産経新聞の連載が掲載されました。
2024年1月18日 産経新聞掲載
「もう寒くてこのままじゃ死んじゃうよ。夜が来るのが怖いんだ。早く寝袋を届けてください」―。能登半島地震の被災地から僕に届いた悲痛な叫びだった。震災から3日後に「被災地に寝袋を届けるプロジェクト」を始動。5日には一緒に災害支援活動を行ってきた岡山県総社市の片岡聡一市長とともに、冬山用寝袋の寄付を求める記者会見を開いた。その結果、多くの方が協力を申し出てくださり、義援金も集まった。ところが、正月休みで物流に遅れが生じ、お金はあるのに寝袋が買えないのだ。やっと正月休みが終わったかと思えば今度は3連休。そんな状況の中で寄せられたのが冒頭のメッセージだった。あまりに申し訳なくて涙が出た。
僕らの1日と被災者の1日はまるで違う。大切な家族や家を失った人もいる。心身ともに疲れ果て、やっとの思いで避難所にたどりついたのだ。そのことをわれわれはリアルに想像する必要がある。冷え切った真っ暗闇の中、朝が来るのをガタガタと震えながら待つことの壮絶さを...。
こうした状況が何日も続けば気持ちが切れてしまい、災害関連死につながってしまうこともあるのだ。だから一日も早く寝袋を届けなければならない。多くの生命が危機にさらされている非常事態において、関係者は連休を返上するぐらいの気迫が必要だったのではないか。この国で生きていく限り、災害は「明日はわが身」なのだから。
11日に、ようやく約2000個の寝袋を届けるため被災地入りすることができた。そこで僕が見たのは、先の大戦の東京大空襲の記録写真さながらの壮絶さだった。長い歴史の積み重ねによって築き上げてきた街が一瞬にして破壊されてしまった人々の悲しみや怒りが僕の体にも刻まれてゆく。僕は途方にくれ、無力感にも襲われた。
しかし、だ。この国には約1億2千万もの人がいるではないか。一人一人がひとつでも〝背負って〟いけば何かできるのではないか。これからも襲ってくるであろう国難に立ち向かっていけるのではないか。そう信じて今日も僕は寝袋を被災地に運ぶ。
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