立。パサン・リンジは、シェルパ基金の第1期生としてカトマンズの学校に入学した。ヒマラヤでは毎年、何人ものシェルパたちが山で命を落とす。その度にシェルパ基金でサポートする子供が増え続けた。彼らの成長を見守りながら「この活動は途中でやめるわけにはいかない」と責任の重さを感じていた。
資金集めは簡単ではなく、大変な時もあったが、うれしいことの方が多い。彼らに共通するのは、学ぶことをとても喜んでいたこと。目をキラキラと輝かせながら教室に入っていく姿に、学校に通えることが当たり前で「恵まれていることにすら気がつかなかった」自分の子供時代を振り返っていた。
日本で再会したパサン・リンジは「すぐに健さんに会いたかったけど、日本語を話せるようになるまで、我慢していたよ。僕の日本語を聞いてほしかったから。まだ学生だけれど日本で一生懸命学んで、将来、ネパールのために働きたい。あなたのシェルパ基金のおかげです」ときれいな日本語で話してくれた。
僕のほうこそ「大切なことを気づかせてくれて、ありがとう」と心の奥底から感謝していた。