2年ぶりのバングラディシュ訪問。これで3回目。きっかけは2007年12月に開催された第一回アジア・太平洋水サミットの運営委員として「ヒマラヤの氷河融解による水害対策」をテーマを手掛けた時に「そもそもヒマラヤの氷河が溶けた水は最終的には何処に行くのであろうかと、そこの現場まで出かけてみないと本当の被害は分からないのではないか」と地図を見ながらヒマラヤから下って行くとインドのガンジス川に繋がり最終的にはバングラディユ、そしてベンガル湾への水が流れていく事に気が付きそれでは行ってみようとなったわけです。
水びだしのバングラディユ
当時のラフマン水資源大臣(暫定政権下)との会談も実現し、大臣には「アジア・太平洋水サミットに参加して頂けませんか」とお願い申しあげましたが残念ながら実現せず。
ヒマラヤとバングラディシュは川で繋がっているので、ヒマラヤ山域国と最も被害を受けるバングラディシュが声を1つにして世界に対し訴える意味はあると思っていましたが、外交的な様々な理由があり、特にインドとの関係が大きく影響しソズ大臣の参加はなりませんでした。
そんな事よりも大きな衝撃を受けたのは初めて訪れたガンジス川周辺の村々の水害被害。ハシャリ村やハティア島にも訪れましたが、日々、驚くべきスピードで浸食されていく河岸。ハシャリ村では年に200~300Mの浸食。ハティア島に至っては約1キロの浸食。一回目にハシャリ村に訪れた際に訪問した学校が翌年には土地ごと流され跡形もなかった。
温暖化なり環境破壊の被害というものがこれだけのスピードと脅威で人々の生活を脅かしている事実を現場で目にしてやはり現場こそ全てを物語っているのだとつくづく感じさせられた。
やはり現場に行って自身の目で見なければ本当のところ分からないのかもしれない。あれから2年のブランクが空き、今回はヒマラヤのツラギ氷河湖調査を行った際に「再びあのハシャリ村に訪れてみよう」となり緊急的にバングラディシュ再訪問が決まったわけです。ピサンピーク登山といい、どうして私はこうも計画性がないものかと思いますが、「今、行かなければ」と思った瞬間にはもうその時点で決定しているものです。
2年ぶりのダッカ(バングラディシュの首都)は相変わらず人、人、人。人口は一億6000万とも言われていますが、体感人口は三億人。とにかく人で溢れています。
目が合うとニコニコ笑顔をしてくれる
バングラディシュの国会議事堂
ココナッツジュースは美味しい
キズだらけのバス
そして真っ先に向かったのはホテルではなく病院。そう、狂犬病の注射です。二回目は通常の注射なのでカトマンズのあのスペシャルとは違いますが、それでもやっぱり気持ちいいものではなく、ハァーとため息をついていたら平賀カメラマンがまたまたニコニコしながらカメラを向けてくる。なんとも悪趣味な写真を撮っていました。
バングラで一番先に行ったのはこれ
なんとも悪趣味な写真 平賀め!
あ~やられた瞬間
それから私の行きつけ?のアンティーク屋に寄りましたが、ここが面白い。聞くところによるとバングラディシュは世界中の船の解体現場でもあるのです。 解体費用が安いからなのか世界中から解体される船が集まる。なかには50年代~60年代の船もあり、コンパス、舵、サイレン機、湿度系からなにまで船で使用するあらゆるものがアンティーク屋に流れる。これが面白くて、特に古い道具にはロマンがあり、バングラディシュ入りする度に訪れては気に入った物を購入。一度、船の解体現場の見学をテーマにバングラディシュに訪れたいとさえ考えています。年内には実現させたい。
大好きなアンティク屋さん
船で使われていた物が多い
それでは明日からハシャリ村です。
2010年4月3日 ダッカにて 野口健