2007年エベレスト清掃登山 , ヒマラヤ , 橋本龍太郎氏と

2007/03/30

橋本龍太郎氏の慰霊碑

エベレストが見渡せるタンボチェ村にて橋本龍太郎氏の慰霊碑が建てられ、3月30日に
橋本久美子夫人、長男の橋本龍さん、歌手のジュディ・オングさん、橋本龍太郎さんの山仲間の石黒ご夫妻、大河原ご夫妻、そして私が参加してしめやかに式典が行われた。

 


慰霊碑建立式典

 


   ジュディ・オングさんは橋本龍太郎さんと共にカトマンズのカンティ小児病院支援を行ってきた。病院には龍太郎さんとジュディ・オングさんの写真がいまでも病室にかけられている。石黒さんは73年のRCC隊で加藤保夫さんとエベレスト登頂。その時の名誉隊長が橋本龍太郎さん。大河原ご夫妻はカトマンズ在住でヒマラヤンジャーニーという旅行代理店のオーナー。石黒さんと同様に山仲間でありネパール仲間。龍太郎さんの大切な仲間達に囲まれながらの式典は仰々しくなくてとても龍太郎さんらしかった。

 


左から大河原夫人・龍さん・野口・橋本久美子夫人・ジュディ・オングさん、石黒ご夫妻


長男の龍さんと

 龍太郎さんが亡くなって約9ヶ月。未だに胸の中に大きな穴が開き、風邪がピューピューと音をたてて通り過ぎていくような深い悲しみに襲われることがある。私にとっては大きな心の支えであったし、なによりも大好きな人でした。昨年のマナスル遠征中もベースキャンプのパソコンに龍太郎さんからのメールがいくつも届いた。「雪崩に気をつけろ」「体調は悪くないか」「無理していないか」などと。帰国して龍太郎さんに真っ先に会うのがなによりもの楽しみだった。
ヒマラヤから帰国して龍太郎さんに連絡しようかと思ったその矢先に倒れられ入院。ただ、当初はそれほど重病だとは思わず前回の心臓に比べたら大丈夫だろうとそれほど心配していなかった。しかし龍太郎さんが亡くなる前日のこと。深夜12時過ぎに、富士山の清掃活動のため山梨県に向けて移動中に突然胸騒ぎがした。これは龍太郎さんになにかが起こると嫌な予感がし、慌てて龍太郎さんの秘書や事務所に連絡するが繋がらない、入院している病院も分からず、知り合いの新聞記者に連絡し入院先を調べて頂き、直行。病院の受付で橋本龍太郎氏の病室は?と尋ねても「面会謝絶です」と教えてくれない。勝手にエレベータに乗り込み適当に確か7階辺りで降り、看護婦さんに「登山家の野口ですが、橋本先生の秘書から至急来なさいと連絡がありまして」と話したら龍太郎さんのご長男の龍さんの元に案内された。その時の龍さんの表情を見た瞬間にアーと全身に力が抜けていくのが分かった。そして龍さんから「父は危篤です。ずっと意識不明です・・・」と告げられた。放心状態のまま次の日の富士山清掃活動の為に山梨に再び戻り龍太郎さんの死を知ったのは樹海での清掃中。あまりにも突然だった

 あれから9ヶ月。長いようで短いようで、とても辛い時間でもあった。定期的に青山墓地に龍太郎さんに会いに行く。お墓の前で龍太郎さんに話しかける時間が好き。タンボチェ村の龍太郎さんの慰霊碑にも話しかけていた。「龍さん、万が一、エベレストから帰ってこられなかったら僕のお墓、龍さんの横に建てていいかな」と話しかけたら「ダメだ。お前にはやらなければならないことがたくさんある。こっちには来るな!」と怒られてしまった。
私がやらなければならないこと。確かにたくさんあるな。だから龍太郎さんに「分かりました。ただいずれは横に建てさせて頂きます。そしてまた思いっきり議論しましょう!」と別れを告げてタンボチェ村から降りてきた。これから始まるエベレスト挑戦。私の手には一本の古い木製のピッケルがある。龍太郎さん愛用のこのピッケルで私はエベレスト山頂を目指す。


龍さんに語りかける

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