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日本人が去った台湾で起きた悲劇 二二八事件~遺族の追究~

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2010/07/21

日本人が去った台湾で起きた悲劇 二二八事件~遺族の追究~

 李登輝元総統との対談翌実、蔡焜燦(さいこんさん)さん、黄昭堂(こうしょうどう)さん、阮美姝(げんみす)さんとお会いしました。

 

 蔡焜燦さんは作家・司馬遼太郎氏の「街道をゆく」シリーズの「台湾紀行」の取材に同行し案内役を務めた方。

 蔡焜燦さんと

 蔡焜燦さんと

金美齢さんも著書の中で「蔡さんは日台間の『私的外交官』。誰に任命されたわけでも、頼まれたわけでもないのに、気持ちは台湾のどの外交官よりも真剣です。大好きな日本の人々に、台湾社会の実態と台湾人の宿命を理解してもらいたい。これが蔡さんの心情です」
と書かれているように、約2時間お話させて頂きましたが、李登輝氏同様に日本に対する思いを永遠と語っておられた。
 印象的であったのが、今月発売の月刊誌「正論」を読まれており(台湾の方は正論やボイスを読まれている方が他国と比較すると多い)開口一番、「野口さん、正論であなたの遺骨収集の事を知りました。オールジャパンをやりたいそうだね。私は大賛成だ。あなたのやりたいように思いっきりやってください。とっても尊い活動ですよ」と。
 昨日の李登輝元総統、そして2月お会いした
蕭錦文(しょうきんぶん)さん、皆さん共通しているのは遺骨収集活動に対する熱い思いである。

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  蔡焜燦さんに食事会を開いていただいた

 蔡焜燦さんのご著書「台湾人と日本精神 日本人よ胸を張りなさい」(小学館文庫)では近年、台湾では日本統治時代を正しく評価する歴史教育が始まったが、日本は未だに自虐史観から抜け出せず日本人から自身と誇りを奪ってしまったと指摘されている。一人でも多くの日本人に読んで頂きたい。特に学生など若い人には是非お勧めします。

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 同席された黄昭堂さんは台湾独立建国同盟の首席を務めている方で元総統府国策顧問。黄さんは、
「今の現代日本人よりも私たちの方が日本人だよ。あなた方、日本の若い人は歴史を知らない。正しい歴史を学んでください。自分の国を好きになれないでどうして他の国を好きになれますか。自分の国を愛せなくてどうして国際平和ですか。今の日本人は日本精神をもっていない日本人だ。でも私たちは日本精神をもっている台湾人だ。」と、力を込めて話されていた。

 黄昭堂さんと

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黄昭堂さんと

 そして夜は阮美姝さんから二二八事件について語って頂いた。日本ではあまり知られていない二二八事件。1947年、台湾で起きた国民党による民衆虐殺事件である。二二八事件とは終戦後、台湾から日本人が去った後に、中国大陸から蒋介石ら国民党が、台湾に流れ込み、知識人や親日派を無差別に連行し数万人が虐殺した事件。

 阮美渚_さん

  阮美姝さんに殺害されたお父さんの写真を眺めて

 日本の大学を出て新聞社の社長をされていた阮美渚_さんの父も国民党員に連行されたまま行方不明に。国民党によって38年間という世界で最も長い戒厳令が敷かれた台湾。もちろん、言論の自由などなく抗議活動など行えば連行され裁判なしに処刑。事件後も「白色テロ」と呼ばれる反体制派への無差別逮捕、処刑が続いた。まるでカンボジアのポルポト政権のようである。そして現在のチベットも同様であろう。

 

 阮さんは「事件は日本に対する中国の復讐で日本教育を受けた父は日本人の身代りになって殺されたようなものです」と新聞の取材にも答えている。
 そして阮さんは消えた父親の行方を探し続けた。戒厳令の中、事件を口にすることさえタブーとされ、周囲からは危険だと反対されながらも、身の危険を顧みず被害者の遺族や関係者から証言を集め続け、事件の真相を求めた。その後、父が連行されたあと、台北で拷問され郊外の山中で憲兵に銃殺された事が判明。2002年、国民党の秘密文書の中から父が「反乱首謀者」として処刑されていた資料を発見したのだった。事件発生から53年後である。

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 集められた二二八事件に関する資料を解説してくださった

 「私の生涯の大部分は二二八事件とともにあった、といっていいかもしれない。事件のなかで消えた父を探すことは、事件の真実を追う事でもあったから」私は阮さんの言葉に返す言葉が見つからなかった。

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 知らないことがあまりにも多すぎる

 阮さんのご著書で「台湾の二二八の真実 消えた父を探して」(まどか出版)がありますが、最後に阮さんのお父さんに向けた言葉の一部を紹介したい。

 

「最初のうち、私は夜中によく父の洋服を取り出してはそれを抱きしめ、涙が洋服につくのも構わずに顔を押しつけた。そうすれば、父の息遣いを感じ、また、父の温もりも感じることができるようだった。晴れた日に(父の洋服を洋服ダンスから)取り出しては虫干しし、そんなとき、また父に会えたような、暖かな感覚に包まれるのだった。年月はまたたくまに過ぎて、四十数年がたった。現在でも毎年樟脳(しょうのう)を取り換える時期には取り出している。お父さんの遺品を見て涙を流す日は少なくなりましたが、お父さんへの思いは日増しに深くなります。そして全力で二二八受難者の家族を訪ね歩き、材料を探しては二二八に関する文章を書き、二二八事件の記念活動への参加を通じてお父さんを思い出しているのです。お父さん、これでよいでしょう?」

 

2010720日 台北にて 野口健

※お使いの機種によっては、阮美姝(げんみす)さんの姝(女編に朱)の漢字が正しく表示されない場合があります。

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