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2009年マナスル清掃登山
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ヒマラヤ
マナスルは203高地か BC~C1~C2~BC
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2009年マナスル清掃登山
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ヒマラヤ
2009/04/23
マナスルは203高地か BC~C1~C2~BC
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キャンプ1の朝
サマ村の僧侶による安全祈願の翌日から晴天。キャンプ1手前まで登り鈍っていた体を少し動かせ幾分か気分的にも楽になった。そして4月19日、いよいよキャンプ1(5700M)へ向けてベースキャンプを出発。進行方向右側の斜面にデブリ(雪崩の跡)がいくつもあり、そのデブリの上を通過しなければならず、いまにも落っこちてきそうなべったりした雪の斜面をチラ見しながら進むしかない。キャンプ1手前の斜面では前日にロシア隊4名が雪崩に流されたデブリがきれいに残っていた。デブリの横に複数の人が走ってレスキューに向かってであろう足跡がいくつも残されてあり、その時の緊迫した空気が再現されているかのようであった。
ベースキャンプからキャンプ1へ向け出発
雪崩の瞬間
雪崩の跡(デブリ)
その現場付近から富士山クラブ森の学校に衛星電話を入れる。なにしろこの日はNPO法人富士山クラブ創立10周年記念で関係者や会員など約200人が富士山に集合し清掃活動を行っていた。清掃後、森の学校に集まっている所に私が衛星電話で会場とトークするというわけだ。私なりに一生懸命喋ったつもりだが、息が「ハァーハァー」と、また酸欠の影響なのか、脳の回転が遅いようで自分でも何を喋っているのかよく分からず。ただ、富士山クラブを支えてくださった多くの皆さんに心から心底、感謝していました。そして日々現場でゴミと格闘している舟津氏はじめ富士山クラブのメンバーと一緒に活動を続けてこられたことを誇りに感じている。10周年記念イベントであるにも関わらず自分が富士山にいられないことがとても残念ですが、こうしてヒマラヤという遠い地にいても、日本の皆さんと気持ちは同じ。どうか、これからも富士山クラブをよろしくお願いします。
キャンプ1はまだかなぁ~
もうすぐでキャンプ1
ベースキャンプを出発して約5時間、無事にキャンプ1入り。しかし、天候が再び崩れ雪。テントの中でじっと過ごすのだが、なんせ寒い。歯を磨くのだが、口に入ってくる凍てついた大気で歯がキーンと沁みる。寝袋の中でマン丸になりながら眠りについたら今度は頭痛で目が覚める。高山病さんがいらっしゃったのだ。ベースキャンプですら4日間連続して頭痛。
キャンプ1到着
キャンプ1からのマナスル峰
通常、私は4000mの標高では高山病にはかからないのだが。まあ~高山病はその時の体調によってかなり左右されるもので、今回はかなり苦しめられています。高山病の頭痛は激しく苦しい。風邪による頭痛の痛みとは異なり、分かりやすく説明すれば脳の中心が爆発し両耳の穴、または鼻の穴から脳みそ、脳水が噴水の如く噴き出すようなもの。つまり、めっちゃめっちゃ痛いわけです。バファリンをかじり痛みを殺すのだが、あまり飲みすぎると今度は胃を痛める。特に寝ている時に酸欠に陥りやすい。なぜなら寝ている時は呼吸のペースが落ちてしまうので、寝ている時に高山病になり頭痛で目が覚めるのは日常茶飯事。したがって数時間おきに目を覚まし、頭をプルプルと振って様子をうかがう。そして呼吸を整え全身を確認し不具合がなければ眠るのだが、今度は呼吸が止まっている自分に気がついて「うわぁ!」と飛び起きる。そしてしばし「ゼーゼー、ハァー、ハァー」と目ん玉が飛び出しそうなほど息が荒れる。
極寒のキャンプ1
極寒ゆえに歯まで凍りつきそう
「ガンガンガン」と頭痛が来る度に相手をしていたら、奴らがつけあがるだけだろうと、しばらく「ガンガンガン」を無視する。しかし今度は「コンコンコン」と奴らが脳をノックしてくる。それでも無視していたら「野口さん、いるのは分かっているんですよ!はい、野口さん、はやく開けてくださいよ、ほら、ほら」とまくし立ててくる。まったくもって達が悪い連中で「お前らは借金取りかぁ」とその執念深さにこちらが先に白旗を上げてしまう。
そしてやっとこさ眠りについたと思ったら今度は「ドドドー」と爆音に飛び起きる。寝ぼけながらB29による夜襲かと唯一武器になりえるピッケルを探しながら身構えるが雪崩の音だ。テントから顔を出しどこで発生したか探すのだが真っ暗闇で分かるはずもない。やれやれと再び寝袋に潜り込みウトウトしだすとまた「ドドドー」とまるで迫撃砲が着弾したかのような爆音。振動がテントにまで伝わってくるので、そう遠くない場所だろう。私はこのマナスルほど雪崩多発地帯を知らない。高所の夜は実に忙しいのだ。
マナスルとモーニングティー
「マナスルは雪崩の山」と韓国隊のキムさんが話していたが本当に雪崩の山。平賀カメラマンとも「もし俺らがここでやられるとすれば雪崩だろう」と話し合っていた。山頂を目指すのならば、一時足りとも雪崩の恐怖から逃れやしない。なにしろベースキャンプにもやってくるのだから。
ただ、これも考えようであるが、ヒマラヤのチベット、ネパール国境付近にあるナンパラ峠では中国の国境警備隊が越境しようとしているチベット人を女子供であろうが、いとも簡単に狙って撃ってくるが、雪崩はあえて我々を狙うわけではなく、雪崩が流れる場所にたまたま居るか、居ないかである。そう考えれば自然よりも人間のほうがよっぽどおぞましく怖い。
一歩一歩登るしかない
4月20日、頭痛と雪崩の爆音のため、ほとんど寝られないまま朝を迎える。頭は痛かったがテントからの景色にハッとさせられカメラを取り出しパシャリと収めていた。しばしその美しい世界に酔いしれていた。私ももとは写真部出身。あの朝日とピッケルの写真もいいでしょ。これでもなかなかの腕前なんですよ。この日は一日キャンプ1周辺をノンビリと歩いたり、また平賀カメラマンと下らない話をしたりと比較的優雅に過ごした。それにしても男二人、暇つぶしに話す内容とやら、いやはや、なんとも卑猥なものです。
龍さんのピッケル
標高6000Mにおいても平賀カメラマンのGPSうんちくは続く
4月21日、やはり頭痛と雪崩の音で寝不足。しかし、いつまでもキャンプ1で過ごしても仕方がないので重たい腰に鞭をうちキャンプ2を目指す。アイスフォール地帯はいつ巨大な氷の塊が崩れて落ちてくるか分からないので、ハラハラドキドキさせられるが、そのうち緊張するのにも疲れ果て、そして「来るなら来やがれ!俺は逃げも隠れもせんぞ!」と逆切れ。逃げるくせにね。まあ~人間なんてそんなものです。
キャンプ1からキャンプ2へのルート
前へ前へ
キャンプ1から雪崩多発地帯を横に横切らなければならない個所があり、ここばかりは気をつけようもなく、来るときにはちゃんと来る雪崩コースであり、我々が通貨している最中にやってくれば二人ともあっという間に飲み込まれ終りとなる。「おい、平賀、ここは上を見ないで何も考えずに急いで通過しよう」と声をかけたら彼もそれなりに緊張している様子だったので、もう一度振り返り「おい、平賀!もしもの事があったら次は靖国で会おう」と伝えたが、しかし奴はキョトンとした表情のまま「???」と無反応。私と彼とでは世代が違ったのかもしれない。いずれにせよキャンプ1~キャンプ2間はいつでもどこでも雪崩が起きうる。そしていずれも気をつけようがない。確実に雪崩に遭遇しない手段があるとするのならばマナスルに近づかないこと、それしかない。マナスルと203高地がだぶってしまうのは気のせいか。
表現の違いはあるものの、お互いにしっかりとその事に関し覚悟していた。
クレパス地帯を超える
キャンプ2到着
いくつもの氷壁、ブロックを越え、またクレパスを飛び越え、着実に一歩また一歩とキャンプ2へと登り続けた。そしてキャンプ1から3時間15分でキャンプ2(キャンプ2)に到着。思っていたよりもよいスピードにシェルパのカジも「ボラサーブ(隊長)、これならいけるよ」と、まあ~それほどでもないが、ただここに来るまでの道中を共にしたカジからすれば、あの状況からよくここまで回復したなぁ~と心底感じたに違いない。なんせ、本人がそれを一番感じ、また驚いているのだから。ベースキャンプ入りしてから一週間でキャンプ2まで到達できたのは我ながら満足。
ベースキャンプに下る(左に平賀 右に野口)
吹雪の中の下山
もうすぐでベースキャンプだ・・・
天候が再び怪しくなり急いで下山開始。17時頃、雪に降られながらもベースキャンプまで戻ってきました。「満身創痍」まさにこのマナスル挑戦にはこの言葉が似合う。久々に必死な自分の姿にあの学生の頃にエベレストと格闘していた頃を思い起こした。初心に戻れると思えば、またあの不調にも意味があったわけです。全ての事に意味があると解釈し明日からまた精一杯生きていきたい。
朝日に照らされるマナスル峰(キャンプ1から)
2009年4月22日 マナスルベースキャンプにて 野口健
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