2012年マナスル・ムスタン登山

2012/04/25

雪の砂丘で深呼吸

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午前4時起床。深夜まで降り続けていた雪が止み満点の星空。5200Mを超えるラルケ峠を越える日に晴天。ヒマラヤの神に感謝。パっと朝食をとり午前5時過ぎには出発。4200M地点のキャンプ地からラルケ峠まではまるで雪の砂丘のような一面が銀世界。その雪の砂丘を一歩一歩前へ前へと進み、1つの丘を越えてみても、その先に永遠と続く雪の砂丘。その雪の砂丘の真ん中にポツンとしているとまるで時が止まってしまっているかのような、そして「ここは何処?」「これからどこに向かうの?」と。そんな不思議な世界。

途中、1時の方向に聳える雄大なラルケ峰の美しさにハッとし足を休め眺めていた。登りたくなる山と言うものには時に理屈や理性を必要としない。出会ったその瞬間に惚れてしまうもの。社会的な意義や、また記録なんてものはもうどうでもいいような。いわゆる一目ぼれ。異性に対するそれと同じで、一度一目ぼれしてしまえば、その時から新たな旅が始まる。それは挑戦であり、また冒険でも。

そしてそんな時に頭の中をそよ風のように流れるのが亮さんの歌声。

太陽系から飛び出して、もう少し力抜いて、新しい風なら体で感じるんだ。
運命線からはみ出して、もう少し自由になって名もない星座も名もない星になる。
太陽系から飛び出して、もう少し胸を張って新しい風ならそこから吹くのさ。
運命線からはみ出して、小さな息吹を感じて名もない星座の名もない星になり。

本当にそう。たまに両手を思いっきり広げてみて、そして思いっきり「深呼吸」してみるのもいい。理屈や理性、また求められている役割や責任から離れ、まっさらな世界を求めヒマラヤで山旅をしているのかもしれない。だとするのならばヒマラヤはやはり僕にとって逃避行?でもそんな逃避行の旅から新たな責任が生まれてみたり。矛盾していやしないかと。いや、人生そのものが時に矛盾の連鎖さ、などとそんな事をうそぶきながら歩いているうちにラルケ峠を越えていた。

つい先日まで悪天候続きであったマナスル山群。もし吹雪の中、この広い雪原を進まなければならなかったと考えただけでゾッとさせられた。再びヒマラヤの神に感謝。

ラルケ峠(5200M)を越えたら一気に1500Mを下る。これがツルツルと滑る状況の悪い雪ときた。場所によってはベチョついた雪の下に隠れている氷。そのイヤラシイ雪の急斜面を下っている最中に後ろにいる平賀カメラマンが「あっ!」と悲鳴を上げるので何事かと振り向いたら横にある氷河から雪崩が。

その流れの方向性からしてこちらに向かって来ることはないものの、それでも恐怖のセンサーが全身で反応している。特に昨年のエベレストで雪崩に遭遇してからはどうしたって敏感になるもの。突如危機が迫ってくるあの瞬間に、ピンと全身の神経が引き締まり、瞬時に全細胞までもが戦闘態勢に入るあの時こそが「生きているんだ」ということを感覚的に捉える瞬間であったり。

生きているからこそ死の恐怖も感じる。いや、死を感じなければひょっとすると「生」を感じづらいのかもしれない。約10時間かけて峠の反対側のキャンプサイトまで下る。荷を下ろし草原にゴロリン。真っ青な空に雲が流れている。そんな当たり前の景色も今日はなんとも心地よい。

山小屋からビールを購入。そして平賀カメラマンやシェルパたちと乾杯。この瞬間がたまらない。そして明日も一から頑張ろう!という気持ちになる。特にキャラバン生活は毎日が移動の日々。その日、その日を精一杯生きる。こういうのを最高の贅沢と呼ぶのだろう。

ビールを飲みながらシェルパの一人が言った。「数日前にこのラルケ峠で一人が犠牲になった」と。さほど驚きもしなかった。雪の状況によってはあり得る事だ。気を抜けば落とし穴は何処にでも待ち受けている。それは何も山に限った事でもなく、都会とて同じこと。さて、明日からはサリバン峰へ向けて歩き出す。さあ、この旅の第二ステージの始まり。

2012年4月18日  ビンタン村にて 野口健

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