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2008/08/16
「終戦日」ではなく「敗戦日」とするべき
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8月15日になるとマスコミ各社は「終戦日」「終戦争記念日」と表現されるが、「終戦」なる表現はどうなのだろうか。私はこの中途半端な表現に違和感を覚える。これでは戦争に勝ったのか、負けたのか分かりにくい。今年3月のフィリピンでの遺骨調査活動をきっかけに先の大戦について私なりに知ろうと努力してきた。もちろん、文献であったり、知覧などの現場を訪れたりと限りがありますが、それでも私なりに多くの事を感じてきた。そしてなんて戦略のない無謀な戦争だったのかと驚きまた悲しくなる。私が訪れたフィリピンの戦地も攻めるだけ攻め、満足な補給もなく、最後は「玉砕せよ」といった戦略として成り立たない作戦が各地で繰り広げられた。
2008年3月 セブ島での遺骨調査に参加
私の祖父、野口省己は参謀としてインパール作戦に参加していたが、生前「司令官の牟田口だけは許せない」とまた「多くの部下を無駄死にさせてしまった。それに比べ俺は孫に囲まれ長生きしている。本当に申し訳ない気持ちで一杯だ」と話していたのを子どもながらよく覚えている。「生き残って申し訳ない」という言葉は戦争をしらない子ども時代の私にもズシリと重たい言葉であった。
ビルマの国境を越えインド領のインパールにある英国軍基地を奇襲攻撃しようとしたのが「インパール作戦」であるが、3000m級のアラカン山脈越えは過酷を極め、作戦の基本中の基本となる部隊に対する食料等の補給は各自が現地調達などと考えられない作戦計画であった。そして食料も弾薬も尽き、またマラリア、赤痢によりバタバタと兵士が死んでいった。7万人前後の兵士がこのインパール街道で戦死し「白骨街道」とも呼ばれた。にも関わらず作戦の発案者であり責任者である牟田口司令官は前線から400キロ離れていた保養地で「ひたすら前進あるのみ」と命令を下していたとのこと。牟田口司令官の話をする度に祖父は肩をプルプルと震わせながら「あいつは許せない」と・・・。
先の大戦はインパール街道に限らずフィリピン、ガダルカナル、パプアニューギニア、沖縄、硫黄島など様々な各地で無謀な戦争が繰り返されてきた。あの「絶対国防圏を死守すべし」ってスローガンは一体全体なんだったのだろうか。言葉だけ煽って、戦地に兵士を送るだけ送って後はアッツ島から始まった「玉砕せよ」である。作戦としてまた戦略として破綻している。私たちがフィリピンで行った遺骨調査で発見した数100体もの御遺骨の多くがジャングルの中で援軍を待ち続け、そして最後は集団自決したものと推測された。さぞかし無念であっただろう。洞窟の中で御遺骨を前に英霊たちの無念さを全身で感じていた。
未だに多くの日本兵の御遺骨が戦地に放置されている
「終戦記念日」という言葉で戦争に負けた事実をごまかしてほしくない。何故ならばあの「敗戦」を真っ直ぐに受け止め、戦地で何が行われていたのか、また大本営はどのような根拠であのような無謀な作戦を遂行していたのか等を理解するところから、戦後日本の再生を始めなければならないからだ。「終戦日」という言葉で「敗戦」した事実をぼかしてはならない。同じ過ちを繰り返さないためにも。
不謹慎な表現かもしれないが、「売春」を「援助交際」とごまかすようなものに感じてならない。
知覧特攻平和記念館にて特攻隊員の遺書を読む
そして8月15日ではなく、ミズーリ号で調印式が行われた9月2日を「敗戦日」とし、何故にあのような戦争に突入したのか、そして何故に敗れ去ったのか、また国の為に命を捧げた英霊たち、戦争に巻き込まれて亡くなった非戦闘員に思いを馳せ、これからの日本がどの方向に向いて進んでゆくのかを、国民一人一人がそれぞれじっくりと考える日にしなければならないと私は本当にそう感じている。
2008年 8月16日 野口健
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