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夢に向かって~ネパール人青年ウパカルの歩み~ 第7章 災害を体験して思う

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2020/11/26

夢に向かって~ネパール人青年ウパカルの歩み~ 第7章 災害を体験して思う

2018年7月、西日本豪雨が岡山を襲った。恐怖を感じるほどの強雨の夜をやり過ごし、明るくなってからウパカルは少し高台まで登った。そして、絶句することになる......。川が決壊し、眼下の街が茶色の海になっていたのだ。家に戻ってテレビをつけると、以前住んでいた倉敷市は、さらに被害がひどかった。東北大震災の津波を思い起こさせるほどに、町が茶色の海へと変わっていた。
その後水は引いていったが、報道される死者の数はどんどん増えていく。いてもたってもいられず、真備町へ。そこは、すべてが泥に埋まっていた。家の中の泥を書き出し、荷物を運び出す。
多くのボランティアの方々が、見知らぬ人の家や建物の中で、全力を尽くしていた。
野口もそこに駆け付けた。彼が連れて来たボランティアは、2年前に熊本大震災で被害を受けた人達だった。見知らぬ人同士がチームを組み、声を掛け合いながら、泥と格闘した。
暑い日差しの中、皆で汗をかいていたその時、ウパカルは自分がネパール人だということを忘れていた。周りの人達も、ウパカルをネパール人だと意識することはなかっただろう。そこには出身地も、身分も、育ちも関係がなかった。
現場で一生懸命に考え、全力で行動している時、人は「差」など考えないのだ。そして、それが、人本来の姿なのだろう。

西日本豪雨から人々が日常を取り戻すようになってくると、ウパカルもホテルの業務に再び集中し始めた。働きはじめて3年が経過したウパカルは、インバウンド課のチーフを言い渡された。海外からお客様を呼び込む企画作りは、それまでホテルは行っておらず、全てが手探り状態。しかも京都と広島に挟まれた岡山は、両都市に比べて観光地が少ないというハンデがある。「通過点」としてとらえられてしまっているこの場所で、出来ることを考えなくてはならない。
幸い歴史を感じられる建物や、おいしい日本食の店はあった。「どの観光地に行くか」ではなく、お客様一人ひとりの「何がしたいか」を知ることができれば、それに合わせたアレンジは可能だ。ウパカルはホテルという枠にとらわれず、勤務時間外にお客様の希望する場所までアテンドした。
倉敷美観地区は京都や大阪に比べるとマイナーな観光地だったが、ウパカルが大好きな古い建物が残っている。そこをお客様に案内しているときは、特に笑顔になれた。ガイドブックには出ていない街並みに向かって、シャッターを切るお客様たち。「あなたも写真に入って」と言われることもあった。そして、
「素敵な出会いをありがとう。また日本に来るときには必ずあなたに会いに来るわ」
と言われ、ハグして別れたことも。ウパカルは、その時強く思った。キャリアや立場なんて関係がないのだと。ひとりのホテルマンとして、お客様に何をすることがベストなのかを考え、行動することが大切なのだと。
それは、ボランティアで覚えた感情と、非常に良く似ているものだった。ウパカルは、この感情を忘れたくないと思った。そして、それをネパールの友人たちにも伝えたいと思った。僕たちは、世界の人々と対等に渡りあえるのだ。

2018年西日本豪雨で大きな被害を被った真備町でボランティア2018年西日本豪雨で大きな被害を被った真備町でボランティア

2018年西日本豪雨真備町ボランティア活動2018年西日本豪雨真備町ボランティア活動

写真 ウパカル 文責 大石昭弘

野口健が理事長を務める認定NPO法人ピーク・エイドでは、ネパールポカラ村の小学校支援を行っています。

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